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今回、高市郡高取町の薩摩遺跡で見つかった池は後者です。
この画像は、谷間を堰き止める堤の上から撮っているので、池は奥に向って細長く広がるはずですが、調査範囲ではその護岸部は殆ど出ていませんでした。
今回の範囲では、堤も完掘していないので、木樋も先端が顔を出しているだけです。
来年度の調査で、これを完全に掘るのだそうです。
木樋は池の底に溜まった有機質層の上に作られていて、周囲からは平安時代の初めくらいの土器や土馬、銅銭(承和昌宝)が出ているそうで、その頃に作られたと考えられます。
同じような時代の物は、大阪の狭山池の取水口の樋が有名だとか……狭山池博物館に現物が保存されているらしいのですが、未だに見に行っておりません(-_-;)
この堤を挟んで(画像の)左側は、土地がありありと下がっている様子が見えます。
今でも周囲に幾つかの溜池が現役で存在しています。
この大きな溜池は、いつどのような要因で埋まってしまったのか、もしくは埋められてしまったのか。
調査をするまで、ここに池がある事は分からなかったそうですから、中世には既に廃絶していたのでしょう。
天災のためか、土地利用の変化か、はたまた人為的な要因なのか……?????
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