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今年は雨でしたので、林檎の庭ではなく、弊殿の内で行われました。
こちらは『神主舞前歌』平成23年に復興されて以来、最初に奉納するようになりました。
『あな愉(たの)し 今日の愉しさ 古(いにしへ)も かくやありけむ 今日の愉しさ』
柱の御陰で良く見えませんね(^_^;)
平成4年までは和舞は、春日祭と春日若宮おん祭の時だけ、東遊と共に奉納されていましたが、今では昭和の日にも行っています。
ちなみに江戸時代には、おん祭では東遊のみの奉納だったそうです。
そして明治19年に、春日祭では和舞のみ、おん祭では両方を行うように改定されました。
ブログ自体がなくなってしまったので、この辺りをもう一度調べてみました。
歌方、地方の人たちは和舞音取(やまとまいのねとり)の後、進歌(すすみうた)で登場します。
『少女(をとめ)らに男(をとこ)立ち添ひ 踏み平(なら)す 西の都は 万世(よろづよ)の宮』
この歌は続日本紀の巻三十に出てきます。
神護景雲四年(宝亀元年)三月、称徳天皇の由義宮(ゆげのみや)行幸に際して行われた歌垣での歌われました。
ちなみにこの行幸の時、歌垣に続いて和舞も行われています。
“河内大夫従四位上藤原朝臣雄田麻呂以下、和儛を奏(つかへまつ)る”
神主舞(二人舞)に続いて諸司舞(四人舞)が行われますが、舞人の出入りに歌われるのが『交替歌(こうたいうた)』です。
『春日野に斎(いつ)く三諸(みもろ)の梅の花 栄えてあり待て 帰り来るまで』
万葉集巻19-4241に見える歌の作者は、藤原朝臣清河、北家房前の四男です。
この人は天平勝宝二年に遣唐大使に任命され、同四年に節刀を賜って出航します。
出航に先立って、春日野で天神地祇への祈祷が行われたようで、この時に光明皇太后が清河に歌を賜っています。
『大船に真楫(まかじ)しじ貫(ぬ)き この吾子(あこ)を唐国(からくに)へ遣(や)る 斎(いは)へ神たち』
清河の歌は、この歌への返答です。
諸司舞の後、『立歌(たちうた)』で舞人は下がります。
『皇神(すめかみ)をよき日祀れば 明日よりは あけの衣をけ衣にせむ』
実は、この歌が何処に出て来るかが分かりませんので、字も良く分かりません(ーー;)
どなたかご存知の方がおられましたら、是非とも御教授願います。
三年ほど前から、和舞の最後は復曲された『槲酒(かしわさけ)歌』が行われるようになりました。
この舞は『求子(もとめご)』です。
春日大社では東遊は男の子が行います。
この辺りの事は、昨年までの記事で再三述べておりますので、そちらを参照下さいm(__)m
今日もしつこく続く……
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