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先の記事に書き忘れましたが、南都楽所は4月にベトナムのフエ市で行われた芸能フェスティバルに参加されたそうで、そこで林邑八楽に含まれる曲の演奏を行ったという事です。
今回の演目も、フェルティバルで奏した曲を選んだのだそうです。
童舞の『迦陵頻』も林邑八楽の一つです。
林邑とは現在の南ベトナムにあったチャンパ王国の事で、天平八年に僧侶の仏哲師が伝えた曲を『林邑八楽』と称しています。
『迦陵頻』『陪臚』『胡飲酒』『蘭陵王』『安摩』『菩薩』『抜頭』『万秋楽』がこれに当たります。
ところが四天王寺では『蘇獏者』も含まれるとしているようで、八楽ではなく十楽になってしまうのだとか……あと、一曲は何なのでしょう?
この辺の事は東大寺要録にあるとかないとか……(。-_-。)
『陪臚(ばいろ)』
鉾と楯を持ち太刀を履いた四人の武人の舞で、東大寺の大仏開眼会に行われたと記録にあります。
見るからに左方舞とおもいきや、実は右方舞になっています。
その証拠に、楽頭さんは三鼓を打っていますし、登場した舞人は右足優先に動いて、一臈はしっかり右側のポジションにつきます。
ところが他の楽器を見ると、笙に龍笛、ついでに夜多羅拍子……安直な私は、ずっと左方だと信じておりました(→o←)ゞ痛い
『胡飲酒(こんじゅ)』
真っ赤な顔は酔っぱらいの胡人、手にした撥は酒の杓、相当の酒豪と伺えます。
酔漢にしては実に豪快に舞いますので、胡国の王様の舞とも云われているそうです。
金の金具の着いたおしゃれな黒い沓は、烏皮沓(うひのくつ)というそうです。
面白いのは、手にした撥を時々、左手に持ち替え、またしばらくすると右手に戻す、そのような動きを何度か繰り返します。
ところで、今年は四天王寺の聖霊会でも『陪臚』が行われました。
こちらがその様子です。
装束が微妙に違いますが、一番目立つのは冠でしょう。
そして面白い事には、四天王寺ではこの舞を左右で一緒に行うのだそうです。
一臈と三臈が左方、二臈と四臈が右方の幕舎から出て舞台に上がります。
曲も左右の楽舎で奏されるので、実に賑やかです。
このように楽所によって、舞や曲が少しずつ違うという事は結構あるそうです。
あちらこちら無節操に見に行くのも、それなりに勉強になります。
と、今日も意味不明に……m(_ _)m
今回の演目も、フェルティバルで奏した曲を選んだのだそうです。
童舞の『迦陵頻』も林邑八楽の一つです。
林邑とは現在の南ベトナムにあったチャンパ王国の事で、天平八年に僧侶の仏哲師が伝えた曲を『林邑八楽』と称しています。
『迦陵頻』『陪臚』『胡飲酒』『蘭陵王』『安摩』『菩薩』『抜頭』『万秋楽』がこれに当たります。
ところが四天王寺では『蘇獏者』も含まれるとしているようで、八楽ではなく十楽になってしまうのだとか……あと、一曲は何なのでしょう?
この辺の事は東大寺要録にあるとかないとか……(。-_-。)
『陪臚(ばいろ)』
鉾と楯を持ち太刀を履いた四人の武人の舞で、東大寺の大仏開眼会に行われたと記録にあります。
見るからに左方舞とおもいきや、実は右方舞になっています。
その証拠に、楽頭さんは三鼓を打っていますし、登場した舞人は右足優先に動いて、一臈はしっかり右側のポジションにつきます。
ところが他の楽器を見ると、笙に龍笛、ついでに夜多羅拍子……安直な私は、ずっと左方だと信じておりました(→o←)ゞ痛い
『胡飲酒(こんじゅ)』
真っ赤な顔は酔っぱらいの胡人、手にした撥は酒の杓、相当の酒豪と伺えます。
酔漢にしては実に豪快に舞いますので、胡国の王様の舞とも云われているそうです。
金の金具の着いたおしゃれな黒い沓は、烏皮沓(うひのくつ)というそうです。
面白いのは、手にした撥を時々、左手に持ち替え、またしばらくすると右手に戻す、そのような動きを何度か繰り返します。
ところで、今年は四天王寺の聖霊会でも『陪臚』が行われました。
こちらがその様子です。
装束が微妙に違いますが、一番目立つのは冠でしょう。
そして面白い事には、四天王寺ではこの舞を左右で一緒に行うのだそうです。
一臈と三臈が左方、二臈と四臈が右方の幕舎から出て舞台に上がります。
曲も左右の楽舎で奏されるので、実に賑やかです。
このように楽所によって、舞や曲が少しずつ違うという事は結構あるそうです。
あちらこちら無節操に見に行くのも、それなりに勉強になります。
と、今日も意味不明に……m(_ _)m
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