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今年も橿原神宮では四月二十九日の昭和の日に奉賛祭が行われていました。
相変わらず行事関係に不勉強なうめぞーには、式次第がちゃんと分かっておりませんで、とりあえず十一時に始まるという事で、家を十時半に出て(十五分もあれば本殿前に着きます)、賽銭箱の前に陣取っておりました。
その間、来賓の方々が回廊内に三々五々入って行かれました。
定刻を若干過ぎた辺りで浄衣姿の神職の方々のご入場があり、御祭が始まるのですが……招待者ではないので式次第が分からない(/_;)
この日は明け方まで土砂降り、斎庭の玉砂利も濡れているのが良く分かります。
これでも久米舞(くめまい)は行われるのかしらと、宮司が祝詞の奏上をしたり、神職が供物を捧げたりしているのを遠目に見ながら考えておりました。
恐らく私の周囲でカメラを構えて待っている人達の殆どは、久米舞が目的で来られているのだと思います。
とやかくしている内に、正面石敷きの脇に置かれた長机と椅子に奏者の神職が着座して、回廊の右手後方(本殿より見て)より、四人の舞人が登場します。
一昨年の奉賛祭や新嘗祭の時の記事にも書いていると思いますが、本拍子に和琴、竜笛、篳篥に歌方三名を加えた七名の奏者が曲を奏でます。
そして途中で抜刀をして和琴の演奏のみで舞われる箇所が出てきます。
舞楽の走舞の途中でも、演奏なしの無音で舞が行われることがあり、これを『さえずり』と呼ぶのだそうですが、琴軋(ことさき)による和音に続く爪弾きの音を聞いていますと、『さえずり』とはもしかして、本当の無音ではなくて弦の音のみが微かにあるべきものなのかしらと、根拠不明に思えてきてしまうのですが……
雅楽では管弦には琴も琵琶も入りますが、舞楽には使用しないので無音になるのだとか?(・_・;)?い~かげんな事言ってますが。
ただし久米舞は明治になってから復興されたそうで、楽器の編成などから考えても御神楽や東遊びなどを参考にしているのだと思うので、そちらと比較する方が賢明なのかもしれません。
いずれにしても、私は音楽的素養が全然無い奴なので、四の五の言っても説得力は全く無いのですが……(-_-;)
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