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今年も29日の昭和の日の奉賛祭で、久米舞を拝見してきました。
大伴氏と佐伯氏がこの舞を勤めたようで、大伴氏二名が弾琴、佐伯氏八名が大刀を持って舞ったと、職員令の雅楽寮に関する古記録に見えているようです。
ちなみに現在、橿原神宮では四人の舞人によって舞が行われています。
菟田(うだ)の 高城に 鴫(しぎ)わな張る 我が待つや 鴫は障(さわ)らず いすくはし 鷹(くじ)等障り
前妻(こなみ)が 肴(な)乞(こ)はさば 立稜麦(たちそば)の 実の無けくを 幾多聶(こきしひ)えね
後妻(うはなり)が 肴乞はさば 斎賢木(いちさかき) 実の多けくを 幾多聶えね
この後に舞人は抜刀し、和琴の音だけにあわせて大刀を打ち振るいます。
大刀を鞘に収めた後、『伊麻波予』が歌われ、舞人は四人並んで袖をひるがえして舞います。
今はよ 今はよ ああしをや 今だにも 吾子よ 今だにも 吾子よ
神武天皇即位前期には、これらの歌以外にも『久米歌』とされる歌が出てきますが、どうしてこれが選ばれたのか良く分かりません。
いずれにしても現在、宮内庁や橿原神宮で行われる『久米舞』は江戸時代に復興したものだそうで、古記録に見える舞や歌は、室町時代に廃絶してしまったという事です。
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