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このタイトルが何かと申しますと、本日、奈良大学のオープンキャンバスの特別企画として行われた『河瀬直美氏 映画上映会&講演会』の講演会のタイトルです。
ちなみに映画は『火垂 2009version』でしたが……始まった途端、画面のトーンがかなり奇妙なんです。
2000年に公開された作品を御覧になった方は御存知でしょうが、この作品は東大寺修二会のお松明で始まり、お松明で終わります。
この火の色が黄緑がかっていて、かなり変です。
ちょうど超高感度カメラで暗闇のかすかな光を写した時のような感じでしょうか。
それだけでなく、人物の顔色も変だし、ヒロインの口紅の色もこげ茶色??
どうしてこのヴァージョンは、タイトルに反したような奇妙なトーンで編集し直したのかと思っていたら、何とこの会場のプロジェクターの不調で、赤の色が飛んでいた(つまりランプが切れていたか何か)ためのようです。
ハプニングはともあれ、私としてはこの作品は、河瀬監督の作品中では比較的分かりやすいと思っているのですが、それでも感情移入までにかなり時間が掛かります。
やはりこの方の作品はどう取っ付いて良いのか、困るところが多いです。
いえ、あくまでも私の場合ですから、ストレートに入って来る方も大勢おられると思います。
何せ登場人物たちがかなり無口なんですよ。
饒舌なキャラクターぞろいのハリウッド映画に馴らされている私のような俗物には、彼らの切れ切れの会話から推測する物語の背景や、現在の流れや、登場人物の心の動きなどにうまく乗る事が出来ないとでも申しましょうか。
監督の言われる自然体がかえって不自然に見えてしまうのは、映画を非現実のエンターテイメントとして捉えているためなのでしょうか。
そして、大抵の作品に共通するように、BGMを極力抑えているので、物語が平板に淡々と進んで行くのに着いて行くのが、場合によってはかなり疲れます。
それにしてもキャラクターの寡黙さのために、最後まで分からない事も多いです。
終始疑問だったのが、ヒロインの恋人は陶芸家らしいのだけれど、普段はどうして生計を立てているの?
奈良だから、瓦屋にでも勤めているのかしらと一瞬、思ったのですがその様子もない……
祖父と一緒に造った窯があって、そこに火を入れるシーンもあるのですが、肝心の作品を作っているシーンも、窯に詰めたり取り出したりするシーンもない……
そして最後に、ヒロインと二人で窯をぶっ壊すシーンがあるのですが、それに至る意味が私には全く分からない……
そんな事、考えるのが間違っていると言われればお終いですが、受け取る側が分からないという事は、時として物語には致命的になる事もあるんですよね。
講演を聴いていても、監督の言いたい事はすごく分かるし、共感もすんなりと出来るのに、どうして作品になってしまうと巧く受け取る事が出来ないのか、なんともジレンマに苛まれます。
奈良の歴史風土に誇りを持たれている事も、本当に良く分かります。
質問の時間で何人かの方が、歴史を扱った作品を是非とも撮って頂きたいと(多分、社交辞令的に)言われていたのですが、やはり河瀬監督の本領は、普遍性を多分に含んだ現在進行形の日常でしょうか。
地層のように重なって積もった歴史という要因は、作品にはとても重要だと思うのですが、地層内に包含される歴史上の人物や出来事には、それ程の必然性は無いのだと思います。
まぁ、はっきり申しまして、河瀬監督の描くような世界は私には絶対書けないし、私が捻くり回すような与太話は、監督には不必要な世界だというところかなσ(^◇^;)
……んで、次の作品は橿原や明日香が舞台だというのは、あっちこっちで聞いているし、編集はほぼ終了しているので今年の秋には封切とも聞いているのですが、果たして私は見に行くのでしょうか。
やっぱり私には、玄人受けするような芸術的(?)作品は、高くはないけれど越し難い敷居があるような気がして、素直に受け入れるのが難しい事を今更ながらに実感致しました……(/_;)
ちなみに映画は『火垂 2009version』でしたが……始まった途端、画面のトーンがかなり奇妙なんです。
2000年に公開された作品を御覧になった方は御存知でしょうが、この作品は東大寺修二会のお松明で始まり、お松明で終わります。
この火の色が黄緑がかっていて、かなり変です。
ちょうど超高感度カメラで暗闇のかすかな光を写した時のような感じでしょうか。
それだけでなく、人物の顔色も変だし、ヒロインの口紅の色もこげ茶色??
どうしてこのヴァージョンは、タイトルに反したような奇妙なトーンで編集し直したのかと思っていたら、何とこの会場のプロジェクターの不調で、赤の色が飛んでいた(つまりランプが切れていたか何か)ためのようです。
ハプニングはともあれ、私としてはこの作品は、河瀬監督の作品中では比較的分かりやすいと思っているのですが、それでも感情移入までにかなり時間が掛かります。
やはりこの方の作品はどう取っ付いて良いのか、困るところが多いです。
いえ、あくまでも私の場合ですから、ストレートに入って来る方も大勢おられると思います。
何せ登場人物たちがかなり無口なんですよ。
饒舌なキャラクターぞろいのハリウッド映画に馴らされている私のような俗物には、彼らの切れ切れの会話から推測する物語の背景や、現在の流れや、登場人物の心の動きなどにうまく乗る事が出来ないとでも申しましょうか。
監督の言われる自然体がかえって不自然に見えてしまうのは、映画を非現実のエンターテイメントとして捉えているためなのでしょうか。
そして、大抵の作品に共通するように、BGMを極力抑えているので、物語が平板に淡々と進んで行くのに着いて行くのが、場合によってはかなり疲れます。
それにしてもキャラクターの寡黙さのために、最後まで分からない事も多いです。
終始疑問だったのが、ヒロインの恋人は陶芸家らしいのだけれど、普段はどうして生計を立てているの?
奈良だから、瓦屋にでも勤めているのかしらと一瞬、思ったのですがその様子もない……
祖父と一緒に造った窯があって、そこに火を入れるシーンもあるのですが、肝心の作品を作っているシーンも、窯に詰めたり取り出したりするシーンもない……
そして最後に、ヒロインと二人で窯をぶっ壊すシーンがあるのですが、それに至る意味が私には全く分からない……
そんな事、考えるのが間違っていると言われればお終いですが、受け取る側が分からないという事は、時として物語には致命的になる事もあるんですよね。
講演を聴いていても、監督の言いたい事はすごく分かるし、共感もすんなりと出来るのに、どうして作品になってしまうと巧く受け取る事が出来ないのか、なんともジレンマに苛まれます。
奈良の歴史風土に誇りを持たれている事も、本当に良く分かります。
質問の時間で何人かの方が、歴史を扱った作品を是非とも撮って頂きたいと(多分、社交辞令的に)言われていたのですが、やはり河瀬監督の本領は、普遍性を多分に含んだ現在進行形の日常でしょうか。
地層のように重なって積もった歴史という要因は、作品にはとても重要だと思うのですが、地層内に包含される歴史上の人物や出来事には、それ程の必然性は無いのだと思います。
まぁ、はっきり申しまして、河瀬監督の描くような世界は私には絶対書けないし、私が捻くり回すような与太話は、監督には不必要な世界だというところかなσ(^◇^;)
……んで、次の作品は橿原や明日香が舞台だというのは、あっちこっちで聞いているし、編集はほぼ終了しているので今年の秋には封切とも聞いているのですが、果たして私は見に行くのでしょうか。
やっぱり私には、玄人受けするような芸術的(?)作品は、高くはないけれど越し難い敷居があるような気がして、素直に受け入れるのが難しい事を今更ながらに実感致しました……(/_;)
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