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土曜日に二週連続でやってたNHKの古代史ドラマとやら、各所にて批判の声やら不満の感想やらが散見されるようになりましたので、私としては以前もやったように、人の突っ込まないところを非難してやろうじゃないのと、結構図に乗っております(ー_ー)!!
さて、「不知命、無以為君子也」――命を知らずば、もって君子なること無きなり――で良いんでしたっけ、論語の一節だったと思うのですが。
天命を受ける者は選ばれた者、『受命思想』というやつでしょうか。
大唐帰りの頭でっかちの下道朝臣真備の事ですから、皇太子の学士に任命された時、後の大学での必須科目よろしく、この類の講義もした事でしょう。
「宜しいですかな、皇太子様。皇家に生まれた事さえ選ばれた存在、ましてや日嗣に任命されるとなれば、御身様こそが天に選ばれなされた御方と言えましょうぞ」
なんておだてた後に、
「もし君子に徳がない時は、天がそれを示されましょう。天は災いを起こし、地は乾き、人は病に倒れましょう……それは君子の不徳を天が示す印なのです」
ってな具合に脅しをかけもしたのではないかと思います。
「かつて唐より以前の王朝は、この徳を失ったために滅びたのです。そして王家の姓は今の李氏に変わりました。天は新たに君子となるべき者を見出した、これを易姓革命と呼びます」
ウンたらカンたら……誰か(私じゃないですよ)だったら、講義中に居眠り位してたと思います(-_-;)
そういう訳で、あのドラマの最後の方で、二度目の遣唐を果たして帰還した真備が、紫微内相の藤原恵美朝臣押勝に頭ごなしの説教をする場面があるのですが、こいつはかなりの見当違いですわね。
かつて海の向こうから疫病が来たのも、長雨が続いて冷害が起きて不作が続いたのも、それによって各国に更なる疫病が蔓延したのも、当時の思想によれば為政者よりも君子の不徳のためとされるべきなんですわね。
大学頭だの何なのを歴任して、史部などに限らずとも良家の子息らを十三歳で大学に入れて、しかるべき教育をしろと提言した張本人が、これらの思想を全然理解していなかったって事になりますわね。
そりゃ、さっさと大宰府に行けと追い払われる訳ですわねε-( ̄ヘ ̄)┌
もう一つ、行基和上率いるところの七百五十人もの優婆塞を得度させろ云々のくだり……これ、当人らの希望をまるで無視した為政者側のエゴ丸出しの方便ですね。
彼らがどうして和上の元にいるかを理解していないようです。
彼らの大多数は、地方出身の逃亡良民です。
良民であるという事は、土地に縛り付けられて課税の対象とされるべき人員なんですよ。
ここで和上の世話になって、帰ろうと思えば帰る国はあるにしても、再び田租を重く課せられる身、更には逃亡した事によって良民権を剥奪される恐れもあるような立場でしょう。
だから優婆塞でいるんです。
これを得度させて正式の僧侶とした時、確かに僧侶には納税義務はなくなるでしょう。
しかし、続日本紀などに見える実情は、例えば毘盧舎那仏造営に際して官奴を良民にするという詔勅が出ても、造営が終わった後にこの命令を取り消されて再び奴婢に戻されるような非道な扱いです。
直接に書かれてはいないと思われますが、行基大僧正の遷化の後、これらの僧侶は再び還俗を強いられて元の国に戻され、かつての土地に縛り付けられるという現実が待っていても、決して不思議ではありません。
それにしても教義も何も知らない者がいきなり僧侶になれといわれ、彼らはどこに行く事になるのでしょう……結局は僧侶は僧綱の下で支配されるのですから、国に良いように使われる羽目になりはしないのでしょうか。
疑問なのですが、作者たる人は、こういう事、史料を眺めていて思わないんでしょうかねぇ……私ゃ、しょっちゅう、この類の疑問が湧いて来て困るんですよね。
困るから無視したら……ああいう意味不明の物語ができるのかなぁ((+_+))私にゃ致命傷だわ(>_<)
さて、「不知命、無以為君子也」――命を知らずば、もって君子なること無きなり――で良いんでしたっけ、論語の一節だったと思うのですが。
天命を受ける者は選ばれた者、『受命思想』というやつでしょうか。
大唐帰りの頭でっかちの下道朝臣真備の事ですから、皇太子の学士に任命された時、後の大学での必須科目よろしく、この類の講義もした事でしょう。
「宜しいですかな、皇太子様。皇家に生まれた事さえ選ばれた存在、ましてや日嗣に任命されるとなれば、御身様こそが天に選ばれなされた御方と言えましょうぞ」
なんておだてた後に、
「もし君子に徳がない時は、天がそれを示されましょう。天は災いを起こし、地は乾き、人は病に倒れましょう……それは君子の不徳を天が示す印なのです」
ってな具合に脅しをかけもしたのではないかと思います。
「かつて唐より以前の王朝は、この徳を失ったために滅びたのです。そして王家の姓は今の李氏に変わりました。天は新たに君子となるべき者を見出した、これを易姓革命と呼びます」
ウンたらカンたら……誰か(私じゃないですよ)だったら、講義中に居眠り位してたと思います(-_-;)
そういう訳で、あのドラマの最後の方で、二度目の遣唐を果たして帰還した真備が、紫微内相の藤原恵美朝臣押勝に頭ごなしの説教をする場面があるのですが、こいつはかなりの見当違いですわね。
かつて海の向こうから疫病が来たのも、長雨が続いて冷害が起きて不作が続いたのも、それによって各国に更なる疫病が蔓延したのも、当時の思想によれば為政者よりも君子の不徳のためとされるべきなんですわね。
大学頭だの何なのを歴任して、史部などに限らずとも良家の子息らを十三歳で大学に入れて、しかるべき教育をしろと提言した張本人が、これらの思想を全然理解していなかったって事になりますわね。
そりゃ、さっさと大宰府に行けと追い払われる訳ですわねε-( ̄ヘ ̄)┌
もう一つ、行基和上率いるところの七百五十人もの優婆塞を得度させろ云々のくだり……これ、当人らの希望をまるで無視した為政者側のエゴ丸出しの方便ですね。
彼らがどうして和上の元にいるかを理解していないようです。
彼らの大多数は、地方出身の逃亡良民です。
良民であるという事は、土地に縛り付けられて課税の対象とされるべき人員なんですよ。
ここで和上の世話になって、帰ろうと思えば帰る国はあるにしても、再び田租を重く課せられる身、更には逃亡した事によって良民権を剥奪される恐れもあるような立場でしょう。
だから優婆塞でいるんです。
これを得度させて正式の僧侶とした時、確かに僧侶には納税義務はなくなるでしょう。
しかし、続日本紀などに見える実情は、例えば毘盧舎那仏造営に際して官奴を良民にするという詔勅が出ても、造営が終わった後にこの命令を取り消されて再び奴婢に戻されるような非道な扱いです。
直接に書かれてはいないと思われますが、行基大僧正の遷化の後、これらの僧侶は再び還俗を強いられて元の国に戻され、かつての土地に縛り付けられるという現実が待っていても、決して不思議ではありません。
それにしても教義も何も知らない者がいきなり僧侶になれといわれ、彼らはどこに行く事になるのでしょう……結局は僧侶は僧綱の下で支配されるのですから、国に良いように使われる羽目になりはしないのでしょうか。
疑問なのですが、作者たる人は、こういう事、史料を眺めていて思わないんでしょうかねぇ……私ゃ、しょっちゅう、この類の疑問が湧いて来て困るんですよね。
困るから無視したら……ああいう意味不明の物語ができるのかなぁ((+_+))私にゃ致命傷だわ(>_<)
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