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既に昨日、11月3日、今年も去年に引き続いて行って来ました。
昨年の模様はこちらに→ http://umezo.bakeinu.jp/entry/34167/
昨年は屋根の木組みが丸出しという感じだったのですが、今年は既に瓦も葺き終わり、屋根の両端には新たな鴟尾も乗っております。
下に置かれているのは、今回の平成大修理で下ろされた物です。
手前が創建当初、約1300年の風雪に耐えて来た物で、奥が鎌倉時代の物です。
屋根の瓦は、全てが新しくなったのではなく、勿論、古い物も使っています。
再用されたのは全体の二割程度との事で、東面にまとめて用いられているそうです。
軒丸瓦は、ざっと見たところ三パターンあるようですが、もしかしたら更に種類があるかも(?_?)
このチョイト古そうな復弁蓮華文はいつのものなんでしょう?
この何となく簡素化された文様の物が、新たに焼きなおした物で、明治の修理の時の瓦に大きさをそろえてあるのだそうです。
何と申しますか、奈良朝の物を近世になって模倣したという感じですね。
どうも瓦は詳しくないので、良く分かりませんわ(^_^;)
瓦ばかりで恐縮ですが、こいつが、僧坊などでも見かけた寺の名前の瓦です。
文健では『唐律招提寺』で見えているので、私としてはつい、そのように読んでしまうのですが、良く見ると平瓦の文字は『唐招提律寺』……(-_-;)
こいつは鎌倉期くらいの物でしょうか?
まあ、修理前の瓦の四割は江戸時代の物のようです。
鬼瓦なんて、本当に江戸時代という顔をしていますし、銘文が入っているものもあります。
ここで決定的に古いのは、軒を支える隅鬼です。
今年も健気に座っております。
南西隅に一体だけ、江戸時代の物がいますが、他の三体は創建当時の物だそうで、これからも縁の下の力持ちを続けて行くのだそうです。
しかし、この子達も、修理の落慶法要の後には、下から仰ぎ見ても梁が邪魔して見えないとの事、この後のご対面は果たしてかないます事やら……
では明日は、午後から見て来た平城宮の第一次大極殿(西側大極殿)の再建現場の様子でもm(__)m
昨年の模様はこちらに→ http://umezo.bakeinu.jp/entry/34167/
下に置かれているのは、今回の平成大修理で下ろされた物です。
手前が創建当初、約1300年の風雪に耐えて来た物で、奥が鎌倉時代の物です。
再用されたのは全体の二割程度との事で、東面にまとめて用いられているそうです。
軒丸瓦は、ざっと見たところ三パターンあるようですが、もしかしたら更に種類があるかも(?_?)
このチョイト古そうな復弁蓮華文はいつのものなんでしょう?
何と申しますか、奈良朝の物を近世になって模倣したという感じですね。
どうも瓦は詳しくないので、良く分かりませんわ(^_^;)
文健では『唐律招提寺』で見えているので、私としてはつい、そのように読んでしまうのですが、良く見ると平瓦の文字は『唐招提律寺』……(-_-;)
こいつは鎌倉期くらいの物でしょうか?
まあ、修理前の瓦の四割は江戸時代の物のようです。
鬼瓦なんて、本当に江戸時代という顔をしていますし、銘文が入っているものもあります。
今年も健気に座っております。
南西隅に一体だけ、江戸時代の物がいますが、他の三体は創建当時の物だそうで、これからも縁の下の力持ちを続けて行くのだそうです。
しかし、この子達も、修理の落慶法要の後には、下から仰ぎ見ても梁が邪魔して見えないとの事、この後のご対面は果たしてかないます事やら……
では明日は、午後から見て来た平城宮の第一次大極殿(西側大極殿)の再建現場の様子でもm(__)m
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地域って…なんだ