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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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雪景色の記念講堂2月16日、17日と『古代東アジアにおける都市の成立』などという、小難しい国際シンポジウムに行って参りました。
今回のテーマはズバリ『都市論』です。
つまり古代における都市とは、如何様なものかを踏まえて、日本、韓国、ベトナム、中国の例を紹介する講演と、その後のディスカッションからなるのですが、私にとっては『都城』以上に門外の世界……初っ端から眠くなりました(^_^;)

それでも、各遺跡の紹介は面白いです。
しかし、内容が濃すぎると言うか情報が多すぎるので、各発表者の持ち時間の内に紹介するのが殆ど困難で、資料を参照にしながらも概要を追いかけるのが精一杯と言う状況です。

日本の場合は、ここ最近流行の(また、こういう不謹慎な事を言う……)『弥生時代の都市論』となりまして、機内における代表的な拠点集落として『纏向遺跡』、北九州では『比恵・那珂遺跡』と『須玖・岡本遺跡』が紹介されました。

九州の例は殆ど知らないのですが、機内の場合、弥生時代の拠点集落は奈良盆地に限ってみても、幾つか点在しています。
しかし、弥生後期から古墳初頭となると、『纏向遺跡』に集約されて来るのだそうです。
これにより、その時代の北九州から東海にかけての西日本の首都として考えても良いのではないのか、この辺りからまぁ、私の苦手な『邪馬台国』論争が派生するのですが、今回のシンポジウムではこういう話ではなく、あくまでも日本において都市とはいつから存在しているのかが争点となります。

それにしても今更ながらに驚くのが、日本の古代において、纏向以降に集約的な都市(各地域の拠点ではなく、国の単位での中央集権的な機能を持った)が現れるのを待とうとしたら、律令が萌芽する飛鳥時代以降を待たなければならないという事実です。
古墳中期には、中国大陸から柵封を受けた『倭の五王』などもいたのですが、確かにここが倭国の首都だという大きな都市は存在せずに、大君の世代交代に伴なう小規模(なのか?)な宮しか存在していないようです。

こう考えると、弥生時代とは決してプレ古墳時代ではない事が納得できます。
……にしても、常々、一次史料に頼りたがる身には、やはり弥生時代への取っ掛かりが覚束ないようで、すぐ近所の『唐古・鍵遺跡』にしても『平等坊・岩室遺跡』にしても『鴨都波遺跡』にしても、何となく縁遠いのは困ったものです。
これもひとえに勉強不足……σ(^◇^;)
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