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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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白梅二日にわたって悩まされていた歯痛がようやく治まったので、少々現金にも、大阪まで車を転がして行きました。
大阪といっても、大和高田市と葛城市を過ぎ、竹之内峠を越えればすぐ、太子町や河南町、つまりは南河内です。

実はこの辺りでも梅の花は、早咲きのものが少し咲いているだけで、殆どが蕾です。
今頃は私の田舎では、見頃なのだと思うのですが、やはり内陸は遅いようです。

紅梅本日出かけた目的は、特に花見と言う事ではなくて、『大阪府立近つ飛鳥博物館』に和田萃先生(京都教育大学名誉教授・高取町在住)の講演会を聞きに行く事です。
演題は『徳島・観音寺遺跡と出土木簡―その歴史的意義―』です。

ただ今こちらの博物館では『発掘された日本列島2007』展を開催していまして、観音寺遺跡の木簡(レプリカだそうです)も、展示品に並んでいます。
木簡は平城京や藤原京のような都城には付き物の遺物ですが、地方でのまとまった出土例は極めて少ないのだそうで、こちらのように二百点を超える遺跡はとても貴重なのだそうです。

木の実をついばむ目白この観音寺遺跡は、阿波国国府跡と考えられ、出土した木簡の時代幅も七世紀の後半から九世紀の末にまで及ぶそうで、二百年以上、阿波国の中心地はこの場所から動いていない可能性も示唆しています。

そして他に例を見ない古い(七世紀後半)木簡は、国府以前の地方行政の様子も彷彿と示してくれています。

更には木簡の記述から、阿波国府と名方郡郡衙(ぐんが・郡の役所です)は、十字路の西と東に隣り合っていた可能性があり、近くには国分寺国分尼寺もあり、長らく国の中心地であった事が知れます。

太子町の道の駅にいた聖徳太子この遺跡から出土した最も古い木簡は、『論語』の一部を書き記した物で、木簡研究の第一人者の和田先生でも、一瞬、読み方が分からずに「頭の中が真っ白になった」という、とても珍しい書体の代物だそうです。
本来の『論語』と文字の順番などが一部違っており、書物などを見ずに暗記していた内容を書いたためではないかと考えられ、この当時に都を経ずに、大陸や半島からの知識が入っていた可能性もあるようです。
その証拠のように出土木簡には、渡来系氏族の名前も多く見られるようです。

さても私は文献の読めない身なのですが、こういう類の話が好きでして、和田先生の話も分かりやすいし、今日はとても有意義な講演会でした。

ところでここにあげた画像は何??
白梅と紅梅は、博物館の近くに咲いていた花です。
そして三番目の物は、白い木の実をついばんでいた目白の群れをデジタルズームをめ一杯にして写したのですが、ピントがやたらに甘いです(^_^;)
最後の奇妙な聖徳太子……これは太子町内の通学路の横断歩道ではお馴染みなのですが、一時は殆ど見られなくなって、最近再び置かれるようになりました。
これは竹之内峠の手前の『道の駅』に置かれていました。
赤いランドセルを背負った物が多いのですが、ハイキングコースには黄色いリュックサックを背負ったヴァージョンもあるようです。
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