×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
鎧と一口に言って私が真っ先に思い出すのは、ごくスタンダードに大鎧で、次に思い出すのが古墳時代の単甲や桂甲だったりします。
しかし人によっては、戦国時代のドラマや城下町で行われる城祭りなどで、武将役の人たちが身に着けている当世具足かもしれません。
私は戦国時代に疎いせいなのか、案外、こいつを思い出しません(~_~;)
昨日の日曜日、春日大社の『いのちと心の講座』の一環で『見て!触れて!感じる!鎧講座』が行われましたので参加して参りました。
正直、二月に行きました『女房装束とその歴史』よりも、こちらの方が遥かに私の好みと申しますか、興味対象としてはウエイトが高いですσ(^◇^;)
これが刀剣など、武具の類ですと更に喜びますので、我ながら危ない奴です……(-_-)
まずは大まかに、鎧にはどのような種類があり、それらが時代によってどのように変遷をたどり、どのように使用されてきたのかの解説があり、絵巻の『春日権現験記』にはどのように描かれているのかを見て、『春日若宮おん祭』の風流行列に使用される具足を実際に手に取って、身に着けてみようという試みの後、宝物殿に展示されている国宝や重文の大鎧や胴丸を見てみましょうという流れで終了です。
このようにモデルの方にはフル装備をして頂いたのですが、おん祭などでもこのような格好で、約六時間は過ごさなければならないそうで、最後の方には皆さん悲痛な形相になって、「早く脱がせてくれ~」という状況になるのだそうです。
重いのやら窮屈なのもあるけれど、特に胴の部分が固定されて動かせないので、これが一番辛いと言われていました。
いつぞに大和郡山市の山川氏が筒井城の発掘現地説明会の時に、城祭りのための具足を着けて説明をした事があるのですが、当人曰く、「後悔した……」だそうです(-_-;)
平安や鎌倉の戦のように弓馬の合戦というよりも、戦国時代には雑兵や足軽らの歩兵部隊による接近戦が増えたため、鎧も武器も変化をして行き、防備する箇所も増えて、本来ならばこのスタイルに面頬も装着するのが正しいとの事。
しかし、ドラマでは俳優の顔を隠す訳にも行かないと、ほぼ、これは省かれております(^^ゞ
ここで相変わらずの戯言など……ε-( ̄ヘ ̄)┌
ところで『春日権現験記』などの絵巻に見る上代の合戦には、馬上で刀を振り回すようなシーンはあまり描かれていないそうです。
いつぞの大河ドラマで滝沢秀明さんやら小栗旬さんあたりが、大鎧を着て馬上で大刀を振り回していたような気がしますが……これは合戦としては、かなりやばい状況です(*_*)
馬上の大将を固める郎党らが討ち取られて、自らが弓を打ち捨て、馬上刀で歩兵らをなぎ払う……
絶対にあんなさわやかな顔して、長モノ振り回せる訳がないって……
それにあの時代の馬上刀ってのはかなり反りが大きくて、上から下に打ち下ろすよりも文字通り薙ぎ払うのに適していたと、昔々に教えてもらったような(゜.゜)
このように、歴史ドラマの合戦シーンには、戦国でも源平でも、はたまた幕末でも、突っ込みどころが満載なのだそうで( ̄▽ ̄)。o0○
絵巻の合戦シーンでは大鎧を着た武将が、馬上で振り向きながら矢を射る場面が時々描かれていますが、こいつを見る限りでは、大鎧は当世具足の腹巻や胴丸などとは違って、上半身がかなり自由に動くように設計されていたようです。
……にしてもだ、鎌倉時代になると馬上弓もかなり長くなるのだから、本当にあのパルティアンショットは可能なんだろうか?
正倉院御物などの画像に見るパルティアンショットは、大抵が短い弓を使用していたような気がするしなぁ。
誰か、七尺三寸の長弓でやって見せてよ……などと不謹慎は言うんじゃない(--〆)
しかし人によっては、戦国時代のドラマや城下町で行われる城祭りなどで、武将役の人たちが身に着けている当世具足かもしれません。
私は戦国時代に疎いせいなのか、案外、こいつを思い出しません(~_~;)
昨日の日曜日、春日大社の『いのちと心の講座』の一環で『見て!触れて!感じる!鎧講座』が行われましたので参加して参りました。
正直、二月に行きました『女房装束とその歴史』よりも、こちらの方が遥かに私の好みと申しますか、興味対象としてはウエイトが高いですσ(^◇^;)
これが刀剣など、武具の類ですと更に喜びますので、我ながら危ない奴です……(-_-)
まずは大まかに、鎧にはどのような種類があり、それらが時代によってどのように変遷をたどり、どのように使用されてきたのかの解説があり、絵巻の『春日権現験記』にはどのように描かれているのかを見て、『春日若宮おん祭』の風流行列に使用される具足を実際に手に取って、身に着けてみようという試みの後、宝物殿に展示されている国宝や重文の大鎧や胴丸を見てみましょうという流れで終了です。
このようにモデルの方にはフル装備をして頂いたのですが、おん祭などでもこのような格好で、約六時間は過ごさなければならないそうで、最後の方には皆さん悲痛な形相になって、「早く脱がせてくれ~」という状況になるのだそうです。
重いのやら窮屈なのもあるけれど、特に胴の部分が固定されて動かせないので、これが一番辛いと言われていました。
いつぞに大和郡山市の山川氏が筒井城の発掘現地説明会の時に、城祭りのための具足を着けて説明をした事があるのですが、当人曰く、「後悔した……」だそうです(-_-;)
平安や鎌倉の戦のように弓馬の合戦というよりも、戦国時代には雑兵や足軽らの歩兵部隊による接近戦が増えたため、鎧も武器も変化をして行き、防備する箇所も増えて、本来ならばこのスタイルに面頬も装着するのが正しいとの事。
しかし、ドラマでは俳優の顔を隠す訳にも行かないと、ほぼ、これは省かれております(^^ゞ
ここで相変わらずの戯言など……ε-( ̄ヘ ̄)┌
ところで『春日権現験記』などの絵巻に見る上代の合戦には、馬上で刀を振り回すようなシーンはあまり描かれていないそうです。
いつぞの大河ドラマで滝沢秀明さんやら小栗旬さんあたりが、大鎧を着て馬上で大刀を振り回していたような気がしますが……これは合戦としては、かなりやばい状況です(*_*)
馬上の大将を固める郎党らが討ち取られて、自らが弓を打ち捨て、馬上刀で歩兵らをなぎ払う……
絶対にあんなさわやかな顔して、長モノ振り回せる訳がないって……
それにあの時代の馬上刀ってのはかなり反りが大きくて、上から下に打ち下ろすよりも文字通り薙ぎ払うのに適していたと、昔々に教えてもらったような(゜.゜)
このように、歴史ドラマの合戦シーンには、戦国でも源平でも、はたまた幕末でも、突っ込みどころが満載なのだそうで( ̄▽ ̄)。o0○
絵巻の合戦シーンでは大鎧を着た武将が、馬上で振り向きながら矢を射る場面が時々描かれていますが、こいつを見る限りでは、大鎧は当世具足の腹巻や胴丸などとは違って、上半身がかなり自由に動くように設計されていたようです。
……にしてもだ、鎌倉時代になると馬上弓もかなり長くなるのだから、本当にあのパルティアンショットは可能なんだろうか?
正倉院御物などの画像に見るパルティアンショットは、大抵が短い弓を使用していたような気がするしなぁ。
誰か、七尺三寸の長弓でやって見せてよ……などと不謹慎は言うんじゃない(--〆)
PR
この記事へのコメント