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暫くして台風情報でも見ようかとテレビをつけたら……震度6?静岡県で!?!?
さして間を置かずに姉から携帯にメールが来まして、家の方は大丈夫との事。
家への電話は午前中は通じず…・・・いえ、回線がパンクしているのではなく、留守電になってるんですわ。
午後に三度電話したら、午前中は定期健康診断に行っていた?????
ニュースの深刻さに比べると、やけに暢気な母のお言葉でした(~_~;)
縦揺れは全くなく、横揺れがずいぶん長く続いたそうで、数年前に奈良で震度4が起きた時みたいな感じでしょうか。
あの時も20秒くらいユ~ラユラと揺れてましたわ。
まるで高架の道路で渋滞にハマって、対向車線を大型のトレーラーでも通った時みたいな、気持ち悪い揺れですね。
久々に狛犬さんでも紹介致します。
これはおとといに行って来た、『崇道天皇社』の本殿前にいた子達です。
こちらの神社、鮮やかに赤い鳥居が正面に立ち、そのすぐ内側にかなり新しい花崗岩のペアがおりますが、今回は江戸時代生まれの子達です。
台座には奉納者や石工の名前は見当たらず、文久二年六月吉日と有りますので、西暦にすると1862年、『坂下門外の変』やら『生麦事件』の起きた年、つまり幕末です。
大きさは70センチ程度、きわめてオーソドックスなサイズでしょうか。
多分、和泉砂岩製だと思います。
特に子連れでも玉取りでもなく、とってもお行儀良く座っています。
創立は大同元(806)年、崇道天皇こと早良親王を御祭神として、平城天皇即位の年に、ここに鎮座したそうです。
御霊神社が複数の方々の御霊を祭るのに対し、こちらは親王一人に限って御祭りしているのが、やや珍しいような気も致します。
それにしても以前にもぼやきましたが、どうしてこの場所にこの御祭神の社があるのかが、未だに良く分かりません。
やはり皇族関係の社だけありまして、あちらこちらに菊花紋が散見されます。
そして本殿は見事な春日移し、重要文化財に指定されています。
ともあれ、あちらこちらの神社で写してきた狛犬さんの写真がかなりたまっているので、頃合を見てぼちぼちあげて行くつもりです。
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こんばんは!
そうなんです、テレビのニュースでは緊張感タップリに報道されてますけど、現地はわりと平静なもんですよ(笑)
ともあれ、ご実家のほう大した被害がなくてなによりです。そのうえ私の事までご心配いただいてすみませんでした。
話は変わりまして・・・。
紀寺町にもちっちゃな御霊社が点在してますよね。
いつか何かの本で読んだんですけど、井上内親王が一時期その辺りに幽閉されてたことがあったから、そこに御霊社が多いんじゃないかとか書かれてました。
けど、ここは早良親王をピンで祀ってるんですね・・・不思議だわ~。
もともとのご祭神は違っていたのかもしれませんね。
また、いろんな狛犬クンたちの画像も楽しみにしていますので~v
それでは長々と失礼致しました。
お猫様方はご無事で?
実家に聞いたら、そっちの猫たちもケロッとしていたらしいです。
うちでの一番の被害は、本棚の本が全部ひっくり返った事だとか(^_^;)
家の中がごった返しているのなら、週末に整理に帰ろうかと聞いたら、9月の連休にしろとのご指定でした……帰ったついでに三嶋大社の例大祭の流鏑馬、見に行こうかと思ったのに、当てが外れましたかσ(^◇^;)
やっぱり静岡県民は、地震にはタフですねぇ。
東名の崩れた箇所も、一日で復旧するとか言っているし。
ところで『井上神社』って、確かに『崇道天皇社』の道を挟んだ筋向いくらいにあるんですが、かなり小さな神社で由緒書きらしき物がないので、どうして井上皇后がここに祭られているのか分かりません。
なるほど、宇智の方へ送られる以前に平城の西郊外に幽閉されていたという可能性も否めませんね。
もし紀氏が関わっているとしたら、やはり光仁天皇の母方の家筋というところなのかしらねぇ?
地図で見ますと北永井町には『崇道天王社』がありまして、八島町には『嶋田神社』があります。
いずれも早良親王が御祭神なんですね。
後者は今年の一月二十五日の記事に上げましたが、御陵に付随するんです。
そこから他の神社が近いと言えば近い、遠いと言えば遠い……
都は既に長岡に移っていて、この頃の平城がどういう扱いになっていて、この辺りがどの氏のテリトリーだったのか、さもなければ御陵などが後世にどのような祭られ方をしたのか、調べる方法があるのかないのかって感じですわ。
狛犬さんと、奈良のお猫様、機会を見てボチボチ上げてゆくつもりです。
そういえば金沢レポートも書いてないわね(^^ゞ
そう言えば
桓武天皇と側近らにとって、この異母弟はやや問題外だったの?
こういう所から生存説みたいなのが出てくるのかしらねぇ?????
お猫様方は呑気なもんですよ(笑)
いつぞや祭りをやってましたよ。町内会のお祭りみたいなアットホームなカンジで・・・御霊さんなのにねぇ(笑)
八嶋御陵でしたっけ?道路に変な石があるとこですよね?
あの石は早良親王がお亡くなりになる直前に投げた九つの石だそうで、その石が落ちたところに自分を葬ってくれと早良親王が遺言したという伝承があるそうですね。
んで現代になって、道路整備であの石を動かそうとしたら不幸が続いたらしくて、そのままになってるって話らしいです(でも一つは水害のときにどっかへ流れてっちゃったらしい)
ああ・・・ミーハー歴史ファンとしては、その八嶋御陵と祟りがあるって石もいつか見てみたいものですーv
それと、さっそく狛犬クンと可愛い猫さんをアップしてくださってありがとうございますv
林神社!でっかい饅頭があったとこですよね!なつかしー!
見事な白足袋はいたニャンコ可愛いー!
犬&猫画像でいっぱい癒されました~vありがとうございますv
相変わらず阿呆なコメントですみません!
それではまた(^_^)/~
暢気な上に凶暴なんです(^_^;)
今度、『御霊神社』のお祭りを覗いて見ようかなと思ってます。
十月十三日ですから今年は月曜日か……忙しくなかったら有給、取ってやろうかしら(~_~;)
『八嶋御陵』の伝承、確かに聞いた事あります。
ともあれ、あの石は岩座の残骸か何かなのでしょうかねぇ。
古墳の石室だという話は聞いた覚えがないのですが、そのように見えなくもないですし。
まあ、いずれにせよ、あいつのお陰で車の駐車場所があって助かってるんですねσ(^◇^;)
今度、こちらに来られたら何時でも案内しますぜ、あの辺は私のほっつき歩く場所の一つですから(^。^)
祟りのある石と言えば、平城宮の東院庭園の隣にある『阿弥陀浄土院跡』に残っている、庭石らしき大きな石、こいつがかつては触ると祟りがあると言われていたらしいです。
あの場所が史跡指定される前には、田んぼの真ん中にポツネンと残されていたのですが、農作業をする人たちも古い物だという事が分かっていたらしく、どこかへ持って行こうとか、割って捨てようという気にはならなかったのかも知れません。
奈良町の白黒猫さんは、割合に遭遇する率は高いですよ。
とにかく人懐っこい子で、呼ぶと寄って来て膝に上がりたがるんです。
猫と言えば『寧估庵』、最近ではかなり人気スポットになりまして、休日は予約を入れないと入れない状況なんです。
次の奈良町ツアー(?)の時は、前もって連絡頂ければ予約しておきまっせ。
この前、ちょっと顔を出したら、またも新参猫さんが増えてましたし。
これからもボチボチ、お猫様、お犬様をアップしてきますので、よろしくお願い致します