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そこを更に過ぎて、ようやく銅鳥居が現れます。
くぐれば荒垣の内、大社の神域となります。
ちなみにこの鳥居を寄進したのは、毛利輝元の孫だそうです。
ところで、ここで拝観整理券を九時より配布するとHPにはありましたが、八時前にして既に列はでき、それがしっかりと前に進んでいるんです。
多分、かなり早い内から長蛇の列ができてしまい、予定を早めて配り始めたのでしょう。
拝観の方も一時間早めて八時半から行われたようです。
ちなみに私は九時よりの整理券を頂き、十分前に八足門前のテントに集合して下さいと言われました。
ここは本来は『拝殿』で、ご祈祷などが行われていたそうですが、そちらはそちらで、仮のご祈祷所が隣に作られていました。
そういう訳で、お参りの方々がこのように並んでおられます。
私の少し前に、ミニのスリップドレスにミュール履きの女性と、カーゴパンツにTシャツの男性というカップルが並んでいましたが、彼女たちは本殿参拝はできなかったと思います。
正装とまでは行かなくとも、あまりにラフなスタイルは不可との事です。
ともあれ、今日は遅くなりましたので、続きはしつこくもったいぶって明日と致します。
だって今日は四天王寺の『篝の舞楽』に行っていたから、帰って来たのが二十二時過ぎだったんですわ……やっぱり、出雲よりもこの辺の方が暑いかも(-_-;)
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後で気がついたのですが、古墳からは次の出雲科学館前駅の方が近かったようです。
でも、ここは急行は停まるのかな?
私が乗ったのは特急の松江しんじ湖温泉駅行きです。
そして二番目の停車駅の川跡駅で出雲大社前駅行きに乗り換えました。
そして殆どの駅は無人だそうで、下りる時には運転手さんに切符を渡します。
車両もかなりの年代物、何処かの大手私鉄の払い下げだと聞いています。
ローカル線では、時々、聞く話です。
川跡駅で乗り換えた殆どの人たちも、この終点まで乗ってきました。
出雲大社のHPでのお知らせによりますと、拝観の整理券を配るのは九時からとの事でしたので、チョイと早いのですが、まぁ広い境内でしょうから、時間をつぶすのはいくらでもできるでしょうと、他の人と同じ様に北へと緩く登ってゆく道をとりました。
そして上り詰めた先が、この正門鳥居です。
大神神社の鳥居とどちらが大きいのでしょう?
正門鳥居をくぐりますと、少しだけ広めの場所がありますが、そこからすぐ下りの参道が伸びて行きます。
上って行く参道は、奈良や大阪辺りでも珍しくはないのですが、下る例はあまり思い出せません。
社は山を背にしているはずですから、この鳥居の立つ位置は、別の方向から伸びている尾根筋にでもなるのでしょうか?
周囲の展望が開けていないので、どうも地形が分かりません。
一度、詳しい地図でこの辺りの地形を調べてみたい衝動に駆られます。
何せ地形は、遺跡の分布などとも大いに関わって来ますから、こういう古い土地では侮れないんですわ。
そういう訳で、何時になったら参拝できるんでしょうねぇ……性懲りもなく続く(ーー;)
その辺は、大抵の地域で同様かと思いますが(;^_^A
とにかくどちらも盆地なので、とにかく暑いです。
海に開けた場所との決定的な違いは、熱せられた空気や湿気が抜けにくい事です。
それを分かっていながら、十五日、静岡から来た友人と共に京都におりました。
場所は山科区、北区、左京区……山科御陵と上賀茂、下鴨の両神社です。
何とか助かるのは、いずれの場所も水が流れている事でしょうか。
山科御陵は北側に疎水が流れ、上賀茂、下鴨神社は境内に豊富な湧き水の川があります。
ところでこの画像は、上賀茂神社の東側にある大田神社です。
この辺りでも特に古くから鎮座するお社で、御祭神はアメノウズメノミコトだとか。
ここも杜若の群生で有名だとの事ですが、当然ながら今は季節はずれですね(^^ゞ
この何年かは、なら燈花会の最終日に当っていたため、これでもかという人だかりで、この日の夕方以降は絶対に奈良市の中心部には行けないという状態だったのが、今年は一日早く終了という事で、久々に足が向いた次第です。
しかし……十年も前に比べると、人出が無節操に多い(-_-;)
これも燈花会の後遺症なんだろうか……
昔を知っている身には、何とも風情がなくなってしまったような(T_T)
ともあれ、一番好きなのは万燈供養です。
ここも昔は、こんな人だかりではなくて、もっと落ち着いて雰囲気に溢れていたのですが……あぁ~、もう、ボヤクなって(-_-メ)