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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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ここの御社も重要文化財意識している訳でもないのですが、このところやけに『御霊神社』づいています。
以前に五條市(奈良県)のこの神社をやたらに尋ねた事がありますが、ここ南山城においてそいつを行おうという気は毛頭有りません……(@_@;)

こちらは旧相楽郡加茂町(現在は木津川市)の『御霊神社』です。
木津川市内の同神社は、先日の現地説明会の時に訪れた木津宮ノ裏町の御社の方が有名らしく、ネットなどで検索してみますとこちらばかりがヒットします。
ところが私の持っているロードマップには加茂の方の御社は載っているのに、宮ノ裏の御社は載っていません。

この神社の御祭神は、崇道天皇井上内親王他戸親王藤原吉子文屋宮田麻呂橘逸勢吉備真備火雷神(菅原道真)と案内板にありますので、いわゆる『八所御霊神社』のようです。
しかし、このメンバーを見ていますと、もっと別の方を御祭するべきじゃないかと、常々思うのですが(*_*;
そして、どうしてここに御霊とは関係なさそうな吉備真備が入ってくるのかに関しては、これは吉備違い……恐らくは吉備内親王の事だろうと言われていたのは永井路子さんでしたでしょうか(・・?

それらはともかく、こちらの御社は奈良市の氷室神社から移された南北朝時代のものだそうで、とても優美な桧皮葺の三間社流造りです。
恐らく最近に塗りなおしたらしく、白い漆喰に朱の色も鮮やかです。
御社の前には陶製らしき狛犬も座っていました。
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同じサイズの二棟の社ちゃんと確認した訳ではないのですが、相楽郡の加茂町(現在は木津川市)の名前は、この神社から来ているのではないでしょうか。
こちらも昨日の信楽行きの途中で寄り道をした場所の一つです。
『山城国風土記』によれば、葛城の賀茂建角身命が山城国の賀茂社(上賀茂神社)に移る途中で、ここに立ち寄ったのだとか。
しかし、葛城の鴨と山城の賀茂って、果たして同じなのかという疑問は、大昔から私の中に有りまして……というのは、このたびも脇に置いておきましょう(~_~;)
考え始めると“鴨と烏と蚕のドつぼ”にはまってしまいますからσ(^◇^;)

この画像に見るように、簡素な拝殿の向こうには二つの同じサイズの一間社が見えています。
この見事な春日造りは、間違いなく春日移しの社でしょう。
境内に入って一目見た瞬間、思わず感激の声を上げてしまうほどに綺麗な社です。
向かって右側が岡田鴨神社、御祭神は賀茂建角身命です。
左側は天満宮となっています、御祭神は言うまでもなく菅原道真公ですね。
こちらの神社、昔はもっと木津川に近い所にあったそうなのですが、度々の水害でこちらに移って来られたのだそうです。
桧皮葺も美しい社殿です。木津川市相楽清水に鎮座する『延喜式内社 相楽神社』です。
訪問したのは九月二十日の事です。
現在の地名の“そうらく”、もしくは旧名の“さがらか”と読んでしまいそうですが、こちらの名前は“さがなかじんじゃ”です。
御祭神が足仲彦命(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)、誉田別命(ほむたわけのみこと・応神天皇)、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)となっていますので、本来は八幡神社のようですが、この辺りの産土社でもあるようです。

不勉強なのですが、こちらの神社に残る御正月の行事はかなり有名らしく、中世の宮座祭祀の形式をよく残しているとして、京都府の無形民俗文化財にも指定されているそうです。
ホント、民俗関係には疎くて……(*_*;

境内に入って真っ先に気づくのは、この相楽郡周辺に多い建物配置です。
本殿の前に拝殿、その前には本来ならば舞台があるのですが、ここでは斎庭になっています。
その庭の両側には氏子座となる仮舎が建てられています。
本殿は三間社の流造り、室町初期のもので重要文化財だそうです。
その左側には春日造りの若宮社も鎮座しています。

大きな道路に面し、隣は小学校か何かですが、社の杜に一歩入ると実にきれいな空間です。
最近、こういう場所に来ると「ああ、成る程な……」と、根拠不明の実感が湧くのですが、ここもそのような場所の一つでしょうか……別の実感を覚える所もあるんですけどね、この前の出屋敷町の『崇道天王社』のように(+_+)
馬場南遺跡の現説の後、すぐ近くの『岡田国神社』に寄ってみました。

春日造りの社です。JR関西本線に乗ると、この神社のすぐ脇を通るので、いつも気になっていたんですね。
国道24号線沿いには真新しい赤い鳥居が立ち、関西本線の線路をまたぎ越す参道が延びていて、少し高い位置に新しい神社の建物が建てられていますが、その少し下には江戸時代や明治時代の古い建物が残されています。

境内に入ると真ん中に神楽舞台があるのですが、その両脇に氏子詰め所の二間×六間の仮屋が建ち、社の前には幅の広い拝殿が建っています。
この配置は相楽郡に伝わる形態ですが、これを残している神社はかなり少なく、この古い建物群が保存されているそうです。
既に神様は新しい社に移られているという事になるので、この建物群の正面は線路でふさがれ、かつての参道も使われなくなっています。

ところで本殿は同じような春日造りの一間社が二つ並んでいるのですが、よく見ますと扉の数が違うんです。
この写真では格子越しで全く分かりませんが、左側の社には二つの扉が並び、右側の社は三つの扉があるんですね。
御祭神は生国魂命、菅原道真公、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇というところでしょうか、少なくとも天満宮と八幡神社が合祀されているのは分かります。
由緒としては、斎明天皇五年に生国魂命を祭ったのが最初とされているそうです。

ところで社務所脇の方にあった燈篭には『岡田恭仁神社』と刻まれていました。
この辺りは説によっては、恭仁京の右京の南端にかかるらしいので、『恭仁』の字を当てるのもあながち適切なのかも知れません(^^ゞ

この神社の背後の山は、馬場南遺跡、つまり『神雄寺』の背後山にもなります。
水源となるこの『天神山』は、今も昔も神奈備山に等しい存在だったのかもしれません。
エンジンは六馬力?まさに戯言は昨日の続きです。
今年の『京都御所一般公開』の特別公開の一つがこちら、『儀装馬車2号』です。
もらったパンフレットによりますと、昭和三年に宮内省(宮内庁ではない)主馬寮(しゅめりょう)工場で作られたそうで、六頭立て四頭曳き四人乗りだそうです。
五十年前の天皇皇后両陛下ご結婚のパレードに使われ、平成二年『即位の礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀』の際に使用されたという事です。
御成婚パレードの映像では、屋根の部分を外し幌を倒してオープンになっていました。

こっちは一馬力……一牛力?こちらは皇后宮内の『飛香舎』の前に置かれていた牛車です。
実はこれ、『葵祭』の斎王代の乗る牛車だそうです。
どうも私は平安時代の考証に詳しくないのですが、伊勢斎宮は牛車ではなく葱華輦(そうかれん)に乗ることができました。
そもそも葱華輦は天皇の略式の乗り物ですが、皇后・中宮・東宮の乗り物としても認められていました。
しかし賀茂の社の斎王は内親王が選ばれるとは言え、この範疇にはないようです。
だから葵祭の斎王代は公家の一般的な乗り物の牛車に乗っているのでしょうか。
う~ん、誰か詳しい人に聞いた方が良さそうですね(-_-;)

ところでどうして、こんな場所に置かれていたのでしょう?
解説によりますと、女御入内の儀式の時には、牛車のまま内裏に入る事が出来たそうです。
それを示すために皇后宮内に牛車を展示してあったようです。
解説のプレートの写真を撮ってくるのを忘れたので、しっかり分かっておりません(^^ゞ
承明門越しの紫宸殿今年の京都御所春の一般公開は四月二十三日から29日まででした。
もう少し早くに行きたかったのですが、結局、最終日になってしまいました。

『御車寄』や『諸大夫の間』を過ぎて回廊を南に回り込みますと、そこは『紫宸殿』の正面にある『承明門』です。
大抵の人がここでこういう写真を撮っていると思います(^^ゞ

いつもの年でしたら『左近の桜』が咲いているのですが、今年の公開はいつもよりも二週間近く遅い時期なので、完全に葉桜になっていました。
御苑内の糸桜も同様、花が咲いていないとどれが桜の木なのか、殆ど関心も示されませんね(~_~;)

『清涼殿』や『小御所』、『御常御殿』などはいつものコースですが、今年は天皇皇后両陛下御成婚50年記念の特別公開なので、更に『皇后宮』の諸殿も公開されていました。

御住まいの御殿は、桧皮葺が多いです。さて、これが『皇后宮御常御殿』、つまり皇后や女御らの日常の御住まいです。
こちらに隣接して『飛香舎』があるのですが、昔々の大内裏には、このような局がいくつもあったんですねぇ。
『飛香舎』の中庭には藤が植えられているので、別名を『藤壺』というのは、よく知られているところです。
『御常御殿』や『若宮・姫宮御殿』の高欄に付けられた金具は金堂製の菊の意匠なのですが、この『飛香舎』のものは赤く塗られた牡丹か何かの花のようで、奇妙なあでやかさがあります。

『皇后宮御常御殿』にてそれで『御常御殿』には、このような御方が居られました。
『黄丹御袍の束帯』と『紫の唐衣』に『萌黄の五衣』は天皇皇后両陛下の御成婚の時の御装束だそうです。

そういえば今回の特別公開の一つ、御成婚のパレードに使われた馬車を上げるのを忘れていますね……
明日以降に画像を引っ張り出してUP致します。
何せ意味不明のモノも含めて、二百枚も写真を取り捲ってきたもので(-_-;)
西の玄関(?)石の鳥居お彼岸の中日、大阪四天王寺では一週間、境内に所狭しと並んだ露店で賑わっています。
通称『ガラクタ市』という訳で、業者による出店から、個人のフリーマーケット的なお店まで見られまして、本当にマニア向けのガラクタまで売っています。
私もそのようなお店で、統制番号入りの湯飲みを買ってしまいました。
産地と製造元を示す番号を記した、戦争中に作られたお茶碗などですね。
ただ今、台所で漂白剤に浸かっていますので、綺麗になったら写真を撮ってみましょう。

伽藍を東から見る。久々に宝物館を見て、庭園を徘徊し、五重塔にも登って参りました。
塔内には永代供養の小さな塔が、ガラスの入った棚に所狭しと並んでいますが、ここももうすぐ一杯という感じです。

このお寺は無宗派を謳って、大阪の人たちのかなり自由な信仰心を培っているという印象をいつも受けます。
日本で最初の官寺として建てられた研鑽の場も、時代が移ればとことん様変わりしていますね(^_^;)
次にここを訪れる予定は一月後、四月二十二日の聖霊会大法要の時となります。
国宝の五重塔昨日に『恭仁宮』跡の現地説明会に行ったついでに、すぐ近くにある『海住山寺(かいじゅうせんじ)』にも行って来ました。

寺で頂いたパンフレットによりますと、こちらの創建は天平七(735)年、恭仁遷都よりも五年早い事になります。
開祖は良弁上人という訳で、何となくありそうななさそうな……(^^ゞ
しかし保延三(1137)年に火災によって消失、復興したのは承元二(1208)年、解脱上人貞慶によるそうです。

ご本尊は十一面観音、ちょっと癒し系(?)の容貌をされています。
文殊堂の屋根と紅葉しかし、同じ十一面観音では、ただ今『奈良国立博物館』に寄託されている檀像の方が有名かもしれません。
高さにして三十センチくらいしかないのですが、とても端正な姿が印象に残る御方です。
つい最近まで常設展で見る事が出来たのですが、今はまたお蔵入りしているのが残念ですわ(-_-)

実はこちらも秋となれば、紅葉の名所として隠れたスポットと呼ばれるようになりますσ(^◇^;)
紅葉越しの鐘楼しかしここは最寄の駅から歩いて一時間近くかかる上に、細くて急勾配の曲がりくねった道をあがって来なければなりません。
大型バスで押しかけるような、イージーな観光地ではないのが幸いしているようで、そこそこ深遠な山寺の雰囲気を味わえます。
お寺の裏手に上がると、加茂盆地を見下ろせる場所もあって、周囲の山の紅葉も楽しめるのが良いです。

そういう訳で、こちらもお薦めの場所でした(^^ゞ
八足門「御仮殿」横のテントから八足門を窺うと、こんな感じ。
手前のテントで整理券と拝観記念券を交換してもらい、この門から本殿の瑞垣の内に入ります。
本来は御正月くらいしか、この門は一般には開かれないそうで、本当に特別な事らしいです。
らしいとは、後にも先にもこの大社には初めて来たので、いつもの様子を全然知らないんです(ーー;)
八足門の見事な波の透かし彫りは確か、左甚五郎の作だったかと思うのですが、この度もうろ覚えです(-_-;)

本殿を西から見るここから内は、一切撮影禁止。
門を入ってすぐ左で少しばかり待機した後、楼門の内にも入り、今回のために作られた屋根着きの通路から、少し急な階段を上れば、既に本殿の縁の上です。
建物や欄干には触れないようにと、係りの方が再三注意をされていましたが、白木作りに桧皮葺の神殿は、本当に江戸時代の建築か、それにしては風化の度合いが激しいような……

こんな事を言うと顰蹙を買いそうですが、普段から鎌倉期や平安期の建築物に接する事の多い場所に住んでいるので、江戸時代といわれるとかえってピンと来ないんですわ。
東大寺大仏殿が元禄年間の再建でしたか、それから興福寺の仮金堂、何と言っても京都御所も江戸時代でしたね。

しかし、周囲の摂社も大きいですねぇ……大きな社を更に大きな社の上から見下ろしているのですから、なんとも不思議な光景です。
何気なく下を見ると……地面が貼石だわ(~_~;)
何か、都城の大極殿院みたいと、見当違いの事を考えておりました。
でも大振りの石だから歩きにくいかも……

やはり巨大なお社……屋根の勾配が綺麗縁を右回りに一周して、もう一度正面に来て二列にお座り下さいと言われます。
多分、位置的に蔀戸のある辺りですね。
ここから殿内を御覧下さいとなります。
かつてはこの内も極彩色に彩られていたとも聞きますが、今は白木を生かした質素な作りとなっています。
中央に心御柱、上段右に御内殿、ここが本来の神様の御住まいです。
これがどういう訳か西を向いています。
そして、天井を御覧下さい、264年前に描かれた八雲之図です。
これが七つの雲しかないのは有名ですね。
普段から人目に触れない事と、最良の顔料を使用しているためか、つい最近描かれたように鮮やかです。
本当に一つだけ、逆の方向に流れてるわσ(^◇^;)

大きな木造建築は、畿内に住んでいる者には割合に珍しくない物です。
それでもこの秀麗な勾配と、勇壮にも見える千木の着く屋根の大きさには感動します。
縁に立って見上げる軒は、大仏様式などの凝りに凝った組み物とは、また違う力強さがありますね。
建築には全然詳しくないのですが、これを期に社の様式にも興味を持たねば、そういう気になったのも一つのメッケ物でしょうか(^^ゞ
日本一の注連縄昨日に引き続いて、今日もネットの状況が良くありません。
とにかくつながり難くて、しょっちゅうページが見つからないと愚痴をこぼしています。

さてと、とりあえず九時十分前までは、境内をふらりとめぐる事と致しました。
ここは実は荒垣の外、最大の注連縄で有名な『神楽殿』です。
建物は新しく、殿内はとても広くて開放的に見えます。

誰がこんな事を思いついたんでしょう?この注連縄の下で、お参りの人たちが貨幣を投げ上げていました。
この先端に巧く挟まると、願い事がかなうのだそうです。
そういう訳で私も何度か試してみましたところ、見事に挟まってくれました。
隣で試していた若い男性は、勢いあまり過ぎて既に挟まっていた硬貨も落としてしまい、それをまた戻すのに苦労しているようでした。
私なら横着して、落ちてしまったのは賽銭箱に入れてごまかすかな(~_~;)

こんな事をしている内に九時十五分前になったので、『御仮殿』の横のテントに行きますと、かなりの人が集まっていました。
私の隣の年配のご婦人方は、十時半からの整理券なのに既にこちらに座っているようで、果たして拝観はスムーズに行くのでしょうか。
案内の係員の方が、声を張り上げて九時からの整理券をお持ちの方だけ、前のテントにお進みくださいとアナウンスしていました……まぁ、人が多いと時間を守ってくれない人や、良く分からないで並んでしまう人も少なくはないようです。

多分、次にはようやく拝観できそうですわσ(^◇^;)
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
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