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この三日(15~17日)、東大寺で『光明皇后1250年御遠忌法要』が行われていまして、通い詰めておりました。
下手な写真もシコタマ取ってきましたが、そのついでに奈良町で飲んだくれておりまして、とにかく眠いです(~_~;)
そういう訳で、明日以降にでもボチボチ、報告いたします<m(__)m>
「曲水の宴」と書いて「ごくすいのうたげ」と読むべきでしょうか、3月3日に京都の城南宮や福岡の大宰府天満宮などで行われていますが、そちらは平安時代に成立したものだそうで、今回の催しは、おそらく奈良時代にはこのような様式で行われたのではと、復元されたようです。
コンセプトとしては、主催者は天皇として、ホスト役にこの画像の立っている男性を指名しているようです。
濃い紫の朝服ですから、一位か親王クラスと思っておいて良さそうです。
薄紫の朝服は三位以上か皇族、濃赤は五位以上の官人となるようです。
女性三人も、それぞれその官位相当になっていまして、解説ですと髪型も階位によって変えているというのですが、この辺りの事はよく分かりません……唐あたりの例でしょうかねぇ?
天皇(ここでは直接登場しておられません)から詩歌のお題を頂き、それぞれが自由に周辺を散策などしながら考えるのですが、読まれるのは三十一文字ではなく漢詩です。
お題は『吉野』、懐風藻に載っている五言律詩が読み上げられていました。
司会進行の方のアナウンスと、漢詩を読み上げる方の言葉以外に台詞は全く無く、出演者はひたすら無言で演技をされていました。
どこかの劇団の俳優さんでしょうかねぇ?
その間中、広廂の上で演奏をしているのは、ご存知『天理大学雅楽部』の学生さんたちでした。
ところで……画像を見ても分かると思うのですが、天皇の御前という設定なのに、男性陣は三人とも太刀を佩いたままなんです(~_~;)
これって、不敬罪じゃ済まないと思うのですが、誰が監修してるんだ???(゚_。)?(。_゚)???
何じゃ、御主、また行ったのかって……まだ6回目くらいだよ^m^
大体、ここはイベントなんてしてなくても、私が時々出没する場所の一つなんですから。
こちらの東院庭園の前で、昨日から『天平茶会』というイベントをしています。
30分に一回、20人ずつですから、今日のようにお客さんの多い日は、前もってチケットを購入して一時間くらい、その辺で何やら見学してからという具合でしたわ。
奈良時代に本当にお茶があったのかと申しますと、これがあまりはっきりしていないようで、復元に際しては八世紀の唐の詩人の陸羽(りくう)という人が記した『茶経』を参考にされたそうです。
蒸して、ついて、固めて、焙った茶葉を粉にして、お湯に入れて煮立てて、上澄みをすくって飲むお茶だということで、現在の日本茶とはかなり違います。
一口飲んで、ほのかに甘辛い??
それもそのはず、藻塩を少し加えているのだそうです。
はっきり言って、かなり私の好みです。
11月7日まで開かれているそうなので、またそのうち行こうかしら……懲りないやつ(ーー;)
この方々、実はボランティアだそうで、服飾研究家の方が復元された天平時代の衣装を着て、土日祝日などに、会場内を散策して、一緒に記念写真を撮ってくださるそうです。
まぁ、私などが入ると、この女性たちを引き立てるだけなので、綺麗な方々だけでσ(^◇^;)
衣装も持ち物も、とても本格的で目の保養になりますね。
ちなみに髪の毛も、皆さん、地毛で結われているそうで、こちらも滅茶苦茶かわいいです(^_^)v
NHKの総合テレビで15時50分から、天皇、皇后両陛下を御招きして、昨日に行われていた『平城遷都1300年祝典』の録画を流していました。
本当なら昨日の午前中に生中継をするはずだったのが、国会中継で流れてしまいまして、今日になったのだそうです。
もちろん、招待者のみですから一般人は殆ど参加できなかったそうですが(~_~;)
ところでここで芸能のプロの方々が祝典劇をされていました。
最初に藤原朝臣不比等と県犬養橘宿禰三千代の二人が、官人や女官を引き連れて登場しまして、遷都の詔を読み上げておりました。
この藤原右大臣役が野村万蔵さんだったのですが……
先代の万蔵さん(今は萬さんでしたね)は割合に、私もお馴染みなのですが、今、この名前を襲名したのはどなた?
御長男の万之丞さん(耕輔さんでしたっけ?)が襲名前に亡くなって、もしかして弟さんが継いだの??
……というと、良輔さん(この字なのか?)か???
う~ん、30代の頃はもっと細面だったような気がするんだが、だんだん親父様や御兄さん同様の丸顔になって来たような……って、何か滅茶苦茶、失礼な事、言っておらんか(ーー;)
まぁ、野村さんの御宅はともかく、やっぱりプロの方々がされているだけあって、テレビで見ていてもなかなか面白かったです。
天皇陛下の御言葉も聴けましたしm(__)m
それでこの後、件の歴史ドラマの再放送が始まったところで、タイミング良く(?)友人から電話で呼び出されて、なぜかスーパー銭湯に行って来ましたσ(^◇^;)
件のドラマは見なくても良いのよ、って事なのかな?
後編の方も、しっかり出かけている時間なので、十中十まで見ないと思いますけど(゜_゜)
そもそも、書き直して短くなった例ってあるのか、私の場合??(゚_。)?(。_゚)??
それでですよ、次の書き直しも始めたのですが、こいつも一筋縄じゃ行かないです。
何がって……とにかく長い(*_*;
いや別に、私が今まで書いた内で、一番長い程度ですから、間違っても何万枚にもなる訳じゃなくて、せいぜい六百枚超くらいですけど。
それにしても、少し前まで四十過ぎだったうちのスメラミコトが、またもや二十代前半に戻ってしまって、何か書きにくいかも(~_~;)
親父臭くなるよりも、詰まらなくはじけそうなε-( ̄ヘ ̄)┌
まぁ、まだ性格悪くはなってないだけマシかな。
作者的には、開成親王こと手嶋王が若い方がうれしいか?(?_?)?(・・??
画像は今日も内容と関係なく、奈良市の『崇道天皇社』の鳥居です。
近い内に、この隣の『璉城寺』の特別拝観に行かなければ(^。^)
往々にしてと言うか、私の知る範囲では、
「私、万葉集、好きなの」と語る人の十中八九は、浪漫を語りたがるもののようですから。
私の書く話に歌人として有名な人が出て来たところで、その人がする事は……太政官への不平不満を言う、上官の悪口を囁く、家族への愚痴をこぼす(ーー゛)
誰かって、大伴家持とか志貴親王とか(~_~;)
『万葉劇場』っちゅうのは、万葉歌と歌人をクローズアップして、音と映像、ついでにキャラクターの人形によって見せてくれる、結構、請った内容の展示なのですが……三本しか作品がないので、何度か通う内に何度も見る事になるんですよね。
私はここの博物館、関西文化の日には毎年行くので、そのたびにどれかの作品を見ておりました。
この日に見たのはよりによって『額田王』
これがねぇ……ここ最近は、見ている方が恥ずかしいような内容に思えてきて……それじゃ見なければ良いのにと、我ながら思うのですが(-_-;)
天皇の蒲生野に遊猟したまひし時に、額田王の作れる歌
あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る (巻第一‐20)
皇太子の答へませる御歌
紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆえにわれ恋ひめやも (巻第一‐21)
この有名きわまる歌の捉え方が、大マジに額面通りですから始末が悪いんです。
この二首、雑歌として載せられているので、間違っても焼けボックリに何とやらな男女関係に密かな云々みたいなメロドラマを考えるべきではないと言う意見の方が、私としてもしっくり来るんですわな。
ためしに若い女性に、どういう状況で詠まれたと思うかと聞きますと
「宴会での余興と言うか、戯れ歌だと習いましたけどねぇ」
「これ事実だとしたら、天武天皇、天智天皇より先に持統天皇に殺されると、違いますの?」
昨年か一昨年にこの博物館に行った時、こいつを見て出て来た初老の御夫婦の感想が聞こえたのですが、
「この脚本はちょっと酷いよなあ」と旦那様
「まあ、無難な線で綺麗にまとめているのじゃないですか」と奥様
やはり、年配の方でも受け入れかねるようなところがあるんですわね。
いずれの意見にも、何となく安心しましたわ。
先々週の土曜日、奈文研の平城宮資料館で木簡の展示を見に行ったと、ここでも書きましたが、その最後の方でクイズになっていた木簡の読み方について……
やっぱり私の読み方は、間違っていたようですわ?(゚_。)?(。_゚)?
写真禁止とはなっていなかったので、こいつの片方を写して来て、職場で見てもらっていたのですが、
その読み方、多分違うと、あっさり否定されましたσ(^◇^;)
何が違うって、最後の二文字……これ、多分、氏名じゃないだろうと(+_+)
「それじゃ、もしかして、兼任の兼?」
「まだ、その方がありえるんとちゃう??」
これは最後から二文字目の読み方……こう思い始めると、本当に『兼』の字に見えてくる^_^;
え~と、日付と官位と官職が書かれていた方ですね。
またも、ここでは具体的に書きませんが、私でもはっきり読める官位官職は、とにかくグレードが高いんですよ。
奈良時代も後期になれば顕著なのですが、高位高官の人に兼任職なんて至極当たり前です。
この頃になると五位程度の人がかなり増えるので、必然的に官職が不足して、本来の官位よりも低い官職に着く人がすごく多くなります。
そしてそのしわ寄せのように、より高官が幾つもの職を兼任する事になります。
何か、経済的危機に陥った地方自治体を思い起こすような有様ですが……(ーー;)
ところで、あの木簡に書かれていた官職、少し前に湯原王の地位をでっち上げるために、この役職に皇族がどの程度着く事があったのか『続日本紀』で拾い出しておりました。
こう書いたところで、官位の方がどの程度以上かは、分かる人には分かってしまいますね。
孫王ですから、湯原王は(~_~;)
それでですね、割合に少ないんですよ、この役職に関する記述が……
もしかしたら、これである程度、誰の事なのかが分かるかもしれません。
記年があったら、かなり絞り込めるんですけどねぇ。
そして最後の文字、半分しか残っていませんが、こちらも形からかなり絞り込めそうな気もします。
もう一度、本物の方を見て確認したいのですが、果たしてまだ展示されてるのかな?
何せ水漬け状態で蛍光灯の下に晒されてましたから、さっさと片付けられてしまったかも?
やっぱり、文書の類を勉強した事ないのは、痛いわね、我ながら(+_+)
明日香村に飾られてもあわせて参りまして、ご存知のほか、真っ先にその写真と見せていなかった作品はかなり見応えもあるそうですが違います。
*このエントリは、ブログペットの「てむじん」が書きました。
こちらは日本画の展示がメインなので、写真展となりますと極めて珍しいように思えます。
何年か前には漫画家の原画展などもやりましたから、日本画にこだわらずに、もう少しフレキシブルに展示を考えてくれると、もう少し足を運ぶ気にもなるのですが……(゜-゜)
ともあれ、『飛鳥園』は奈良国立博物館の筋向いくらいにある、写真館と申しますか写真アトリエで、仏像や奈良の風景を扱ったポストカードなどの販売をしているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
小川晴暘氏は、現在の社長の小川光三氏の御尊父で、それこそ私などの生まれる前に亡くなった方ですが、仏像写真の分野ではとっても有名な方です。
私はこの方の名前を聞くと、紋付袴という出で立ちで、東大寺の大仏殿の屋根に跨って、誇らしげに笑っているポートレートを思い出します。
今回の写真展でも、真っ先にその写真がお出迎えとばかりに飾られていました。
この展覧会では、晴暘氏のほか、後継者の光三氏、その弟子の金井杜道氏、若松保広氏の現役の三方の作品もあわせて展示されています。
三者三様、しかしいずれもとても有名な作品ばかりです。
とは申せ、殆どが印刷媒体の適当なサイズでしか見ていなかった作品を、全紙以上の大きなサイズで見ることが出来るのがすばらしいものです。
特に仏像写真は、実物以上に細部までが分かりますから、好きな者にはたまりませんわ(^^)
今日はこちらの作者の一人、金井杜道先生の講演会もありまして、それも合わせて聞いて参りました。
この方の公演を聴くまで、全く念頭にもなかったのですが、ひとえに仏像写真といっても芸術写真と資料写真に大まかに分かれるそうで、金井先生は後者に携わってきたそうです。
最初は『飛鳥園』で写真技術を学んだのだそうですが、数年後には京都国立博物館で様々な文化財の写真を撮り続け、昨年に東京と九州の国立博物館で行われた『国宝 阿修羅展』の図録の写真も、この方が撮られたのだそうです。
小川光三氏や入江泰吉氏、土門拳氏などの作品を見ますと、やはりライティングなどを駆使して、印象的な影やハイライトを入れた迫力や立体感にとんだ、表情豊な仏様を撮影されていますが、金井先生の作品は細部までを明確にはっきりと見せてくれる、こちらもやはり素敵で捨て難い仏様たちです(^。^)
いつもの日本画展とは少々毛色が違いますが、今回はかなり見応えもあって、分かりやすい特別展だと思います。
再来週には小川光三先生の講演もあるそうです。
