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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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昨日今日と23時過ぎくらいから、こっちのメインブログ『うめぞー、執筆中』が表示できません……アクセスが集中しているとも思いがたいです。
借りているサーバーはかなりの弱小みたいですから、それはチョッと考えがたいかもしれません。
それともこの時間に書き込みをする人が多くて、負担がかかっているのか?

いずれにしても、私のところには大してアクセスも有るまいが……(-_-;)

仕方がないので、今日はそちらはお休みします。

こっちはさっさと続きあげておいて良かったかな?

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今さら何を言っているのやら……
しかし、この『夏の記憶』というタイトルが、妙に安っぽくて気に入らないんです。
こいつを付けた時は、まあ、こんなのもかと思ってたのですが、こんな簡単な言い回し、誰でも簡単に使いそうで、インパクトも新鮮さも斬新さもなくて、印象に残る事もありません、少なくとも私にとっては(-_-;)

いずれにせよ、これはいつか書き直したい話なので、その時にタイトルは絶対に変わるはずです。
……にしても、最近のやたらに長たらしいタイトルも、もしかして考え物かも?
どうもタイトルをつけるのが苦手です(ーー;)

『飛鳥浄御原令』が本当に存在したのか、今までもあまり突っ込んで書いた事はありません。
一般には、天武天皇は皇家親政を目指したため、豪族の大臣クラスを置かずに、自分の息子たちを重用したとされています。
しかし天武天皇の崩御した時の皇子たちの年齢は、長男の高市皇子が三十三歳、次男の草壁皇子が二十五歳、三男の大津皇子が二十四歳、四男は多分、忍壁皇子でもう少し下でしょう。
それに天智天皇の皇子の川嶋皇子、志貴皇子を加えたところで、こんな若い人たちで太政官が回っていったのでしょうか?
というか、そもそも太政官府的な機関が存在してたのか?

『近江令』(これも果たしてどの程度に整備されていたのか)の段階で、太政大臣も御史大夫(後の大納言)も官職名として出てくるので、後の『大宝令』の基礎となるような組織立ては始まっていたと考えられます。
しかし、天武朝でこれらの役職に誰が就いていたのか、『日本書紀』などに記述が殆んどないため、皆目分かりません。
都が藤原京に移り、大宝元年に最初の本格的な法律が施行され、ようやく各省の具体的な動きや人事が見えて来るようになります。

これらの事を漠然と考えていて、天武天皇に続いて即位し、孫の文武天皇に生前譲位した持統天皇は、本当は亡き夫の意思を大して継ぐ気はなかったのではと、時々思えます。
愚問ながら、もし、日嗣皇子(草壁皇子)が即位していたら……
うめぞー的設定の元には、父親の遺志はそれ以上にないがしろになっていた事、間違いありませんσ(^◇^;)

だいたいここまでで四分の一くらいを載せてみました。
約二十回でこれだけだから、百までは行かない計算になりますか。
しかし、最後まで載せる気があるんだろうか、我ながら……

この話の狂言回し(一応主人公なのですが、途中で乗っ取られます…予(-_-;)告)は、別のところでは歌人として高名のようです。
それを期待されておられる方(お読み頂いている方がおられますなら……)には、たいへん申し訳ありませんが、この先も全く裏切られる事となります。

この物語の中では誰も彼も、一度として歌など詠みません(^_^;)
理由は……作者に全く歌心などなく、それを差し挟む余地すら持てないため??
代わりに、ひたすらヤバイ話ばかりをします。
何せ作者には、『日本書紀』や『続日本紀』に頻繁に名前の出てくる皇族や氏族の大半は、政治機構に関わった人という認識があるので、歌心的な浪漫で物事を語るのが滅茶苦茶苦手なんです。

そのような訳で、重ね重ね申し訳ありませんm(__)m

誰も疑問に思ってくれそうにないので、自発的に解説します。
っちゅうか、まず、この話を読んでくれている方、おられるのかなσ(^◇^;)

名前だけ何度か登場する壹志皇女という女性がおります。
この人の事をご存知の方は、極めて少ないと思うのですが、大友皇子耳面郎女(中臣鎌足の長女)との間に生まれた娘です。
淡海宮で大友皇子が即位したなんて書いてしまった手前、皇女という表記にしておりますが、紹運録にのみ壹志姫王の表記で見える名前です。

あのかなり当てにならない(?)本朝皇胤紹運録、果たして本当にこんな女性がいたのもやら(^_^;)
取り合えずこの女性と志貴皇子に関しては、うめぞーのHPに何となく言い訳めいた解説がありますので、そちらを参照して頂ければ幸いです。
http://www.geocities.jp/sen_2jp/ichishiba.htm

この前書いていた話では、藤原房前は四十八歳だった。
つまり、この四十四年後の話を書いていた訳かσ(^◇^;)
その段階では、この話の登場人物は殆んど故人。
健在なのは氷高女王と藤原さんちの息子たちくらいかな。

さて、カウンターなどを昨夜に設定してみました。
これで全然回らなかったら、適当なところでこの話も打ち切りにしましょうか……
そう思っていたところ、徐々にでも回ってますね。
もう少し様子を見る事と致しましょう。
お出で頂いている方々に感謝いたしますm(__)m

本当なら朝早くから奈良市に入って、白毫寺の『志貴親王忌』に行く予定だったのですが、この二日が慌ただしくて、つい寝坊して諦めました。
いずれにせよ、もし台風の余波で雨だったら行く気はなかったし、今までにも何度か行っているので、特に残念云々という事もないのですが。何と言っても是と言うほどの事をする訳ではありませんしねσ(^◇^;)
気が向けば、また一人でフラリと春日宮天皇陵まで出かけるだけですわ。

台風13号も日本海へ抜けたようで、近畿地方は暴風雨圏にかすりもせずに済みました。明日香村の彼岸花祭りも、今日が最終日、無事に終了しそうです。
しかし、もう14号が南の沖でふらついてるんですね(-_-メ)

 

出かける予定がなくなりましたので、朝から今日の分をさっさとUPしました。
川原寺、飛鳥寺、大官大寺って、地図上で見ると割合に近い位置に、同じような間隔で並んでいるんですね。
大官大寺はまさに橿原市と明日香村の境界のような所にあるので、離れた印象があったのですが、完全に現代の道路事情や市街地化状況に騙されてしまっています。やっぱり地形や地図は侮れませんわ……

半分意味不明の序章が一応これで終了だけど、真鳥が皇子と言っている主の具体的な名前が一度も出て来ない。

多分これは、わざわざ削っているんだと思うけれど、いったいどういう意味があってそうしたんでしょう?
これからこの連中が長々と話し始めるのですが、この会話がやたらに時代劇口調で、読んでいて時々、苛付いてきます(-_-メ)
もう少し現代語チックに書き直しながらあげようかしら。
孫どもは、もう少し砕けた物言いしてるしな。

予告しておりました通り連載を始めます。
これは少し前に書いた話なので、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、今は書きなおしている時間がないので、そのまま掲載します。

なお、この時書いた登場人物の設定が、今ではかなり違ったものになっている場合があります事をお詫び申し上げます。
更には前もってお詫び申し上げますが、場合によっては突然、休載もしくはサイトそのものが消滅する恐れもありますので、重ねてご了承下さい。

では堅苦しい挨拶はこんなものにしまして、オタオタと載せて行きますのでお付き合い頂ければ幸いです 再m(__)m拝

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明日は歴史作家!

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