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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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独舞サボり癖にて二日ほど日が開きましたが先の続きです。
大して書く記事もないので、画像だけでもσ(^◇^;)
書く事がないのではなく、書くべき知識がないと言うべきでしょうか、平たく申しますと詳しい説明が出来ません。

とりあえず『独舞』だそうです。
美人が激しく軽やかに舞っておりました。

在日の方々による打楽器のセッション劇団『時空』による伎楽蘇我馬子による飛鳥寺建立の宣言と舞姫
こんな感じで、明日香村はかなり頑張っています。
とにかく、頑張ろう中南和……(^。^)

予断ながら、時空の役者さんたち、この催しがなければJR万葉まほろば線の古事記ガイド列車に乗り込んでのお仕事だそうですが、この日は別の方々にバトンタッチして、こちらに参加したのだそうです。
JRの方は、十二月九日までなので、その内に機会を作って乗りの行かねばと思っております。
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巡行の列が到着20、21日の二日にわたって明日香村で『高松塚古墳発掘40周年記念』にあたり、日韓文化友好「飛鳥創都祭」が行われていました。

あまり広範にPRをしていなかったのか、単に私が見落としていただけなのか、知ったのは20日の当日になってから。
それにしても、30周年の時のシンポジウムに行った記憶もあるのですが、それからもう10年たつんですね……

それはさて置き、初日は「東アジア歴史文化シンポジウム」が中央公民館で行われ、女優の中野良子さんや、映画監督の河瀬直美さん、京大名誉教授の上田正昭先生が、対談や基調講演を行われたとの事。

劇団『時空』のメンバーも参加しています。次の日は撮影会とか野外でのイベントもあるよと聞いたので、そっちに行ってみる事と致しました。
11時から高松塚古墳の前で中野良子さんも交えて、飛鳥美人の撮影会をするという事ですが、こちらは初っ端から諦めました。
何せ、あそこは駐車場が限られているし、撮影会と銘打ってしまうと、私のような物見遊山には、力入りまくりのカメラ壮年(中和の催しでは、小僧はあまり見た事ないです?( ・◇・)?(・◇・ )?)にゃ太刀打ちできませんわ……

韓国から御出でになった御僧侶ら14時からは古代衣装での巡行も行われ、最終的には飛鳥寺に到着して『日韓文化平和祭』でフィナーレだという事なので、14時過ぎくらいに飛鳥寺に着くようにと出かけました。

巡行列が飛鳥寺に到着したのは14時半くらいです。
修学旅行の女子高校生たちが、御寺の見学をしている時に重なったので、チョッと弾けた撮影会が始まりました。
やっぱり一番人気は、飛鳥美人に扮したり、伎楽の仮面をつけた劇団の俳優さんたちですね。

サムルノリチームやオモニコーラスの御婦人方。平和祭は15時から、まずは韓国から御出でになった御僧侶らの読経から始められ、やはり韓国から来て頂いたサムルノリのチームや、在日の方々のコーラスや独舞、シンガーのライヴ、打楽器演奏などが行われ、途中で『時空』の寸劇も(v^ー°)

また記事が長くなりそうなので、それらの写真はまた次の記事でm(__)m

 
右の男性は、ヘアデザイン担当かなりキマッタ、モデルぶり。昨日の続きです。

第二部は、現代ファッションに時代衣装のエスプリを加えてのショーでした。
ヘアデザインとモデルは専門学校の学生さんたち。
素人さんながらも、スタイル抜群の美人が多いです(^_^)v
チョッとハニカミぎみのところも、可愛かったです。
しかし、ヘアデザイン担当の男子らは、どうしていずれも同じポーズで立っているんだ?

帯のようなサッシュベルトや、領巾のようなストールも姫君のイメージで個人的には、第一部の時代装束よりも、こちらの方が面白かったかも(~_~;)
モデルの女性達も、このような丈やスタイルを着馴れているせいか、自然に見えていましたし?

山口先生の万葉衣装、ここ最近はとても評判が良いそうで、生地や素材を探すのも一苦労になってきているとか。
昨日に拝見した女性装束の半臂なども、帯を仕立て直しているようでしたが、模様のはぎ方など、かなり難しそうです。
織りだけでなく友禅や縮緬などもさりげなく使って、ゴージャスに仕立て上げているのも必見。

日本画ばかりじゃマンネリ気味よと、時々囁かれてしまうこちらの美術館(文化館?)、ダブローの展示だけではなくて、このファッションショーのような活動的な催しも、多々行っているそうです。
この日も野外ステージでは、地元で芸能活動をしている方々が出演されていました。
これからも『奈良県立万葉文化館』のHPを要チェックです。
まずは高松塚の美人像から明日香村の奈良県立万葉文化館で『にぎわいフェスタ“万葉2012”時代を超えた装い 山口コレクション ファッションショー』という催しがありましたので、チョイト出かけて拝見してまいりました。
衣装の製作者は香芝市で洋裁教室を開いている山口千代子先生だそうで、ここ最近では平城遷都1300年祭や、平城京天平祭の衣装も専ら担当しておられる方です。

白丁と下級役人?ショーは二部構成、第一部が時代衣装の再現で、第二部は、ヘアアーティストの学生さんとのコラボレーションによる、古代イメージファッションショーというところ。

時代衣装まずは、高松塚の女性らの衣装から始まり、一般庶民の服装はという事ですが……
右の稲束担いだ青年は良いにしても、真ん中の写経生や左端の女孺らしき女性は、どうして白衣なのでしょう?
一応官人ならば、官位に則した色の官服であるべきかと思うのですがn(ー_ー?)ン?

何やら歌い始めた青年団そして男子官人の装束という訳ですが、端っこに先程の写経生のお兄ちゃんがいますねぇ。
こりゃ、最後に全員集合した時の画像ですね。
一番手前の衣装、青になってしまいましたが、実際は濃紫でして、一位じゃなけりゃ親王という事になりますが、モデルの青年らは知った事ゃないって感じですね(~_~)

この後に女性の装束が何人か続きましたが、とりあえずそちらは割愛……妙にピンボケが多いので(^_^;)
ところでモデルが専門学校の学生さんたちなので、女性の場合は髪の毛の色が明るい方が多くて、そこに髻の部分だけ付け髪をしているので、何となく気になり始めると、そちらにばかり目が行ってしまって……(゜_゜>)

礼服の皇族と二人の内侍そして最後が、最上級者の礼服(らいふく)となっていました。

無料展示コーナーには、これまで再現した衣装も多数、飾られていて、そちらも拝見してきました。

万葉時代の衣装の再現と言われていましたが、やはり現代の素材を用いていますので、完全に有職故実などに則っている訳ではありません。
既製の素材をそのようなイメージに組み合わせて、所々には遊び心も見える衣装に仕立てられていたように思えました。

でも……山口先生の好みは、一見したところ大柄と大柄を組み合わせるような大胆な物も多いようです。
正倉院宝物や法隆寺などに残る奈良時代くらいの布や、仏像の装飾に見える文様などをイメージされているのかもしれませんが、何となくあちらこちらに目移りがしてしまって……まあ、好みの問題なのでしょうけどねぇε-( ̄ヘ ̄)┌

第二部はまた、記事を変えましてm(__)m
 
ファントムです。石好きの原点は、大抵、水晶だと思われます。
私もこの例に漏れません。
そういう訳で、取って置きの一品?!

『水入り』だよという鳴り物入りで、案外安く購入したのですが、私が気に入ったのは、むしろファントムだという事。
このように、かなりはっきりしたピークが見えています。

透明な水晶が好みという方も多いと思いますが、私は相変わらずインクルージョンが好きで、それによって生じる現象も好きです。
かくして毎年ながらに、小汚い結晶が増えて行く……( ̄▽ ̄)。o0○

ところでTwitterなんぞ始めたのですが、案の定、こちらの更新に足かせが掛かっているような気が致します。
とは申せ、何を積極的に呟きたい訳でなし……
もう少し、執筆の方が軌道に乗れば、呟く事でもぼやく事でも生じるとは思うのですが(~_~;)
とにかく、何所からでも良いから、さっさと書き出すしかないかな。
後で編集が容易なのが、ワープロソフトの強み(*^^)v
宮司さんも人力車を降りて、神社に戻りました。昨日の続き。

神輿と伴に神職さんらが神社に戻りますと、還御の儀式が始まったようで、神輿から降ろされた依り代(榊の枝でしょうか?よく見えませんでした)が警蹕(けいひつ)の声と伴に、御社に戻されたようです。

そして宮司さんによる祝詞奏上などの一連の儀式が行われました。
以下、画像をあげておきます。
勉強不足により解説が出来ませんで……m(__)m

鳥居をくぐる神輿宮司 祝詞奏上撤饌の儀を見守る人たち
戻って来たお渡りの列 奈良市の薬師堂町の『御霊神社』の例大祭は、毎年十月十三日に行われるそうで、今年はちょうど良いことに土曜日に当たっていました。
こちらの神社、歴史的な背景はやたらにあるのですが、現在は奈良町の鎮守社という存在なので、お祭りも観光的な色合いよりも地元のお祭りという印象がかなり強いものです。

十二日に宵宮が行われ、十三日の午前中に神事、正午よりお渡りが行われると聞いておりました。
昔はかなり大規模なもので、絵図には馬に乗った神職なども見えているようですが、今は奈良町らしく(?)人力車を頼みまして、かなり長い道のりを練り歩くようです。
そのような訳で神社に戻って来るのは、十五時前くらいになるそうで、その時間を目掛けて出かける事に致しました。

二匹の獅子神社に着いたのは13時半くらい、氏子らしき御近所の方に聞きますと、十四時過ぎくらいに戻る事が多いとのお話でしたので、井上町の方に(南)向かってフラフラと、途中のお店など覗きながら歩いて行きました。
そしてまさに十四時過ぎくらい、遠くから太鼓やら笛の音がかすかに聞こえてきました。
暫らくするとバス通りをはさんだ南側の路地から、諸役を先頭にお渡りの列が近づいて来ました。
そういう訳で、詳細は良く分からないので、画像を何枚かあげて見ます。

天狗or猿田彦命、後は神輿え~と、この方は総代さん?

神職の方々も人力車ですが、お稚児さんも人力車に乗って、お父さんやお母さんが脇に付き添って歩いておられました。
かなりの距離を歩くようで、幼稚園くらいの子供さんには、チョッと可哀想との配慮なのでしょうけど、親御さんも大変です(^_^;)

ようやく、お渡りの列が神社に戻って来ました。お渡りの列が神社に到着したのは、十四時半くらいです。
伶人の方々が鳥居をくぐると、人力車の人たちは鳥居の前で下車して続き、最後に神様の乗っている神輿も担がれて、神社の中に入ります。
その辺りの画像は、また記事を変えまして……

続くσ(^◇^;)

 
磨きの水晶たち相も変わらず、『石ふしぎ大発見展』にて、同じような物ばかり買っている気がします(-_-;)

本来は磨き水晶はそれほど好きではないのですが、これも時々増えてくれます。
今年、購入したのは右の二つ。
写真の腕が悪いので、全然特徴が写っておりませんが、右端はレモン水晶とかいう名前で、時々出ている黄色い(シトリンではないらしい)物、その次はいわゆるスモーキークォーツというヤツです。

実はこの四つ、何れもファントムですが、一番小さいの意外は、よほど目を凝らさないと分かりません。
日本名『山入り水晶』
インクルージョン好きには、やはり無視できない存在?
平安神宮の参道にて本日は京都の“みやこめっせ”にて行われている『石ふしぎ大発見展』に行って来ました。
そして、またも散在して来ましたσ(^◇^;)
その辺の光物は、気が向いたら、どこかに上げましょうっと。

ところで今日は、『京都学生祭典』の日に当たっていたようで、東山三条に着いたところ、地下鉄の駅にはポスターが連々と貼られ、パフォーマンス装束を身に着けた若い人たちが歩いていました。
そして平安神宮の参道では、祭典の開始宣言の真っ只中。
多分、この後、学生たちのパフォーマンスが続いたと思われます……が、私はみやこめっせの一階の会場でうろついておりました。

何故かうす赤い京都タワーこの学生祭典って、以前は二日間だったような気がするのですが、ポスターを眺めた限り、今日だけみたいですね。
『石ふしぎ大発見展』の京都ショーと日にちが重なる事が多いので、やっている事は知っているのですが、どういう内容なのか殆ど知りません。
まあ、学生の方々のお祭なので、若い人たちの交流の場として楽しめれば良いのかな。
観光客が見ているというよりも、学生さんや家族の方々が見物しているという感じでした。

そして会場を出た18時前には、何処も撤収に入っていて、平安神宮の前辺りで照明をデザインして、チョッとしたカフェをやっていたので、そこで少しだけ休憩して帰って来ました。

それにしても京都行きのバスに乗ったのですが、渋滞が凄くて……地下鉄で帰るべきだったかなぁ(゜_゜)
駅に着いたら、京都タワーが奇妙な色でライトアップされていて、近鉄入り口の前辺りで、何人もの人が写真を撮っていたので、私もそれに倣って来た次第です。
何色かバージョンがあるのかな?
京都には、あまり行かないから良く分かりません(・_・;)

白いマンジュシャゲ何となく成り行き的に始めたTwitterとやらですが、何を呟いて良いのやら……その辺のリンクを辿って、見ず知らずの方々の呟きなどを拝見しておりましたが、本当に独り言なんですね。
第三者には何の事やらさっぱり……という内容も多々。
こういう方々は、スマートフォーン経由なのかな?
私はその手の端末を持っていないし、携帯電話の操作も苦手なので、多分、パソコンをオンラインにしている時しか、当分は利用しないだろうなぁ。
そもそも、携帯からのツイートって、どうやるのか……ヘルプを参照しても良く分からない(*_*;

ところで今日は『橿原夢の森フェスティバル』を少しだけ(捨てられたペットの里親募集コーナーくらい)眺めて、その後は相変わらず『cafeことだま』で駄弁っておりました。

猫談義やら、大河ドラマの話をしていて、またNHKで数時間枠の歴史ドラマを制作している云々の話になりまして、この辺の時代の大まかな説明をしておりました。
延暦八年の衣川での官軍大敗戦の後に、征夷大将軍に任じられたのはという話になりまして、ここで見事に間違えた事を言ったような……

延暦13年に征夷大将軍として任じられるのは、大伴弟麻呂であって駿河麻呂ではありませんσ(^◇^;)
まぁ、適当に話をしていたので、特に奇異には思われなかったでしょうけど。
そしてその副将軍に任じられたのが、かの坂上田村麻呂です。

やっぱり私の意識の上では、この時代も東北サイドからモノを見る傾向が皆無です……
前九年や後三年の役の場合は、もう少し、陸奥サイドにも目が向くんですけどねぇ(゜_゜>)
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