×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
それでもいつもならば10分程度で着く場所が、30分近くかかったのですから、最初考えていたお店に行くには1時間以上かかっていたかも(゜-゜)
何せ家の中が凍えるほど寒く、これならば日中は外にいる方がよほどに暖かい状況なので、いかにして外で仕事をする場所を探すか……これが、この田舎では案外大変なんです(;_;)
平日ならばファミレスに籠もるのも良いのですが、休日では時間にあまり関係なく混雑していて、うるさいのなんのって……これはファーストフード店も同じ。
親子連れの親の方がうるさいパターンが、結構多かったりしますε-( ̄ヘ ̄)┌
実のところ少し遠いけど出かけようとしていたカフェも、ここ最近は客層が変化して、ファミレス状況……
パソコン持ち込み可で、それ専用の席も設けられているのに、そこにわざわざ座って話をしているオバハンの群れとか……
それにしてもここは、フリードリンクがかなり不味い……(--〆)
こんな不味いコーヒーをオーガニック何やらと、かなりもったいぶって出してるのが信じられませんわ((+_+))
昨日は昨日で、やはりモバイル持って出かけた先のカウンターで、お店の人たちとどういう訳か高句麗の建国神話やら、統一新羅の話で盛り上がっておりました。
……っちゅうか、最初は韓国旅行と歴史ドラマの話だったんですけどねσ(^◇^;)
それにしても自主的にきった締め切りがあと五日……推敲はその後にしても、まずは書き上げねば話にもなりません。
「しかし、権力という荷を負わせて官界に放ってみれば、それこそ水を得た魚だ。そして今は、獲物を見つけた猛禽だ。気が重いなどと言うてみても、再び視界に獲物が飛び込んできたならば、狩の衝動は抑えられまい」
このように南家中納言から評価(批判?)されている、うちのスメラミコト、大悪党街道まっしぐらかも……(ーー;)
PR
0時40分にして半月状態。
それにしても、オリオン座が真南だ……
それにしても、オリオン座が真南だ……
ほぼ天頂の雲間から月が見えます。
22時過ぎに数度ほど、皆既状態の赤い月が見えました。
0時を回った今は、月例1程度の細い光ですが、あっという間にベタ曇……
さ~て、もう少ししたらまた見に行きますか(゜.゜)
22時過ぎに数度ほど、皆既状態の赤い月が見えました。
0時を回った今は、月例1程度の細い光ですが、あっという間にベタ曇……
さ~て、もう少ししたらまた見に行きますか(゜.゜)
この画像はこの前の日曜日(12月4日)の東大寺の様子です。
東大寺の境内も公会堂の前庭も、博物館や春日大社も含め、奈良市内はまだ紅葉の見頃だと思われます。
奈良市内で紅葉と言えば、ますはナンキンハゼでしょうか。
11月に入った後、近鉄奈良駅を下りて登り大路に立った時に真っ先に目に入るはずです。
ところが今年は11月の気温が高かったせいか、これが中途半端にしか赤くならずに、早々に散ってしまった木も多かったようです。
それなのに、未だに赤くなりきらずに葉が残っている木もあったりします(゜-゜)
東大寺境内で紅葉と言いますと、菅原道真の歌でも有名な『手向山八幡宮』なのですが、神社の境内にはこれと言うほどに目立つ木は見当たりません。
大仏殿の東側から上がって行く参道にも、特に目を引く木もありませんが、チョッと右手を見てみますと、東塔の基壇の残る窪地に、見事に赤くなったイロハカエデや、鮮やかな黄色を放つ銀杏の大木が何本も立っています。
『正倉院』の近くの『大仏池』の銀杏も有名で、写真スポットにもなっていますが、この日には既に散っていました。
ここにあげた鹿の群れがいる場所は、大仏殿の北側にある『講堂跡』で、鹿の間に見える平らな石は、建物の柱の立っていた礎石です。
初めて来た時から、ここにはイロハカエデの木が沢山あるのに気づいておりましたので、紅葉の時には絶対に行ってみようと考えておりました。
この地蔵尊は西に開いた細い谷間の奥に鎮座しています。
そのため、奥の斜面は夕方ともなると、西日をダイレクトに受ける事となって、楓の赤が一際鮮やかに見えます。
ちなみに春にも新緑がとても綺麗です。
そしていつものように、この場所には殆ど人が来ない……σ(^◇^;)
もう少し時間が早く暖かければ、紅葉を眺めながらしばらく( ̄▽ ̄)。o0○っとしたかったのですが、如何せん、既に日没も近く寒くなっていたので、適当なところで引き上げました。
そういえば、正倉院の門越しにクレーンのアームが二基ほど見えておりました。
そろそろ解体修理のための素屋根や足場が組まれ始めているのでしょうか。
西ノ京の薬師寺でも、東塔の両側に単管で組んだタワーが出来つつありました。
延びに延びていた解体修理が、こちらでももうすぐ始まるようです。
今年の紅葉は何となく鈍い感じですね。
11月の後半まで暖かい日が続き、急に寒くなったと思いきや、また暖かくなったり寒くなったり……一雨ごとに何とやらとは、うまくは行かない様子です。
奈良県の紅葉スポットは、まあ、少なくはないのでしょうが、中部や北部はどうなのかなと言うと、ここぞという場所は桜井市の『談山神社』や『長谷寺』のような寺社でしょうかねぇ……(゜.゜)
私がいつも行くところは、大体がマイナースポットで、あまり人がいないところが多いです。
最初の画像は大和高田市の『大谷山自然公園』、
クヌギや樫の木などが多く、近隣の小学生などが秋の遠足で度々訪れるような場所ですが、市民はとなりますと、近所の方が犬の散歩などで来る事が多いようです。
かつては水路に水が流れていて、紅葉が散った時にたいそう綺麗でしたが、今は水も枯れ、今年の紅葉は鮮やかさに少々欠けるような……でも、この辺りではかなり綺麗なイロハカエデを見る事が出来ます。


葛城市まで行けば、屋敷山公園や当麻寺などの観光スポットもあるのですが、ここが果たして紅葉の名所かと問われると……特にそういう事はありませんか?
こちらは御所市との堺にも近い『笛吹神社』こと『葛城坐火雷神社(かづらきにますほのいかづちじんじゃ)』です。ここの紅葉も毎年、見事な物なのですが、今年はかなり鈍い色合いです。
境内はイチイガシなどの常緑の木に覆われていて日当たりが良いとは言えないので、真っ赤になるにはもう少しかかるのかもしれませんが、既にかなり散っている状況ですので、果たしてどこまで赤くなるものでしょうか……(゜_゜)
散紅葉が鮮やかに映えるのは、鳥居をくぐってから昇る石段です。
石段の両側には石燈籠が並び、段の土の部分にはうっすらと緑のコケが生えていますので、赤との対比が毎年綺麗です。
上りきったところには広場があり、奥には末社が並んでいますが、その手前で存在感をここぞとばかり誇っているのは、日露戦争で使われたというイギリス製の大砲です。
……という具合に、なかなか演出感も多彩で渋めの神社なのですが、場所が少々不便なために観光客が多く訪れるというところでは決してありません。


多少不便でも、案外人の多いのは御所市の『一言主神社』でしょうか。
地元の人は『いちごんさん』とか『いちごんじんさん』と呼んでいます。
一言主は『古事記』、『日本書紀』にも名前が見え、この地域の土俗の神だと思われますが、かなり早い内から賀茂、葛城氏の祭る神との混同が起きていて、『続日本紀』では、土佐国に流罪にされた葛城の神を大和に戻す事を許可するという記事が見えます。
雄略天皇の時代に土佐国に流罪になったのは、賀茂のアジスキタカヒコネ命ではなく、この一言主です。
この境内で特に有名なのは、奈良県の保護樹木にも指定されている大きな銀杏の木で、推定樹齢は1200年、『乳銀杏』とも呼ばれるのは、幹に乳房のように下がる瘤(気根)が多数着いているためです。
この形状から、子供の欲しい女性や、母乳の出が良い事を願う女性からの信仰を昔から集めているそうです。
この銀杏は葉がかなり小ぶりで、散った様もたいそう綺麗ですし、周囲に植えられているイロハカエデや南天の実の赤とも鮮やかな対比を見せてくれます。
それにしても銀杏の木は背の高くなる物が多いので、黄色く色付くと、遠方からでもかなり目に付きます。
一言主神社も少し高いところにあるので、山麓線を走っていても銀杏は良く目立つと思います……というのは、この神社、道の西側にあるのですが、進入路は東に回って路の下をくぐる形になるので、いつも運転しながら曲がる道のほうばかりを気にしておりまして、神社の方向をほぼ見ていない為なんですね( ̄▽ ̄)。o0○
11月の後半まで暖かい日が続き、急に寒くなったと思いきや、また暖かくなったり寒くなったり……一雨ごとに何とやらとは、うまくは行かない様子です。
私がいつも行くところは、大体がマイナースポットで、あまり人がいないところが多いです。
最初の画像は大和高田市の『大谷山自然公園』、
クヌギや樫の木などが多く、近隣の小学生などが秋の遠足で度々訪れるような場所ですが、市民はとなりますと、近所の方が犬の散歩などで来る事が多いようです。
かつては水路に水が流れていて、紅葉が散った時にたいそう綺麗でしたが、今は水も枯れ、今年の紅葉は鮮やかさに少々欠けるような……でも、この辺りではかなり綺麗なイロハカエデを見る事が出来ます。
葛城市まで行けば、屋敷山公園や当麻寺などの観光スポットもあるのですが、ここが果たして紅葉の名所かと問われると……特にそういう事はありませんか?
境内はイチイガシなどの常緑の木に覆われていて日当たりが良いとは言えないので、真っ赤になるにはもう少しかかるのかもしれませんが、既にかなり散っている状況ですので、果たしてどこまで赤くなるものでしょうか……(゜_゜)
散紅葉が鮮やかに映えるのは、鳥居をくぐってから昇る石段です。
石段の両側には石燈籠が並び、段の土の部分にはうっすらと緑のコケが生えていますので、赤との対比が毎年綺麗です。
上りきったところには広場があり、奥には末社が並んでいますが、その手前で存在感をここぞとばかり誇っているのは、日露戦争で使われたというイギリス製の大砲です。
……という具合に、なかなか演出感も多彩で渋めの神社なのですが、場所が少々不便なために観光客が多く訪れるというところでは決してありません。
多少不便でも、案外人の多いのは御所市の『一言主神社』でしょうか。
地元の人は『いちごんさん』とか『いちごんじんさん』と呼んでいます。
一言主は『古事記』、『日本書紀』にも名前が見え、この地域の土俗の神だと思われますが、かなり早い内から賀茂、葛城氏の祭る神との混同が起きていて、『続日本紀』では、土佐国に流罪にされた葛城の神を大和に戻す事を許可するという記事が見えます。
雄略天皇の時代に土佐国に流罪になったのは、賀茂のアジスキタカヒコネ命ではなく、この一言主です。
この形状から、子供の欲しい女性や、母乳の出が良い事を願う女性からの信仰を昔から集めているそうです。
この銀杏は葉がかなり小ぶりで、散った様もたいそう綺麗ですし、周囲に植えられているイロハカエデや南天の実の赤とも鮮やかな対比を見せてくれます。
それにしても銀杏の木は背の高くなる物が多いので、黄色く色付くと、遠方からでもかなり目に付きます。
一言主神社も少し高いところにあるので、山麓線を走っていても銀杏は良く目立つと思います……というのは、この神社、道の西側にあるのですが、進入路は東に回って路の下をくぐる形になるので、いつも運転しながら曲がる道のほうばかりを気にしておりまして、神社の方向をほぼ見ていない為なんですね( ̄▽ ̄)。o0○
推定、飛鳥浄見原宮の北西、飛鳥川の河岸段丘上で人工的に作られた池の跡が発見されてから既に12年もたち、調査も今回で6回目となっています。
『飛鳥京跡苑池』というのが遺跡としての正式名称ですが、一部の関係者は別の名前で呼ぶ事もあります……σ(^◇^;)何て?
今までの調査により、池は渡り堤を境にして南北に別れ、北池からは更に北へと水路が延びて、飛鳥川に流れ込んで行くと考えられています。
ただし、検出されたルートと現在の川の位置は離れすぎているので、1300年前には川の位置が今とは違っている可能性もあるようです。
これによって、今は橿原考古学研究所の博物館に展示されている二つの石造物を据えていた石なども確認されて、従来の位置からは動いていなかった事が確認され、その周囲に新たな柱の跡も見つかったので、何らかの施設があったと推定されています。
さて東側の岸はどうなっているかと申しますと、自然の断層崖の斜面にかなり大きな石を積んで、3メートルもの高さになっているとの事ですが、現在では飛鳥時代の層位は削られてしまい、古墳時代の堆積層が検出された事から、更に高かった事が確認されました。
この後の時代、池は徐々に埋まって行き、平安時代には東側では一メートルくらいの土が堆積して、その上に更に石敷きなどを設けて、なおも存続していた事が伺えます。
出土遺物としては、その時代の瓦器碗や土師皿が出土しておりました。
更には『馬養』もしくは『鳥養』と書かれた木簡が一点だけ確認され、池との関わりも色々と推測をされているようです。
そして今回の現説のサプライズは、博物館のマスコットキャラクターの『イワミン』の着ぐるみのお披露目??
何でもイワミンの中に入れる人の身長制限は160cm程度、男子禁制だとか??
若い女性職員が交代でがんばってくれたという話でした( ̄▽ ̄)。o0○
昨夜、ウメナとシマコがそろって外から帰って来たのは良いのですが……シマコ、何くわえてるの?
この寒いのにヤモリやトカゲがまだいるの?
何せ、この子は爬虫類専門、夏は大変です。
ところが、ホッと口から離した獲物を見ると、ヒメねずみ?カヤねずみ?アカねずみ?
とにかく小型のネズミで、既に絶命している様子です。
こりゃ、ウメナが捕まえたやつをもらったな……
ウメナさんは鳥専門ですが、ネズミも気が向くと捕まえてきますから。
こういう時に大抵の飼い主のいう言葉、
「ちゃんとご飯あげてるのに、どうしてそんなもの捕ってくるの?!」
私は猫から獲物を取り上げない主義なので、
「遊ぶのに飽きたらその辺に放り出しておいて、片付けるから」
そのような訳で、しばらく放り投げて遊んでおりましたが、ふと見るとなにやら顎をせわしく動かしているじゃぁありませんか??
「ええ、食べるの?いつもヤモリもトカゲも食べないじゃないの」
またしばらくしてから見ると、既にネズミの影も形もなく、シマコちゃんは毛づくろい中でした……ε-( ̄ヘ ̄)┌
困るのは、生きたままで家に持って来て、時々逃がしてくれる事……(--〆)
ウメナが時々、鳥でやってくれますが、これが夜ですといくら窓を開け放っても出て行かなくて困ります。
何せ鳥目なので、朝まで家の中のどこかにいて、日が差し始めると窓ガラスに激突して暴れてくれます……小禽なんて嫌いだ・゚・(ノД`;)・゚・
ところでこいつは平城宮跡にいた隼です。
土鳩らしき獲物をつついていたので、カメラを向けても逃げませんでした。
雄か雌かは不明なので、肉食系男子かもしれません( ̄▽ ̄)。o0○
既に一週間近くたってますが、この前の日曜日に奈良市で行われた現地説明会です。
この場所は県営プールがあった場所で、新しいプールは広陵町に出来るらしく、こちらは商業地として売却したい県の意向により、遺跡の発掘調査をしたと聞いています。
まだ、ホテルが出来るのかマンションが出来るのか、はたまた商業施設が出来るのかは未定……
現場に着いた時、何に驚いたかと申しますと、これぞとばかりにそびえた巨大な残土の山と、はがされたおびただしいアスファルト塊……(・_・;)
調査区を見て、だだっ広いだけじゃなくて深い……
それも現地表から2mは現代の埋土……こりゃ、アスファルト剥がしと重機掘削だけで結構かかっただろうなぁ(゜-゜)
ところが調査面は、奈良時代後期の一面だけ?
要するに当時の一等地なのですが、ここで検出されたのは、交わる条間小路と坊間小道と、小規模な掘っ立て小屋が10棟ばかりと井戸が7基、区画を分けると思しき柱の列くらいです。
この時代、五位以上の官人は、大路に囲まれた区画を16に区切った一坪を占有する屋敷にすむ事が出来ました。
それよりも低い身分の人は、1坪を2~16にまで区切って、さまざまな大きさの土地に家を構えていたとの事です。
ここで出てきたのは、そのような比較的低い身分の人たちの家のようです。
それも、土地利用がなされたのは奈良時代の後半だけ?
前半は住居区域として使われた痕跡はないようで、その下は古墳時代の層になってしまうという事です。
この場所は結構地下水位が高いようで、住宅地としては不適切だったのか、さもなければ何かの施設を作るために確保したまま、放って置かれた土地だったのか?
それにしても左京三条二坊に、下級役人と思しき人たちの住居があった理由ははっきりしません。
おまけに井戸が7つも出ているのですが、その内の6つまでが同じ区画に集中しているのも奇妙な有様です。
ちなみにこの坊の西隣、左京三条一坊には、確か2坪を占有すると推測される大規模な屋敷があり(私はここを勝手に藤原北家にしたがっていますが、氷高内親王や吉備内親王の宮だという研究者もいます)同じ三条二坊の長屋王の邸宅は4坪占有、四条二坊の田村第は6坪とも8坪とも言われています。
なんとも奇妙な土地利用のこの場所ですが、果たしてどこの会社が買い入れて、何を建ててくれるんでしょう?
すぐ近くがイトーヨーカドーですから、ショッピングモールは無理かな( ̄▽ ̄)。o0○
時間の使い方が下手なので、必要な事を全然していないのが実態です(T_T)
ただ今また、物語の方向に変更が出てきて、ドつぼの縁で悩んでおります。
変更といっても細かい事、主要登場人物の役割ですわね。
もう少し端的に申しますと、誰を一番の悪党にするべきかと言ったところです。
いえ、一番は既に決まっていますので、二番目が誰なのかと言う事になります。
このつまらない抗争に、既に藤原百川は脱落しておりますので、おのずと二人ないし三人に絞られてくるのですが、作者的には出来レースの気がしないでもありませんσ(^◇^;)
では、この人にスタンドプレーをしてもらうか、それとも誰かを巻き込むか。
捨石に選ぶ人物は誰なのか、更には最大のスケープゴードの座を誰にあげましょうか……
(゜-゜)、自分で書いていて、ろくでもない話に思えて来るうε-( ̄ヘ ̄)┌
こちらの動画を偶然見つけました。
見ていると、次第に笑えて来る……うちの猫も、時々やってますから(-_-;)
だって、猫は天性のハンターですよ、じっと見つめるのはお手のモノ。
しかし、このBGMのセンスは更に笑えますわ(~_~;)
http://www.youtube.com/watch?v=jwmR8BywdDU
見ていると、次第に笑えて来る……うちの猫も、時々やってますから(-_-;)
だって、猫は天性のハンターですよ、じっと見つめるのはお手のモノ。
しかし、このBGMのセンスは更に笑えますわ(~_~;)
http://www.youtube.com/watch?v=jwmR8BywdDU
