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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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何年も前から、アイソテック社の星座の傘が欲しいと思っています。
プラネタリウムなどに行くと結構、ミュージアムショップで扱っているので御存知の方もおられるかと思います。
実は欲しいのは長柄の方でして、晴れた日にこいつを買って帰るのも微妙だし、結構良い値段ですしで未だに買っておりません。

ネットでも購入できますが、送料がチョッと鬱陶しいですね……と言って、大阪や京都に出かける電車賃よりも遥かに安いのですけれどねε-( ̄ヘ ̄)┌

新しい日傘も欲しいと初夏より騒いでいますが、結局気に入ったのが見つからず、一昨年から使っている奇妙な五角形の折りたたみ(つまり、骨が五本しかないんです)を今年も使っています。
ところが以前から欲しかった晴雨兼用の傘が、楽天のお店で再入荷しておりまして、ついつい、衝動的に頼んでしまいましたσ(^◇^;)
本当はシャンパンゴールドが良かったのですが、在庫があったのはグレーのみ。
日傘に使うにはチョッとオジサンじみてるけど、まあ楽しみに届くのを待っていましょうっと。
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18:30 狭井神社午後に明日香村のカフェ『ことだま』で仕事でもしようかと出かけたところ、結局、カウンターで駄弁って時間を過ごし、気がつけば御看板の時間と相成っておりました。
この後、桜井市の狭井神社に水を汲みに行ったのですが、既に薄暗くなっておりました。
夏至から二ヶ月近く経っているのですから、日も短くなるはずですわ。

それにしても最近思うのですが、私はパワースポット的な場所にかなり鈍いのではないでしょうか。
以前に観光客らしき若者が、春日大社で鳥居をくぐった途端に空気が違うと感激しているのに行き当たって、全然分からない私は何者さ……と不貞腐れておりましたが、何となくこいつの理由が分かりかけたように思います。
要するに、この類の場所の雰囲気に慣れ切っているんですわ、多分……(ーー;)マジ?

ともあれ、狭井神社にはいつ行っても、三々五々、人が来ています。
多くの人の目的は私と同様、ペットボトル持参ですσ(^◇^;)
そういう訳で、明日の私のコーヒーと御猫様の飲み水は、こちらの御神水となります。
何の呼び名が分からないかと申しますと、部下が上司を呼ぶ時です。

部下は右兵衛少尉(しょうじょう)の和気公清麻呂、上司は右兵衛督(かみ)の藤原朝臣百川、場面は宝亀二年閏三月、右京にある百川の屋敷で……

もしくは、
部下、近衛将監の和気公清麻呂、そして上司、元近衛少将山部親王、左京北一条の屋敷で……こちらのパターンにしたら得に問題はないです。
臣下が親王を呼ぶのなら「親王様」とでも呼ばせておけば、特に差し障りはないでしょうから。

三嶋大社夏祭の流鏑馬先のパターンだと、清麻呂は百川に何て呼びかければ良いんだ?
「督殿」かなぁ……
これも「こうどの」と読んで良いのでしょうねぇ……
書いてから疑問に思えてきて、その辺(正倉院文書とか)を眺めているのですが、こんな日常会話的な用例はチョッとやそっとじゃ出てきませんわね(・_・;)

今日の画像は三嶋大社の夏祭の流鏑馬。
この的はかわらけですが、本来の物はどうやら紙で出来ているようで、矢が突き刺さったままになっておりましたし、何よりも音で的中したか否かが分からない(゜.゜)
昔から、こうだったかしら?本当に久々に見たので、殆ど記憶がないです……
ところで今月は、鶴岡八幡宮の流鏑馬だわね……見に行くだけの暇も金もないわ・゚・(ノД`;)・゚・
ミシマバイカモ……ではありません(ーー;)この何が写っているのか分からない写真、先月の御盆に三島市内を流れる川で写してきた水草の写真です。
三島市は富士山の湧き水を水源にしているため、市内にも小さな川が何本も流れている、水郷といえる町です。
富士山麓でろくでもない開発が何十年も前から続いて、昔に比べたら湧水量は格段に減っているそうで、今は枯れ池と化している楽寿園小浜池も、私の父が子供の頃には、夏ともなれば水が溢れて池際の周遊道が通れなくなる事もしばしばあったとか。


そしてその頃には、この辺で『三島梅花藻(ミシマバイカモ)』という水草が当たり前に見られまして、夏には小さな五枚花弁の白い花をたくさんつけていたそうです。
今は沼津市(旧清水町)の柿田川湧水ですらも殆ど見られなくなって久しいそうで、 私も子供の頃に柿田川で見たような……やはりこれと同じ、ただのバイカモとかタヌキモだったのかな?
いずれにしても水草の花を見たこと自体が、久々のような気も致します。
紀伊半島にこれでもかと雨を降らせてくれた台風は、そろそろ温帯低気圧になったのか?まだなのか?それじゃなくとも、次の台風が来ているってのに!
山間部はかなりの被害があったようですが、奈良県の平野部はひたすらの長雨という様子でした。
御心配頂きまして、ありがとうございます……というのも何となく変な日本語のような気がしますが。

興福寺の鹿ども今日は雨がやむかと思えば、朝から結構な土砂降り、橿原から南は警報が出ていたみたいです。
雨だろうと風だろうと、取りあえず仕事に出かけまして、今日は単純な作業をしていたので、何となくどうでも良い事を考えておりました。

それは光仁天皇の三番目の親王(私の設定では四番目)の稗田親王の事。
この人は早良親王よりも一つ年下で天平勝宝三年生まれ、父親が即位した宝亀元年には二十歳になっているはずです。
十一月六日に兄の山部親王、姉の能登内親王、妹の酒人内親王が品位を得ているのに、この人の名前が見えず、六年の二月にようやく、無位から四品になっているのが見えます。
早良親王の名前が見えないのは、既に10年も前に出家しているからだと思いますが。
稗田親王の母親が誰かと言いますと、あのいささか当てにならない『紹運録』には、尾張皇女とありまして、井上皇后の子供たち以外で唯一、皇族の母親から生まれている事になるんですね。
そういう訳で、かの超胡散臭い『水鏡』には、他戸親王の廃太子の後、藤原浜成が皇太子に推したと書かれております。

この人、天応元年に31歳の若さで亡くなりますが、どうやら少なくとも四人は子供がいたようです。
ところが『続日本紀』に出てくる記事は、四品への叙位、三品への叙位、薨去の三回だけです。
何でまた、ここまで影の薄い人なんでしょう?
続日本紀の常(?)、都合の悪いところは削った??
もしそうならば、この親王の何が都合が悪かったんでしょう???
例えば、生まれつき、何らかのハンディがあったとか????

古代社会では王となる人は、先天的であれ後天的であれ、ハンディを負っていてはその資格を失くすというのは、結構当たり前に見られた事だと聞いた事があります。
既に律令円熟期の奈良時代、やはりこのような不文律はあったのでしょうか?
もしもあったとしたら、さて、この親王はどのような立場にしようかしらねぇ……
多分、直接には登場しない人だから、概ねの事を決めておくだけで良いのですけれどね。
台風12号はそろそろ岡山に上陸したんでしょうか?
こちらはひたすら雨です。
日中は雨はそれ程ひどくもなく、風が多少強いというところでしたが、夜になってからは風は止んだものの雨はずっと降り続いています。
そのような訳で本日は遠出はせずに、近所の博物館でフラフラしておりました。

頼朝公旗挙げ行列 出陣式ともあれ、台風とも博物館とも関係なく、先月に静岡に帰った時の事でも。

三嶋大社の夏祭は三日間ですが、8月16日が本宮、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅から大社町の辺りまで、これでもかと言うほどの人出となります。
それもそのはず、祭の一番の呼び物であろうと思われる『頼朝公旗挙げ行列』が行われるためです。
頼朝公とはもちろん源頼朝ですが、昔々はこの役を市長などのお偉いさんがやっていたそうです。
その頃は特に混雑はしていなかったそうですが、三十年位前から芸能人を呼んで、花を添えて頂くようになってから、とても人出が多くなったのだそうです。
天邪鬼うめぞーは、混むのはいらないと17日の流鏑馬は見に行っても、この行列を見たのは一度しかありませんでした。

出陣式 鳴弦の儀それこそ何年ぶりの大社の夏祭だ?という訳で、どうせ御神楽も見に来たのだから、もう少し粘ってこいつの出陣式でも見て帰ろうかなどと色気(?)を出して、神楽殿の前に集まりつつある人の群れの中で待っておりました。

今年の頼朝公は風間トオルさんだそうで、まあ、悪くない年に当たったかな?
一昨年だったかその前の年だったかはⅠ田J一さん(あえて意味のない伏字)だったそうで、こんな年に当たっても嬉しくないかもσ(^◇^;)
ちなみに昨年は半田健人さんだったそうですが、年齢的に頼朝というよりも義経の方が似合いそうですね。

頼朝公役の俳優はともかく、この行列に役付きで参加してくれるのは、殆どが地元の高校生や中学生です。
この画像で鳴弦を行っている仁田四郎忠常も高校生ですし、軍監の安達盛長の役は女子高校生でした(^_^)v
……にしても、頼朝役が四十代の俳優で、北条時政やら土肥実平が高校生や中学生ですか。
まぁ、殆どの人はその辺、気にしていないと思いますが(^^ゞ

今年の頼朝公です。かくして全員でときの声を上げた後、一同は本殿前を退出して、しばしの準備を経て沿道で待ち構える人たちの前に出陣する運びとなります。
これこそ凄い人出でしょうから、過ぎ去るのを待って帰りましょうと、境内にある茶屋でカキ氷なんぞを食べていたのが計算違い……
出店などを眺めつつも、そろそろと鳥居に向かいますと、前方は何故か黒山の人だかり?
これじゃ、境内から出れないじゃないの……それもそのはず、これより頼朝公の行列が鳥居前を通過すると、アナウンスが言っているではありませんか(・_・;)
休憩なんぞしておらんで、さっさと帰るべきでした。

そのような訳で、私も人込みの後ろの方から、俗物ぶり丸出しで頼朝公の写真など撮りつつ、内心ではさっさと進んでよ……などと毒づいておりました(゜_゜)
行列の最終地点は三島駅楽寿園だと聞いているので、こりゃ、広小路の方向は人だかりで進めないわ……
そんなこんなで、別の駅(三島田町駅)に回って何とか帰って来ました。
この日の夜には手筒花火の奉納もあるので、夕方から繰り出す人も結構いるようでした。

それにしても三嶋大社に行く事自体が数年ぶり、最近では橿原神宮や春日大社の広さに慣れ切ってしまっているせいか、伊豆一ノ宮すらが狭く感じてしまうのが何となく悲しいかな……
子供の頃には、こんなに大きなお宮さんは滅多にないと思っていたものですが。
外が静かなんですが……
雨は降ってますが、風があまり無くて……
何とかの前の静けさ??

それにしても台風12号、上陸したらさっさとスピード上げて日本海に抜けて欲しいのですが、下手をしたら昼過ぎまで暴風雨かもしれないとか。
さすがに川も山も遠いので、避難勧告等はまず出ないのですが、いつぞやの13号台風みたいに直撃して、県下にもひどい被害をもたらした挙句、二日も停電……などという事にはならないと思いますが。

いずれにしても、ただ今とても眠いので、どうせ明日は朝から土砂降りと踏んで、家で仕事をする事にしましょう。
そういう訳で、寝ますか……と思ったら、急に風が出てきたか?!!
富士市の道の駅『富士川楽座』にメガスターのプラネタリウムができたというのを聞きまして、こりゃ、年末年始に静岡に帰ったら、姉でもそそのかして見に行かねばと今から意気込んでおります。
だいたい、関西圏にはメガスターどころかプラネタリウムそのものが少ないんですよね。
一番行きやすいのが大阪市立科学館なのですから、そうそう気軽に行けるものじゃない・゚・(ノД`;)・゚・
大阪に行く用事ができたら、チョックラ足を伸ばして出かけましょうかねぇ。
でも、いつの事になるやら、9月は多忙の兆し……
ダレた牡鹿…興福寺にてこのお疲れモードの牡鹿は、興福寺の境内で群れていた連中の一頭です。
子連れの時期、雄と雌は別々に群れを作る事が多いようで、興福寺境内は袋角の皮が剥がれ落ちかけた牡鹿だらけです。
まったく、こいつらは角が有ろうが無かろうが、えさを持っていそうな相手に対して、へこへこと頭を下げる振りの催促(脅しと言う人もいますが)をするから、今の時季は危なくていけません。
そして大人の牡鹿は、夏毛(鹿の子模様)になっても首の周りだけは冬毛と同じような色をしておりまして、こいつを見ていると何となく暑苦しく思えます。

鹿はともかく、私も猫も相変わらずダレております。
シマコは毎晩、蛙やらヤモリやらをハンティングして来ますが……(--〆)
気がつけば明日(いや、とっくに今日だ)で八月も終わり……
九月中に今書いている話に目処を着けるという予定はどうなってるんだ?(・・?!
それにしても山部親王と藤原縄麻呂が、やけに胡散臭くなってきて、種継と蔵下麻呂が変に軽薄な印象になって来ているような(゜.゜)

おまけに三嶋大社の夏祭の続きも、土曜日の『奈良ひとまち大学』の様子も上げようと思っていたのに、まったく筆ならぬキーボードが進みませんわ(T_T)
明日あたり、書く事が思いつかなかったら、この辺の事でもあげようか……(゜_゜)
おん祭りに現れる龍のモチーフとして今月の春日大社の『いのちと心の講座』は花山院弘匡宮司による『秘められた龍神信仰』です。
春日大社の龍神信仰といえば、謡曲でも知られる『春日龍神』の存在なのですが、一体いつから春日には龍が現れるのかが、一つの問題となります。
謡曲では龍王は春日大明神(本地仏は釈迦如来)の使いとして現れますが、さて……

アプローチは何故なのか采女から始まります。
『大和物語』に見られる、猿沢池で入水した采女の物語ですが、今では縁結びの御社にされている『采女神社』の由緒話としてとても有名ですね。
この采女が後に龍へと結びついて行くようです。

春日若宮おん祭り 馬長児の従者余談ながら、花山院宮司の御先祖の一人に仁和寺の覚成師という御方がおられるそうで、何でも神泉苑で雨乞いをした際に龍神の出現を見たのだとか。
神泉苑の池に善女竜王が住んでいるのは有名ですが、猿沢池にも龍が住んでいるという記述は、鎌倉初期の『古事談』に既に見えるとの事です。

室生の龍穴には善達龍王が住んでいますが、この龍王は最初は猿沢池にいたと書かれています。
ところが池に采女が身を投げたため、春日山の南にある香山(こうざん)に移ったところ、ここにも死者を捨てるような者がいたため、更に室生の穴に移動したということです。
ところで香山には今でも『鳴雷神社』があり、社の傍らには丸い龍王池があります。
この池は佐保川や能登川の源流の一つで、どのような日照りの時にも水が枯れず、雨乞いの場所として、
古来より特別の信仰を集めていた様子も伺えます。

さて、春日大社は本来、藤原氏の氏神を祀る社です。
『志度寺縁起』には謡曲『海女』の元となった、珠採り海女の物語が見えますが、不比等が海女に頼んで海龍王から取り返した宝珠は、興福寺本尊の釈迦如来の眉間に入れたと『春日秘記』に書かれているとか、春日大社の四つの御本殿の第一社に置かれているとか言われています。
一方、この珠を更に取り返そうと龍王は春日にまで追いかけて来て、取りあえずは猿沢池に住み着き、何度も社へと向かうのですが、結界となる鳥居に阻まれて果たせずじまいなのだと……何やらだんだん、色々な要素が入り乱れた話になって来ていますが、今でも猿沢池には龍は戻って来るのでしょうか??

春日奥の院『紀神社』ところで一番上の画像で、神職の方が頭に載せているのは、『春日若宮おん祭』で馬長児(ばちょうのちご)の従者が被っている龍の飾りです。
手に持った笹竹は『恋笹』ともいい、五色の短冊には『あふ恋』『忍ぶ恋』など、恋に関する言葉が書かれているのですが、この『恋』は『雨乞い』に通じ、龍が雨を呼ぶ存在である事を示しているのだとか。
真ん中の画像は、昨年のおん祭のお渡り式に向かう、馬長児の従者の一人、実際はこのような格好で従っています。

三番目の画像は、春日大社の奥の院とも言われる『紀神社』ですが、ここには『龍王珠石』という名前の磐座らしき集石があります。
記録には、紀神社の西側にあり、善女龍王の納めた尾珠と云々……という事が書かれているとか。

あまり知られていないようですが、春日大社の境内には神社成立以前からあったと思われる磐座の類が幾つか見られ、御笠山一体が、平城京ができる以前から神の座す地とされていた事がうかがえます。
猿沢池から龍王珠石、香山の龍神池、この三つは龍と水を結ぶラインとして、今も春日の山に龍神がいる事を表しているのかもしれません。
この他にも、龍と雨、水をめぐるエピソードは神社の周辺に、今現在も幾つか見る事ができるそうです。
例えば、南都楽所の左方だ太鼓の龍は、しょっちゅう雨を呼んでくれるとか……?

宮司を始めとした神職方々の話も多岐に渡って面白いし、実際に歩いてみる境内もかなり興味深い物があちらこちらに点在しています。
今回は更に特別なサプライズもありまして、滅多に入れないような所も案内して頂きましたが、そちらは他言無用……!?
毎回、参加する度に思うのですが、実にこの講座はためになります(^_^)v
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
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