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詳しく研究されている方のサイトを拝見したところ、こういうお行儀良くお座りをしている、尻尾のフサフサした狛犬を『浪花型』というのだそうです。
これがまた、なかなかしっかりした子で、このように親の前脚を下から支えています。
結構重いらしく、歯を食いしばっているところが健気ですね(^^ゞ
銘によりますと、明治二十二年九月八日に奉納されたそうで、作者名として、大の次の字が良く分からないのですが、『石工大阪長堀 石忠』と刻まれているようです。
色々見てきたところ、この辺りの狛犬は幕末から明治にかけての物が多いみたいです。
やっぱり巻き毛の方向は左右対称、難波の石工さんのこだわりなんでしょうかね?
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このペアは鳥居を入ってすぐの所にいます。
『阿』が玉を転がしていて、『吽』が子供を連れているのは、割合にスタンダードなタイプのようです。
氏子の方々から、このような注連縄のネックレスをもらっています。
多分今頃は、新年に向けて新しい物にしてもらっているかもしれません(^^ゞ
銘によりますと、『昭和十年五月吉日』に『大阪』の『上田佐太郎』氏と『妻 マツ』さんによって奉納されたようです。
昔は奈良県内でも有数の商業都市として栄えた大和高田市です。
大阪の方も商売に来ていたのでしょうか?
いや、単に上田夫妻がここの出身なのかな?
中型犬よりも少し大きいくらいでしたか。
雌のラブラドルレトリバーくらいの大きさかな?
もう少し小さかったかな?
でも頭でっかちで、四肢も結構太いです。
後姿の写真が手振れ……
尻尾には巻き毛はないですが、やはりフサフサの長毛です(~_~)
今年のUPはここまで、これより夜行バスで田舎へ帰りますので、また来年もよろしくお願い致しますm(__)m
場所は大和高田市の春日神社、鳥居をくぐったすぐ右手にあります。
晴天の日に写した写真なので、陰影が着きすぎて、何となく見難い画像ですが、こんな具合に「伏せ」をしてます。
「お座り」や「お手」(玉取りです)をしているのは良く見ますが、こういうのは始めてみます。
画像をクリックして頂けば、多少大きな画像が見られますが、やっぱり写真が下手だから、「阿」は特に見難いですねぇ(~_~;)
ところで獅子舞の獅子もそうなのですが、狛犬も時々、歯をむき出してますよね。
犬にしてもライオンにしても、門歯ってこんなに発達している物なの?
やっぱり真ん中の蕨手みたいな毛の束は、左右対称にするのがセオリーなのでしょうか。
こいつに関しては銘らしい物が見つけられなかったので、いつ誰が作って、誰が奉納したのか分かりません。
他の三対と比べてみても、やっぱり明治時代くらいの物でしょうか?
大和高田市役所よりも少し東の、堤防の下にあります。
何せ高田川は昭和になってから川の位置を変えたので、天井川となって、高い堤防が両側に作られています。
ここの神社には四対の狛犬がいるので、そいつをボチボチと紹介いたします。
まず、神社の南に面した鳥居をくぐると、この大き目の狛犬が鎮座しています。
これは見るからに新しいペアで、石の色も真新しげに見えます。
それでも昭和四十五年と銘には刻まれていました。
ここに映っている拝殿を覗きますと、大きな絵馬が何枚も掛けられているのが見えます。
一番大きな物には猪に跨っていると言うよりも、しがみ付いているような人物が描かれていて、背景には雪を頂いているらしい白い山も見えています。
狛犬の次は、これらの絵馬でもあげようかしら?
拝殿の更に向こうは、この画像のようになっています。
ここの狛犬は、拝殿の前の物と同じくらいか、もう少し小型でしょうか。
近づく事ができないので、銘文などは分からないのですが、先の二対よりも古そうに見えます。
幕末か明治くらいの物でしょうか。
『清水』と彫られている通り、この二匹の上に乗っているのは手水鉢です。
明日以降は、この四対をもう少し大きな画像で紹介するつもりでおります。
あまり大きくも無い元は『村社』程度の神社ですが、地元では大事にされているのでしょう、なかなか面白い物があるものです。
やはり、高取町の八幡神社です。
ところで『八幡神社』とか『八幡宮』って、八百万の神社の内でも最も数が多いと聞いた事があります。
別の本では『春日神社』が最多とも書かれていましたが……どっちが正しいのでしょう?
ともあれ、ここは『八幡神社』なので、応神天皇と神功皇后、比売神の三柱を祀っている事になります。
そしてこちらが、昨日の『阿』のペアとなる『吽』です。
気のせいか、ちょっと頭でっかちの印象を受けます。
横から見るとこんな感じ。
プロポーションは、三頭身くらいでしょうか(^^ゞ
百四十年も座っているだけあって、どちらも結構苔むして、体の色合いも変わってしまっているせいなのか、印象が少し違うような気が致します。
ところで『狛犬』を辞書で引いて見ましたところ、
“昔、高麗から伝来したといわれる獅子に似た獣の像。高麗犬の意”とありました。
以前に見た京都国立博物館の企画展示では、元々は『獅子』と『狛犬』の対で作られた物が、時代が下がるとどちらも『狛犬』になって、『阿吽』の一対になったのだと解説されていました。
確か、どちらも口は閉じていて、『狛犬』の方に角があったはずです。
こちらの神社の『吽』は、このような顔をしています。
『阿』よりも不敵な表情に見えるのは、写した角度のせいなのでしょうか(^^)
そしてこのペア、結構芸の細かいところがあります。
こちらの方が、ややボテッとした感じを受けるのですが、やっぱり決定的に違うのは、真ん中で渦巻いている毛の方向が逆なんですね。
現物を見ている時には気付きませんでしたが、写真を見比べてようやく分かりました(^_^)
石工さんのこだわりでしょうか(~_~)
在野でも狛犬や石灯籠の研究をされている方が多数いる様子で、ネット上でもHPなどで近所の神社でのフィールドワークの成果を発表されています。
そこで私も、何となくカテゴリーを増やしまして、ボチボチ上げてみようかと思った次第です。
具体的な勉強は全然しておりませんので、最初は画像のアップがせいぜいかも知れませんが(^_^;)
地図で見ますと高取町田井庄のようですが、もしかしたら薩摩かもしれません。
何せ手持ちのロードマップに神社の記載が殆どないもので……(-_-;)
鳥居は立派なのですが扁額が無く、あちらこちらの燈籠や手水鉢などを眺めたところ、ようやく『八幡神社』と書いてありました。
今日上げる画像は『阿』形の方です。
昔々、祖父母から聞いた事によれば、『阿吽』の対の場合は口を開けている『阿』の方が雄なのだとか。
これって俗説なのでしょうか、正しいのでしょうか、いずれ調べてみます。
台座に銘が入っているのですが、ようやく読めるのが『慶應三年丁卯夏四月』程度で、施主の名前などは見当たりませんでした。
慶応三年は1867年、明治維新の前年になります。
幕末に造られた狛犬は、割合の多いようですから、特に珍しい物でもないのでしょうね(^^ゞ
『狛犬』と『獅子』のペアといいますと、平安時代くらいから神社に奉納されていたようですが、いつの間にか『獅子』の姿をした『狛犬』が対になって神前に鎮座するようになります。
この『阿』形、なかなかワイルドな顔つきをしていますが、お行儀良くお座りをしています。
柏の葉っぱでも広げたようなフサフサ尻尾の真ん中には、アンモナイトのように巻いた毛まであります。
私が眺めている限りでは、近所の狛犬の尻尾はたいてい、広葉樹の葉のように広がっています。
大きさは台座まで入れると私の身長を勇に越していますから、170~180センチくらいはあるでしょうか?
犬の大きさとしては中型件でも大きい方??
割り合いに良く見かける大きさです。
まあ、こんな具合にチマチマと上げて行き、少しずつ勉強して行きたいと思っていますm(__)m
次は、ペアの片割れ『吽』形の方を。
狛犬かなと思ったのですが、普通は神社の前にいる物ですから、こいつに限って言うと違うのかもしれません。
それに狛犬というのは、阿吽で対になっているのですから、片方は口を閉じていなくてはいけないはずです。
ところがこいつらは、どちらも口を空いています。
平安時代の初めくらいの例を見ますと、狛犬と獅子が対になっていて、左側の角の無い方が獅子でしたか?
ともあれ、これが後に両方とも狛犬になって、雌雄で阿吽というペアになったのだと思います……今日もうろ覚え(-_-;)
それにしても何とも間の抜けた顔をしています。
垂れ目気味にうえに、やはり下がり気味の太い眉まで描かれていて、全体的に寸足らずのプロポーションだし、頭も大きい……(^_^;)
特に銘も何も無かったので、いつ頃に誰が作ったのか分かりません。
妙なリアルさがあって、つい笑いながら目を背けたくなってしまうのでした……(ーー;)
ちなみにどちらも同じような後姿をしています。
一体こいつの正体は何なのでしょう?
やっぱり狛犬で良いのでしょうか??