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新年を寿ぎご挨拶を申し上げますm(__)m

今年もよろしくお願い申し上げます。
……と陳べましたところで、誰も見ていないかもしれませんがσ(^◇^;)
ではタイトルの示すとおり、東大寺です。
こちらで年越しをする時は、どこかに出かけようと思っていまして、何年か前には飛鳥寺や岡寺で除夜の鐘を撞かせて頂きました。
昨年は正月寒波でリタイア・゚・(ノД`;)・゚・
今年は一念発起、東大寺に行って参りました。
もう、十年一日に国宝の梵鐘を撞きに行きたいと騒いでいて、ようようの運びというところです。
東大寺の鐘は日本三大梵鐘にも数えられ、奈良時代の梵鐘では最大の大きさを誇る国宝ですが、一般の人が撞く事が出来るのは除夜の鐘の時だけだと聞いています。
既に亀裂が入っているとかで、いつかは文化庁の方からストップがかかるかもしれないと聞いた事があるので、これは早いところ行くべきかと、年末のテレビ番組があまりに退屈極まりないのを幸い、21時過ぎに近鉄電車に乗って出かけました。
東大寺に着いたのは22時過ぎ、警備の方の整理券は微妙ですよとの御言葉でしたが、まあ、せっかく来たんだから並んでおきましょうと待つ事一時間弱、23時過ぎに東大寺の法被を着た方が、整理券を配って下さいました。
そこから更に待つ事一時間、ありがたい事に今年の大晦日は風もなく、底冷えも大した事無く待っておりましたが、周囲にいた観光客の方々は寒い寒いの連発でした。
(゜-゜)、おん祭の晩の方が遥かに寒かったですけどねぇ (((´゚ω゚`)))
大梵鐘ですから撞木も巨大で、八人がかりで綱を引き、係りの方の合図で一斉に放します。
そして見事に低く深い音が響き渡ります。
私は65回目、一緒に参加した方々は殆ど女性でした(~_~)
ところで見ておりまして、撞木の当たる位置が撞座よりも少し下なのですが、これはどうしてなのでしょう?
今年はNHKの『行く年、来る年』の中継が入っていたそうで、大仏殿の方は更に混雑していたようです。
入場制限が相変わらず出ておりまして、まあ、こちらもせっかくだからと並んでいる時には、既に鐘の音も聞こえず、1時近かったかもしれません。
大仏殿の観相窓が開かれるのは、基本、大晦日から元旦にかけてと、中元の万燈会の時だけです……が、昨年は特別な法要が夜間に何度か行われまして、この時も特別に開かれていました。
回廊では東北と奈良県南部の災害復興に協力と、特産品の販売も行われておりまして、私も多賀城市銘菓と、五條市の生姜湯などを購入させて頂きましたm(__)m
さて、初詣のハシゴは基本的には推奨できないと聞いた事があるのですが、今年もこいつを平気で破っております。
どうせだからと大仏殿の後に二月堂へ行き、そこから手向山八幡宮に詣で、更に若草山のふもとを抜けて春日大社の境内に……ここがまた、奈良県内有数の初詣スポットですから、時間が丑の刻だろうが寅の刻だろうが、待ってましたとばかりの人出です。
またも大人しく人の列の中に紛れて待っておりました……が、何もしないのも癪に障ると、少し動くたびに参道の石燈籠を眺め、『春日大明神』銘を探しておりました。
結局、見つけたのは場所を知っている(知っていても近付けない所も結構ありまして)三つだけ……御間道などは暗くて、多分これと思う物も銘が読めない(T_T)
よって、五基の内、二基は不確かなので三基だけでした。
春日大社には多分、三日にも行くと思いますので、簡単に御参りをして、いい加減帰って寝るべしと思いきや……登り大路の氷室神社で、この夜も氷献灯を行っていました。
ここは人が少なくて静かで良かったですが、時計を見れば3時半を回っているじゃありませんか((+_+))
ハシゴしまくりの不調法者をして、家にたどり着いたのは4時半過ぎ、結局、布団に入ったのは五時でして、そこから11時近くまで猫と一緒に寝ておりました。
そして起きて軽い食事を取った後、近所の風呂屋で初風呂を焚いていると聞いていたので行きまして、午後から橿原神宮と神武天皇陵に散歩に行って参りました。
あ~ぁ、何処も人が多いねぇ……だって、初詣スポットだもの(-_-;)
今年もよろしくお願い申し上げます。
……と陳べましたところで、誰も見ていないかもしれませんがσ(^◇^;)
ではタイトルの示すとおり、東大寺です。
こちらで年越しをする時は、どこかに出かけようと思っていまして、何年か前には飛鳥寺や岡寺で除夜の鐘を撞かせて頂きました。
昨年は正月寒波でリタイア・゚・(ノД`;)・゚・
今年は一念発起、東大寺に行って参りました。
もう、十年一日に国宝の梵鐘を撞きに行きたいと騒いでいて、ようようの運びというところです。
既に亀裂が入っているとかで、いつかは文化庁の方からストップがかかるかもしれないと聞いた事があるので、これは早いところ行くべきかと、年末のテレビ番組があまりに退屈極まりないのを幸い、21時過ぎに近鉄電車に乗って出かけました。
東大寺に着いたのは22時過ぎ、警備の方の整理券は微妙ですよとの御言葉でしたが、まあ、せっかく来たんだから並んでおきましょうと待つ事一時間弱、23時過ぎに東大寺の法被を着た方が、整理券を配って下さいました。
そこから更に待つ事一時間、ありがたい事に今年の大晦日は風もなく、底冷えも大した事無く待っておりましたが、周囲にいた観光客の方々は寒い寒いの連発でした。
(゜-゜)、おん祭の晩の方が遥かに寒かったですけどねぇ (((´゚ω゚`)))
大梵鐘ですから撞木も巨大で、八人がかりで綱を引き、係りの方の合図で一斉に放します。
そして見事に低く深い音が響き渡ります。
私は65回目、一緒に参加した方々は殆ど女性でした(~_~)
ところで見ておりまして、撞木の当たる位置が撞座よりも少し下なのですが、これはどうしてなのでしょう?
入場制限が相変わらず出ておりまして、まあ、こちらもせっかくだからと並んでいる時には、既に鐘の音も聞こえず、1時近かったかもしれません。
大仏殿の観相窓が開かれるのは、基本、大晦日から元旦にかけてと、中元の万燈会の時だけです……が、昨年は特別な法要が夜間に何度か行われまして、この時も特別に開かれていました。
回廊では東北と奈良県南部の災害復興に協力と、特産品の販売も行われておりまして、私も多賀城市銘菓と、五條市の生姜湯などを購入させて頂きましたm(__)m
どうせだからと大仏殿の後に二月堂へ行き、そこから手向山八幡宮に詣で、更に若草山のふもとを抜けて春日大社の境内に……ここがまた、奈良県内有数の初詣スポットですから、時間が丑の刻だろうが寅の刻だろうが、待ってましたとばかりの人出です。
またも大人しく人の列の中に紛れて待っておりました……が、何もしないのも癪に障ると、少し動くたびに参道の石燈籠を眺め、『春日大明神』銘を探しておりました。
結局、見つけたのは場所を知っている(知っていても近付けない所も結構ありまして)三つだけ……御間道などは暗くて、多分これと思う物も銘が読めない(T_T)
よって、五基の内、二基は不確かなので三基だけでした。
春日大社には多分、三日にも行くと思いますので、簡単に御参りをして、いい加減帰って寝るべしと思いきや……登り大路の氷室神社で、この夜も氷献灯を行っていました。
ここは人が少なくて静かで良かったですが、時計を見れば3時半を回っているじゃありませんか((+_+))
ハシゴしまくりの不調法者をして、家にたどり着いたのは4時半過ぎ、結局、布団に入ったのは五時でして、そこから11時近くまで猫と一緒に寝ておりました。
そして起きて軽い食事を取った後、近所の風呂屋で初風呂を焚いていると聞いていたので行きまして、午後から橿原神宮と神武天皇陵に散歩に行って参りました。
あ~ぁ、何処も人が多いねぇ……だって、初詣スポットだもの(-_-;)
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諸事情において、半月ばかりずらして帰省する予定です。
それにしても、次に何を書くかが決まりませんで、全然落ち着きませんわ(*_*;
この準備が出来れば動く方向も決まるから、気分も安定するってモノなのですが、何ちゅうか、暇をかこつってのが性に合わない貧乏性の典型でしょうかね(゜.゜)
そのような事はともかく、橿原周辺も年末年始に向けての準備は怠りない様子です。
こちらは橿原神宮、三が日は外院の庭まで入れるので、このような準備が出来つつあります。
内拝殿の軒からは白いネットが張られ、その前にこれでもかと言うサイズの賽銭箱が設置されました。
その両側はお守りなどを授与する所で、今年もアルバイトの巫女さんが「よう、お参りを」と、慣れない口調で迎えてくれる事でしょう(^^ゞ
ここ何年かは上村淳之画伯の絵だったのですが、今年は画風からして違うようですね。
右下の落款やサインは『静宏』、エ~と、どなたでしょう?(・・?
藤本静宏画伯かな??
この方は橿原市民ですから、ここには最適かも知れません。
大きさは、こちらのプリティーなモデルさんでお分かりかと思いますが、ちょっとした大広間ほどの面積です(@_@;)
今日辺りはチョッとした神社や寺院では、初詣の人々を受け入れや出店の準備で、参道もごった返していると思います。
そして三が日は言うもがな……次の三連休まで、またも大神神社や橿原神宮の周辺は渋滞が起こると思うので、買い物に行くにもルートを考えねば(゜_゜>)
毎年12月29日の正午過ぎから、薬師寺の各御堂の御本尊他、お身拭いが行われます。
寺では午前中に正月用の餅つきをして、その時に使用した水を使って仏様を拭き清めるのだそうです。
まずは12時に御僧侶方が金堂に入られて法要を行います。
その後に若い御僧侶や、奉仕して下さる学生さんたちによって、お身拭いが行われます。
お身拭いは金堂の薬師三尊を始め、須弥壇も綺麗に拭き上げます。
そして薬師如来の前には、正月に特別公開される国宝『吉祥天女画像』の御厨子も置かれ、こちらも綺麗にされました。
そして金堂が終わりますと、大講堂の諸仏、更には東院堂の聖観音像なども拭いて行きます。
だいたい2時くらいには終了というところです。
さて、ようやく解体修理が行われる東塔ですが、塔の北側に素屋根を組み上げて、それを移動させて今の状態になっています。
この後、来年の三月で塔全体を覆う形になり、この中で解体修理が行われる予定です。
この素屋根、高さが42.5メートルもあるそうで、現在の西ノ京で一際目立つ存在となっています。
修理が完了するのは平成30年の12月、それまでは『凍れる音楽』と賞賛された姿を見る事も適わなくなります。
これは諸司舞の宮人舞でしょうか。
和舞は装束を見ますと、舞楽などに比べて地味に映りますが、片袖を脱いで扇をかざす舞には、日本独特の美意識があるとでも言いましょうか、隠れた人気があるようです。
舞楽『蘭陵王(らんりょうおう)』と『納曾利(なそり)』は、勝負舞といいまして、日中に行われる競馬の勝敗によって、奉納の順番が変わります。
今年は左方の勝ちだそうで、『蘭陵王』が先でした。
久々に、見事だなぁ……と見惚れてしまいました(^_^)v
『納曽利』は、ここ最近、割合に小柄な方が舞人を勤めておられますが、この方、切れが良くてとにかく上手いです。
『貴徳(きとく)』(右方)
『貴徳』の方、何となく調子が悪そうでした……(゜.゜)
『落蹲(らくそん)』(右方)
私は常々、『抜頭』という舞が苦手だとほざいておりますが、この時の舞は良かったです。
やっぱり、おん祭というロケーションが大きな要因でもあるのでしょうか。
奈良の冬の夜の底冷えは半端じゃありませんから。
駅に着いて、飲みたい訳でもないのにホットの缶コーヒーを購入、電車の中でも、手を温めるために開けもせずに握ったままでした。
こうして、今年もせっかく保存会の会費を払ったんだからと、かなり戯けた動機半分で言って参りました『春日若宮おん祭』でした。
翌日の『後宴能』は、締め切りに追われて行きませんでした(T_T)
かくして、火の近くに陣取って見ておりました。
舞楽『振鉾(えんぶ)』第三節
舞楽『万歳楽(まんざいらく)』(左方)
右方の装束は寒色系なので、下手な写真が更に見る影もない・゚・(ノД`;)・゚・
舞楽『賀殿(かてん)』(左方)
舞楽『長保楽(ちょうぼらく)』(右方)
舞楽『甘州(かんしゅう)』(左方)
舞楽『敷手(しきて)』(右方)
が奉納されました。
一時間早く始まったのは、この二曲が特別に舞われるためですが、『別願舞楽』の奉納は、実に300年ぶりだという事です。
それにしても画像で見ると、『賀殿』や『長保楽』と何所が違うの?ってな感じですね。
装束も、ひょっとしたら舞い人も同じ?
それではしつこいようですが、続く( -」)φ
今年の『お旅所祭』は一時間ほど早く始まっておりますので、『神楽式』の時間になっても、このように明るかったです。
ここで行われる『神楽式』とは、簡単に言いますと翁と三番叟です。
千歳はおりませんし、いずれも面は着けずに浄衣で舞います。
(画像を参照)(^_^)v
このくらいの時刻から更に寒くなりまして、とにかく火の傍に行きたい……(((´゚ω゚`)))
幸いなるかな、私の前で干渉していた方々が、こちらの金春流の御身内のようでして、『神楽式』が終了したところで、一気にお帰りになられました。
何のかんので続く…(-_-)zzz
まあ、まだ11日ですわね。
何せ一昨日まで、ずっと自主的缶詰状態だったので、三連休も外出をほとんどしませんでした。
締め切り間近だと騒ぎつつも、せっかく、行って来たので、画像だけでも上げましょうかと思いまして……(-_-;)
“ほど”というのは、“きっちり”という訳ではなくて、“だいたい一時間くらい”なのだそうで、この辺りは祭の進行状況によって、多少のズレはありますよと、前もって神職の方が仰っておられました。
そのお陰で前半の神事芸能が、かなり明るい時間から始まりました。
一般の人たちがお旅所に入れるのは、『神楽』が終わった後ですので、『東遊』から近くで見る事が出来ます。
ところが、その時刻には日は殆ど沈んでいて、こちらの画像のように、右方のだ太鼓の向こうに傾いた日が見えるような事はありません。
明るいんです(゜.゜)
『田楽』と申しますと、鎌倉幕府の執権が田楽狂いだった云々というように、鎌倉時代以降の芸能かと思いきや、おん祭が始まった時に既に『春日田楽』は奉納されていたそうです。
起源ははっきりせず、農神に五穀豊穣を願う芸能だとか、農作業を行う人々に見せた娯楽芸能だとか、『散楽』から転じて民間芸能になったなどの説があるそうです。
この『散楽』は『散楽戸』という役所が芸人を抱えて、公式セレモニーなどでも演じられたと考えられますが、平安時代のごく早い時期に『散楽戸』は廃止され、芸能を行った人たちは民間に流出してしまいます。
この『散楽』が、民間での芸能として残って行ったのが『田楽』ではないのかという訳です。
これは『せいのお』と読みます、“ほそおとこ”ではありません(^_^)v
『細男』は神功皇后の伝説として語られていて、志賀島の海人の阿曇磯良(あづみのいそら)の姿を現しているとか云々……どうも、私はこの類の地方伝承にはかなり弱くて(~_~;)
解説書に寄れば、筑紫の浜で会った老人から、「細男舞を舞えば、磯良という者が海中より現れ出で、干珠、満珠を献上する」と言われたので、舞わせたところ、顔に貝殻やら海草をくっつけた顔で出て来たので、覆面をしたとか何とか……
舞を舞ったら磯良が現れた、その姿を現したのが『細男』の舞、では、最初に舞われた『細男』はどのような舞……(・・?
いずれにしても、少なくとも『日本書紀』にはこの事は記されておりません。
そして九州での伝説と春日社が、どのような因縁で結びつくかは、かなりややこしい背景がありそうで、それこそ調べ始めるとドつぼどころか、玄界灘にはまりそうですわε-( ̄ヘ ̄)┌
かくして戯言ともに続く……( ̄▽ ̄)。o0○
プリントアウトも終わったので、明日の朝に投函すればお仕舞いm(__)m
そういう訳で、明日から次の話の準備に入らねば……
しかしこれが問題です。
まったく新たに書こうか、それとも以前の作品を書き直そうか(゜-゜)
まあ、書き直しをしたところで、かなり違う話になる事も多いので、どちらも作業量はあまり変わらないのですけれどね。
そういう訳で、明日から次の話の準備に入らねば……
しかしこれが問題です。
まったく新たに書こうか、それとも以前の作品を書き直そうか(゜-゜)
まあ、書き直しをしたところで、かなり違う話になる事も多いので、どちらも作業量はあまり変わらないのですけれどね。
そりゃ年末は誰でも多忙さと、世間は宣う事と存じますが。
ちなみにネットをサボる原因には、とにかくメインで使っているノートパソコンの調子が悪い……慢性的なメモリー不足とは分かっちゃいるんだが……ので、ネットに繋ぐたびに往年のWindows98のようにフリーズしてくれるのに辟易としているためもあります。
そのような訳で、ただいまはモバイルで打っておりますが、やっぱりキーボードのサイズが小さいので打ちにくいですね……これでイラついてんじゃ、タブレット端末なんぞ、果たして使えるものなのやら。
まあ私が多忙だと騒ぐ一つの要因には、締切というやつがありまして、この度もこいつです。
このところは締切を自分で切るような状況のため、どうしても様々な事に甘くなっていけません。
それでも、今回の締切はこの月曜日、ただいま正念場というところです。
それにしても、昨日も完全なカンヅメ状態で書いておりましたが、家の中が大型冷蔵庫化しておりまして、とにかく寒い……電気機器の冷蔵庫を開けても冷気がほぼ感じられないって何なの(#゚Д゚)
……にしても、これに入ってるIME、矢鱈に顔文字変換してくれるわねぇ(゜_゜>)
確か、kingsoftのワードだったな、本体に格安オプション(1000円だったかな?)で付けてもらった。
先日に職場の人と、神社の巫女さんってアルバイトの人も多いのかしらという話をしておりました。
大きな御祭とか初詣などの時には、お守りやおみくじの授与で、アルバイトも雇うかもしれないけれど、普段に春日大社や大神神社で見かけるような巫女さんは、神社の職員でしょう、これが多数意見。
確かにおん祭で社伝神楽を奉納してくれる『ミカンコさん』は本職です。
四人でも六人でも、手の上げ下げから体制を変えるタイミングまで、しっかり揃っていました。
秋に東大寺で奉納された、鶴岡八幡宮の『浦安舞』の八乙女も同様。
小さな神社などで巫女さんの『浦安舞』などの奉納を見る事もたまにありますが、一人ならともかく、二人、四人となって行くと……写真を撮ってみると、全員が違うポースをとっていたりして(・_・;)
こういう場合は、臨時の巫女さんなのだと思います。
三日ぶりくらいにブログのページにもつなげたので、久々の書き込みですが、何をどうでも良い事を我ながら書いている次第です。
では、もう少ししたら、PC持ち込み可能で居座り歓迎のカフェにでも出かけて、最後の足掻きをしてくる事と致します<m(__)m>
カテゴリーが一応、執筆中の戯言なので、それらしい事でも。
宝亀三年、三月と五月に立て続けて、皇后と皇太子が廃されるという事件があるのは、それなりに有名です。
こいつに関して裏で何があったは、とりあえず置いておきまして、そこから次の立太子までが半年ほどあります。
この程度のブランク、次の皇太子擁立に向けて官界での意見統制をするにも、短いくらいだよと一般的には捉えられるでしょうが、この間にやたらと天変地異やら異常現象やらの報告があります。
特に伊勢の月読神が祟ったなんて記述まであって、この時期はまだ、伊勢斎宮の卜定もされているのか否か微妙ですし、皇嗣問題においてはかなり敏感になっているんだろうなぁと、行間からも推測ができたりします。
しかしだ……この時の皇嗣候補って具体的に誰がいたんだ、実際のところ`s(-・-;) …
マジ、中務卿山部親王がダメなら誰にするってんだ、百川が怒りたくなる原因も分かるような気がしてきますわ(゜レ゜)
久々に何か書こうとした揚句が、既に『おん祭』です。
『春日若宮おん祭』と言えば、奈良では毎年最後を飾るもっとも大きな御祭です。
奈良の御祭は『ちゃんちゃん祭』に始まって、『春日若宮おん祭』に終わると言われるだけあって、奈良市の繁華街では、クリスマスなんぞかすんで、こちらがメインという感じ?
祭自体は15日から始まり、それ以前の準備は夏頃からこまごまと行われているそうです。
祭典当日は17日で、この日は日付が変わってから、18日の直前までの終日、様々に御子神様への御奉仕が行われます。
17日の始まりと供に若宮社を出た御子神様は、神職らに先導されて暗い中を御旅所に入ります。
これが有名な『遷幸の儀』で、ここ最近は富に見学に来る人も多く、メディアでも取り上げられるようになりました。
御旅所の御仮屋に神様が入られると『暁祭』が行われますが、これが大体、午前1時頃から一時間程度、この後に神様も神職も御休みになりまして、夜が明けた後に祭りは再開します。
この人々は、若宮様に芸能を御覧に入れる、いわばご奉仕をする芸人で、これより盛装して御旅所に向かう様子を示していますので、華やかですが決して御祭の主役ではありません。
今年はこれを沿道の人の頭越しに眺めつつ、早々に『影向の松』のところに向かい、『松の下式』を拝見する事と致しました。
昔々、藤原氏の氏長として関白藤原忠通が、祭の執行のために向かっていた旅の途中で病気となり、急遽、御付の楽人に“この日の使い”を代行させた事から『日の使い』と呼ばれるようになったのだそうです。
風流行列の内で唯一、黒い束帯を身に着けている騎馬の人物ですので、すぐに分かります。
ちなみに先頭の方で黒い衣冠で馬に乗っているのは、奈良市長やおん祭の会長ですので、お間違えなきように……結構、間違えている方がおられるようですのでσ(^◇^;)
ではまた項を改めまして、御旅所祭の事でも……
