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この桜は今までにも何度も見に行っています。
桜井市今井谷の『満願寺の八講桜』です。
桜井市指定文化財に登録されていて、樹齢300年の枝垂桜だそうです。
しかし、地図で見てもこの近所に満願寺という寺院がないのですね……
この木のすぐ横には地区の集会所があり、鎌足公の肖像を掲げてお祭をするのはこの場所らしいので、元はここがお寺だったのでしょうか。
大きな木ですが、既に老木のためか花は小ぶりです。
満開になっても、大宇陀の又兵衛桜や同じ桜井市の瀧蔵神社の枝垂桜ほどの派手さはありません。
樹齢はいずれも同じくらいなのですがね(゜.゜)
それでも崖の上に立つ姿が力強くも優美だと、毎年多くの写真愛好家の方が訪れているようです。
私が見に行った十日にも、一眼レフのカメラを抱えた方々が数人、より良い場所を探してはレンズを向けていました。
崖の上まで登って間近で見ても、下から見上げてもとても良い姿の木です。
ところで、花の時季は駐車料金を取るはずなのですが、係りの方がいませんよ……料金箱もなかったようですし、払わなくて良かったのかなぁ(~_~;)
実はこのようなロケーションで咲いています。
この上まで登る道があるのですが、かなり急で細い上に、雨上がりなどでしたらすべる事請け合い……
良い天気でしたので、昨日までの雨も既に乾いてはいましたが、上ったは良いけれど、下りるのがかなり怖いという状況です(+_+)
木の脇に市の教育委員会で立てた解説の看板がありまして、それによりますと樹高約25メートル、枝は約5メートルに渡って広がっているそうです。
「多武峯談山神社の元に八講祭を行う寺院に枝垂桜を植えたとの言い伝えがあるため、樹齢は約300年を数える事になる」と書かれています。
『八講桜』と名前をつけたのは、談山神社の宮司さんだと以前に聞きましたが、さて、何時から講呼ばれているのでしょう。
県内の大枝垂桜では、ややマイナーな部類に入る存在のようです。
県道51号線を北上して天理市内を走っていますと、右手に『夜都伎神社』の赤い鳥居が見え、更に『西乗鞍古墳』の墳丘が見えます。
周辺は球戯場などがあって、公園のように整備されていますので、今の時期は花見の人たちでも賑わっています。
四月十日、ようやく晴れたので、地方選挙の投票をした後、その辺りまで車を転がして行って見ました。
本当なら『内山永久寺跡』に行きたかったのですが、こちらは午前中から周囲の道には路上駐車だらけ、既に通常の走行すら困難になりつつある状況でした。
ところで、永久寺に行く途中の西乗鞍古墳のすぐ北の細い道を曲がりますと、左手に『幾坂池』の堤が見えます……と言うか、県道からも良く見えますけどね(^^ゞ
ここに画像のような一本の大きな染井吉野が植えられています。
ここ何年かで口コミで有名になったらしく、ここでも既に路上駐車の列が出来ていました。
私が車を留めた時は、特に止める場所に苦慮はしませんでしたが、少しふらついて戻って来た時には、駐車場所を探している県外ナンバーが虎視眈々と待っておりました。
何でまた、こんな所まで県外ナンバーが?
天理教の本部や天理大学がすぐ近くなので、その辺りに用事ついでに花見に来た人たちでしょうかね??
それにしても、見事に満開の巨大な桜の木でした。
しかしねぇ……こんなところでわざわざ肉焼く必要って何処にあるんだろうなぁ?
花見弁当広げるのがセオリーと違うの??
さすがに殆どの人がマイカーでしたので、昼前から酒を食らっている様子はありませんでしたが^^;
「あの老体が簡単に口を開くであろうか。ともあれ娘の尚蔵にまずは渡りを着けてみるか、泉などでは全く役に立たぬであろうから」
このように山部親王から言われているのは、老体の吉備真備、尚蔵(くらのかみ)の吉備由利、そして役立たずの吉備泉の親子です。
吉備由利という女性のプロフィールは、真備の娘か妹となっていますが、阿倍女帝の信任を得ていたというところから、年齢的にも娘と解釈する方が多いようです。
私も娘として書いております。
それも真備が最初に入唐する前に生まれた長女の扱いです。
これからホザキます戯言は、根も葉もない妄想ですので決して信じないで下さいσ(^◇^;)
由利が物心ついた時には父親は唐に渡った後、母親は娘を連れてさっさと再婚します。
天平七年に大宰府から父親帰還の知らせを受けたところで、由利は既に結婚していたし、それ以前より母親から散々に悪口を吹き込まれていたので、顔も覚えていないような父親への思慕の念もへったくれもあったものじゃありません……(ーー;)
それでなくとも、この年の夏から豌豆瘡が徐々に蔓延を初めて、それと共に帰って来た父親では、彼女の中に良い印象はほぼありませんでした。
由利はこの頃、皇后宮職に勤務していて、年も近い事があって阿倍内親王付きの女孺(めのわらわ)を勤めていました。
十八年も唐で様々な学問を学び、様々な書物や物品を見せ付けるように携えて帰って来た父親ですから、これより先、娘の方も色眼鏡で見られるという弊害が由利に降りかかります。
おまけに娘が皇后や内親王のすぐ側に上がっていると知った父親は、鉄面皮にも自らを推挙せよなどと娘に迫ります……五位をもらっただけじゃ、気が済まなかったようです。
ところで由利の夫は橘諸兄に仕えておりましたので、こちらにも紹介して欲しいと、横柄な父親は娘夫妻の元に乗り込んで来ます。
そして天平九年、都での豌豆瘡のピークを迎え、壊滅状況の太政官のトップに橘諸兄がのし上がり、真備も従五位上中宮亮になります。
「これで御気が済みましたでしょう、父上様。もう私達には構わないで下さいね」
こういう事になる筈だったのですが……天平十三年秋七月、既に二年前に皇太子となり、恭仁宮にいる天皇の代わりに平城宮に留まっている阿倍内親王に仕える由利の元に、またもや水をかけられるような知らせが届きます。
吉備真備を東宮学士とする……
「何ですって!では父上が平城に戻って来るという事?それとも皇太子が恭仁に行かれるという事?いずれにしても冗談じゃないわよ!!!!!」
このように私の妄想の中でのこの父娘はとっても仲が悪いと言うか、娘の方が父親をかなり嫌っています。
娘が父親のおかげで出世したというよりも、父親が娘を足掛かりにのし上がったという設定です。
そのような訳で、山部親王に命じられた藤原百川が由利の元を訪れ、既に右大臣を致仕している父親にアポイントメントを求めるのですが、かなり良い迷惑だったのではないでしょうか。
「しかし仮にも貴方、参議じゃありません事、既に官職を辞した老人に面談を申し入れるなど、容易い事ではありませぬか。況してや中務卿の御依頼だと仰れば、皇族大好きのあの父の事ですもの、番所繰り合わせて予定を空けると思いますわよ」←岩下志麻の声で^_^;
今年の染井吉野のピークは、この土日でしたか。
しかし土曜日は生憎の花曇り、午後には晴れるかと思いきや、結局一日、霧雨の降るような日でした。
この染井吉野は東大寺の『吉城川』のもの、かなり見難いですが根元に鹿が一頭おります。
この細い川は、『春日山』に源を発し、『水谷神社』のある細い谷を下って『東大寺』の境内を東西に横切り、『依水園』を経て暗渠になり、多分、佐保川に流れ込むのだと思います。
秋には紅葉がとても綺麗で、カメラマンの方々が腕を競っている場所にもなっているようです。
この写真を撮ったのは金曜日の朝、昼前からは雨がぱらつき、早咲きの木には花散らしとなりました。
月曜日の今日、江戸彼岸や薄墨桜、早咲きの枝垂れは大方散ってしまったようですが、染井吉野や大島桜はまだ咲き残って、白山桜はこれから見頃を迎えます。
吉野山の見頃は次の週末でしょうか。
市街地では八重桜の蕾も膨らみ始めています。
また最近、少しサボっています。
九日、関東から来てくれた知人を引っ張りまわして、吉野方面に行ってきました。
念のため申しますと吉野山ではありません、宮瀧方面です。
そういう訳で、その時に行きました神社の紹介など致します。
国道169号線を宮瀧方面に向かいますと、妹背大橋のすぐ手前左側に、大きな神明鳥居が立っています。
そして石段を登って行くと、かなり立派な萱葺きの神明造の御社が鎮座しています。
ここは吉野町河原屋の『大名持神社』です。
駐車場が左手の方にあるので、つい登りやすいのもあって、この日も以前に来た時も正面からは登らなかったのですが……(^^ゞ
こちらの御祭神は大名持御魂神、須勢理比咩命、少彦名名命となっています。
大名持命は大国主命の別名ですから、正妻と相棒が合祀されている訳ですね(゜.゜)
大名持神社を出て更に東に向かい、柴橋を渡って喜佐谷の方に上って行きますと、左側に赤い手摺りが見えます。
階段を下りると屋根付きの木の橋がかなり深い谷に掛かっていて、その先に赤い鳥居が立っています。
小さな谷の底を流れるのは象(きさ)の小川、この橋の下で急に深くなっているので、覗き込むとチョッと怖いです(@_@;)
ここは吉野町喜佐谷の『桜木神社』です。
御祭神は大穴牟知命、少彦名命、天武天皇となっています。
境内で先ず目に付くのは、根元の直径が一メートルを超えるのではと思われる大きな御神木の杉です。
本殿は、こんな曇った日でも鮮やかに赤い三間社権現造、前には砂岩の小ぶりの狛犬が座っています。
境内左手の方から、象の小川に下りる事が出来るので、夏場には子供連れで遊びに来る方も見られますが、とても綺麗な境内なので出来る事ならば、御祭り以外で火を炊いたり飲食をしたりは避けて欲しいのですが……
帰り道、家の屋根越しに大きな神明鳥居が見えたので、脇道を入ってそちらに行ってみました。
神社の名前は『水分神社』、大淀町増口にあります。
門前に椿井神水という石碑が立っておりまして、境内で水でも沸いているのかしらと思いきや、帰ってから調べましたところ、石碑の横の蓋をした井戸が神水なのだそうです。
とにかく、オッソロしく急峻な石段を登り、国道から見えた鳥居をくぐり、斜面に張り出すように両側に造られた拝殿の間も過ぎますと、ようやく境内に入れました。
本殿は質素な神明造、御祭神は天照大神、月読命、須佐之男命、蛭子神だそうです。
帰りもあの恐ろしい階段を下りるのか……いえいえ、右手の方に緩やかに下りて行く階段がありました(~_~;)
それにしても、この場所、どう見ても水分(みくまり・分水嶺)ではありません。
下を流れる吉野川は、この辺りは底が浅くて岩も多く、筏乗りの難所と呼ばれていたそうです。
そのため、ここには筏乗りの神様も合祀されているとか。
さて、今日は今日で近所の桜を見て参りましたので、次は気が向きましたらその辺りでも(^^ゞ
三勅祭の一つで、毎年三月十三日に日が決まっていまして、今年は日曜日の上に好天に恵まれました。
しかし地震から二日しかたっていないので、果たして宮内庁から勅使が来れるものなのか……新幹線、動いたの?
確か十二日に奈良市でみうらじゅん氏を招いたトークショーが予定されていたのですが、新幹線が動かなかったと言う事で、代役の方に代わったという事でした。
十二日に東海道新幹線は動き始めたようで、朝から行われる祭典には無事、勅使さんも御出でになられました。
この画像の黒い束帯の方が、今年の勅使、掌典の唐橋在倫氏です。
しかし……拝殿の内に入れないので、門の外から眺めていても何をどのようにされているのかが分かりません(^^ゞ
勅使座(林檎の庭の中央辺りに四角い石があって、そこに勅使が座って、儀式を行うとの事)の黒い背中と、本殿前の階段を上り下りする神職の姿を眺めていただけと言う感じです……ひとえに不勉強・゚・(ノД`;)・゚・
相変わらず、何を調べたらこの祭典の詳細と言わずとも、大まかな流れだけでも分かるのか、見つけ切れておりません。
最後に行われる『和舞(やまとまい)』も、曲が殆ど聞こえませんでした……まぁ、こちらは今月の二十九日にゆっくり堪能させて頂きましょうっと。
奈良で一番に満開になるという氷室神社の大枝垂れ桜です。
今日の暖かさで見事に満開になりました。
今年も大勢の人たちが見に来ていましたが、ほんの十年前には割合におとなしい存在だったような気がします。
しかし、この大きさの枝垂桜としては、かなり見に行き易い場所にありますから人が多いのもうなずけます。
この木も見事な満開で、観光客の方々が花の下でしきりに写真を撮っていました。
東大寺三昧堂(四月堂)の裏側から、登ってくる階段を見下ろして撮っています。
この桜も薄墨でしょうか、五部咲き以上に咲いていました。
このすぐ横にある開山堂の前の枝垂れも見事に咲いていましたが、写した写真がしっかり逆光(~_~;)
花がモノトーンの影になっておりました(/_;)
大仏殿の真西にある勧進所の枝垂桜です。
ここは普段非公開ですので、門越しに皆さん眺めておられます。
奥に見える門の内側にも、更に枝垂桜が咲いていますが、写真にするとあまり綺麗には見えません……まぁ、腕が悪いんでしょうけどね^_^;
これら早咲きの木はかなり見ごろですが、染井吉野は一部から三部咲きというところですし、奈良八重桜に至ってはまだまだ蕾です。
明日からまた少し花冷えという事で、来週末もまだまだ見頃だと思われます。
今日の日中は暑いくらいで、かなり薄着の若い人たちも多かったのですが、日が陰り始めた頃から寒気が入ってきたようで、夕方以降はかなり寒い状況です……
昼間ほど暖かければ、今は薬師寺の花会式の真っ最中、十九時からの法要に参加しようかと思っていたのですが、寒くなったので簡単に挫けました(T_T)
