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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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越路吹雪のあの名曲の元の歌は、誰が歌ってたんだ、アダモか?
ちなみにただ今のBGMは、葉加瀬太郎ですが。

誰が誰にロクデナシだと言いたがっているかと申しますと、藤原仲麻呂が白壁王にと見せかけて、その上官たる橘諸兄に言いたいんですね。
やっぱり蓋を開けてみたら、この二人、絶対に仲が悪かった……十数年後の粛清劇の兆しは既に現れているって事のようです。
それにしても予想外なのは、やたらに仲麻呂が広嗣の弁護をしまくってる事ですわ。
この世代はまだ、藤氏四家が多少とも連帯感を持っていたんだろうか……

何のかんの言っても私はやっぱり藤原氏贔屓なんですねぇ、今更ながらに気がついた訳でもないけれど。
もう少し皇家の瑣末筋を贔屓してやっても良いんじゃないの?
えっ、長親王家には結構、優しいつもりなんですけどねぇ、浄御原帝系の内では……
でも大市王は度々出てくるけど、智努王はあまり出てきませんねぇ。
奈良王……それ、誰だっけ???(゚_。)?(。_゚)???

しっかし、皇后が出てこないと湯原王も出てきませんわねぇ。
この異母兄こそ、市原王なんて物の数じゃない程の皇后派閥の大物……にする予定なのに(゜.゜)
 

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今回の仲麻呂は実に良く喋る……
そりゃ、ワンパターンに、状況説明を悪ふざけを交えて、やたらに会話で進めようとするからさ。
この調子で、この後も出世していったら、周囲の連中はさぞかし鬱陶しいだろうなぁ。
この人のジョークって、白壁同様、殆ど笑えない?(゚_。)?(。_゚)?

そして今回の白壁は、かなりヤバイ……
この後、この曲者が太政官入りして、筆頭の大納言として右大臣だろうが左大臣だろうが、裏から平気で脅しをかけるような事したらどうしよう(~_~;)
何せこの御仁、今回ですら左大臣を脅迫しかねない状況なんだもの(-_-メ)
これを分かっていて、皇位に押し上げようと画策したメンバーって誰なのさ???
やっぱり、この父親あっての、あの息子なのね……作者は何を納得しとるん??????

しかしだよ、年賀状……だから虎しか描いてない。
今年の年男年女……探したけどやっぱり一人しか見つからない(T_T)
ためしにモデル無しで描いたら、御祖父ちゃんの若い頃の顔になってしまった。
まあ、予想しなくても分かる事だったけれど……ε-( ̄ヘ ̄)┌

一月九日(土)
 橿原考古学研究所博物館の講演会に行こうか……
 天理大学の山本先生だよ~
 それとも奈良国立博物館の講演会に行こうか……
 春日大社の花山院宮司だよ~

贅沢な悩みだね、我ながら。
多分、山忠先生(と天大OBの人が呼ぶ)の講演、聞きに行くと思うけど。

一月十六日(土)
 橿考研の所長トーク(私は勝手に菅文バトルと呼ぶ)に行こうか……
 松田館長が火葬墓の話してくれるのよね~
 でも奈良博で南都楽所の舞楽のチケット買ってあるんだっけ……
 必然的にこっちだわσ(^◇^;)

一月十一日(月)
 春日大社 舞楽始式!
 これを忘れちゃ、今年も始まらない(事は決してないのだけれど)

うめぞーの「弟が弟なら兄も兄」のまねしてかいてみるね

…八日まで情報通な?
と藤原仲麻呂の悪友が嫌なのは一ひねり欲しいかなんだろうなぁ?
そうなのか、こいつは一人の兄たちの画像くらいしか用意しててている会話って事なのか…湯原王が嫌なのに。
と、大臣や家人に出て行くように話す内容ばっかり(ーー;)少しでも書き散らしてないなのに。

*このエントリは、ブログペットの「てむじん」が書きました。

……にしても、全然、話が進まない(ーー;)
少しでも書き散らしているのは、白壁王と藤原仲麻呂の会話ばかり。
どうして野郎同士の良からぬ密談だけは、やたらに出てくるんだ……それもきな臭いというか、胡散臭い内容ばっかり(ーー゛)
大体だ、仲麻呂は白壁に対して口が軽すぎるぞ。
こいつ、相当、仕事のストレスが溜まってて、それを家族に愚痴ると鬱陶しがられるから、ついつい、聞いてくれる悪友に何でも話したがるんだろうなぁ。
でも、この二人のしている会話って、絶対に妻子や家人に話す内容じゃないな。
つまり、こいつは一人で秘密を抱え込んでいるのが嫌なのか、とにかく誰かに話したくて仕方がないところに、ちょうど良く、その類を共有しても大丈夫そうな立場の悪友がいるって事なのか。
そもそも、仲麻呂は何でここまで情報通なんだ、大臣やその周辺にはそれほど歓迎されているようには思えないキャラクターなのに。
やっぱり情報源は叔母上なの?
いや、これじゃ、考えが安直過ぎるか。
もう一ひねり欲しいかな。
となると、次に問題になるのは、白壁の兄たちのポジションだわね。
長兄はそろそろ、官界から退きたがっていて、次兄は中央に戻りたがらない。
そうなると、やっぱり積極的に出てくるのが、すぐ上の兄上になるか……湯原王がだんだん悪党になって行くような(-_-;)

それよりさぁ、年賀状、どうなったの????
実は、虎の画像くらいしか用意してない……八日までに出せるのか、マジ(--〆)

天気はうす曇中門を入ると右に金堂、左に、門から伸びた回廊は金堂と塔の後の講堂につながる、この伽藍配置は『法隆寺式』です。
つまりここは、ズバリ、『法隆寺』です。
聖徳太子に疎まれている(と思い込みのある)うめぞーが、どうして法隆寺に行ったのかと申しますと、正月の三が日に行われる行事のためです。

そういう訳で法隆寺に行ったのは昨日の事で、今日(四日)は私、仕事始めでした(゜.゜)
一月一日から三日まで法隆寺で行われるのは『舎利講』という法要です。
厩戸皇子(むしろ聖徳太子)が二歳の春に、東を向いて「南無仏」と唱えた逸話は有名で、その像も多く作られていますが、この時に合わせた手の間から一粒の御舎利が零れ落ちたのだとか。
そしてその御舎利を正月の三日間のわずかな時間だけ、衆生にも拝見させてくれるのがこの儀式です。

「絵殿」「舎利殿」共に、「夢殿」の北側にあります。御舎利は普段は東院伽藍舎利殿に安置されています。
十三時より少し前に絵殿舎利殿が開けられて御僧侶方が御出でになり、粛々と法要が始まります。
そして最後に、厨子から赤い包みが取り出され、衆目の前におかれた台の上に置かれ、七重の袋が一枚ずつ開かれます。
袋の裏地の色は外側から、白、紫、薄黄色、黄色、薄茶色、縹色、薄紅色でしたが、緒の色はちゃんと見ておりませなんだ(~_~;)
そして最後に現れるのが、水晶で作られた五輪塔をかたどった舎利瓶です。

私はかなり良い場所に陣取りまして、結構間近に見ていたのですが、舎利瓶の内側が少し曇っていたせいか、御舎利があまりに小さいためなのか、全然見えませんでした(T_T)
周囲の方々も、全く分からなかったそうで……覗き込む訳にも行きませんしねぇ。

菊花紋が上下に並びました。法隆寺に行ったのは、実に六~七年ぶりでしょうか。
車で一時間程度の場所で、見るものも決して少なくない寺院ですが、足が遠のきがちなのは実は拝観料のせい?σ(^◇^;) ?

それはともかく、こちらに隣接して『中宮寺』があります。
こちらで御正月に見ることが出来るのは、この画像のような可愛い注連飾りです。
もう少し大きな画像にしたかったのですが、破風の菊の御紋と並べたかったため……なのに、上の御紋は殆ど分かりませんね(*_*;
この注連縄、十六弁の菊花を象っています。
何せ尼門跡寺ですから。
法華寺円照寺でも、同じような注連縄を飾られているのでしょうか。
今度確かめに行ってみたいです……って、来年の正月の話か(ーー;)

大仁富士新年の喜びを寿ぎm(__)m

今朝の七時に、ようやく戻ってまいりました。
その後、一日中、法隆寺で遊んでおりましたので、何もしておりません。
さて、これから年賀状、何とかしなければσ(^◇^;)

北◎鮮だ?
いえいえ、天平年間においての仮想敵国を一応考えると、まぁ、新羅なのでしょうねぇ。
本当に天平九年より以前に新羅征討を考えていたとしたら、豌豆瘡の流行が去った後にも、その余波は残っていたと考えるべきなのか、太政官の上部が一掃されて新たな政権が確立した段階で、そのような動きはなくなったと考えるべきなのか……この辺りは、畿内と地方では必ずしも同じではないのかもしれません。
特に韓半島に最も近い、筑紫の北部ともなると緊張感はまだまだ残っていたのか……?
これが大宰府停止の後に鎮西府を置いた、尤もらしい理由の一つになってはいるのですが(゜.゜)

こんな事にいつまでも引っかかっていないで、さて、そろそろ、本格的に進めませんと。
とか何とか言いながら、これより三日ばかり留守に致します。
探さないで下さい……って、誰が探すか、ボケ(ーー゛)
正月は富士山、見えるかな~~!!
で、初詣は何処にしよう、三嶋大社でも良いんだが。

天平十二年に起きた大宰府の反乱と、その後の都周辺の動きはどの程度に関わりがあるんでしょう。
そもそも、西の果てでどうしてあれほどの戦火が上がったのでしょう。
この後、大宰府の機能が停止し、鎮西府を置いて管内が戒厳体制に置かれるともなれば、ここで起きた騒ぎが一部の人たちの感情論が起したような類ではないと思えるのですが。
過去の研究者も、この辺りにあえて目でもつぶったのか、額面どおりの捉え方しかせず、むしろ畿内と大宰府の距離関係や交通事情へ目を向けるような論争しか展開していないように思えます。
この話を具体的に取り上げる機械は今の所ないのですが、その後の動きがもしも都周辺に影響していたのなら、無視する訳に行かない事情があります。

と……このように脱線しまくっている訳なのですが、本当にこいつを真剣に考え始めますと、実のところ話の筋そのものに大きく影響してきそうな気がするんですよね。
ひとまずはこれに触れずに、若しくは主人公を無知のままにしておいて、話を展開させて行くべきなのかもしれません。
いやしかし、私がこれらの関わりをある程度の理解しておかないと、このこと自体に意味がなくなって来るじゃないの……(ーー゛)
どうしていつも、わざと背景を複雑にしたがるんだ、我ながら(--〆)

少し前から、何となくこの歌が気になる……また病気か?(?_?)?

うめぞーの「またも同じ疑問だ(-_-;)」のまねしてかいてみるね

都制、ここを考えた説でしょう。
天平十二人とも恭仁へのインテリが、この疑問、副都制研究会あたりで済ませていないという事は同じ事?
天平十二人とも恭仁宮にいないという事。

*このエントリは、ブログペットの「てむじん」が書きました。
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明日は歴史作家!

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