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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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皇族が賜氏姓されるとなりますと、代表的なのは「平朝臣」と「源朝臣」でしょうか。
しかしそれ以前は、もっと色々な氏姓が見られます。
たとえば延暦六年二月五日、親王でも王でもない「諸勝」に「広根朝臣」、「岡成」に「長岡朝臣」の氏姓を賜るという、何とも解せない記事が見えたりしています。
大同元年五月十六日には、五百枝王が自ら「春原朝臣」への賜氏姓を申し出ています。

この氏姓を賜うという行為、孝謙天皇以降に良く見られるのですが、それ以前はかなり少なかったのか、単に記録に残っていないのか、その辺りをしっかり調べていないので良く分かりません。
それにしても思うに、ここで氏姓をもらった人たちで後々も名前が見える一族って、かなり少ないような気がするんですよね……
「橘朝臣」「文室真人」「春原朝臣」ならばまだしも、「淡海真人」は続いてるのか?
天平勝宝年間に見える氏姓は「三島真人」 「内真人」 「美和真人」 「海上真人」 「春日真人」 「甘南備真人」 「志貴真人」 「丘基真人」 「豊国真人」 「岡真人」 といったところですが、このうちの幾つが後も見られるんでしょう……
これらの名前って、住んでいる本籍地によってつけられるのですかねぇ。
三島、宇智、三輪、磯城、岡、などなど。
多分、後にまた名前を変えられた人もいるんだろうなぁ。

それにしてもよく分からないのが、二世王から賜氏姓された「文室真人」や「春原朝臣」は自ら希望したようなのですが、他の人たちって上からの命令なのかしら、それともやはり希望しての事なのでしょうか。
皇族扱いされるのは五世王までだから、それ以下の人たちが多いのでしょうかねぇ?
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無謀なのか、行き当たりばったりなのか、勢いついでなのか、次に書こうとしているのは天平勝宝の終わりと言うか天平宝字の初めと言うか、その辺です。
登場人物を拾うと、おっそろしく多いです……名前だけしか出てこない人も多いでしょうけど。
たとえば五百井女王一歳とか、酒人女王四歳とか、稗田王七歳とか、早良王八歳とか……

この辺りの群像を見ておりまして、大伴氏なんて名前だけは結構出てくるんですが、本家筋がすごく弱い時期なんだなぁというのを感じますわ。
本家筋って何処かって……どこなんでしょ?
一応、長徳からの系統をそのように解釈してるんですけど、どうも私は藤原氏以外を不勉強で、本当にここの筋で良いのかと言われると……分からん、だって、まだ生まれてなかったんだもの、と逃げたくなります。
長徳の子が安麻呂、そして次が旅人、そして家持なのですが、家持が旅人の晩年に生まれた嫡子なので、どうしても他の分家筋(という意識があるのかしらね、果たして)に出世頭が行ってしまうんですよね。
この頃は、家持の大叔父の兄麻呂が参議で、最上朗(ろうの字が出ない……)だと思います。

どうも本家がどの系統か分からない家が多くて困りますわ。
紀氏も複雑だし、佐伯氏も各人の関係が全然分からないし、多治比氏もちゃんと理解してないし……
皇族なんてもう、うちのスメラミコトの家以外は、誰が誰やらシッチャカメッチャカ、とにかく系統の分からない人が多すぎるんですよ(T_T)
まぁ、藤原氏が一番、頭に入ってるのかな??????
でも、婚姻関係が、また分からない……だから、豊成の最初の奥さんって誰よ?!

缶詰状況の先週末から風邪気味で、今日、ようやく病院に行ってきました。
「昨年も同じような時期に、同じような風引いてますねぇ」と、先生に言われまして……
同じような時期に同じような風邪を引く人が多いそうです。
まぁ、体質なんでしょう。
熱は出ないけど、ひたすら咳が出るから、体力消耗するの何のって……((+_+))

さて、一段落したから次の話を考えにゃ……っちゅう訳で、昨夜から考えているのが、五年前に書いた話を書き直そうかな、と言うところです。
主人公が父親から息子になります(・_・)だから?
多分、おっそろしく長くなります……ちなみに今回は四百字詰め換算で485枚(ー_ー)!!
相変わらず、長けりゃ良いってもんじゃないでしょう(・o・)……状況です。

そうすると、今回の十二年後か。
資料の全面作り直ししなけりゃ。
前回のやつも残ってるけど、ちょっと使い難いしねぇ。

ところでオリンピック終わりましたけど、日本人選手の出ていない競技って、全然放送してくれないのねぇ、地上波では(;_;)
おかげでアイスホッケーの決勝、見てないじゃないの!!
あれ、見なけりゃ、オリンピック終わった!って気がしないのよね(ーー゛)

誰が誰を好いていないかと申せば、まあ、こいつも色々なパターンがあるのですが、藤原仲麻呂が橘奈良麻呂を好いていない事は確かです。
おまけに父親の橘諸兄とも、かなり仲が悪い(ーー;)

そもそも、諸兄と奈良麻呂の親子、うちではかなり酷い扱いされてます。
以前にも文殊菩薩を乗せた獅子か、社の前の狛犬に似ているとか言われてたし……(+_+)
白壁王の息子たちも兵部卿をつかまえて、平気で呼び捨てにしてるし……(・_・;)
まあ、今回はこういう扱いかねぇ……(ーー゛)

「まだ二十五、六だが、何というか、かわいげの片鱗もない」仲麻呂は酒瓶を置いて肩をすくめる。
「相当、嫌うておるな、御身」
「宮も話でもしてみろ、絶対に嫌いになる」確信的に言ってうなずく。
何を使わない方が良いかって、無駄な金を使うなとか、偽ブランド商品を使うなとか、人の名前を勝手に使うなとか、まぁ、使わない方が良いものは枚挙に暇もありませんが……

"何はともあれ、その事件が起爆剤となったのだろうか”

こう書いて……起爆剤って火薬の無い時代に、そういう言葉って無いでしょう(・・?

”その事件が引き金となったのだろうか”

引き金ねぇ……火縄銃とか村田銃とか自動小銃とか?
いや、弩(石弓)にも引き金はあったと思う、でも一般的じゃないわね、てんで……
そういう訳で、別の言葉を考えなけりゃ。
どうしてこういうところで、変なこだわりが出てくるんだ(?_?)
そりゃ、一人称で書いている宿命さねε-( ̄ヘ ̄)┌
ヴォキャヴラリーが無いというのもあるのだけれどね(*_*)
大宰府が停止して鎮西府が置かれている時でも、鴻臚は停止してないよね……
大宰府に鴻臚館があるのだから、ここは大宰府の管轄だとばかり思っていたのですが、実は治部省玄蕃寮の管轄になります。
記述が少ないので良く分からないのですが、この時は大宰府が停止しているのを理由に、外国からの使節をさっさと追い出して、絶対に都には入れようとしていません。
この辺りから渤海や新羅が何か気づく事って……まあ、あっても様子を伺う程度かな?

ところで玄蕃寮の仕事は外交だけじゃなくて、どういう訳か寺院関係にも及んでおります。
「玄」は僧侶の事で、「蕃」は外国の事だそうですから、役所名はそのままの意味ですね。
平安時代になったら、後者の仕事はかなり少なかったでしょうねぇ(-_-)zzz

私がただいま悪戦苦闘しているのも、大宰府が停止している時期なので、玄蕃寮のこちらの仕事はかなり少ないと思います。
変わりに、前者の仕事は滅茶苦茶多そう……
僧綱は相変わらず平城京の薬師寺に置かれていて、それなのに甲賀宮には突然降って湧いたような大僧正がいて、こちらでも何やかやの仏事法要が行われていて、挙句の果てにはこういう事があったから諸寺に何日間、何の経典を転読しろの、何の法要悔過をしろの、写経をどれだけしろのと……

さて、玄蕃寮はこのときどこにあった?????
平城か?恭仁か?甲賀か?難波……って事はないと思うけど(・。・)
玄蕃頭は忙しかったろうなぁ( ̄Д)=3

別にここのサーバーが時間よりも早くメンテナンスを始めて、予告時間になっても終わっていなかったという想定外ではなくて……なんか、ここってエ~カゲンに高飛車なのよね<(`^´)>
それはまぁ、どうでも良くって……

『大赦』を辞書で引いてみますと、下記のようにありました。

(古くは「だいしゃ」とも)律令制で、赦(しゃ)の一つ。朝廷・国家に吉凶のあったとき、天子が八虐以下の故殺・謀殺・私鋳銭・強窃二盗の罪を許したこと。常赦よりも赦の範囲が広い。 Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

つまりは服役中の犯罪者を殺人だろうが、贋金作りだろうが、傷害だろうが、盗人だろうが、シャバに放り出してしまうという事です。
今も昔も犯罪といいますと、傷害や窃盗が多いのだと思うのですが、この類は再犯率も高いのではないでしょうか?
もしかして、大赦だの恩赦の後って、かなり物騒な状況になっていたと違いません??
御公家さんとか、裕福な家は自警策を強化しないと……
もっと危険なのは、こういう犯罪者から個人的な恨みを買っていた人ですよ……

ところでこのようなお触れは、どういう形で一般の人には伝えられたのでしょう?
時代劇などでは、人が集まるような町中の辻で、立て看板に御触書を張り出して、それを取り囲む町民に対して、字が読める旦那さんとか御武家さんとかが読み聞かせているシーンを見ますが、やはりそんな感じでしょうかね。
市の広場に大きな木札でも立てて、京職の御役人が読んで聞かせたのかもしれません。
そういう訳で、結構、分からない事って出て来るんですよねε-( ̄ヘ ̄)┌
 

天平十七年四月十三日に流罪になっていた塩焼王に入京を許したとあり、良く前後を見てみますと、四月二十七日に大赦の詔が出ております。
何だ……やっぱり大赦じゃないの。
これは多分、この月の初めに連続して起きた山野火災(誰が考えても放火ですね)にショックを受けての大赦なのだと思うのですが。
この大赦、すでに十三日には決まっていて、内記に宣命の作成を命じると同じくらいに、配流先に人をやってこの事を塩焼王に報告に行ったのだと思います。
そして正式の発表は、すでに塩焼王が入京している二十七日なのでしょう。
まぁ、この辺は良いのですが……
分からないのは、この人がいったい何をして流刑になったのか、そして一緒に流刑が決まった五人の女性はどこの司に所属していたんでしょう?
平城京の獄舎に入れられたとあるから……捕縛された所も平城なのかしら?
う~ん、分からない(/_;)

何って、塩焼王がどうして突然に流刑になって、たった二年半で都に戻る事が出来たんだ?
大体この時、この人のみではなく五人もの女性も一緒に流刑になってるのが、更に良く分からない。
よく言われるのが、遷都や何か、天皇の政策に異議を唱えたからだろうという内容ですが、そこに五人の女孺が絡んでくる理由が思いつかない……
女孺となると、う~ん、妃との絡みか?
それにしても、二年程度で許された流罪って多いのかしら?
別にこの時、大赦や恩赦の記事も見えてないしなぁ……
これに理由をとにかく付けておかないと……

あっ、そうだ、難波に行く前にもう一~二度、道鏡師に御登場願わねば。
それにしても仲麻呂、良弁の悪口絶好調だけど、かなり気に入ってる訳ね、同じ人種だし(ーー;)
あ~、いい加減に寺やら坊主の話題よりも、別の話題にメインを持って来たい(T_T)
それから、おい、奈良麻呂、どこに行った??
あんたが出てこないと、親父殿も動けないぞ!!

え~と、市原王、大伴家持、橘奈良麻呂、佐伯今毛人、山背王、藤原魚名、藤原田麻呂、
大体このメンバーって同世代だよね。
阿倍内親王も同じくらいだな。
まあ、同世代といっても五つ程度の差はあるかもしれないけど。

この人達の名前は先日も書きましたけど、さてと、何か繋がりを考えなければならないです。
ここにもう一人二人、まったく架空の人物が関わって来まして、かなりややこしい話になってくるのですが。
もっとも、この人達が全て関わるのではありませんし、中には登場しない人もおります。

白壁王や藤原仲麻呂よりも一世代若い人達です。
いざ書くとなると、私にとっては、主役たちよりも書きやすい年齢なのですが……
今回はそう単純ではないのかしら(+_+)

彼らのキーポイントは難波か?
そうなると太上天皇との関わりは??
左大臣は、どこまで関わって来るのか???
とにかく考えなければ……(@_@;)

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