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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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奉納された氷柱奈良市の氷室神社といえば、全国の製氷業者の厚い信仰を集めている神社だそうで、毎年五月一日に『献氷祭』が行われています。

『献氷祭』といえば、この鯛と鯉の氷柱でしょうか。
ガイドブックなどにも良く画像が取り上げられています。
今年は午前中までは雨模様でしたが、昼過ぎからは上がり、暑すぎず寒い事もなく、氷もそれ程解けずに済んでいたようです。

舞楽『抜頭』童舞午前中に製氷業者の方々が中心となってお祭をし、午後からは神社に所属する舞楽の楽所が舞楽の奉納を行って下さいます。
私は昨年に初めて行きまして、今年も折り良く日曜日に当たったので、再び訪れてみました。

こちらの神社は真夏にも、奉納された氷柱を境内に立てて、お参りに来てくれた方には撤饌としてカキ氷を振舞ってくれる事もあります。
今日は祭礼とあって、やはり訪れた人たちにカキ氷の振る舞いがありまして、私もそれをいただきながら、舞楽奉納が始まるのを待っておりました。
そちらの様子は、また項目を改めまして紹介する事と致しましょう。

舞楽殿前の献灯今年は『献氷1300年記念』に当たるという事で、今までにも何度か『氷献灯』が行われています。
今日も夕方から行われると聞きましたので、祭事の終了後、東大寺で少しばかり時間をすごした後に戻って来ました。
18時過ぎくらいから宮司さんを始めとした方々が、境内に並べた氷の器にティーキャンドルを入れて、次々と火を点けていましたが、まだそのくらいの時間ですと結構明るいんですね……
ようやく雰囲気が出てきたのは、やはり19時過ぎくらいでしょうか。待ちかねたように三々五々、見学の人たちがやって来て、静かに観賞していました。

ところで……明日の仕事を挟みまして、連休後半はチョッと遠出でもしたいです。
と言っても行き先は京都ですがσ(^◇^;)

三日はこのところの恒例、下鴨神社の流鏑馬ですがな~!!
昨日まで週間天気予報で、雨になっていたので「誰の行いのせいだ~っ!」と騒いでいたのですが、今日になったら曇りになっていたので一安心??

四日はどうしようと考えておりましたら、『壺井八幡宮 百々手式』という案内を見つけてしまいました……我ながら結構懲りない奴、一月の終わりまで読み方も分からなかったくせに(ーー;)
壺井八幡宮って、上ノ太子だったわよね、十年以上前に行ったきりだけど。
天気が良ければ、電車で行って駅から歩こうかしら、20分くらいだと思うし。
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金曜日に熱が出たせいなのか、この神事の事が頭から飛んでいたようで、我ながら信じられないけれど奈良市内についてから思い出して、春日大社に向かったという状況です。
まだ夏でもないのに、何とかしかひかない風邪を引いてしまったようですわ……脳炎にでもなってるんと違ゃうんかε-( ̄ヘ ̄)┌??

林檎の庭にて
橿原神宮で拝見してから、もう少し勉強しようと言ったのは一体誰なのでしょう……相変わらず無知のまま(+_+)
それでもこの類は私には、結構目の保養です。
そう言うには、やや何とか系の男性ばかりの写真ですが……(ーー;)相変わらず失礼な奴です。

この日は少し風がありましたが、昨日までの雨も上がって暖かく良い天気となりました。
それにしても林檎の庭は少し狭くて、数人の射手しか並ぶ事が出来ません。
しかしかなり近い距離で拝見させていただきました。

神杉の元で
丁寧な解説もあったものの、やはり基礎知識の欠落が決定的、それでもどのようなところに注目するべきなのか、少しくらいは分かりましたか。
まぁ、舞楽なども見るだけなら四半世紀見ていて、少しくらいは詳しい類になりましたから、知識だけはねぇ……

一番印象的で面白いと思った事が、こちらの流派では主たる物は左手に持つという事。
これを大昔に習っていた居合道でやりましたら、即刻怒られます(~_~;)
何せ獲物が刀なので、左手に持たれたら、すぐさま右手は柄に掛かる……御主、私に喧嘩を売っておられるのか?!という状況になります。
いきなり「チェストー!」(何故、示現流?)と来ても知らんぞ……という事になります。

(゜.゜)、弓道はともかく、また何十年かぶりに居合道、習いに行きたくなったこの頃です。
もしもそうなったら、居合刀や道着の類の初期投資も必要だけど、全くの一からやり直さなけりゃなぁ……正座すら忘れてるわ(T_T)

黒い束帯の方が勅使さんです。既に三週間前です『春日祭』は。
三勅祭の一つで、毎年三月十三日に日が決まっていまして、今年は日曜日の上に好天に恵まれました。

しかし地震から二日しかたっていないので、果たして宮内庁から勅使が来れるものなのか……新幹線、動いたの?
確か十二日に奈良市でみうらじゅん氏を招いたトークショーが予定されていたのですが、新幹線が動かなかったと言う事で、代役の方に代わったという事でした。

十二日に東海道新幹線は動き始めたようで、朝から行われる祭典には無事、勅使さんも御出でになられました。
この画像の黒い束帯の方が、今年の勅使、掌典の唐橋在倫氏です。

しかし……拝殿の内に入れないので、門の外から眺めていても何をどのようにされているのかが分かりません(^^ゞ
勅使座(林檎の庭の中央辺りに四角い石があって、そこに勅使が座って、儀式を行うとの事)の黒い背中と、本殿前の階段を上り下りする神職の姿を眺めていただけと言う感じです……ひとえに不勉強・゚・(ノД`;)・゚・

相変わらず、何を調べたらこの祭典の詳細と言わずとも、大まかな流れだけでも分かるのか、見つけ切れておりません。
最後に行われる『和舞(やまとまい)』も、曲が殆ど聞こえませんでした……まぁ、こちらは今月の二十九日にゆっくり堪能させて頂きましょうっと。
東大寺の修二会は、一昨日から惣別火入り、本日の午後には参籠宿所練行衆が入られたはずです。
そして明日からは本行の始まりとなります。







お松明の竹
土曜日に東大寺の管長さんの御話を聴きに行った後、観音堂(二月堂)付近に廻ってみたところ、参籠所の前には、このようにお松明の竹が並べられていました。






大仏殿北側の結界縄 
観音堂の周囲は竹矢来で囲われ、周囲にも結界が張られていました。
この結界の注連縄は、練行衆が試別火に入った次の日、堂童子さんたちによって二十一日に張られるそうです。





開山堂の注連縄
こちらは開山堂の注連縄です。
このような注連縄は、行に参加される僧侶や童子の方々の家にも掲げられるそうです。

これは勿論、俗と聖を分ける物、シキミの葉と紙垂という神仏混合の象徴だったりもします。
この辺を見ていると、やっぱり日本の仏教って、かなり早い内から神道との融合が始まっていたのかもしれないなぁと、やや明後日の事を考えつつも、今年はお松明、見に行けるかな~?
何せ五日が仕事なんで……終わったらすぐに逃げようかしら(@_@;)
翁と天狗と牛、田んぼを耕します。大和の三大奇祭のトップを飾るのは、二月の第一日曜日に行われる、飛鳥坐(あすかにます)神社の『おんだ祭』です。
御田ですから、前半はこのような御田植え神事です。
御百姓さんはどういう訳か、天狗
御田植えと三番叟がミックスしたような、奇妙なキャストです。
にカラスキやらマンガやらをひかせて、田を起こし畦を作り、水を引きます。


御田植えをする宮司。そして普通の御田植え祭では、早苗を植えるのは早乙女なのですが……何故か宮司が植えています。
そしてこの後、後の三人が観客に向かって、この苗(例に漏れず松葉の束です)を投げます。
縁起物ですので、皆さんこぞってキャッチしてました。
それにしても、後で牛が座っているのが、かなり笑えます。


浦安舞前半終了後、若い美人の巫女さんが『浦安の舞』を舞ってくれます。
巫女神楽にはあまり詳しくないのですが、昭和になってから作られた舞いで、御祭りなどでは一番一般的に行われます。
本来は裾を引きずるくらいの装束で舞うのですが、ここでは略装束ですね。
巫女さんの登場と退出の時に、檜扇で顔を隠すのが奥ゆかしくて可愛いです。


お多福さん、登場!ところで翁や天狗はどこに行ったかと申しますと、お多福を迎えに行っています。
お多福さんは天狗殿の嫁御で、翁を仲人に神前結婚が行われます。
面白い事にお多福役の人は、毎回、このように一番体格の良い人です。
この三人が登場すると、祭りの後半の始まりです。
そしてこの後半があるからこそ、三大奇祭に数えられている訳です。
宮司も、諸役も笑ってますが、さて……

然るに、繁栄と豊穣の祭りです。『おんだ祭』といえば、このシーンでしょう?
思わず、「がんばれ!」という声援まで飛んでおりました。
翁が何をやっているのかって?
天狗の腰を後ろから押しております。
この露骨さに、周囲からは大喝采。
この行為の後に使用した紙が、また御利益があるという事で、これまた皆さん、喜んで投げて貰っていました(-_-)

この辺りの解説を若い神職さんが、真顔でやってくれるのが、これまたひたすら笑えます(~_~;)


一度と言わず二度目もさあ、無事に……と思いきや、翁が手を上げて、もう一回とゼスチャーで示します。
今度はお多福さんが積極的、舞台の上も下も喜んでいるようですね(^。^)y-.。o○

この『おんだ祭』の頃は大抵寒くて、3~4年前には雪が降った記憶があるのですが、今日はとても暖かい日でした。
宮司が最後の挨拶で「お寒い中」と言うと、皆が笑う始末……日が当たっている間は、結構暑かったです。

さて、来週の11日は、やはり三大奇祭に数えられている河合町の広瀬神社砂かけ祭』が行われます。
これはなかなかヘビーな祭りでして、身の危険(?)も感じますわ。
気が向いたら、橿原神宮の『紀元祭』の後で行こうかな~(゜.゜)
それよりも午前中の橿考研の現説もUPせにゃ……
何を今更な事を申しますと、私は武道とはかなり無縁でして、大昔に居合道を少しかじった以外は、素養も教養もほぼありません。
もう一つ……この行事、昨年から私の手帳に、この日の11時と書かれているのに、いつ、どこで知って書いたのかの記憶がイマイチありません?(゚_。)?(。_゚)?
酩酊している時にでも書いたのか?(?_?)?

外院斎庭にてそもそも『百々手式』とかいて“ももてしき”と読む事が分かっていないのですから……
分からないなりに、ネットで検索して見ましたところ、
こちらに解説がございました<m(__)m>
ともあれ、付け焼刃で散歩がてら(失礼な物言いです、我ながら)に行って参りました。

橿原神宮の外院の庭は何の準備やら、テントが行く張りも並んでいて、この場所でも何かするのかと思いきや、一堂参拝された後に外拝殿前の庭に並べられた床几に着かれまして、これより儀式が始まるようです。

蟇目の儀この冬一番の冷え込みとも天気予報が言う本日、天気は良いのですが、昨夜来の強風が止む気配もありません。
かなり難しい条件下だというのは、素人でも分かります……何せ的が途中でひっくり返るほどでしたから。

先ずは先立って『蟇目の儀』が行われます。
蟇目鏑といえば魔障退散ですね、このくらいは私でも分かりました(^^ゞ
解説もして頂いたのですが、とにかく寒い……その時には成るほどと思いはしても、吹く風や~とばかりに片端から忘れておりまして、さて、何を書いて良いものやら、まぁ、こちらの男前の殿方達でも御覧下さい。

武道は所作が大事とは、大昔に散々に聞かされはしたのですが、本格的なものを見せて頂くと、雰囲気や装束も交えて、流れるように綺麗で溜息まで出るものです。

百々手式そして直垂烏帽子を着けた射手の方々が、八人ないし七人(水干姿の女性も七人、参加されていました)、横に並び、一つの的を少しずつ間合いを変えて射て行きます。
このウェーブのような動きが、やはり見惚れます。

射手の方々が手にしている弓にも種類があるそうで、巻かれた籐の数などによって、初心者か上位者かも分かるのだそうです。
両端の方が持っている弓が『重籐』というそうで、最も格の高い物だそうですが、この画像ではチョッと分かりませんね。

何というか、いつもながら単純な私は、この類を見ると癖になる……
四月には春日大社でも行われるとの事でしたので、これは覚えておかねばσ(^◇^;)
それまでに、もう少し知識つけねば(~_~;)

え~と、元旦ですね、明けましておめでとうございます<m(__)m>

法要を終えた衆僧法隆寺東院舎利殿には、聖徳太子が二歳の時に出現したという仏舎利が伝わっています。
この舎利を本尊とした『舎利講』という儀式は、昔は毎日正午に行われていたそうですが、現在では正月の三が日にのみ行われるようになったそうです。

舎利殿は、桁行3間、梁行2間の内陣の南側に1間の廂が付いた建物です。
入り口一間の吹き抜けを挟んで西側に同じ規模の絵殿があり、この二つの建物は一連のように見え、夢殿の北側に建っています。

この法要には昨年にも行って来ましたが、割合に知られていないようで、十人足らずの人が舎利殿が開くのを待っていた程度でした。
殿内の中央には大きな厨子が安置され、その前に聖徳太子二歳像の小さな厨子が置かれ、火が灯され香が焚かれ法要が始まります。
法要中も三々五々、人が殿内に入っては来るのですが、暫くするとすぐに出て行くような状況です。
最後に若い僧侶が大きな厨子の右側面の扉を開いて、橙色の蜀江錦の七重の袋に包まれた舎利容器を取り出し、衆目の前で開いて行きます。

中宮寺の注連飾り昨年は袋の裏地の色を眺めておりましたが、今年は結んでいた緒の色を見ておりました。
外側から、緑、赤紫、白、紫、橙、白、橙の順で、水晶の五輪塔型の舎利瓶を直接覆う蓋のようなカバーには緒はありません。
そして今年も……かすかに見えているのが御舎利なのか、干渉光なのか判らない(/_;)

絵殿には聖徳太子伝を描いた壁画が安置されて、夢違観音に似せた仏様がおられます。
この殿が開くのもこの時だけのようです。

この後、隣接した中宮寺の前まで行って、昨年同様に菊花紋の注連飾りを見てきました。
法華寺、円照寺の注連飾りは……さて、三が日の内に確かめに行けますやら?
そしてまだ明るかったので、斑鳩を出て奈良方面に向かい、正月早々、ろくでもないところへ行くのでした……また項目を改めまして<m(__)m>

薬師如来 お身拭い中12月29日、薬師寺の各御堂の御本尊もお身拭いを行います。
うめぞー、初めて行って参りました。

13時から金堂薬師三尊仏の前で法要を行い、若い御僧侶を中心にお身拭いが始まりました。
いつも黒光りしている三尊が、丁寧にお身拭いされて、更にツヤツヤになっておられました(~_~)

その後、薬師如来の前に吉祥天の画像の御厨子も置かれ、こちらも綺麗にして参拝させていただきました。



講堂の様子その後、講堂でも弥勒三尊のお身拭いも行われました。

どちらの画像も、御堂の入り口から何とか映した画像です。
何とな~く、雰囲気だけって感じね ^_^;



東院堂、お身拭い終了そしてこちらは、東院堂聖観音菩薩や御厨子、床まで皆さん、拭いていました。
終了後、御坊さんの御話を皆で聞いています。

それにしても風の強い日で、伽藍内は西塔の風鐸が絶えず鳴っていました。
年が明けて間もなく、東塔は解体修理のため、また覆い屋に隠されてしまうとの事、次に東西塔を一緒に見るのは、解体修理の後になるかもしれません。

稚児流鏑馬「三の的、的中~!」

おん祭の『東遊』を舞うのは子供たち(風流行列の『十列児』)ですが、『流鏑馬』も子供が行います。

これが昔からの伝統なのか、参道の都合なのかを知らないのですが、小学生くらいの男の子が、このような装束を身につけて馬上から矢を射てくれます。

勿論、ここの与太事で今まで紹介していたような『流鏑馬』とは違いまして、大人に付き添われて馬を進め、的の前で介添えの方から矢を手渡されて、馬も押さえてもらって弓を引きます。
それでも的は割れるし、矢は後方に飛んで行くと、的の左右に陣取っていた人たちには、少しだけ避けて頂いていました。

さぁ~、君らも十数年後には下賀茂神社で本格的に的中させてね~(*^。^*)

田楽花笠

今日は午前中には『グレート・ブッダ・シンポジウム』に行き、午後からは『NARASIA2010』というイベントの二日目み行って来ました。
後者、かなり濃厚で充実した内容なのですが、何か方向性が私にはピンと来ませんで、この辺はまた明日以降にでも……

そういう訳(?)で、おん祭の画像でも。
ここで二人のお兄さんが持っているのは、田楽座の方が被る『田楽花笠
一刀彫の人形は、謡曲の『高砂』でしょうかね?




馬長児
こちらは風流行列の『馬長児(ばちょうのちご)』、確か昔にはいなくて、十数年前に復活したのではなかったかな?

後には龍の飾りをつけた笠を被り、五色の短冊を着けた笹竹を持った従者が二人ずつ従っています。

さて、次は『お旅所祭』の画像でも上げましょうかね。
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
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