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隅寺の仏像の中から舎利が出て来た(ヤラセ)事件とか、道鏡禅師を法王にしちまったぜ~、なんてのは天平神護二年の事ですが、これだけじゃ話にならなくて、結局は宇佐八幡神の託宣を経て、女帝の崩御、法王失脚、新たな天皇の擁立、即位という流れになってしまうんですよね……(゜_゜>)
この辺、宝亀二年~三年あたりの話を書いた時に、前哨の事件として、藤原百川や山部親王にあ~でもない、こ~でもないとひねくり回させていたので、逆に書き難かったりします。
この辺りを全然別の視線から眺めた時、何か奇妙な事でも潜んでないかしらねぇ……ってのか、これを見つけるのが今回の下準備の最初なんですけどね。
日曜日に『平城京天平祭』を見てきたので、そいつの報告なんぞもしようかなと、カメラのメディアから出した画像を眺めておりましたが、相変わらずどこか間の抜けたような画像ばかり……
それでも、気が向いたら画像だけでも上げますかε-( ̄ヘ ̄)┌
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その御巫さんのリーダーが御巫長、昨日に行われました『いのちと心の講座』は、御巫長の杉浦翔子さんによる『御巫のお話』でした。
この画像の右が御巫長さんで、おん祭りや神楽始式の時に、一臈の装束を着けて舞っておられる方です。
神護景雲二(768)年、時の左大臣にして藤原氏の氏長の永手(北家・五十五歳)が、御笠山の麓に春日大社を創建したとされています。
この時に御巫さんがいたのか否かは不明で、その初見としては、延喜二十(920)年に藤原忠房の詠んだ歌に
“めづらしき けふのかすがのやをとめを 神もうれしと偲ばざらめや”
とみえまして、『春日の八乙女』が御巫さんの事だろうとされています。
そして若宮祭(おん祭り)の日は勿論、いろいろなシーンで登場して来ます。
その頃の御巫さんは、身分的にもかなり高かったようで、通勤に馬を使えるような人もいたとか。
室町時代には、若宮拝殿巫女は数十人もいたようで、毎日、御神楽の研鑽に励んでいたようです。
この頃には神主さんはあまり、一般の人の求めでは御祈祷はされずに、御巫さんが祈祷をし、神楽を舞って、託宣をしたという記録がかなりあるのだそうです。
他にも二人舞装束、御田植装束などもあります(二枚目の画像)
赤いタスキをかけた御田植装束の時は、腰に蛙籠と呼ばれる籠をさげています。
衣被(きぬかずき)を着けるのは、おん祭りのお渡り式で見る事が出来ます。
御巫長さんだけが着る事の出来る一人舞装束は、金糸の刺繍の入った豪華なもので、袴も他の人と比べると引きずるほどの長さになっています。
三枚目の画像の端の方で衣文にかかっている白い方の装束です……が、殆ど見えませんね(゜_゜)
こうしてレクチャーの最後に、実際の社殿神楽を二曲『珍しな』と『皇神』を舞っていただき、今回も滅多に聞けないような裏話も交えての講座を楽しんで参りました。
懲りないヤツと、自分で突っ込みながら、この日もホクホクと拝見しに参りました。
『射礼』と書いて『じゃらい』と読みます。
これは『大射(おおいくは・おおゆみ)』とも呼ばれ、本来は正月17日に天皇の前で、親王以下の初位以上の官人が弓を射たという宮廷行事です。
二十名程度の選抜された人たちが行ったようです。
“九月丙子朔、天皇射殿に御し、百寮及び海表の使者に詔して射しめ、物を賜ふこと各差あり”
と見えています。
その後は、大化三年正月、天武四年以降の正月、持統十年正月にも見えますが、日付は16日、17日、18日と、きっちりは定まっていないようですが、この頃には既に正月の行事として定着していたようです。
大宝元年正月18日 右大臣の喪中のために大射を中止、
霊亀元年正月17日 王宮の南門で行う、
神亀五年正月17日 大射と雅楽寮の楽を賜る
天平十二年正月17日 大極殿の南門で見る
天平十三年正月15日 大射を停む と、この程度しかありません。
延暦年間なんて、絶対にやってるはずと思ったのですが、毎年の事、今更、記録するほどもないと思われたのでしょうかねぇ(・・?
そして南北朝の頃には宮中での射礼は途絶え、後は専ら武家の儀式として重要視されるようになります。
武家の行事としては『吾妻鏡』によれば、文治五(1189)年正月2日に源頼朝が行ったところから始まるそうです。
『大的式』の詳しい内容はこちらにありました、御参照下さいσ(^◇^;)……(ーー;)おいっ!
この事は後ほど、記事を改めましてm(__)m
昼くらいには終わると思った私が甘かった……常より、この類が一時間程度で終わるはずもなし、しっかり二時間弱かかっていまして、昼過ぎに奈良を出ようと思ったのが、結局は13時半頃となり、ほうほうの体で橿原に戻る事となりましたσ(^◇^;)
実は13時から橿考研の博物館の土曜講座で友人が発表すると聞いていましたので、とにかくそれに間に合うようにと滑り込んだところ、ちょうど報告が始まるところでした(~_~;)
そしてその後、ホームセンターに行ってナタの新しいトイレ(シマコのよりも大きい!)を買って来ました。
今日は奈良市内、『バサラ祭り』も『平城京天平祭』もやってるってのにねぇ(゜_゜)
明日も午後から春日大社なので、気が向いたら平城宮跡には行ってみようかしら……などと思っていると、その日に限って夕立とか( ̄■ ̄;)!?
ここ最近の状況からしても、十二分にありえます||(-_-;)||||||
何せ、昨年は三日の内、二日はほぼ終日雨という状況でしたからねぇ。
さて、次の話、神護景雲年間の辺りを書きたいなぁと、漠然とした希望を立てております。
大納言にまで昇進した白壁王の悪党ぶりと、女帝の元で侍従としてこき使われている山部王の悪戦苦闘(?)になると思うのですが、果たして誰の目線で書こうかなぁ……(?(。_。).。o0O??
藤原雄田麻呂か、種継か、一層の事、永手とか?
この頃、開成王は既に東大寺を出て、唐律招提にいるはず。
とにかく、もう一度『続日本紀』あたりと格闘して、時代背景を頭に叩き込みませんといけませんわ(゜_゜>)
実慶の阿弥陀三尊像だなんて!!
実慶といったら『修禅寺』(伊豆市)の大日如来像の仏師だわ!!
……っちゅうか、他を知らないんだけど(*_*;
しかし、函南町桑原ってどの辺?
函南駅の近くで、月光天文台に行く途中って、充分に山の中じゃないの……
車でないと、結構、しんどいものがあるよ(・.・;)
あの辺りって、マリア観音像か何か残ってるお寺(?)がなかったっけ……などとうろ覚えで考えながらも、頭の中でスイッチが入りつつありますσ(^◇^;)
このような訳で、年末までに一度、大仁(伊豆の国市)に帰らなければならないので、その時にでも誰か
しかし、問題は猫……ナタがシマコと一緒に留守番してくれるかなぁ?
今は暑い季節だから、すぐに外に行ってしまうけれど、寒くなれば家の中にいてくれるから大丈夫とは、希望的観測なのか否か(゜_゜>)
ところで、前々回くらいに帰った時、三島駅北口の前に日本大学の国際学部のやけにファッショナブルなビルが建設中で、その中なのか隣の建物なのかに、大岡信氏(三島市出身の詩人です)記念館があるとかないとか……
母に、「大岡信って亡くなったとは聞いてないけど、何で記念館なんて出来たの?」と聞いたところ、
「さあ、あの人、出たがりだからじゃない」……ひどいねぇ、同郷の偉人を(ーー;)
ついでなのでチョイト調べてみたところ、『大岡信ことば館』というそうです。
Z会のビルの中か……友人がここに勤めているので、招待券、もらえないかなぁ( ̄▽ ̄)。o0○
しかし、万葉集展って、何展示してるんだ?『折々の歌』の原稿か??歌枕(歌碑かも)の写真パネルか???
展覧会アルバムとやらを見ると、妙にアーティスティックなというか、ニヒルな雰囲気なんだけれど。
どうせ行くなら、以前に帰った時にやってた現代アートの展示の方が良いなぁ
ともあれ、久々に帰ったら、韮山の方をほっつき歩きたいです。
江川邸や反射炉や資料館も十年以上、行っておりませんし。
本日の画像は、東大寺毘盧舎那仏の蓮華座の花弁です。
明日、朝から東大寺~!明後日は昼から春日大社~!!(←日中、忙しかった反動で意味もなくハイ)
何せ、白壁王の経歴というか、この話に至るまでのプロフィールが少々変更になってしまったので、その辺のツジツマあわせを忘れない内にしておいた方が良いでしょうから。
そちらの内容とは少々違う事で、とんでもない事にふと気づいてしまいました。
主要登場人物(なのかな、一応)が若干一名いない……(ーー;)
誰かと申しますと、藤原蔵下麻呂です。
この人の年齢を考えてみると、山部王の内舎人任官の時、やはり内舎人をしていてもまったく不思議じゃない……
出雲介になるとしたら、多分、次の年だと思うし。
藤原薩雄(ひろお)は出て来るのに、蔵下麻呂を忘れてるのって、かなりの問題なんじゃないの?(--〆)?
さて、どうしようかな……今からワザとらしく絡めようかな(゜.゜)
先週だったかその前だったか、件の大河ドラマを眺めていたら、最後のドラマ紀行で、韮山の『真珠院』が出て来ました。
確か3~4年前に帰った時、『願成就院』に行ったついでに、立ち寄ったはずです。
あの時にしこたま写した写真、外付けのハードディスクのどこかに入ってるはずなのですがσ(^◇^;)
真珠院よりも願成就院に久々に行きたいです。
三年前の『芸術新潮』の『運慶』を先日より眺めていて、何となく欲求が増殖中ですね。
至近距離どころかカブリツキで、運慶の毘沙門天像や不動明王像が見れるんですわ(^_^)v
やっぱり慶派は良いわ~
奈良博のパスポート更新したから、また『頼朝と重源』展、見に行きましょうっと。
この特別展、はっきり言って慶派三昧です(^。^)
その前に、京博の『大出雲展』にも行かねば……
そして、年末までに一度、田舎に帰らにゃ……ナタ、どうしよう、シマコと留守番できるかなぁ(゜-゜)
大江氏と言えば土師氏系なので、社家には何となく納まりは悪いですが、やっぱり大江広元の印象が強くて、勝手に思い込んでいたんでしょうε-( ̄ヘ ̄)┌
こんな事、関西で言ったところで
「知らんわ」と言われるのがオチですが、神奈川県内で言っても、同じような反応だと思います( ̄▽ ̄)。o0○
それでも奈良県民で、チョイト歴史に興味のある人は、春日大社の社家は中臣氏(大中臣氏もそうなのですが、この両者には、また差があるとやらで……)、大神神社ならば三輪氏、石上神宮ならば石上氏(物部氏)という程度は知っていると思います。
いつぞに父に、三嶋大社(三島市)の社家って何さん、と聞いたところ「矢田部だろ」と答えておりましたので、まあ、地元の一の宮の宮司家やら社家くらいは、年配者は知っているんでしょうかねぇ……
で、鶴岡八幡宮の社家はどちら様……大伴氏だそうで(゜_゜>)
鎌倉と伴氏って、どういう関係なんだ??
浅間神社の社家も大伴氏系なんだよね、伴大納言の関係なのかなぁ(・・?
調べりゃ、ルーツくらい出てくるんでしょうけど、またも横着して後回しにしているうめぞーでしたm(__)m
そして今日の意味なし画像は、氷室神社(奈良市)の池にいたウシガエルです。
夜行性のくせに真昼間から鳴いておりました。
……が、肝心の雨が来ない!!
本日も17時過ぎ、遠雷が響いているので四方の空を見渡せば、西の二上山の方向は既に驟雨でけぶり、葛城・金剛の上空は一面に黒い雲という有様。
こりゃ、もうすぐ降り出すかな~と待っていたなら、すぐ近くで稲光がして、二秒そこらで雷鳴と来ましたので、チョイト期待をしておりました。
……が、降らない?
西を見れば二上山は既に雨も上がって、くっきりと見えているじゃぁありませんか。
一度、大粒の雨がバラバラと降って来たものの、数分もせずに上がり、西の雲の間からは日の光が漏れて、更に日没の後にはやけに禍々しい色の夕焼けまで見えました(ーー;)
この降りそうで降らない状況って、湿気ばかりが上がって蒸し暑いの何の……(・。・;
幸いにして今夜は、20時過ぎくらいに振り出したので涼しくてすみましたが。
日中が猛暑日なので、夕立でも来てくれないと夜になっても暑くて困りますわε-( ̄ヘ ̄)┌
そういえば、この何週間か日没後の西の空に、火星と土星とスピカ(乙女座のα星)が、三角形になったり直線になったりして並んで見えています。
この何日かは雲が多くて見えないのですが、二週間前には△に並んでいてのが、今は▽になっているようです。
明日には見えるのかなぁ……
また診断メーカーとやらで遊んでおりました。
うめぞーの身長は45メートルです。 http://shindanmaker.com/263035
私ゃ、どっかの涅槃仏か??(゚_。)?(。_゚)??
コンバトラーVよりは小さいな(-_-)
まあ、こいつは俗にフンコロガシと呼んでいますが、いわゆるスカラベじゃないんですね。
確か、その類は日本には生息していないので。
雪隠黄金虫ってヤツです。
普通はセンチコガネというらしいです。
大抵は濃いメタリックブルーなのですが、時々、マジ?!と思うほど、鮮やかなブルーのヤツが這いずってたりするんですね。
いつぞやに白毫寺の石段にいたヤツなんぞ、今のは何?と引き返して見てしまったくらいです。
時々、メタリックグリーンもいたりします。
そういう訳で、青と碧が一緒にいたので、思わず記念写真……
次に書く話の片鱗も浮かばないので、つい、どうでも良い事をほざくうめぞーでした。
今まで書いた話の間を埋めるような展開にしたいんだが……これが巧く行かないε-( ̄ヘ ̄)┌
やっぱり、実際に体験してみないと、凄さは分かりません……
ここ何年かで、3Dプロジェクションマッピングという手法も、何となくメジャーになりつつあるようで、もしもお近くで公演の機会がありましたら、是非とも足をお運び下さい……と、つい、推薦したくなってしまう次第です。
特に最後は白虎だったと思うのですが、麒麟に見えなくも……(^_^;)
しかし、建物の輪郭や柱にピッタリと画像を当てはめるのは、いつ見ても見事ですね。
燈花会の頃から、博物館本館の西側に櫓を組んで機材を運び、いろいろ準備をしていましたから、かなり大変な作業なのでしょうねぇ(゜.゜)
確かに建物の壁面に絡みつくイメージは、とっても分かりやすくて効果的で、見た目にもインパクトが強くて奇麗です。
昨日は日中はとても暑かったのですが、日が翳ってからは少し肌寒いくらいで、とても心地よく鑑賞が出来て良かったです。
金曜日は夕立、昨日(土曜日)はチョッとぱらついたけどすぐやみまして、今日は果たして無事に上映が出来たのでしょうか。
この催しも余すところ後二日、天気に恵まれてくれれば良いのですけれどね。
今日は大阪府立近つ飛鳥博物館に行ったのですが、16時前に出ようとしたら土砂降り……
ところが竹之内峠を越えて奈良県側に来たら降ってない、道も濡れてない(・.・;)
ヒグラシがひたすらに鳴いていました。
昨日は春日の森でツクツク法師が鳴き始めていました。
いずれにしても、秋はそろそろかな。