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ホテイアオイは一日花ですが、こうも毎日咲き乱れているのですから、どれだけの株がどれだけの蕾を着けているのでしょう。
毎年、六月くらいになると休耕田に水を入れ、この水草を浮かべるのですが、約一月で水田に一杯に増えてくれます。
今年は開くのが遅くて、七月になってもチラホラしか咲いていなかったのが、九月に入って一面に広がりました。
実に旺盛な繁殖力ですが、残念ながら亜熱帯産なので日本の冬は越せません。
今年もこんな具合にとなりました。
それにしてもこの場所のネックは、借景がイマイチな事。
西を向けば畝傍山や葛城山系が見えるのですが、その前に住宅群と電線が……
東は香具山や宇陀の山が見えてもよさそうなものを……やはり家ばかり。
南は、北は……
どうして花のアップの写真が多いのか、お分かりでしょうかσ(^◇^;)
それでも上手に写す方は、とても綺麗な写真を撮られます。
私ははっきり申しまして、写真はド下手です 断(~_~)言
そうそう、劇団『時空』の本公演の写真も撮ってきたのですが、舞台は綺麗に写ってくれませんでした・゚・(ノД`;)・゚・
まあ、場所がイマイチなのもあったのですが……言σ(^◇^;)訳
後ほど、舞台以外のスナップでも上げさせて頂きます。
若菜さんも布弥さん(今回の主役二人)もすっごく綺麗……でも、撮ったヤツの腕が悪かったε-( ̄ヘ ̄)┌
ところで、明日の墓参どうしようかな。
まあ、朝起きてから決めるか( ̄▽ ̄)。o0○
何やら一段落ついて、パソコンの前に貼ってあったメモや案内状などを眺めたところ、隣の市の資料館で午後から講演会があるので、タイトルを眺めて、こんな内容でしょうと推測の本に出かけたのが、14時少し前でした。
さて、こいつがどうだったかと申しませば、おちゃらけたタイトルの示すがごとく……まぁ、すこぶる時間の無駄という内容でしたね。
講演者は一応、それらしい肩書きの方ですが、私はまったく知らない人だったので、前記のようにタイトルから内容を判断してしまったのが最初の間違いです。
もう少し具体的に言いますと、終末期古墳の話でもするのかと勝手に思ってしまった訳です。
ところが、こいつが俗に言う『なんちゃって説』の一種ですわ。
だから内容は省略します。
帰りに運転をしながら思った事……歴史史料の読み方に関して大風呂敷を広げる時に、小説という形式をとるのは結構便利で潔くない方法かもしれません。
何せ、小説です、絵空事です、戯言です、この言い訳が堂々といえますから。
ちなみに私がいつも言う戯けた事とは、自分なりのお楽しみとか、自己満足とかを多分に含む、私なりの思考パズルみたいな事です。
この御仁の出生の都合とか、こちらの御方の官位官職とか、かの御人の婚姻関係など、ストーリ-展開上で面白い、都合が良い、うまく立ち回れる、単なる勢い等々、歴史上の説として口角に泡飛ばして唱えるような気も毛頭ない事が極めて多いとも言えましょう。
不遜な事を申しますと、なんちゃって説を唱えられる先生方は、端から自分の説がもっとも正しいと信じているから、逆にフレキシブルに考えられないのかもしれません。
そうなると、見てきたような嘘八百を並べまくる、私のような物書きの方が、ある意味無責任でもタチは悪くないのかも知れません……などと、自己満足で締めくくってみたりして( ̄▽ ̄)。o0○
さ~て、そろそろ防寒対策をして石舞台公演に出かけなけりゃ。
橿原神宮から畝傍山に登って、下りて、イトクノモリ古墳から神武天皇陵と綏靖天皇陵に御参りしてきました。
この事はまた記事を改めましてm(__)m
いつもの墓参ツアーは、明後日か来週以降にでも行きましょうかね。
ところで明日香村では、本日から『彼岸花祭り』です。
夜には『光の回廊』が行われますので、夕食後に少しだけ見に行きました。
ここは駐車場もすぐ隣にあるというのに、毎年あまり人が来ません……(゜.゜)
私としては、結構、好きなエリアなのですが。
そういう訳で、ここに駐車しまして飛鳥寺までフラフラと歩いて行きました。
飛鳥寺は夜のイベントがありますと時々、御堂も御本尊もライトアップしてくれますので、そいつを期待してですね。
そして期待通りに、御堂の前を開けて御本尊を拝む事ができるようになっていました。
年末年始や潅仏会などの時にも、このような御姿を拝む事ができます。
もう少し足を伸ばして『伝・飛鳥板蓋宮跡』にも行こうと思ったのですが、出かけた時間が割合に遅かったのでかなり寒くて挫折しました……ってのか、実を申しますとこちらよりも、早めに行かねばならない所がありましたので(^_^;)
確か神戸の『ミューズクラスターカンパニー』という劇団の人たちが、ショートミュージカルを各所で演じてくれると聞いていましたので、その人たちだと思われます。
しばらく眺めていたのですが、寒いの何の……
写真も何枚か撮らせて頂いたものの、とにかくこの場所は暗い、ストロボを焚いてもかなり荒れた画像になってしまいまして惨敗状況・゚・(ノД`;)・゚・
では、この画像は何かって……石舞台公園にある『風舞台』で行われていた、劇団『時空』の総合リハーサルです。
私がボチボチとたどり着いた時には、そろそろフィナーレというところ、出演者全員が舞台に登場してくれました。
今年の主役の若菜さん、滅茶苦茶に綺麗です!
クールビューティーで背も高いので、割合に男性の役が多かったのですが、初めてのヒロイン役だとか。
ポスターの写真も素敵でしたが、明日は期待して見に行かないといけませんわ(^^♪
一応、差し入れなんぞを渡しに行ったのですが、質、量的にいささか心許ない状況でしたので、明日もまた何か持っていった方が良いかな、多分、質より量になるかもσ(^◇^;)
それにしても、石舞台公園は更に寒いです。
明日お出掛けになる方は、是非とも防寒対策が必要と思われます……冬物のストールでも持って行こうかな。
かくしてすっかり凍えたので、光の回廊、他の場所は見に行かず仕舞い……明日は本公演だから、当然行く暇はないわね((+_+))
開山は天文七(1538)年、地元に勢力を張っていた当麻氏によると記録にあるそうです。
本来は今の場所よりも北東に、かなり広大な伽藍を構えていたようですが、江戸時代以降に現在の場所に移転し、今では本堂一棟のこじんまりとした、真言系の寺院となっています。
こちらの本尊が、この丈六の弥勒如来坐像で、寺よりもはるかに古く、11世紀の初頭の作ではないかとされています。
本来がどこの寺の本尊だったのかの記録は無く、これだけの見事な像がこうして現在まで引き継がれ守られ続けたのは、地元の人々の信仰心の賜物といえましょう。
桜と思しき広葉樹の一木造、江戸時代に修復を受けているそうで、金箔も貼りなおされ、螺髪も鮮やかな青紫に塗られているので、かなりインパクトの強い仏様です。
外れた白毫は木製で膝元に置かれていましたが、10年位前に見に来た方の話では、水晶らしき白毫が額にあったとの事……その方の記憶違いでなかったら、さて、どういう事かε-( ̄ヘ ̄)┌
ともあれ、弥勒如来像は昨年の三月に奈良県の重要文化財として指定を受け、このたび、県と市の補助を受けて本堂の修復もする運びとなったため、本尊には一旦、お移りを願う事と相成りました。
引越し先は奈良国立博物館の仏像館です。
10月4日からの公開になるそうで、本堂の修理の終わる二年後に帰って来る予定だそうです。
機会のある方は、常設展示ですから是非とも拝観に行って下さいm(__)m
私が見ていたのは、梱包作業から……
文化財関連の美術梱包といえば、日本通運です。
和紙や晒で仏像全体を包み込んだ後、木枠で囲みまして、数人がかりで運び出します。
ところがお寺は環濠集落の中にあるので、周辺の道が狭く、路地のような処を入って行かなければなりません。
搬出の時も途中までは人が持ち上げて、表の通りでようやく台車に乗せて、更にトレーラーが駐車出来るだけの広い道まで、慎重に運んで行きました。
このたび、奈良県が中国の西安市の博物館で埴輪の展覧会を行う事になりまして、県内の市町村にも協力を仰いで、形象埴輪の優品を出品してもらいます。
そういう訳で、大和高田市からは池田遺跡出土の楯持人埴輪と靫を背負った武人埴輪が出かける事となりました。
こちらも搬送は日本通運の美術梱包の方々です。
眺めておりましても、実に鮮やかと申しますか、手際良く、ごく普通に使うようなクッション材を駆使して、綺麗に梱包してくれました。
やっぱりプロの仕事は違うなぁ(・_・;)
来月の始めに上海経由、陸路で西安市まで向かうという事でした。
こちらはチョッと遠すぎて、簡単に見に行く事は出来ませんねσ(^◇^;)
ところでどうでも良い話……
明日はようやく晴れそうなので、久々に墓参にでも行こうかなぁ~( ̄▽ ̄)。o0○
と言っても、いつもの御陵巡りですけどね、家の墓参りはチョイト遠すぎる( -」)φ
その内、御朱印帳でも買って来て、朱印ならぬ御陵印を畝傍管区事務所にもらいに行こうかと、何とな~く考えております。
まぁ、春日宮天皇陵や崇道天皇陵の印はないと思いますけどね?(゚_。)?(。_゚)?
気が向いたら、田原西陵や東陵に出かけても良かったのですが、午後から雨と聞いていたので遠出はやめておきました。
ところでこの画像のケーキは、先週に行った時に食べたチーズケーキですね。
今日はガトーショコラ、その内、気が向いたら画像を追加します。
カフェなどに行くと、特に若い女性が注文したメニューの写真をデジカメに収めていますが、私も時々これをやってしまいます( ̄▽ ̄)。o0○
おかげで行きつけの御店のメニューの写真はあるのに、肝心の店内や外観などの写真が無かったりしますσ(^◇^;)
こちらで『明日香村 食のガイドBOOK』という冊子を頂いたのですが、ここ何年かで村内にもずいぶんと食事の出来る場所が増えたものです。
編集をした方の感想では、「明日香はランチ銀座ですね」との事、本当に冊子を眺めているだけで同感致します。
この冊子の画像も、いずれ載せますわ……デジカメのデータをパソコンに出すのが面倒なので、明日以降にでもまとめて行います。
ここ10年くらいで、奈良市の奈良町やその周辺にかなり店も増えて、観光客も若い女性を中心に大勢訪れてくれるようになったのですが、県の中部辺りで活気があるのは、かろうじて明日香村なのかもしれません。
奈良町に並ぶ橿原市の今井町はと……少しずつ食事処や観光施設も増えつつあるようですが、やはりどこか敷居の高さが否めないとは、同じ橿原市民の感想だったりもします。
高取町の土佐街道沿いの古い町並みでも、三月になると商店や一般の御宅にも協力を頂いて『町屋の雛巡り』というイベントを毎年行っています。
この時季には町内もかなり賑わうのですが、普段はというと……壺阪山などには年間を通じて、観光客も多く来るのかな?
桜井市は、葛城市は、御所市は、五条市は、大和高田市は……いずれもマニアには人気のスポットもあるんですがねぇε-( ̄ヘ ̄)┌
ところで今週末の三連休は、明日香村の『彼岸花祭り』、24日の夕方からは劇団『時空』の本公演も、石舞台公園でありますし、23.24日は『飛鳥光の回廊』も併せて行われます。
この頃には台風も通り過ぎて良い天気になってくれないかなぁ……ここ最近は、色々なイベントが雨に悩まされてますから、是非とも秋晴れを( -」)φ
そのような訳で現在作業中の建物は、このように単管で周囲に足場を組まれて素屋根を被せられ、シートで覆われています。
今月の初めから10月20日まで、着到殿の檜皮葺替え作業の様子が、平日にのみ公開されています。
こいつに昨日の午前中、参加して参りました……が、内部の様子は写真は御遠慮下さいとの事で、画像は御座いませんm(__)m
着到殿の屋根の葺替えは45年ぶりだそうで、檜皮はもちろん、下の地板や垂木にもダメージが及んでいて、いささか大掛かりな修理になったとか。
年月のたった屋根がどうなるかと言うと、次の画像のように、草や木が好き勝手に生えて来て、軒先が曲がって来て、終には落ちてしまいます。
この厚さが軒の一番端では20cm以上になっていますし、全体も1cm刻みで皮をずらし、9cmの厚さで葺いて行くだけではなく、全体のバランスも度々チェックしながら行うそうなので、実に時間と根気と熟練の必要な仕事かと驚かされます。
実は、屋根の葺き方としては檜皮葺が一番、高価で贅沢な方法なのだそうです。
それにしても、屋根の高さの足場に上って、どの部分を見せて頂いても惚れ惚れするようなカーブです。
檜皮葺の古い記録では、滋賀県の崇福寺(天智天皇の勅願寺、現在はありません)の金堂や塔として既に見えるようで、今も格式の高い神社の本殿などに用いられています。
最近では御所市の高鴨神社の神殿も、修復が完了して綺麗になっています。
こちらも奥の院にぬける池沿いの山林で、檜皮を採取した跡を何年かに渡って見る事が出来ました。
真っ直ぐな幹の木の皮を縦に、2~30cm幅で剥いていましたので、一本の木から採れる量も知れています。
この檜皮の確保が、ここ最近ではかなり難しいのだそうです。
かつての寺社は領地として山林を保有していて、この山で檜皮も用意する事が可能だったと聞いていますが、今ではこれが出来る寺社は本当に限られているでしょう。
春日大社ともなれば、春日山は昔から御神域で今では世界遺産、この山の檜からの採取はしていなかったでしょうから、各地にあった荘園から寄進されていた物と思われます。
そして現在では、一般からも広く寄付を募っているという状況となります。
特別講座は昼には終わったので、この後、荷茶屋で昼餉の御粥を食べて、奈良町の春鹿の酒造祭りを少しだけ覘いて(飲んでおりません、残念ながら)、行きつけのカフェで時間つぶしをした後、東大寺に行って参りました。
鶴岡八幡宮からも吉田宮司や神職方々、崇敬者の方々も多く参列され、八乙女の『浦安の舞』も奉納されました……不謹慎ながら、三嶋大社の舞姫たちよりも上手です、たぶん練習の密度が違うのだと思う(゜.゜)
大祭が終わったばかりで御疲れでしょうに、本当にありがたい事ですm(__)m
この日も大仏殿の窓が開けられました。
それにしても東大寺の北河原管長にしても、春日大社の花山院宮司にしても、御若い(東大寺では70歳未満は若いのだそうです)だけあって、色々な事に積極的に着手して下さり、友の会の半端な会員としてもますます敬服致す限りですm(__)m……などと、下心付きで頭を下げるから、不信心だと自他共に認める事になるのかσ(^◇^;)
興福寺の北円堂と言えば、藤原朝臣不比等の一周忌に元明太上天皇が建立を命じたとされていまして、そのの後に二度ほど焼けています。
二度目が平重衡による南都焼討ちでして、現在の北円堂そのものは、承元四(1210)年の再建とされ、興福寺に現存する建物の内でも最も古い物です。
今回の調査対象の回廊は、最初の火事の後には再建されたと記録にあるのですが、二度目の時にはどうなのかが不明なのだそうで、範囲確認などと同時にこちらの確認も兼ねているとの事です。
しかし、如何せん残りがこのような状況、現時点ではまだ不明で、この後に遺物の取り上げ、遺構の状況などから検討する事になるのでしょう。
上の画像は南門の遺構なのですが、御覧のように基壇すら残っていない程、見事に削平されています。
それでもかろうじて、コーナー部分に地覆石(じふくいし)の抜取り跡が検出されたため、門の基壇の大きさは判明しました。
西面回廊も全体を検出していますが、かろうじて残る地覆石や抜取り穴、雨落溝(今現在は殆どが瓦溜りに埋もれています)で、長さや幅が確認できた状態です。
更には礎石の据付穴の跡もほぼ検出できたので、規模や構造(単式回廊です)も推測が出来ます。
こちらの画像は北門跡ですが、南門に比べればかなり残りが良い方でしょうか。
地覆石の列と羽目石も一段目が残っています。
ところが北側はと見れば、見事に後世に削られて残っていません。。
現地形は、そこから北は窪地になっていて、更に北にはホテルが建てられ、登り大路が走っています。
今まで、興福寺伽藍の置かれた立地を全く考えた事が無かったのに、今更ながら気づいたのですが、この北円堂は伽藍内の北西に建てられていますが、伽藍復元図の上で見ると、更に北側も伽藍の内部となっています。
現在の状況では、ここに別の建物があったかは既に分かりません。
本来、伽藍は東から突き出した舌状の尾根の上に乗っていて、その西の先端部に北円堂や南円堂が建てられています。
南円堂の南西に鎌倉時代に建てられた三重塔がありますが、ここに行くには三条通から登って来る階段の途中から左手に入って行く事になります。
つまり南円堂の南は急激に落ち込んだ崖で、その途中のテラス部に三重塔が建っている事になります。
北円堂もこれと同様、回廊の部分までは整地して高さを合わせていても、その北側は窪地として低い位置に建物が建っていた可能性もあるのでしょう。
しかし、今回の調査では、そのような痕跡は確認できていないようです。
ところで来月の三連休、鹿苑では恒例の鹿の角切りが行われるそうです。
そのような訳で、奈良公園内の牡鹿の中には、既に角を切られてサッパリ(?)しているものも何頭か見受けられました。
こちらの二頭の牡鹿は、東大寺境内の吉城川の橋のところにおりました。
川原に下りているヤツは、この後、大興奮しながら泥浴びをしておりました……こういうヤツから角を切られるんだろうなぁ(ーー;)
二度目が平重衡による南都焼討ちでして、現在の北円堂そのものは、承元四(1210)年の再建とされ、興福寺に現存する建物の内でも最も古い物です。
しかし、如何せん残りがこのような状況、現時点ではまだ不明で、この後に遺物の取り上げ、遺構の状況などから検討する事になるのでしょう。
上の画像は南門の遺構なのですが、御覧のように基壇すら残っていない程、見事に削平されています。
それでもかろうじて、コーナー部分に地覆石(じふくいし)の抜取り跡が検出されたため、門の基壇の大きさは判明しました。
西面回廊も全体を検出していますが、かろうじて残る地覆石や抜取り穴、雨落溝(今現在は殆どが瓦溜りに埋もれています)で、長さや幅が確認できた状態です。
更には礎石の据付穴の跡もほぼ検出できたので、規模や構造(単式回廊です)も推測が出来ます。
地覆石の列と羽目石も一段目が残っています。
ところが北側はと見れば、見事に後世に削られて残っていません。。
現地形は、そこから北は窪地になっていて、更に北にはホテルが建てられ、登り大路が走っています。
今まで、興福寺伽藍の置かれた立地を全く考えた事が無かったのに、今更ながら気づいたのですが、この北円堂は伽藍内の北西に建てられていますが、伽藍復元図の上で見ると、更に北側も伽藍の内部となっています。
現在の状況では、ここに別の建物があったかは既に分かりません。
本来、伽藍は東から突き出した舌状の尾根の上に乗っていて、その西の先端部に北円堂や南円堂が建てられています。
つまり南円堂の南は急激に落ち込んだ崖で、その途中のテラス部に三重塔が建っている事になります。
北円堂もこれと同様、回廊の部分までは整地して高さを合わせていても、その北側は窪地として低い位置に建物が建っていた可能性もあるのでしょう。
しかし、今回の調査では、そのような痕跡は確認できていないようです。
ところで来月の三連休、鹿苑では恒例の鹿の角切りが行われるそうです。
そのような訳で、奈良公園内の牡鹿の中には、既に角を切られてサッパリ(?)しているものも何頭か見受けられました。
こちらの二頭の牡鹿は、東大寺境内の吉城川の橋のところにおりました。
川原に下りているヤツは、この後、大興奮しながら泥浴びをしておりました……こういうヤツから角を切られるんだろうなぁ(ーー;)
この南米産の水草は、とても繁殖力が旺盛で、どの田んぼも株でギッシリ……
時々、他の所有者の方が間引きをしているようです。
ところで、職場の近所の小学校の池にもホテイアオイが浮いているのですが、これが思いの他、増えないように見えます。
この植物、ランナーのように茎を伸ばして株が分かれるのですが、この池の物はやけに細かい株になっているように見えるんですね。
時々眺めているのですが、根元で常に金魚が何かを突付いています。
もしかして、ホテイアオイ自体を食べているの?
今日も葉の根元のフロートになっている部分が、半分かじられている物が浮かんでましたし……
金魚って肉食かと思っていたけれど、雑食なのかもしれませんね。
鯉は確かに雑食みたいだし。
本薬師寺の花は、外来種のタニシにやられて、蕾の付きが悪いと聞いていますが……
こちらの神社には、大雑把な数字で申しますと、釣燈籠が千基で石燈籠が二千基あるそうです。
そういう訳で、有名人の奉納した燈籠も沢山あります。
この画像の石燈籠も、多分、その一つに入るのかもしれません。
少し前に気がついて、先日に写真を撮ってきた物ですが、こいつがどこにあるのかと申しますと『壷神社』の前です。
竿の上部に『壷神社』と書かれているのが分かるでしょうか?
『壷神社』もしくは『壷神神社』というのだそうですが、場所は『万葉植物園』入り口のすぐ横で、チョッと大き目の赤い社ですから分かりやすいと思います。
燈籠が変な形に見えるのは、火袋の部分が無いためです。
このチョッと可愛そうな状況の奉納者がどなたなのかと申しますと、それは次の部分的アップの写真を参考に。
さて、この方はどなたでしょう?
名前の横に書かれている住所(?)は奈良元林院町、でしょうかね。
現在のもちいどのアーケードの辺りです。
もちいどのアーケードを南に向かって行き、二番目くらいの路地を左に入って少し行きますと、『遊 中川』の本店があり、涼しげに洗練された店内は観光客でにぎわっています。
奈良晒は江戸時代から将軍家や大名家のご用達、今では皇室にも献上するだけの良品として、長い歴史を持っているそうです。
こちらの本来の会社名は『株式会社中川政七商店』、三百年の歴史のあるお店だそうです。
現在の社長さんはとても行動力と自由な発想のある方だそうで、商品をブランド化して店舗を大阪や京都どころか東京の表参道にまで出したのだとか。
とか何とか申しまして、私はこのお店の前はしょっちゅう通るのですが、店内には一回も入った事がありませんσ(^◇^;)
だって普段使いにするには、手の出ないような商品が多いんだもの。
そういう訳でこの石燈籠、こちらの何代か前のご店主が奉納した物でしょうか。
ところで『壷神社』ってどなたを祀っているのでしょう?
壷と言うからには酒の神様なのかと思うのですが、もしもこの中川政七さんが晒問屋のご主人だとしたら、どうして酒の神様に燈籠を奉納したのでしょうか??
もしかして『壷』は酒壷ではなくて染物、藍瓶の事とか???
『壷神社』をチョッと調べてみたのですが、全然分からなくて……
