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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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大衆入道薬師寺の『最勝会』は、宮中で行われた『御斎会』、興福寺の『維摩会』と共に『南京三会』と呼ばれ、天長七(830)年より行われているという事です。

金光明最勝王経』という経典を講師が講義し、内容についてを論議すると共に、諸々の安穏や繁栄を祈るという法要なのですが……これが私のような凡夫というか無知な者には、ほぼ理解が出来ませなんだ(-_-;)

勅使役の三條西堯水氏経典の講義をする訳ですから、法要は講堂で行われます。
ところが薬師寺の講堂は享禄元(1528)年に兵火で焼失し、最勝会もそれ以来、行われなくなってしまったそうです。
この大講堂が再建されたのは平成15年、盛大な落慶法要が行われたのも記憶に新しいところです。
そして数百年ぶりに『最勝会』も復興されたという訳です。

勅使役入堂この法要には、宮廷から勅使が派遣されたそうです。
仏事での勅使の役目は香華供養だそうで(神事ならば奉幣祭文)、勅使役には香道の宗家や家元が選ばれるとのこと、この度の勅使役は『御家流香道二十三代宗家』の三條西堯水氏でした。
香道に関しては全くの不勉強で、御家流の事も三條西家の事も全然知りませんでした……(~_~;)

ライトアップされた東塔と金堂衆僧や勅使役の入堂までは、参列者も大講堂の前で控えています。
そして堂内に入ったら法要が始まりますので、写真撮影は一切禁止です。
二時間の法要と聞いていましたが、それ程長くは感じませんでした。
それにしても、勅使役が僧侶らに香を配る(手香炉に香を入れて行く)という供養をする訳ですから、堂内はこの香りで満たされます。
お陰で昨日の埃まみれに続いて、今日は抹香の香りまみれで帰る羽目になりました(^^ゞ

そうそう、法要の終了後、東塔の初層の内部に入れて頂きました。
興福寺(鎌倉時代の再建)や東寺(幕末の再建)、四天王寺(昭和の再建)の塔、修理中の室生寺の塔の中には入った事がありますが、こちらに一般の人が入れるのは、かなりまれな事のようです……想像していたよりも、かなり広かった(・_・;)
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夕暮れ時の柏原御陵下鴨神社からの帰り、京阪から近鉄に乗り換えるために『丹波橋』で下車しました。
切符を買っているところで、急行が出てしまいまして……チョイト散歩にでも行きますかと駅を出て、向かった先は性懲りもなくこちらです。

いずこも同じ宮内庁指定の御陵です。
かくしてここは、桓武天皇の柏原御陵
昨年の二月以来ですから、かなり来ておりませんでした。
本当なら、ちょうど一年前に訪問していても良かったんですよね。
あの時に拾った奴は、ここの近所に来たかったのだと、今更ながらに思っているので。

人がいないのを良い事に……(ーー;)それにしても相変わらず、墓参という態度ではありませんね(・_・;)
既に夕方だというのに、しきりに鶯が時の声で囀っていました。
嘴太烏も何羽か飛び交っていましたけど、どちらかと言えばここは、鶯よりも烏の方が似合うような気がするのはどうして(?_?)

ところで帰りに参道を歩いておりますと、右手の方の木立だけが妙にざわつくんですよ。
それなのに、周辺の梢は殆ど音を立てていないから、少しばかり気になりますわ。
まぁ、寺社やこういう場所では珍しい事ではないので、何やら分からないまま、立ち止まって眺めておりますと、北東(北北東かな?)の山裾の方に、梢がやたらになびいているのですが、さて、あの方向って何があるんでしょう??
どうも、このあたりとは変な相性があるような?????
公家装束の射手
家に帰って来て、何とも体中が埃っぽくて、さっさと風呂に入ってしまいました。
本日出かけたのは、京都市左京区の賀茂御祖神社、つまり下鴨神社です。
糺の森がこれ程に埃っぽいのは珍しいです。
何せ今日は『葵祭』の前儀となる『流鏑馬神事』の日、あれだけの馬が走り回るのですから、埃もたたない訳がない(^。^)

昨年にもこの神事には行きましたので、流鏑馬の多少とも詳しい説明は、こちらの記事を参照して下さい。

的中!さて、どうでも良い事なのですが、私は上賀茂神社とは良く分からないのですが、下鴨神社とは結構、相性が良いらしいです。
何が良いのかって……そいつも何やら分からないのですがσ(^◇^;)
昨年の今日、某所で拾って来た正体不明を引き取ってもらったのも、多分、こちらの糺の森ですしね。
その変な記事は、セカンドページの方にあります。

武家装束での射手ところで気のせいか、今日は的中率がイマイチだったような……
まぁ、神事ですので当たれば良し、当たらずともそれも良し……賀茂の神様に馬を御覧に入れるのが目的なのだそうですから。
でもやはり、的中してくれないと観客一同も盛り上がりませんね(^^)

神事が終了した後、関係者各位が神前にお参りに行くのに着いて行きましたが、射手の方々も役員の方々も、それぞれの装束を身に着けていますと、男前度が数段アップしますねぇ(・_・)
公家装束のお兄さん方なんぞ、若い女性に囲まれて、一緒に記念撮影しておりましたよ。
きのう、うめぞーと意味したかったみたい。
だけど、天満橋みたいな使用されたみたい…

*このエントリは、ブログペットの「てむじん」が書きました。

昨日に就任された別当さんです。東大寺では毎年、五月二日に聖武天皇祭が行われています。
聖武天皇が亡くなったのは天平勝宝八(756)年の五月二日、旧暦の事ですから六月の半ばくらいでしょうか。

午前中は天皇殿にての法要があるそうで、それが終わる頃を見計らって、東大寺に着くように出かけました。
ところが終わる時間を若干間違えていまして、到着した11時過ぎには、まだ献花や献茶が終わった程度で、そこから約三十分、法要の様子を人垣の後ろで眺めていました……と言うほど、参列者が多かった訳ではないのですけれどね(^^)
この日は午前中くらいは天皇殿も開けているようですが、建物の中に入ることは出来ずに外から御参りするに留まっています。
聖武天皇の坐像も一番奥に安置されているので、ほぼシルエットにしか見えません。
まぁ良いか、先月の『菩提僧正1250年遠忌』の時に御会いしましたから(^_^.)

伽藍から退出する衆僧午後からの法要は大仏殿で行われます。
そのため、大仏様の正面は参列者席が設けられていて、一般の拝観者は入れないようになっていました。
そこに連休の人出も加わって、金堂(大仏殿)内は自由に動けない状況です。
こうなれば金堂での法要はあきらめまして、早々に退去した後、鏡池前の席に陣取る事と致しました。

鏡池の上には特設の舞台が設けられていて、13時から南都楽所による舞楽の奉納が行われます。
その頃に新公会堂を御練の行列が出発するので、しばらく待っていればこの場所を通ってくれると言う訳です。
今年の画像は全て、伽藍の外から写しています。

参道を帰って行く衆僧それにしても我ながら笑えるのが、御練の行列にはお稚児さんや壷装束の女性たち、ミス奈良まで参加しているというのに、写したのは御僧侶と僧兵に扮したお兄さんらばっかし……(ーー;)
そういう訳で、一番上の画像は輿に乗って伽藍に向かう別当さんです。
第220世別当は北河原公敬師、つい昨日に就任されたばかりだそうです。

法要参加者らが伽藍内に入られますと、舞台の上では再び舞楽が始まります。
そして走舞まで全て終わって暫くしますと、法要を終えた方々が退出されます。
回廊南門の基壇の上から、参道を戻って行く赤い笠の列を見送るのは、いつもながらに壮観です。
そして十五時からは御能がありますので、そのまましつこく陣取っていました。
こちらの報告は、また項を改めまして(ー_ー)

ところで今日、10時頃に電車で平城宮跡を通ったのですが、これでもかの混雑振り……
既に西大寺駅がごった返していて、シャトルバスに乗る人も長蛇の列を作っていました。
連休中に友人が遊びに来る予定が無くなったので、予定の空く四日にでも行って『クーカルイタリアンイン奈良』で美味しい物でも食べてこようなんて考えが甘かった(--〆)
やっぱり平日に雨が降ったら、休暇とって行くべきだわ(・_・;)
明日は下鴨神社の流鏑馬に行くとして、さて、四日はどうしましょうかね……

帰りは帰りで、十八時過ぎに駅に行ったら、これまたごった返し(~_~;)
そこから夕食がてらに『カフェたまき』に行きまして、激辛チキンカレーにプディング、コーヒーのいつものメニューで、看板の二十一時くらいまで、お店にいらした観光客の方々と駄弁っておりました。
そうして帰って来たのは二十二時、さっさと寝ろって(ーー゛)

奉納された氷柱奈良市の氷室神社と言えば、奈良でも一番最初に咲くとも言われている大きな枝垂桜で有名ですが、昔々にはこの辺りに氷室があったとされています。
そういう訳で全国の製氷業者が参列する『献氷祭』が、毎年五月一日に行われています。
今年は土曜日に当たりましたので、私も初めて行ってみました。
しかし祭りは午前中から始まっていまして、私は十四時から奉納される舞楽を目当てに出かける事と致しました。

振鉾(えんぶ)『南都楽所』は今でこそ春日大社に所属していますが、本来はこちらの氷室神社の神職の方も携わっていたのだそうです。
この辺りの歴史に関しては、全くの不勉強でして、殆ど知りません(-_-;)
現在では『南都晃耀会』が結成されて、こちらの神社のみならず諸所の寺社にて舞楽などの法要を行われているそうです。
そういえば薬師寺の花会式の舞楽奉納も、こちらの楽所が行っていたように記憶しています。

賀殿(かてん)南都楽所や天王寺楽所でも同様ですが、ここ最近では女性の活躍が目覚ましくて、こちらでも舞人を勤められていました。
若くて綺麗な女性が、とても切れ良く舞ってくれる姿は凛々しくて素敵です!

この舞は『賀殿
左方平舞のうちでも、軽快で見ごたえのある舞ですので、どちらの楽所でも良く演目に上がっています。

登天楽(とうてんらく)さて、こちらの右方の蛮絵装束(ばんえしょうぞく)は黄色ですね……
登天楽』です。
やはり四人で舞われる平舞ですが、何と、三臈はこの画像を御覧頂ければ分かりますでしょうか、小学生くらいの男の子でした。
いつもなら『胡蝶』あたりの一臈を勤めているのかもしれませんねぇ(^。^)頼もしいねぇ!!
高校生になる頃には、走舞を舞っているかも?!




抜頭-童舞二人舞更に面白かったのが『抜頭』です。
本来は厳しいというかヒステリックな表情の真っ赤な面をつけて、髪を振り乱して一人で舞われる走舞ですが、この度は女性二人が童舞の装束で奉仕して下さいました。
面をつけずに髪に花をかざして舞う稚児の姿は、絵巻などでは度々見かけますが、実際の舞を見たのは初めてです。

納曽利(なそり)最後は『納曽利』
落蹲(らくそん)ではなくて納曽利です(^^ゞ
しつこく申しますと、南都楽所では一人舞は納曽利、二人舞が落蹲です。

先月の二十二日の四天王寺聖霊会が土砂降りだったので、そリベンジみたいにあちらこちらに行きまくっております。
明日は『聖武天皇祭』、そして五日は『子供の日舞楽演奏会』にも行ってやろうかしらと、密かならず大っぴらに騒いでおります。
こうなったら三日の下鴨神社の流鏑馬も行ったろうかね……勝手に(--〆)行ったら?
まぁ、寝坊したら久米寺の練供養という手もあるけどね……そういえば多宝塔の公開もしてたっけねぇ。

拝殿越しに本殿を見る。今年も橿原神宮では四月二十九日の昭和の日に奉賛祭が行われていました。
相変わらず行事関係に不勉強なうめぞーには、式次第がちゃんと分かっておりませんで、とりあえず十一時に始まるという事で、家を十時半に出て(十五分もあれば本殿前に着きます)、賽銭箱の前に陣取っておりました。
その間、来賓の方々が回廊内に三々五々入って行かれました。

定刻を若干過ぎた辺りで浄衣姿の神職の方々のご入場があり、御祭が始まるのですが……招待者ではないので式次第が分からない(/_;)

途中で抜刀して舞います。この日は明け方まで土砂降り、斎庭の玉砂利も濡れているのが良く分かります。
これでも久米舞(くめまい)は行われるのかしらと、宮司が祝詞の奏上をしたり、神職が供物を捧げたりしているのを遠目に見ながら考えておりました。
恐らく私の周囲でカメラを構えて待っている人達の殆どは、久米舞が目的で来られているのだと思います。
とやかくしている内に、正面石敷きの脇に置かれた長机と椅子に奏者の神職が着座して、回廊の右手後方(本殿より見て)より、四人の舞人が登場します。

一昨年の奉賛祭や新嘗祭の時の記事にも書いていると思いますが、本拍子和琴竜笛篳篥歌方三名を加えた七名の奏者が曲を奏でます。
武官装束です。
そして途中で抜刀をして和琴の演奏のみで舞われる箇所が出てきます。
舞楽の走舞の途中でも、演奏なしの無音で舞が行われることがあり、これを『さえずり』と呼ぶのだそうですが、琴軋(ことさき)による和音に続く爪弾きの音を聞いていますと、『さえずり』とはもしかして、本当の無音ではなくて弦の音のみが微かにあるべきものなのかしらと、根拠不明に思えてきてしまうのですが……
雅楽では管弦には琴も琵琶も入りますが、舞楽には使用しないので無音になるのだとか?(・_・;)?い~かげんな事言ってますが。
ただし久米舞は明治になってから復興されたそうで、楽器の編成などから考えても御神楽や東遊びなどを参考にしているのだと思うので、そちらと比較する方が賢明なのかもしれません。
いずれにしても、私は音楽的素養が全然無い奴なので、四の五の言っても説得力は全く無いのですが……(-_-;)

神主舞以前にこちらかサブページかどちらかに、春日大社の和舞(やまとまい)は、三月十三日の『春日祭』と十二月十七日の『春日若宮おん祭』でのみ舞われると書いてしまったと思うのですが、実は何年か前から昭和の日にも奉納されているのだそうです。

そういう訳でして、今日は午後から春日大社に出かけてきました。
ちなみに午前中は橿原神宮に行きまして、『奉賛祭』で久米舞を拝見しておりました。
こちらはまた、項目を改めまして。

実は春日大社さんの方で、特別な講座(有料ですが)がありまして、そちらでレクチャーを頂いた後に、本殿の林檎の庭での奉納を直会殿(なおらいでん)の特別席にて観賞させて頂きました。

東遊の駿河舞……というやつですね。この日は和舞に続いて東遊(あずまあそび)も行われました。
例年は若宮社の方で行うようです。
この舞も『おん祭』には欠かせないものとなっていて、他の行事で舞われる事は滅多に無いようです。
東遊が稚児によって行われるのは春日大社のみだそうで、宮内庁や他の神社では大人の男性が舞人になっています。
東遊とは、元々は東国の風俗舞が寺社の楽所や宮中に取り入れられた舞なのだそうで、古くは平安時代の初めの貞観三(861)年に、東大寺での奉納の記録が見られるとか。
この時の舞人は近衛府の武官なので、当然ながら大人です。

諸司舞レクチャーによりますと、和舞には二人で行われる『神主舞』が四曲と、四人ないし六人で行われる『諸司舞』が八曲あるそうです。
春日大社と宮中に伝わっていたそうなのですが、応仁の乱以降に宮中では行われなくなり、1748年、桃園天皇即位の折に復興されたとの事です。
ところが当の春日大社でも寛正年間(1460~66年)に奉納が途絶えてしまい、唯一、冨田家にて伝えられていたとの事です。
こちらでの奉納の再開は、元治元(1864)年の古儀復興のおりに『春日祭』で行われたものだそうです。

採物には榊の枝と桧扇があります。今年は16時から本殿での奉納があり、18時くらいから若宮社で再び『和舞』の奉納がありました。
舞に先立って、本殿と若宮社での神事が行われますので、その関係で多少、時間が前後する事もあるのだと神職さんが言っておられました(^。^)

どちらでの奉納も神主舞が一曲に諸司舞が二曲ですが、曲目は異なっています。
頂いた目録に歌の詞が載っていたので、何とか聞き取れるのですが、これが無ければ何を言っているのか殆ど分かりません(-_-;)
そういえば以前に聞いた神楽歌も全然、聞き取れませんでしたわ……慣れているせいか、まだ謡曲の方が聴き易い(~_~;)

国風舞(くにふりのうたまい)は舞楽とは、曲も装束もかなり違った趣きです。
いつぞに御神楽(みかぐら)を見てショックを受けて以来、こちらに妙に傾倒しているうめぞーでしたm(__)m
では、次は橿原神宮の久米舞でも……
近鉄奈良駅にて
本日、橿原と奈良にて「国風舞」三昧。
そういう訳で午後から奈良市に行って来ました。
そしてこの画像は、近鉄奈良駅のカフェで飲んで来た「せんとくんカプチーノ」
先日の竜馬と同様、ココアパウダーを型抜きして描いているそうです。

取り敢えずのご報告。
メインイベントは、また、項目を改めましてm(__)m
うめぞーの「熊凝山 額案寺」のまねしてかいてみるね

今月一杯、またの作でない場合は?鎌倉の仏様ですが管理をされましたと思っておらず、住職さんも残らず、そうですねぇ…推古天皇が建立しておりました御本尊だとか…

*このエントリは、ブログペットの「てむじん」が書きました。
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
明日は歴史作家!

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