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何の話かって、ハリウッド映画ですわね。
クリント・イーストウッドとトミー・リー・ジョーンズが出演してたσ(^◇^;)
風邪がぶり返しぎみで、やっぱり梅酒のお湯割りが効くわ……と言いつつも、まだ飲んでいないうめぞーです。
昨日からまた変なストーリー展開を考え始めまして……これがまた男女のからみだったりするから、空を見上げれば、西の空には月の船。
何を考えておりますかと申しますと、即位した後のうちのスメラミコトと、それを見事に袖にした姪っ子のヤケボックリに何とやらみたいな内容です。
私の設定する彼女は、とにかくツワモノです。
武官であるはずの同母弟もかないません……いや、こいつは意外と弱いんだが(ーー;)
母親と叔父も、この姉弟みたいな強弱関係なんですけどね。
後宮をハーレム化したものの、惚れた相手は実は一人しかいない、それも既に故人みたいな事になっているところで、どうしてこの姪っ子がクローズアップして来るんでしょう。
この辺、自分でもかなり曖昧だわε-( ̄ヘ ̄)┌
何か考えていると、きな臭い、生臭い、辛気臭いの三本柱になりそうな話だわネェ……
遷都、宗教改革、東北経営、ぢゃなひのかね?????
まったく、かつての主人公が年を取ると、必ず話の展開が前途多難になるわ(--〆)
伝香寺は奈良市にあります。
近鉄奈良駅からは歩いて五分もかからない所ですから、かなり行き易いのですが、観光スポットとしてはやや地味でしょうか。
先の記事では『散り椿』の紹介をしましたので、今度はこちらの仏像を紹介致しますm(__)m
伝承では奈良時代に鑑真和上の弟子の思託律師が創建したといっているそうですが、それらしい証拠の史料も無いそうです。
むしろこちらは筒井順慶の菩提寺として有名で、戦国時代にその母親によって再興されたそうです。
お堂はその時の物で、重要文化財に指定されています。
こちらのご本尊は地蔵尊かと思いきや、実は背後に座っておられる釈迦如来で、光背の銘文によれば、椿井仏師の宗貞が酉年(1585年)に造ったそうで、太閤秀吉の方広寺の大仏の試みとも言われているとの事をボランティアガイドの方から伺いました。
有名な『裸地蔵尊』は客仏で、明治の廃仏毀釈の折にこちらに来られたそうです。
納入品があるそうで、それによれば安貞二(1228)年、つまりは鎌倉時代に発願された地蔵菩薩です。
本来は春日四所明神の本地仏、興福寺延寿院の本尊だった事が分かっています。
願文が三通収められていて、その内の二通は比丘尼によるもの、つまりは女性によって発願されています。
そう思いながら見ていると、尊顔がまだ若い女性にも、年端も行かない少年のようにも見えてきます。
上代や中世には、十代で出家する人も多かったようです。
幼い内に落飾する決意とは、いったいどのような理由によるものだったのか、この尊顔を拝していると考えずにはおられません。
例年は3月12日と7月23日、年に二回の開帳しかしないそうですが、今年は特別に、3月10日から4月4日まで公開をしているそうです。
そして7月23日の地蔵会には、新しい衣に着替えられるのが恒例だそうです。
さて、良く晴れた日曜日は、お松明の最終日なので奈良市内におりました。
『伝香寺』では『裸地蔵尊』の公開中で、散り椿も見頃になりつつあるというので、近鉄奈良駅からそのまま向かってみました。
ここは筒井順慶の菩提寺として有名ですが、創建は奈良時代とも言われています。
裸地蔵も本来はこちらにおられた訳ではなく、藤原氏関係の尼寺から明治時代にお出でになったのだとか。
散り椿はもう少ししてからの方が、満開感があるかもしれませんね。
花弁で一面がピンクになるのは、桜が咲く頃でしょうか。
この神社は『大神神社』の摂社だそうで、6月に行われる『ゆり祭』が有名ですが、実は私、一度も行った事がありません。
今年も平日ですから、多分、行けないだろうなぁ……
梅はどこも、そろそろ散り始め、早い木は既に花が終わっています。
開山堂は十二月に一日だけしか公開しないので、この花も実質は非公開です。
そういう訳で、隣の四月堂の基壇の上に乗って、塀越しにデジタルズームで写した画像です。
カメラの性能の限界、全然綺麗に見えませんねぇ(;_;)
しかし今回は、白毫寺町まで足を延ばす余裕がありませんでしたので、代わりに我が家で咲いている『黒侘介』などを。
姫侘介(ピンク)や胡蝶侘介(白に赤の斑入り)は割合に早咲きの印象がありますが、この花は割りとゆっくりと開花してくれます。
今年もたくさんの蕾が着いてます。
根元には既に、種から発芽したらしい10本近い苗木が出ています。
今年こそは、花が終わった後にこの若木を植え替えてやらねばσ(^◇^;)
などという質問を同僚にしてみたところ、
「そのシチュエーションって、かなり王道やねぇ」と言われてしまいました。
それこそこの前見た映画の『沈まぬ太陽』ではないけれど、組合の同士として会社の姿勢に立ち向かっていた二人の男が、気が付けば片方は邪魔者扱いで左遷まがいの海外勤務、もう片方はいつの間にか会社の経営陣の一角を担うようになる。
確かに良く見るドラマの展開ですね。
私が今考えているのは、一人はボスの片腕、もう一人はボスの弟、この二人は最初はかなり気が合います。
弟の方が実の兄よりも、その片腕を慕うような関係でおりました。
まぁ、実はかなり良く似た人種なのでしょう。
それゆえに相手の考えが分かるというか……相手に自分とよく似た欠点まで見つけてしまうというか、似すぎているから諍いを起こすようになるのだと思います。
そして何かのきっかけで破局。
ここから相手を葬らねば、自らが滅ばされる関係に陥って行き、挙句は共倒れ。
このような成り行きを考えております。
ところがこの二人の物語はあくまでサブストーリーでして、本来の主人公は彼らよりももっと若い男女です。
私が男女の物語を書くなんて、人工衛星が降ってきたらどうするつもりだ!、とでも言われそうですが、この二人恋仲という訳でもありません。
だって女性の方はボスの弟の奥さんだよ。
まぁ、多分、男性の方は彼女に子供の頃からの恋心くらい持っているのかもしれませんが、立場が違いますから、実るような思いでもありません。
かくして、この二人の周囲でいつものような権謀術数が展開するのですが……
何でこんな話を書こうとしているんだ、私ゃε-( ̄ヘ ̄)┌
昨日はサーバーが調子が悪かったみたいで、時間を置いて記事を見てみたら、二重投稿になっていたりして……(ーー;)
それはさておき、今年の東大寺修二会も明日で終了となります。
そして今晩で練行衆が二月堂に籠もるのも最後という訳で、お松明も最終日となります。
本日のお松明は、いつもよりも30分早い時間の18時30分から、10本が一斉に欄干に並ぶ『尻つけのお松明』です。
観光案内所で伺ったところ、早い人はもう陣取っているはずですよ、この言葉を聴いたのは15時半くらいでしたか(・_・;)
そこから大仏殿経由で法華堂(三月堂)に行き、観音堂(二月堂)下に陣取ったのは16時半くらい。
座り込んでもらった観光パンフレットなどを眺めていて、ふと周囲を見回せば、周囲には人また人の目白押し……これがまだ17時前(~_~;)
そのうちに人が多くなってきたので、お座りの方はお立ち下さいとのアナウンスが流れ、そこから一時間以上、突っ立って、隣り合わせた観光客の方たちと話をしながら待っておりました。
ふと振り向けば、三昧堂(四月堂)から開山堂前の広場は、押すなの人だかり……この分じゃ、南東側の駐車場が第二見学地に開放されたんじゃないでしょうか。
そして上の画像が、今回のお松明の一部……場所が近すぎて、全体が見渡せないσ(^◇^;)
火の粉はそれ程、飛んでこないけれど、灰がすごかったです。
ずっと動画で撮影していたので、これは携帯で撮った画像です。もしも来年に行く機会があったら、もう少し離れた場所で見る事としましょうっと。
眠いし、今日のところはあきらめますか。
しかし、京博の展示を見ていて、本当に私はこの辺りに不勉強なのが良く分かりました。
オーストリア・ハンガリー帝国の最後の皇帝って、フランツ・ヨーゼフ1世だとばかり思ってたり……
この人の皇太子は自殺でしたっけ……誰かの未亡人と?????
王妃エリザベートって、バイエルン王国から嫁いで来た人?????
見るからにハプスブルク家の人たちとは顔が違う……
そういう意味では、一族の肖像画ってのは面白いですね。
さて、明日にはまともに、画像が上がってくれますか否か。
こちらのセカンドページというか、旧ブログ、久々に表示しません。
ついに消えたかな?←別に期待している訳ではないのですが(ーー;)
消えるなら潔く消えてくれても、一向に構わないかなσ(^◇^;)
うちのスメラミコトの趣味(?)の一つに鷹狩があるんですね。
鷹狩の具体的な方法というのを私はかなり不勉強で、話の中でこの狩のシーンを書いた事は一度もありません。
それはともあれ、鷹狩の対象の獲物は小動物です。
それこそ、鳥類とかげっ歯類とか……げっ歯類って、つまりウサギとかですね。
しかし、うちの連中が、こんな獲物で満足してるのかしら……?
かつて書いていて放り出している話の中では、白髪皇子なんざ、弓を使うなど序の口、平気で槍は振り回す、鉾はなぎ払う、挙句の果ては大刀小刀で獲物の止めも自ら刺す……さすがは六世紀生まれ(五世紀ではないのが、こちらの話の特徴です(ーー;))
多分、山部王や手嶋王も、山背の祖父(山部の母方の祖父です)の元にいた頃は、こういう事を教わっているはずなんですよね。
何せうちの倭史氏は、全然、文人系じゃありません。
五衛府全てに一族がいるというくらいの、武人氏族だったりしますから。
このような曽祖父、祖父、大叔父、伯父、叔父、従兄弟らに囲まれて、いったい何歳くらいの時から一緒に狩に行って、どの程度の事を教わっていたのでしょう。
う~ん、十歳を多少越えた頃には、自ら獲物の止めをさすくらいはしていたかも……
先日、奈良国立博物館で特別陳列『お水取り』を見てまいりました。
この陳列、毎年恒例になっていまして、実のところ不謹慎にも、昨年とどこが変わったのかしらと毎年思って見ております。
今年は『東大寺要録』が出ておりまして、ちょうど開いて展示されていたページが『東大寺権別当実忠二十九箇条』の部分でした。
これがまた、漢文ですから私では全然読めませんわ……(/_;)
最初の行に「是以親王禅師教垂……」の文字がありましたので、実忠和上が東大寺の政所を仕切るようになった後も、親王に同意を求めた云々の、有名な内容が書かれているのだと思うのですが。
これから書こうという話には、それ程、東大寺が全面に出て来る訳でもないのですが、相変わらずキーポイントの一つである事は変わりません。
ついでにしつこく言いますと、坊主の名前が本当に分からない……上記の親王禅師の法名をでっち上げにゃなぁと、以前から思っているのですが、良い候補名が出て来ないんですよね……
もっとも今回書く話では、この御仁は八つかそこら、出て来る可能性はほぼありません。
何よりも、まだ出家していないもの(・_・;)
何でチョイト気を抜くと、この御仁の名前がフゥッと出てくるのやらε-( ̄ヘ ̄)┌
むしろ今回必要なのは、開成親王ですわね。
この人の出家前のキャラクターをもう少し詰め直しませんと。
そういう訳で、これからは当分、開成王&山部王の話で進んでゆくのかなぁ。
それはそれで、かなり楽しいかもσ(^◇^;)
