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- 2011.12.26 明日、投函
- 2011.12.24 カンヅメもまた楽し…(メ・ん・)?
- 2011.11.29 何の出来レースよ?
- 2011.11.26 何をさせよう、陰陽頭に
- 2011.10.25 陰陽頭が二人……(゜.゜)
- 2011.10.24 眠いのは体調不調かも
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この馬酔木の花は、八日に行った浄瑠璃寺の門前に咲いていた物です。
この前の日曜日に見た限り、奈良公園ではまだ咲いておりませんので、かなり早咲きの木のようです。
ともあれ馬酔木とも浄瑠璃寺とも関係なく、ここ何日か眺めている『日本後紀』の記事の事。
この史料も講談社学術文庫から、全現代語訳のテキストが出ておりますので、私のようなド素人でも目にする事が出来ます。
『日本後紀』は40巻中30巻が散逸しているそうで、この部分を『日本紀略』などの記述を引用して補ってくれているので、大まかな時代の流れをつかむ事は可能です。
さて、この散逸した部分の延暦12年8月21日に、なんとも奇妙な記事が見えます。
内舎人と帯刀舎人(たちはきのとねり)の二人が、同僚らしき男を殺害して指名手配をかけられた揚句に、私刑とも思える方法で処刑されたという内容ですが、この後に殺人を行った二人は皇太子の密命を受けていたと噂された云々……
この時の皇太子は安殿親王、後に平城天皇となる人です。
この人のキャラクターを考える上で、この後の大同二年に起こる伊予親王の謀反事件(明らかに冤罪とあちこちに書かれている……)、弘仁元年の藤原薬子の変、それ以前に桓武天皇崩御の後、遺勅に反して御陵の場所を変更している件など、かなりのマイナス要因を見る事が出来るような気がします。
このように考えていると、殺人の密命を舎人に下したという噂も、あながちない事ではないだろうと思えて来るものだったりします……(゜.゜)
それにしても安殿親王と藤原緒嗣とはどういう関係なんだろう?目下の疑問です。
まずはこの二人、同じ年に生まれています。
皇太子即位の当初はかなり意気投合して、政策に乗り出しているように見えるのですが、大同三年にいきなり緒嗣が陸奥出羽按察使に任命され、再三にごねた後、多賀城に下っています。
この人も父親同様、幾つもの職を兼務していますが、期待のかけられ方は別物のような気がします。
まあ、記録を馬鹿正直に眺めておりますと、この後に後宮の並み居る内侍を押しのけて、かの藤原薬子が三位をもらって台頭するという構図は見えてまいりますが……
この女性も、最近の小説などでは決して悪女という描かれ方をされていないようで、どういう訳か平城天皇(太上天皇)とは純愛???のようなケースも見られたりします。
……チョイト、賛同は致しかねますが、多分一番の悪人が彼女でない事は分かるような気が致します。
それよりも、主人公どうしよう……まだ決まってない・゚・(ノД`;)・゚・
この前の日曜日に見た限り、奈良公園ではまだ咲いておりませんので、かなり早咲きの木のようです。
ともあれ馬酔木とも浄瑠璃寺とも関係なく、ここ何日か眺めている『日本後紀』の記事の事。
この史料も講談社学術文庫から、全現代語訳のテキストが出ておりますので、私のようなド素人でも目にする事が出来ます。
『日本後紀』は40巻中30巻が散逸しているそうで、この部分を『日本紀略』などの記述を引用して補ってくれているので、大まかな時代の流れをつかむ事は可能です。
さて、この散逸した部分の延暦12年8月21日に、なんとも奇妙な記事が見えます。
内舎人と帯刀舎人(たちはきのとねり)の二人が、同僚らしき男を殺害して指名手配をかけられた揚句に、私刑とも思える方法で処刑されたという内容ですが、この後に殺人を行った二人は皇太子の密命を受けていたと噂された云々……
この時の皇太子は安殿親王、後に平城天皇となる人です。
この人のキャラクターを考える上で、この後の大同二年に起こる伊予親王の謀反事件(明らかに冤罪とあちこちに書かれている……)、弘仁元年の藤原薬子の変、それ以前に桓武天皇崩御の後、遺勅に反して御陵の場所を変更している件など、かなりのマイナス要因を見る事が出来るような気がします。
このように考えていると、殺人の密命を舎人に下したという噂も、あながちない事ではないだろうと思えて来るものだったりします……(゜.゜)
それにしても安殿親王と藤原緒嗣とはどういう関係なんだろう?目下の疑問です。
まずはこの二人、同じ年に生まれています。
皇太子即位の当初はかなり意気投合して、政策に乗り出しているように見えるのですが、大同三年にいきなり緒嗣が陸奥出羽按察使に任命され、再三にごねた後、多賀城に下っています。
この人も父親同様、幾つもの職を兼務していますが、期待のかけられ方は別物のような気がします。
まあ、記録を馬鹿正直に眺めておりますと、この後に後宮の並み居る内侍を押しのけて、かの藤原薬子が三位をもらって台頭するという構図は見えてまいりますが……
この女性も、最近の小説などでは決して悪女という描かれ方をされていないようで、どういう訳か平城天皇(太上天皇)とは純愛???のようなケースも見られたりします。
……チョイト、賛同は致しかねますが、多分一番の悪人が彼女でない事は分かるような気が致します。
それよりも、主人公どうしよう……まだ決まってない・゚・(ノД`;)・゚・
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本日、東大寺の金鐘会館にて森本長老の『大仏開眼会を考える』という講話を聴いて参りました。
ここで痛烈に思ったのが、『東大寺要録』のテキストが欲しい!
文書の類に滅法弱い私がいつも参考にしているのは、岩波書店の新日本古典文学大系の『続日本紀』ですが、確かに奈良時代の歴史を云々しようというのなら、『続日本紀』ほどあてになる史料はない訳です。
ところが史料が必ずしも完璧とは限らない訳でして、特にこの正史、編纂を命じた天皇の時代までが記録されているので、この天皇(約二名様)の都合の悪い事は極力却下されたと考えられます……ってな事は、再三再四、ここでもどこでもボヤキまくってますがε-( ̄ヘ ̄)┌
そこで不備を補う史料というのが必要となってまいります。
文書の勉強などした事のない身なので、私がこれらに当たる時はまさに行き当たりばったり……
何せその辺の市立図書館などでは取り扱っていないような類ばかり探す羽目になりまして、結構途中で投げ出したりなどします。
まぁ、論文書いて提出しようという訳ではないので、それでもごまかす事は十二分に可能なのですがσ(^◇^;)
今日の講演でも、天平勝宝四年の東大寺大仏開眼会の様子は、『東大寺要録』に詳しく記されているという事で、正倉院の宝物なども併せて多々紹介されていましたが、この辺り、かなりのウェイトで初めて聞いた類ばかりです。
ここに登場する、開眼会に関わる五位や四位の高官の名前、いずれもお馴染みの面々です。
こういう類を見せ付けられると、どれだけ知識不足なのかと、つくづく思い知らされる次第です(-_-;)
ところで講演会の後、東大寺ミュージアムを少し眺めておりましたが、文書の類が先日と少し入れ替わっておりまして、ここに延暦二十四年の勅書が展示されていました。
未だに図録を買っていないので、具体的な内容を覚えていないのですが、東大寺を始めとした七大寺に、太上天皇の供養のための法要を命じているものです。
この漢字ばかりの文書の何が気に掛かったのかと申しますと、太上天皇の存在です。
延暦年間ですから桓武天皇の時代、ここで太上天皇というと、父親の光仁天皇の事かと思われるのですが、この勅の五年前の延暦十九年、故早良親王に崇道天皇が追号されています。
ここでいう太上天皇は、皇太弟だった早良親王という事になります。
この親王が十一歳で出家して東大寺に入ったのは、ほぼ定説とされていますので、御陵が障りを為しているのなら、この寺に供養を命じるのはほぼ適切なのでしょう。
と申しましても、この時にはまだ親王の御陵は淡路にあるはずなので、それは淡路守の管轄なのでしょうが。
そういえば確かこの頃、まだ実忠和尚は存命のはず、案外、この老僧あたりが中心となって法要を行ったのかもしれないなどと、勝手な妄想をしておりました。
次に予定をしている話は、これよりも更に数年の後、大同年間から弘仁年間の始めなのですが、とにかく人物と時間経過を頭に入れるだけで、まだ思考回路は飽和状態です(゜_゜)
マジ、主人公は誰になるんだ?
一瞬、大伴親王を書きたいなと思ったのですが、そうなると話の内容が変わってくるしなぁ……
狂言回しは藤原吉野か?????
今日の意味無し画像は、昔々にもらったアロマバーナーとかいうヤツ。
先日、本棚の後ろの方から出て来たので、ダイソーで買って来たアロマオイルを炙ってみたのですが、ラベンダーなのに石鹸臭いのは(?_?)
ここで痛烈に思ったのが、『東大寺要録』のテキストが欲しい!
文書の類に滅法弱い私がいつも参考にしているのは、岩波書店の新日本古典文学大系の『続日本紀』ですが、確かに奈良時代の歴史を云々しようというのなら、『続日本紀』ほどあてになる史料はない訳です。
ところが史料が必ずしも完璧とは限らない訳でして、特にこの正史、編纂を命じた天皇の時代までが記録されているので、この天皇(約二名様)の都合の悪い事は極力却下されたと考えられます……ってな事は、再三再四、ここでもどこでもボヤキまくってますがε-( ̄ヘ ̄)┌
そこで不備を補う史料というのが必要となってまいります。
文書の勉強などした事のない身なので、私がこれらに当たる時はまさに行き当たりばったり……
何せその辺の市立図書館などでは取り扱っていないような類ばかり探す羽目になりまして、結構途中で投げ出したりなどします。
まぁ、論文書いて提出しようという訳ではないので、それでもごまかす事は十二分に可能なのですがσ(^◇^;)
今日の講演でも、天平勝宝四年の東大寺大仏開眼会の様子は、『東大寺要録』に詳しく記されているという事で、正倉院の宝物なども併せて多々紹介されていましたが、この辺り、かなりのウェイトで初めて聞いた類ばかりです。
ここに登場する、開眼会に関わる五位や四位の高官の名前、いずれもお馴染みの面々です。
こういう類を見せ付けられると、どれだけ知識不足なのかと、つくづく思い知らされる次第です(-_-;)
ところで講演会の後、東大寺ミュージアムを少し眺めておりましたが、文書の類が先日と少し入れ替わっておりまして、ここに延暦二十四年の勅書が展示されていました。
未だに図録を買っていないので、具体的な内容を覚えていないのですが、東大寺を始めとした七大寺に、太上天皇の供養のための法要を命じているものです。
この漢字ばかりの文書の何が気に掛かったのかと申しますと、太上天皇の存在です。
延暦年間ですから桓武天皇の時代、ここで太上天皇というと、父親の光仁天皇の事かと思われるのですが、この勅の五年前の延暦十九年、故早良親王に崇道天皇が追号されています。
ここでいう太上天皇は、皇太弟だった早良親王という事になります。
この親王が十一歳で出家して東大寺に入ったのは、ほぼ定説とされていますので、御陵が障りを為しているのなら、この寺に供養を命じるのはほぼ適切なのでしょう。
と申しましても、この時にはまだ親王の御陵は淡路にあるはずなので、それは淡路守の管轄なのでしょうが。
そういえば確かこの頃、まだ実忠和尚は存命のはず、案外、この老僧あたりが中心となって法要を行ったのかもしれないなどと、勝手な妄想をしておりました。
次に予定をしている話は、これよりも更に数年の後、大同年間から弘仁年間の始めなのですが、とにかく人物と時間経過を頭に入れるだけで、まだ思考回路は飽和状態です(゜_゜)
マジ、主人公は誰になるんだ?
一瞬、大伴親王を書きたいなと思ったのですが、そうなると話の内容が変わってくるしなぁ……
狂言回しは藤原吉野か?????
今日の意味無し画像は、昔々にもらったアロマバーナーとかいうヤツ。
先日、本棚の後ろの方から出て来たので、ダイソーで買って来たアロマオイルを炙ってみたのですが、ラベンダーなのに石鹸臭いのは(?_?)
昨年末に原稿を出してしまって、既に二週間以上が経っておりますが、まだ次に何を書くかが具体的に決まっておりません・゚・(ノД`;)・゚・
いえ、大まかにはどのくらいの時代の、どのような事件の経緯を書くかは見当をつけているのですが、実は主人公が決まらないんですわ((+_+))
時代は大同年間、話の中軸となってくる登場人物は、私には珍しい事に架空の女性です……とは申しましても、歴史上には登場しないけれど、ポジションとしてはかなり具体的な立場にいる人でして、考えようによっては時の天皇すらも頭の上がらないような人です。
ただし彼女は主人公ではありません。
いつものように野郎の一人称語りで進めるとしますと、主人公というよりも狂言回しとなる人物が必要となる訳で、これを誰にすべきかで迷っております。
何せ最初に候補としてあげていた人物が、一番肝心な時に、二人そろって都にいないのですから、話にもなりやしませんわε-( ̄ヘ ̄)┌
一人は大宰府、別の一人は多賀城……まったく、この時の藤原式家内はどうなってるんだ(ーー;)?
南家はまだ、伊予親王の事件を引きずって青息吐息だし、北家の三位トリオ(内麻呂、葛野麻呂、園人)では胡散臭過ぎるし……と言っても、式家の二人も共に参議だしねぇ(-_-)
このパターンって、南家と式家を引き摺り下ろす誰かの陰謀か?
それにしても、どの人をとっても四十過ぎのオジサンばっかり……
「俺はまだ、三十代だ!」と多賀城で騒いでいるのがいるかもしれませんけど。
うるさいと多賀城どころか胆沢城まで飛ばされるわよ……( -」)φ
いっその事、もうチョッと若いヤツでも持って来ようかね、北家の冬嗣とか……かくして、またワンパターンだわ、末は大悪党の好青年時代σ(^◇^;)
あ、でも冬嗣って、平城天皇とあまり年変わらないんだっけ?
そうすると式家の緒嗣とも同世代か??
この調子で果たして、もう一人のキーパーソンの春原五百枝は出てくるのか?
まあ、今考えているパターンだと、一番の悪党は間違いなく神野親王だろうなぁ……(-_-;)
志貴親王以来、四代続けての悪党面は、童顔女顔……(?_?)
いえ、大まかにはどのくらいの時代の、どのような事件の経緯を書くかは見当をつけているのですが、実は主人公が決まらないんですわ((+_+))
時代は大同年間、話の中軸となってくる登場人物は、私には珍しい事に架空の女性です……とは申しましても、歴史上には登場しないけれど、ポジションとしてはかなり具体的な立場にいる人でして、考えようによっては時の天皇すらも頭の上がらないような人です。
ただし彼女は主人公ではありません。
いつものように野郎の一人称語りで進めるとしますと、主人公というよりも狂言回しとなる人物が必要となる訳で、これを誰にすべきかで迷っております。
何せ最初に候補としてあげていた人物が、一番肝心な時に、二人そろって都にいないのですから、話にもなりやしませんわε-( ̄ヘ ̄)┌
一人は大宰府、別の一人は多賀城……まったく、この時の藤原式家内はどうなってるんだ(ーー;)?
南家はまだ、伊予親王の事件を引きずって青息吐息だし、北家の三位トリオ(内麻呂、葛野麻呂、園人)では胡散臭過ぎるし……と言っても、式家の二人も共に参議だしねぇ(-_-)
このパターンって、南家と式家を引き摺り下ろす誰かの陰謀か?
それにしても、どの人をとっても四十過ぎのオジサンばっかり……
「俺はまだ、三十代だ!」と多賀城で騒いでいるのがいるかもしれませんけど。
うるさいと多賀城どころか胆沢城まで飛ばされるわよ……( -」)φ
いっその事、もうチョッと若いヤツでも持って来ようかね、北家の冬嗣とか……かくして、またワンパターンだわ、末は大悪党の好青年時代σ(^◇^;)
あ、でも冬嗣って、平城天皇とあまり年変わらないんだっけ?
そうすると式家の緒嗣とも同世代か??
この調子で果たして、もう一人のキーパーソンの春原五百枝は出てくるのか?
まあ、今考えているパターンだと、一番の悪党は間違いなく神野親王だろうなぁ……(-_-;)
志貴親王以来、四代続けての悪党面は、童顔女顔……(?_?)
焦らないとどうなるのかと言いますと、先月末と同じような状況になるのでしょう(゜.゜)
そのような訳で、さっさと次の話の準備をしたいのですが、今考えているのは、またも次の世代の話です。
今までの主要登場人物はほぼ全員が故人、そういう訳で次の主人公を選ばなければならないのですが、第一候補がまだ干されている状況の時代の話ですから、選定のやり直し(゜_゜)
別の候補は約二名、これがどちらもイメージどころかプロフィールさえ掌握していない状況ですから、まずは史料をさらうところから始めなければ……この状況は久々ですわ(-_-)
しかしだ、次に読み込まにゃならん史料は『日本後紀』、舞台となる場所が既に平城京じゃない……つまり、地理が分からない(*_*;
現在考えている方向で行くと、話の中心となるのは、かなり年の離れた姉と弟になるのかな?
まぁ、とにかく、史料あさりから始めないとε-( ̄ヘ ̄)┌
そのような訳で、さっさと次の話の準備をしたいのですが、今考えているのは、またも次の世代の話です。
今までの主要登場人物はほぼ全員が故人、そういう訳で次の主人公を選ばなければならないのですが、第一候補がまだ干されている状況の時代の話ですから、選定のやり直し(゜_゜)
別の候補は約二名、これがどちらもイメージどころかプロフィールさえ掌握していない状況ですから、まずは史料をさらうところから始めなければ……この状況は久々ですわ(-_-)
しかしだ、次に読み込まにゃならん史料は『日本後紀』、舞台となる場所が既に平城京じゃない……つまり、地理が分からない(*_*;
現在考えている方向で行くと、話の中心となるのは、かなり年の離れた姉と弟になるのかな?
まぁ、とにかく、史料あさりから始めないとε-( ̄ヘ ̄)┌
プリントアウトも終わったので、明日の朝に投函すればお仕舞いm(__)m
そういう訳で、明日から次の話の準備に入らねば……
しかしこれが問題です。
まったく新たに書こうか、それとも以前の作品を書き直そうか(゜-゜)
まあ、書き直しをしたところで、かなり違う話になる事も多いので、どちらも作業量はあまり変わらないのですけれどね。
そういう訳で、明日から次の話の準備に入らねば……
しかしこれが問題です。
まったく新たに書こうか、それとも以前の作品を書き直そうか(゜-゜)
まあ、書き直しをしたところで、かなり違う話になる事も多いので、どちらも作業量はあまり変わらないのですけれどね。
このところのサボりまくりは、ネットやら私生活の一部に限った事でして、実のところ私は多忙です。
そりゃ年末は誰でも多忙さと、世間は宣う事と存じますが。
ちなみにネットをサボる原因には、とにかくメインで使っているノートパソコンの調子が悪い……慢性的なメモリー不足とは分かっちゃいるんだが……ので、ネットに繋ぐたびに往年のWindows98のようにフリーズしてくれるのに辟易としているためもあります。
そのような訳で、ただいまはモバイルで打っておりますが、やっぱりキーボードのサイズが小さいので打ちにくいですね……これでイラついてんじゃ、タブレット端末なんぞ、果たして使えるものなのやら。
まあ私が多忙だと騒ぐ一つの要因には、締切というやつがありまして、この度もこいつです。
このところは締切を自分で切るような状況のため、どうしても様々な事に甘くなっていけません。
それでも、今回の締切はこの月曜日、ただいま正念場というところです。
それにしても、昨日も完全なカンヅメ状態で書いておりましたが、家の中が大型冷蔵庫化しておりまして、とにかく寒い……電気機器の冷蔵庫を開けても冷気がほぼ感じられないって何なの(#゚Д゚)
……にしても、これに入ってるIME、矢鱈に顔文字変換してくれるわねぇ(゜_゜>)
確か、kingsoftのワードだったな、本体に格安オプション(1000円だったかな?)で付けてもらった。
『春日若宮おん祭』の続きを書くとか言いながら、全然しておりませんので、画像だけでも適当に上げております。
先日に職場の人と、神社の巫女さんってアルバイトの人も多いのかしらという話をしておりました。
大きな御祭とか初詣などの時には、お守りやおみくじの授与で、アルバイトも雇うかもしれないけれど、普段に春日大社や大神神社で見かけるような巫女さんは、神社の職員でしょう、これが多数意見。
確かにおん祭で社伝神楽を奉納してくれる『ミカンコさん』は本職です。
四人でも六人でも、手の上げ下げから体制を変えるタイミングまで、しっかり揃っていました。
秋に東大寺で奉納された、鶴岡八幡宮の『浦安舞』の八乙女も同様。
小さな神社などで巫女さんの『浦安舞』などの奉納を見る事もたまにありますが、一人ならともかく、二人、四人となって行くと……写真を撮ってみると、全員が違うポースをとっていたりして(・_・;)
こういう場合は、臨時の巫女さんなのだと思います。
三日ぶりくらいにブログのページにもつなげたので、久々の書き込みですが、何をどうでも良い事を我ながら書いている次第です。
では、もう少ししたら、PC持ち込み可能で居座り歓迎のカフェにでも出かけて、最後の足掻きをしてくる事と致します<m(__)m>
カテゴリーが一応、執筆中の戯言なので、それらしい事でも。
宝亀三年、三月と五月に立て続けて、皇后と皇太子が廃されるという事件があるのは、それなりに有名です。
こいつに関して裏で何があったは、とりあえず置いておきまして、そこから次の立太子までが半年ほどあります。
この程度のブランク、次の皇太子擁立に向けて官界での意見統制をするにも、短いくらいだよと一般的には捉えられるでしょうが、この間にやたらと天変地異やら異常現象やらの報告があります。
特に伊勢の月読神が祟ったなんて記述まであって、この時期はまだ、伊勢斎宮の卜定もされているのか否か微妙ですし、皇嗣問題においてはかなり敏感になっているんだろうなぁと、行間からも推測ができたりします。
しかしだ……この時の皇嗣候補って具体的に誰がいたんだ、実際のところ`s(-・-;) …
マジ、中務卿山部親王がダメなら誰にするってんだ、百川が怒りたくなる原因も分かるような気がしてきますわ(゜レ゜)
そりゃ年末は誰でも多忙さと、世間は宣う事と存じますが。
ちなみにネットをサボる原因には、とにかくメインで使っているノートパソコンの調子が悪い……慢性的なメモリー不足とは分かっちゃいるんだが……ので、ネットに繋ぐたびに往年のWindows98のようにフリーズしてくれるのに辟易としているためもあります。
そのような訳で、ただいまはモバイルで打っておりますが、やっぱりキーボードのサイズが小さいので打ちにくいですね……これでイラついてんじゃ、タブレット端末なんぞ、果たして使えるものなのやら。
まあ私が多忙だと騒ぐ一つの要因には、締切というやつがありまして、この度もこいつです。
このところは締切を自分で切るような状況のため、どうしても様々な事に甘くなっていけません。
それでも、今回の締切はこの月曜日、ただいま正念場というところです。
それにしても、昨日も完全なカンヅメ状態で書いておりましたが、家の中が大型冷蔵庫化しておりまして、とにかく寒い……電気機器の冷蔵庫を開けても冷気がほぼ感じられないって何なの(#゚Д゚)
……にしても、これに入ってるIME、矢鱈に顔文字変換してくれるわねぇ(゜_゜>)
確か、kingsoftのワードだったな、本体に格安オプション(1000円だったかな?)で付けてもらった。
『春日若宮おん祭』の続きを書くとか言いながら、全然しておりませんので、画像だけでも適当に上げております。
先日に職場の人と、神社の巫女さんってアルバイトの人も多いのかしらという話をしておりました。
大きな御祭とか初詣などの時には、お守りやおみくじの授与で、アルバイトも雇うかもしれないけれど、普段に春日大社や大神神社で見かけるような巫女さんは、神社の職員でしょう、これが多数意見。
確かにおん祭で社伝神楽を奉納してくれる『ミカンコさん』は本職です。
四人でも六人でも、手の上げ下げから体制を変えるタイミングまで、しっかり揃っていました。
秋に東大寺で奉納された、鶴岡八幡宮の『浦安舞』の八乙女も同様。
小さな神社などで巫女さんの『浦安舞』などの奉納を見る事もたまにありますが、一人ならともかく、二人、四人となって行くと……写真を撮ってみると、全員が違うポースをとっていたりして(・_・;)
こういう場合は、臨時の巫女さんなのだと思います。
三日ぶりくらいにブログのページにもつなげたので、久々の書き込みですが、何をどうでも良い事を我ながら書いている次第です。
では、もう少ししたら、PC持ち込み可能で居座り歓迎のカフェにでも出かけて、最後の足掻きをしてくる事と致します<m(__)m>
カテゴリーが一応、執筆中の戯言なので、それらしい事でも。
宝亀三年、三月と五月に立て続けて、皇后と皇太子が廃されるという事件があるのは、それなりに有名です。
こいつに関して裏で何があったは、とりあえず置いておきまして、そこから次の立太子までが半年ほどあります。
この程度のブランク、次の皇太子擁立に向けて官界での意見統制をするにも、短いくらいだよと一般的には捉えられるでしょうが、この間にやたらと天変地異やら異常現象やらの報告があります。
特に伊勢の月読神が祟ったなんて記述まであって、この時期はまだ、伊勢斎宮の卜定もされているのか否か微妙ですし、皇嗣問題においてはかなり敏感になっているんだろうなぁと、行間からも推測ができたりします。
しかしだ……この時の皇嗣候補って具体的に誰がいたんだ、実際のところ`s(-・-;) …
マジ、中務卿山部親王がダメなら誰にするってんだ、百川が怒りたくなる原因も分かるような気がしてきますわ(゜レ゜)
日曜日の橿考研の現説も、23日の橿原神宮の久米舞も書こうと思っているのに書いておりませなんだ。
時間の使い方が下手なので、必要な事を全然していないのが実態です(T_T)
ただ今また、物語の方向に変更が出てきて、ドつぼの縁で悩んでおります。
変更といっても細かい事、主要登場人物の役割ですわね。
もう少し端的に申しますと、誰を一番の悪党にするべきかと言ったところです。
いえ、一番は既に決まっていますので、二番目が誰なのかと言う事になります。
このつまらない抗争に、既に藤原百川は脱落しておりますので、おのずと二人ないし三人に絞られてくるのですが、作者的には出来レースの気がしないでもありませんσ(^◇^;)
では、この人にスタンドプレーをしてもらうか、それとも誰かを巻き込むか。
捨石に選ぶ人物は誰なのか、更には最大のスケープゴードの座を誰にあげましょうか……
(゜-゜)、自分で書いていて、ろくでもない話に思えて来るうε-( ̄ヘ ̄)┌
時間の使い方が下手なので、必要な事を全然していないのが実態です(T_T)
ただ今また、物語の方向に変更が出てきて、ドつぼの縁で悩んでおります。
変更といっても細かい事、主要登場人物の役割ですわね。
もう少し端的に申しますと、誰を一番の悪党にするべきかと言ったところです。
いえ、一番は既に決まっていますので、二番目が誰なのかと言う事になります。
このつまらない抗争に、既に藤原百川は脱落しておりますので、おのずと二人ないし三人に絞られてくるのですが、作者的には出来レースの気がしないでもありませんσ(^◇^;)
では、この人にスタンドプレーをしてもらうか、それとも誰かを巻き込むか。
捨石に選ぶ人物は誰なのか、更には最大のスケープゴードの座を誰にあげましょうか……
(゜-゜)、自分で書いていて、ろくでもない話に思えて来るうε-( ̄ヘ ̄)┌
陰陽(おんよう)寮は中務(なかつかさ)省の管轄下にあって、職務としては「天文暦数の事を掌る」などとモノの本には書いてあります。
「天文、暦数、風雲気色に異あらば、密封して奏聞する事を掌る」と、『大宝令』に見えているそうなので、奈良時代には既に天文密奏のような事が行われていた訳なのでしょう。
天文、暦、漏刻などは、まだ何となくやっている事のイメージが湧くのですが、私が昔から分からないのが陰陽というヤツ……
卜筮を行うとか、地相を見るとか、占いや風水の知識を有している技術者らがいた事は確かなのでしょうが、卜というのは本来が亀卜の事ですから、こちらの管轄は陰陽寮よりも神祇官じゃないのかという疑問が昔からあります。
以前に書いていた後期摂関期の話の中では主人公が、
「陰陽寮は大抵貧乏くじを引かされる」的な愚痴をこぼしておりました。
この時代の寮のライバルは、外部勢力と言いますか、密教系の坊主たちです。
天台にしても真言にしても、座主を始めとするトップらが宮家や源平藤橘の権門の出身者と来ているのですから、太政官を始めとした為政者らも、ついついそちらを贔屓目に見る傾向がとても強くて、都合の悪い事ばかりを寮に押し付けて来る云々……ε-( ̄ヘ ̄)┌
奈良時代の後期には、まだ密教が体系的に入って来ていないので、このような風潮はなかったでしょう。
『続日本紀』では長岡京への遷都の前に、中納言二人と参議たちが陰陽助(おんようのすけ)をつれて土地の視察に行った事が書かれていますので、地相を見るような事を実際にしていたと思われます。
しかしこいつは既に、桓武天皇の大好きなパフォーマンスの一つでして、陰陽助が地相を最悪と言おうとも、都への報告は最適に摩り替わるような状況でして……σ(^◇^;)
それにしてもこの時代、果たして後の平安時代のように、髪を洗う日、爪を切る日、外出をする方向、儀式の日時と、何でもかんでも暦やら占いやらに囚われきっていたとは思えません。
まぁ、セレモニーなどには吉日を選ぶに越した事はないのでしょうが、政敵を出し抜くにも、これらの知識を有する技術者らをどこまで利用したのでしょう。
中務卿宮・山部親王はこれより中納言藤原縄麻呂や右大弁藤原百川らと諮って、弱みを握っている陰陽頭の大津大浦に個人的な仕事をしてもらおうと考えているようですが、さ~て、陰陽頭は何が出来るんでしょう?
どうもこのメンバー、陰陽師のやる事なんぞ、知識に基づいた一種のパフォーマンスとでも思っているのか、特に恐れるような素振りもありません?(゚_。)?(。_゚)?
何せ、邪魔で目障りな先の陰陽頭の紀益麻呂を、更迭して失脚させたような御仁らですから( ̄▽ ̄)。o0○
本日の画像は、先々週くらいに近鉄奈良駅に出没していたせんと君です……
それよりも橿原神宮の『久米舞』、上げなけりゃ(~_~)
「天文、暦数、風雲気色に異あらば、密封して奏聞する事を掌る」と、『大宝令』に見えているそうなので、奈良時代には既に天文密奏のような事が行われていた訳なのでしょう。
天文、暦、漏刻などは、まだ何となくやっている事のイメージが湧くのですが、私が昔から分からないのが陰陽というヤツ……
卜筮を行うとか、地相を見るとか、占いや風水の知識を有している技術者らがいた事は確かなのでしょうが、卜というのは本来が亀卜の事ですから、こちらの管轄は陰陽寮よりも神祇官じゃないのかという疑問が昔からあります。
以前に書いていた後期摂関期の話の中では主人公が、
「陰陽寮は大抵貧乏くじを引かされる」的な愚痴をこぼしておりました。
この時代の寮のライバルは、外部勢力と言いますか、密教系の坊主たちです。
天台にしても真言にしても、座主を始めとするトップらが宮家や源平藤橘の権門の出身者と来ているのですから、太政官を始めとした為政者らも、ついついそちらを贔屓目に見る傾向がとても強くて、都合の悪い事ばかりを寮に押し付けて来る云々……ε-( ̄ヘ ̄)┌
奈良時代の後期には、まだ密教が体系的に入って来ていないので、このような風潮はなかったでしょう。
『続日本紀』では長岡京への遷都の前に、中納言二人と参議たちが陰陽助(おんようのすけ)をつれて土地の視察に行った事が書かれていますので、地相を見るような事を実際にしていたと思われます。
しかしこいつは既に、桓武天皇の大好きなパフォーマンスの一つでして、陰陽助が地相を最悪と言おうとも、都への報告は最適に摩り替わるような状況でして……σ(^◇^;)
それにしてもこの時代、果たして後の平安時代のように、髪を洗う日、爪を切る日、外出をする方向、儀式の日時と、何でもかんでも暦やら占いやらに囚われきっていたとは思えません。
まぁ、セレモニーなどには吉日を選ぶに越した事はないのでしょうが、政敵を出し抜くにも、これらの知識を有する技術者らをどこまで利用したのでしょう。
中務卿宮・山部親王はこれより中納言藤原縄麻呂や右大弁藤原百川らと諮って、弱みを握っている陰陽頭の大津大浦に個人的な仕事をしてもらおうと考えているようですが、さ~て、陰陽頭は何が出来るんでしょう?
どうもこのメンバー、陰陽師のやる事なんぞ、知識に基づいた一種のパフォーマンスとでも思っているのか、特に恐れるような素振りもありません?(゚_。)?(。_゚)?
何せ、邪魔で目障りな先の陰陽頭の紀益麻呂を、更迭して失脚させたような御仁らですから( ̄▽ ̄)。o0○
本日の画像は、先々週くらいに近鉄奈良駅に出没していたせんと君です……
それよりも橿原神宮の『久米舞』、上げなけりゃ(~_~)
何となく風邪気味のようなので、電気ブランをハイボールにして飲んだところ、やっぱり体調不調の時は酔いが早い……一昨日の続きは、それこそ明日以降にでも書きますか。
書いたから何って事もないんだけど、自らの備忘録かな???
ただ今は何を検討しているかと申せば、称徳天皇の晩期から光仁天皇期の初めにかけての呪詛事件の洗い直しですわ。
ここに、とっても胡散臭い昇進をした陰陽寮関係の人物が、若干二名登場いたします。
この二人、接点が有るようで無いような、勢力関係、利害関係、敵対関係となると二人の間に直接は無かったと思うのですが、背景にいるべき権力者の存在がかなり分かりにくいです。
いずれにせよ権力者が二人に期待したのは、彼らの能力を利用する事によって敵の裏をかく事。
片方が浮き上がると、片方が水面下に潜み、片方が失脚するともう片方がおもむろに姿を表すような傾向が若干見られます。
ストレートに考えると、それぞれを利用した権力者は別人という事になるのでしょう。
しかし、考えようによっては二人とも、まともな最後を向かえていない様な気がしないでもありません。
少々アルコールが周り気味ですが、この二人の周辺を少し眺めて、権力者たちの水面下の活動やら、過去の出来事との関連をもう少し整理してみないといけませんわ……
それにしても、この辺りから、山部親王と北家の対立が始まりそうな気がしてきましたわ。
山部親王が一番嫌っているのは小黒麻呂じゃなくて、明らかに魚名だろうなぁε-( ̄ヘ ̄)┌
ところでこの花は何かと申しますとオシロイバナです。
こいつの花色は、ハイブリッドの妙とでも言いますか、メンデルも頭をひねる、優勢も劣勢もありやしない(-_-;)
赤と白を掛け合わせると、赤白まだらになるどころか、時にはこのようなピンク色すら現れまして、F1同士の交配による優勢と劣勢の比率は3:1なんて、高校生の頃に勉強した内容を見事にあざ笑ってくれます。
しかし、この花も雑草化すると鬱陶しいですね、種が大きいので発芽率も高いし、宿根だから翌年にも生えてくるし……
書いたから何って事もないんだけど、自らの備忘録かな???
ただ今は何を検討しているかと申せば、称徳天皇の晩期から光仁天皇期の初めにかけての呪詛事件の洗い直しですわ。
ここに、とっても胡散臭い昇進をした陰陽寮関係の人物が、若干二名登場いたします。
この二人、接点が有るようで無いような、勢力関係、利害関係、敵対関係となると二人の間に直接は無かったと思うのですが、背景にいるべき権力者の存在がかなり分かりにくいです。
いずれにせよ権力者が二人に期待したのは、彼らの能力を利用する事によって敵の裏をかく事。
片方が浮き上がると、片方が水面下に潜み、片方が失脚するともう片方がおもむろに姿を表すような傾向が若干見られます。
ストレートに考えると、それぞれを利用した権力者は別人という事になるのでしょう。
しかし、考えようによっては二人とも、まともな最後を向かえていない様な気がしないでもありません。
少々アルコールが周り気味ですが、この二人の周辺を少し眺めて、権力者たちの水面下の活動やら、過去の出来事との関連をもう少し整理してみないといけませんわ……
それにしても、この辺りから、山部親王と北家の対立が始まりそうな気がしてきましたわ。
山部親王が一番嫌っているのは小黒麻呂じゃなくて、明らかに魚名だろうなぁε-( ̄ヘ ̄)┌
ところでこの花は何かと申しますとオシロイバナです。
こいつの花色は、ハイブリッドの妙とでも言いますか、メンデルも頭をひねる、優勢も劣勢もありやしない(-_-;)
赤と白を掛け合わせると、赤白まだらになるどころか、時にはこのようなピンク色すら現れまして、F1同士の交配による優勢と劣勢の比率は3:1なんて、高校生の頃に勉強した内容を見事にあざ笑ってくれます。
しかし、この花も雑草化すると鬱陶しいですね、種が大きいので発芽率も高いし、宿根だから翌年にも生えてくるし……
昨夜の続きを書こうと思ったのですが、矢鱈滅多らに眠いです。
先ほどまで、過去の正倉院店の図録をひっくり返して思った疑問だけ書いておきましょう。
孝謙天皇の頃に、後太上天皇といえば聖武天皇、中太上天皇といえば元正天皇の事ですが、この呼び名は宝亀年間までは有効なのでしょうか?
少なくとも桓武天皇の御世となれば、太上天皇は父親の光仁天皇になりますから……
それにしても、酒人内親王の自署の字を見て、何とな~くこの女性のイメージが変わった様な……
とは申せ、娘の一周忌の時のものだから、それなりの年齢の頃なのですがね。
先ほどまで、過去の正倉院店の図録をひっくり返して思った疑問だけ書いておきましょう。
孝謙天皇の頃に、後太上天皇といえば聖武天皇、中太上天皇といえば元正天皇の事ですが、この呼び名は宝亀年間までは有効なのでしょうか?
少なくとも桓武天皇の御世となれば、太上天皇は父親の光仁天皇になりますから……
それにしても、酒人内親王の自署の字を見て、何とな~くこの女性のイメージが変わった様な……
とは申せ、娘の一周忌の時のものだから、それなりの年齢の頃なのですがね。