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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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若宮社と八房の藤この写真を撮ったのは昨日(13日)の夕方の事、春日大社境内の山藤や砂ずりの藤もあらかた終わって、この若宮神社の八房の藤だけが咲き残っているという感じでした。
この八重咲の藤は江戸時代には既に生えていたそうで、四百年近い樹齢という事になるのでしょうか?
藤ってそんなに寿命が長い植物なのでしょうかねぇ?
今まで意識した事がないのですが……
ところで今年は藤の花の開花も遅れたそうで、ゴールデンウィークの最後くらいが早咲きの花も一緒に開花して、良い見頃になっておりました。

昨年の4月24日の林檎の花それにしても、今年は林檎の庭の和林檎が一向に咲かないような……
林檎や梨、桃などは桜が終わった後に咲くはずです。
いくら今年は花全般が遅れがちと言えども、もう咲いてくれないとなぁ(゜-゜)
遠めに見て、何となく蕾もなさそうな……
神職さんに伺ったところ、そろそろ木が寿命なので咲かない年もあるのかもしれないという事です。
この画像は昨年の四月半ばくらいに咲いていた花です。
昨年、あれだけ咲いた反動で、今年は休みなのかなぁ(゜_゜>)

昨年の4月16日の林檎現在の和林檎の木が植えられたのは昭和三十二年だそうで、既に50年以上が経っている事になります。
林檎の木の寿命は六十年くらいと言われていましたが、こちらは案外短いものです。
しかし神社では既に次の木の用意は出来ているそうですから、まぁ、安心と言うべきか、何やら寂しいと言うべきか(/_;)
チョイト調べてみますと、長野には樹齢二百年の和林檎があるそうで、品種によっては長生きなのかもしれません。
 
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京都国立博物館で現在開催されている『王朝文化の華―陽明文庫明宝展―』が、今月の二十七日までと期間が迫って来ましたので、行ける時に行こうと本日、行って参りました。
博物館に到着したのが12時半くらい、入場制限などは一切なく、館内に入ってみても案外空いておりました。

望月、ってな訳で5月6日のスーパームーンとやら初っ端から文書というか『消息』と『日記』だらけ……正直に申しまして、ほぼ読めない・゚・(ノД`;)・゚・
一番の呼び物(?)の『御堂関白記』、これも読めといわれても分かるような分からないような……
何せこの時代、日記だろうが書簡だろうがほぼ漢文ですから。
おまけにズバリ、相手の名前を書かずに役職で書かれているから、誰の事を言っているやら解説を読んでもピンと来なかったりします。
身内まで官職名で書かれていたりして……
それ以上にお手上げは『歌合せ』……こちらは殆どが仮名でして、これが漢字以上に読めません(-_-)

後半になって近世の資料になってきますと、絵画だの工芸品が並んでおりまして、ようやく気が楽(?)になって来ましたか。
それにしてもやはり私には、茶道も香道も縁がないので何をどう見て良いのか……手前、無教養ですから( ̄▽ ̄)。o0○
この類でチョッと興味深かったのが香割道具でして、蒔絵を施した台なども普段使いのようで傷だらけ……一般庶民には出来ない真似ですよ(・.・;)
御所人形や賀茂人形も矢鱈に並んでおりましたが、これってマジ可愛くないような(゜.゜)

かくして私に一番分かりやすかったのは、最後の部屋に並んでいた近現代の絵画でした。
それこそ、近衛文麿氏の時代です……
以前に見た『冷泉家の至宝』なども同様でしたが、この家の人たちの生活感って本当に別の次元に思えまして……別の言い方を致しますと、別世界の住人?

そして何度目かの認識を致しました、私の日常に雅なんぞ存在しない?(゚_。)?(。_゚)?

しかし……いい加減疲れたから、そろそろ出るかと時計を見たら17時を回っている?!
何故だ?言うほど混雑していた訳でもないのに、こんなに時間がかかったのって久々(*_*;
ミュージアムショップを少しだけ覗いて、結局、博物館を出たのが17時半、そのまま何所にも寄らずに帰って来ました……いやはや、疲れました。
あっちでもこっちでも再三ほざいておりますが、私は天平十六年の閏正月に亡くなった安積(あさか)親王は病没だと思っております。
十二年の聖武天皇の東国行幸から恭仁京の造営、更に難波遷都までを辿って行き、ここで親王の薨去という事件を経て、紫香楽行幸が行われる理由が何となく分かるような気がしてきます。

奈良の八重桜聖武天皇という方は天平元年に生まれて間もない皇太子を亡くしています。
その菩提を弔うために『金鍾山房』という寺を建立します。
これが後に総国分寺の『東大寺』になる事は、あまりに有名ですが。

十七歳になっていたただ一人の男子である安積親王が亡くなった時、近江国の紫香楽では『甲賀寺』の建立が始まっていました。
これは既に予定された行動ですので、先の皇太子の薨去の時とは違いますが、父天皇にとっては甲賀寺が親王の菩提を弔う地のように思え始めたのではないのか、そのため、遷都を決めた難波を太上天皇と左大臣に預けて紫香楽村に赴いたのかもしれません。

ここ何日か『続日本紀』と以前に作った資料を眺めつつ、こんな方向で話を考えておりました。
こう思い始めますと、誰が言い出したのか知りませんが、その辺の小説などで興味本位(もしくは根拠不明)に取り上げられる暗殺説というのが、かなり陳腐で不愉快に思えて来たりします。

大体だ、頓宮で病気になって恭仁宮に戻って亡くなったのなら、どうして頓宮での行動を問題にしないの?
平城なり恭仁なりに引き返すとしたら、ここに付き従うのは親王付きの舎人だの衛士だのにならないの??
こいつらが誰かの命でも受けてたって展開も考えられるんだよな……
確かこの時に内舎人だった大伴宿禰某、親王付きとして出向していた可能性が大きい。
暗殺説取りたいのなら、この人に何かさせる気ある???
私ゃ、毛頭ないわな……だってこの説の否定派だものε-( ̄ヘ ̄)┌

ちなみに白壁王は、相変わらずこの内舎人の名前が思い出せなくてフラストレーション気味です(-_-)
敷手どうも記事がズルズルと長くなるのが嫌いなので、何となくまた分けてみました。

今年は『走舞』はなく、最後も右方の平舞です。
昨年の『春日若宮おん祭』の別願舞楽としても行われた『敷手(しきて)』です。
何でこういうタイトルがついているのか、不勉強で分かりませんσ(^◇^;)
こちらも舞人は四人共に女性です。
最近の南都楽所、右方でも左方でも、女性が舞う機会が多いように思えまして、これはこれで結構良いかと思います。

『敷手』

再三に与太を申しますと、私は蛮絵装束というのがかなり好きでして、こちらの右方の青い袍は特に綺麗だと思います。
そして画像を御覧頂ければ分かりますように、この舞では最初はきっちりと着ていた袍の右袖を途中で脱ぎます。
襲(かさね)装束でも蛮絵装束でも、片袖を脱ぐスタイルというのは視覚的にも変化があって、これまた好みです( ̄▽ ̄)。o0○
同じ肩脱ぎするにしても、演武会なんぞでオジサンがやるのとは全く趣が違いまして、あっちは颯爽としていても色気はありませんな……などと戯言ほざいてると、関係各位から白い目が向くでしょうが(^_^;)

菖蒲祭奉納舞楽『散手』『走舞』が行われませんでしたので、午前中の『菖蒲祭』の最後に奉納されました『散手(さんじゅ)』の画像でも。
そういえば、この舞もどうして『散手』というタイトルなのでしょう……神功皇后の新羅出兵に際して現れた率川明神(いさかわみょうじん)の姿を舞にしたという伝承は聞いた事があるのですが。
この日は天気が良くて気温も高かったので、この装束で舞うのはかなり大変そうに見えました。
最後の方、心なしか足がもつれて裾を捌ききれていなかったような……とにかく、この舞自体が結構ハードですからねぇ(゜.゜)
胡蝶昨日の続きを……と行きたい所なのですが、ネットなのかPCなのか、かなり調子が悪いです。

さて、何所まで行きましたっけ?
え~と画像は『胡蝶』ですね。
右方の童舞で、四人ないし五人で舞う事が多いですが、この時の四人の舞人は全員が女の子でした。
胡蝶 後姿本当に一昔前(いや、二昔前だな)に比べると、どちらの楽所も女性が増えました。
童舞では天冠を着けて花をかざしますが、このスタイルには長い結った髪が似合うように思えます。
天王寺楽所では男の子も顔を白塗りにして付け髪もして、稚児舞の趣で聖霊会などでこれらの舞を行いますが、女の子ですと、まぁ、自然体(?)で出来るのが良いですね?(゚_。)?(。_゚)?

打毬楽子供の日恒例の童舞が終わりますと、大人の舞人が登場します。
打毬楽(たぎゅうらく)
裲襠(りょうとう)装束に巻纓冠、老懸(おいかけ)というスタイルですですから舞人は武官なのですが、持ち物は太刀でも槍でもなく毬杖(ぎっちょう)で、打毬というホッケーのようなゲームを舞で表しています。
このゲーム、奈良時代にはかなり流行したそうで、仕事中にも行っていたのがバレて、処分や禁止令まで出たと記録に見えておりますσ(^◇^;)

打毬楽
現在では四人舞ですが、かつては八人や十人どころか数十人で舞う事すらあったとか……
途中で一臈 が懐中から縞模様の毬を取り出して、様々な方向から打つ所作をするのが、変化もあって見ていてなかなか興味深いです。
また、この一臈の方が颯爽としていて実に見栄えが良かったです(^_^)v
実はこの部分、ずっと動画で写していましたので画像がありません(-_-;)
昔々は、舞人が一人一人、この所作を行ったとかで、四人でもかなりかかるのに数十人もいたらどうなるんでしょう……日が暮れますわ( ̄▽ ̄)。o0○
ちなみに最後は四臈が毬を握って退出します。
振鉾第一節連休の前半には、今年の子供の日には京都の藤森神社の御祭りに行こうかな~と、緩~~く考えていたのですが、四日の晩に軽く熱(要するに何とかがひく夏風邪ですね)が出たみたいで、あっさりと遠出は諦めましたσ(^◇^;)

そして出かけたのが、割合に近所と言いますか、私の徘徊場所の一つ、奈良市の春日大社です。

振鉾第二節この日は毎年、午前10時から御本社で『菖蒲祭』が行われ、午後1時からは萬葉植物園で『萬葉雅楽会』が行われます。
今年は管絃(『傾盃楽急(けいばいらくきゅう)』)に加えて、朗詠(『嘉辰(かしん)』)も演奏されまして、変化があって良かったです(^_^)v
何年か前に雨で、室内で行った時にも『嘉辰』を聞いたような気がするのですが、別の時だったかな?

ともあれ、舞楽の画像はいつものように『振鉾(えんぶ)』の一節と二節、時間の都合か第三節は省略されました。

迦陵頻ここ何日かに打って変わって、とても天気の良い日で夏日、舞人はかなり大変だったと思います。
何せ舞台は池の上に張り出しで設けられていますから、眩しいのではないのかな?
それでも時折、弱いとは言いがたい風が吹いてくれるので、多少はマシなんでしょうか……かえって煽られるから大変なのかな?

迦陵頻この『迦陵頻(かりょうびん)』の舞人は、見るからに小学生の男の子、翼に背負われている様な小柄な子もいましたから、強い風は大敵かも知れません(^_^;)
でも、今年もきっちりと舞って去って行きました?
もしかして四人とも、この前、『東遊(あずまあそび)』を舞ってくれた子供たちかな?




先ほどまで寒冷前線の通過なのか、外は雷(放電しているだけで、落ちている様子はあまり見られませんでしたが)と驟雨でにぎやかでした。
ようやく静かになったようなので、そろそろ出かけますか……
では、続きは後ほど(^_^)/~ (ーー;)

これが鷹匠の正装です。さて、昨日の続き『平城京天平祭』イベントです。
5月4日には、【古代行事】鷹狩、として諏訪流の放鷹術(ほうようじゅつ)のデモンストレーションが行われました。

放鷹術といわれても、字面を見ませんと何の事やら分からない、それどころかこの字を見て意味は分かるけれど、読み方が分かる人がどれ程いるかと思うほど、馴染みのない言葉です。
鷹匠(たかじょう)と言えば少しは分かるでしょうか。
熊鷹や隼を訓練して、鳥類や小形動物を捕獲させる狩猟方法の一つで、元々は中央アジアに発祥し、『日本書紀』には仁徳天皇の時代から見えるそうです。
勿論、江戸時代にも将軍家の庇護を受けて存続して行ったのですが、明治になって武家社会が終了すると、この文化も廃れてしまうと、宮内省で保存を決定して公務員(?)となり、今ではNPO法人化しているそうです。


鷹を放った瞬間ですが……(゜-゜)こちらの滅茶苦茶に渋い方々が着ておられるのが、江戸時代末期の鷹匠の正装で、明治政府でもこれを採用しで、鷹匠としてならばこのスタイルで天皇陛下や、海外からの賓客の前に出る事もできたのだそうです。
現在の放鷹術保存会でも、試験を受けて鷹匠として認められないと、この服装はできないのだそうです。

ハリスホーク日本で鷹匠というと、熊鷹を使うというイメージが強いのですが、現在では主にハリスホークという南米に生息しているノスリの仲間を使用する事が多いとの事です。

普通にとまっている時は案外地味に見えますが、翼や尾羽を広げると実に綺麗な色合いです。
やはり猛禽だけあって、飛んでいる姿は更に美しいものです。
大きさとしては、鴉とあまり変わらないくらいでしょうか。


疑似餌を空中で捕らえます。この日は風が強くて、鷹も風の方向を読んで、少々イレギュラーに飛んでくれたようで、時々、見学している人たちの頭上を越えて、会員の方々が御迎えに行く様子が何度か見られました。
一度、隼も放ってみたのですが、この子がチョッと気まぐれなのか、いくら呼んでも戻って来ない、大極殿の屋根に留まってみたり、鴉と縄張り争いをしてみたりと、別の意味で見学者の喝采を浴びていました。

この鳥達に触発された訳ではないでしょうが、午後には東院地区のあたりで、野生のチョウゲンボウが飛んでおりました。
天平行列を行っていました。5月3日から6日まで、平城宮跡では今年も『平城京天平祭』というイベントを行っております。
一昨年までは『遷都祭』と言う名前だったのですが、『遷都1300年祭』の後に、この名前に替わったようです。

昨年は行く気力がなかったというよりも、他に出かけたい所が多かったため、終ぞ覗きにも行きませんでしたが、今年は『放鷹術(ほうようじゅつ)』の実演が見たかったので、あえて気が向く方向(?)に出かけてみました。

東院庭園にて『天平行列』のメインは昨日に行われ、本日以降は縮小バージョンで行われるそうですが、衣装や小物など結構凝っております。
先頭の方を歩いていた三人の若い女性は、今年のミス奈良でしょうか?
会場内を天平衣装で散策しようという体験コーナーも毎年の事ですが、こちらも年毎にバージョンアップするのか、女性の付け髪や男性の幞頭(ぼくとう)なども用意されていまして、以前のように衣装はつけたものの、髪形とか何とかならない……?の状況ではなくなっているようです。

『よみがえる古都の宴』のワンシーンところで二枚目以降の画像は、行列や観光客の参加者ではなく、東院庭園で行われていた『よみがえる古都の宴』というイベントに出演されている俳優さんたちです。

『放鷹術』を見学した後、もらったパンフレットを見て、午後からそのような催しもあると、チョイト足を伸ばして行ってみたところ……何やらどこぞで会った事のある人ばかり?????
それもそのはず、明日香村の劇団『時空』のメンバーでしたσ(^◇^;)
こちらのベテラン陣の着ている衣装は、奈良文化財研究所の監修制作なのだそうで、シンプルながらも良い色合いです。
四位の赤い袍はもしかして、日本茜で染めたのかな?
紅花の色ではなさそうな気がするんですが……

『よみがえる古都の宴』のワンシーン広廂と縁の上で演じられているのは、天平年間の始め、大伴旅人が帥として赴任した大宰府での宴席の様子で、その手前の方では一世代後、息子の家持や女性達の語らいが演じられ、それが時と場を違えて交差するという、なかなか請った演出の寸劇です。

こちらの催し、明日と明後日も東院庭園で午後から行われるそうです。
天気は大丈夫だと思うけれど、今日も思い出したように軽い時雨が何度かありましたからねぇ……

ところで『放鷹術』は……また、記事を変えてm(__)m


 
三の的の前で、このような儀式を行います。連休の後半は天気が微妙……今朝も9時過ぎくらいまでは雨が降っていましたが、10時前には上がって、日中は割合に良い天気のようでした。
何せ糺の森は晴天でも薄暗い、木の間越しの光が射してくれば、晴れてきたのかなと思う具合ですから。
そういう訳で、今年も賀茂御祖神社(下鴨神社)の流鏑馬神事に行って参りました。

馬場殿の前で拝舞を行っています。それにしても何度か見に行っているのに、前後や合間に行われる儀式の内容や意味を、イマイチ理解していない、私は困った奴です……(-_-;)
射手や諸役が馬場入りした後、三の的の前で長官代が一の射手に儀式の始めを命じるとか、戻って来た射手が馬場殿の前で神禄をもらって拝舞を舞うという程度は、見ていても分かるのですが、順番とか作法などは全く分かっておりません……解説を聞いていても、声は遠い、いや、それ以上に行っている場が遠すぎて見えない(T_T)

何やらこの馬、やけに興奮気味だったような……昨年までの経験で、写真を撮るのはほぼ無理だと分かっておりますので、今年は矢鱈目鱈に動画ばかりを撮って遊んでおりました。
静止画像はと……もしかして、私ゃ、束帯を着けた人ばかりを写してるのか??(゚_。)?(。_゚)??
それ程、写真が偏っております。

確かに衣冠は、あちらこちらの神社で神職さんが御祭りの時に着ておられますが、束帯は文官でも武官でも、案外目にしませんからねぇ。

この馬の目つき、何なんでしょ?そういう訳で、精悍な武官装束の方々の画像などを。

今年は結構、命中率が良かったような気がします。
加えて派手で面白かった……って、何が?
それより、もしかして……今年って射手の人数、少ない?って事はありませんよねぇ??

ところで今年、初めて有料席(三の的のエリア)で見ていたのですが、気分的には落ち着けるのですが、視界的には微妙ですね。
余程に早く来て、入場券購入の始めの方の列に並んでカブリツキの場所でも確保しないと、見易いとは思えませんでしたわε-( ̄ヘ ̄)┌

この方の役職は何?11時45分くらいには糺の森にいたのですが、ひょっとしたら有料席の列に並ぶよりも、その後の良さそうな立ち見場所をゲットしておく方が良いかな?
まぁでも、椅子でゆっくり見るのも良いものです。
馬場から近いので、より臨場感ありますし、これはこれで良いんです(^_^)v
神事は地味と先日に申しましたが、こういう派手な神事は病み付きになります、はい( ̄▽ ̄)。o0○
時々拝見する超有名ブログを訪問したところ、いきなり若菜ちゃんが笑っててびっくりした~!
万葉文化館、ってのか明日香村観光協会かな、県の観光協会かな、平城京天平祭に対抗して(?)、こういうイベントするのか(゜.゜)
気が向いたら覗きに行こうかしらと思ったけど、全部、日程が塞がってるわσ(^◇^;)
別に『時空』のメンバーがデモンストレーションする訳でもないのね。
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
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