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この前の日曜日に放映していた第二話の時点で、主人公の年齢は十二~三歳らしいという内容で、地味に盛り上がりました(-_-)
まあ、後期摂関期でもお公家さんのご子息はそのくらいの年齢で初冠(ういこうぶり)ですから、別に不思議には思いませんが、あのドラマでは二十二歳と言うにも無理がありすぎると、まあ、笑いの種ですね。
何所から見ても立派なヒネタ大童(おおわらわ)、一体、伊勢平氏にはどういう事情があるんだと勘繰りたくなるスタイルですわね(~_~)
ところであの場合は烏帽子なのか?冠なのか?それが分からない(?_?)
だいたい親父殿は、伊勢平氏として始めて昇殿を許された事が何よりの誇りなんだから、嫡男には烏帽子じゃなくて冠を着けさせたかったと違うのか……これは、調べてみないと分かりませんわ。
どちらにしても、押さえつけて烏帽子の紐結んで完了、ってな訳にゃ行かないでしょ?(・・?
結髪役も必要よ、加冠役に加えて(゜.゜)
ついでに最後の辺りの院の御所でのシーン……小童が二人、塀の上で見物しているのに、北面どもは何をしているんだ、ざるのような警備体制じゃないですか……(-_-;)
特に変な剣を抱えた方は、いつ矢衾にされたとて文句は言えませんわね。
もう一人の大童はと……こっちも多分、十歳を幾つも出てない年齢?
北面「そこな、小童、神妙に降りて参れ」
院 「何の騒ぎか」
為義「ややっ、なんと、我が倅では……」
院 「ほお、其方の子息か。其方らは親子そろって、何所まで我を愚弄すれば気が済むか。まあ良い、以後、其方らは我が御所への出入りは禁ずるゆえ、肝に銘じておくが良い」
為義「……SBN!」
義朝「そんなバカな、ですか、父上」
為義「やかぁしいわ」
という、つまらないギャグを、つい、ひねってしまいました( ̄▽ ̄)。o0○
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いえ、大まかにはどのくらいの時代の、どのような事件の経緯を書くかは見当をつけているのですが、実は主人公が決まらないんですわ((+_+))
時代は大同年間、話の中軸となってくる登場人物は、私には珍しい事に架空の女性です……とは申しましても、歴史上には登場しないけれど、ポジションとしてはかなり具体的な立場にいる人でして、考えようによっては時の天皇すらも頭の上がらないような人です。
ただし彼女は主人公ではありません。
いつものように野郎の一人称語りで進めるとしますと、主人公というよりも狂言回しとなる人物が必要となる訳で、これを誰にすべきかで迷っております。
何せ最初に候補としてあげていた人物が、一番肝心な時に、二人そろって都にいないのですから、話にもなりやしませんわε-( ̄ヘ ̄)┌
一人は大宰府、別の一人は多賀城……まったく、この時の藤原式家内はどうなってるんだ(ーー;)?
南家はまだ、伊予親王の事件を引きずって青息吐息だし、北家の三位トリオ(内麻呂、葛野麻呂、園人)では胡散臭過ぎるし……と言っても、式家の二人も共に参議だしねぇ(-_-)
このパターンって、南家と式家を引き摺り下ろす誰かの陰謀か?
それにしても、どの人をとっても四十過ぎのオジサンばっかり……
「俺はまだ、三十代だ!」と多賀城で騒いでいるのがいるかもしれませんけど。
うるさいと多賀城どころか胆沢城まで飛ばされるわよ……( -」)φ
いっその事、もうチョッと若いヤツでも持って来ようかね、北家の冬嗣とか……かくして、またワンパターンだわ、末は大悪党の好青年時代σ(^◇^;)
あ、でも冬嗣って、平城天皇とあまり年変わらないんだっけ?
そうすると式家の緒嗣とも同世代か??
この調子で果たして、もう一人のキーパーソンの春原五百枝は出てくるのか?
まあ、今考えているパターンだと、一番の悪党は間違いなく神野親王だろうなぁ……(-_-;)
志貴親王以来、四代続けての悪党面は、童顔女顔……(?_?)
一回目を見て思ったのは、制作側が変に気負って演出を凝ろうとする部分が、かえって裏目に出ているような気がする……まあ、それでも悪くはないかな、という感想ですか(゜-゜)
そして第二回を見て思ったのは、変に期待をすべきではないな、今回もε-( ̄ヘ ̄)┌
あれは演出を凝っているのではなく、単に奇を衒っているのレベルなんじゃないのか( -」)φ
そもそも、下手な公卿よりも財力に物を言わせているはずの受領階級、それも武者(武士ではなく、“むさ”です)が、何のパフォーマンスで仙洞御所(だよな、白河院の御所だろ?)で、そろいもそろって、ボロ着て並んでるのよ?(・・??
揚句に八多羅拍子で入って来て、東遊でも舞うのかと思えば、いきなり抜刀してどうするの……???
今回の演出は、ことごとく裏目に出ているような気がしたけどなぁ……なまじ俳優が良い分、演出にも台本にも悪い方の傾向が見えるのではないのか????
ところで先週から気になっているんだけど、祇園女御のコスチューム、特に白い袴って何の意味なの?
この人、出家しているの、もしかして?でも、尼削ぎには見えないし(゜_゜>)??
そして、時々出てくる海、あれは伊勢なの???
……にしちゃ、京都との距離関係が殆ど分からない、これじゃ、都に海があるのか、海の傍に院の御所でもあるのかというイメージに取れるんだが????
既に異次元の物語の兆しだわ( ̄▽ ̄)。o0○
どうしよう、忠盛父さんが希代の変人に見える……?(゚_。)?(。_゚)?
時間は13時からなので、成人式が終わった晴れ着の若い人が多いかと思いきや、毎年、それ程の人数は見ません。
やはり着物で、あの長い参道は大変なのかな?
それはともかく、今年はまた、見学場所が『直会殿(なおらいでん)』になりまして、更には昨年と同じ『林檎の庭』の東側にも椅子席が設けられました。
おかげで、案外、見やすそうな場所には陣取れましたが(~_~)
まずは、今年も無事に雅楽の奉納が出来ますようにと、法要が行われます。
そして、雅楽の奉納となるのですが、今年は昨年までと違いまして、管絃が二曲演奏されました。
壱越調(いちこつちょう)の音取(ねとり)の後、『新羅陵王(しんらりょうおう)』と『胡飲酒(こんじゅ)破(は)』だそうですが……実は聞いていて、殆ど何の曲なのか分からない・゚・(ノД`;)・゚・ お主、四半世紀も見聞きだけはしているというに(ーー;)
伶人方々は幣殿(へいでん)に移動……舞は?
やはり幣殿で行うとの事で、見学場所を少し移動、そのお陰で更に見やすい場所に移れましたが、外の席にいた方々は幣殿の軒下に移動?
私としては何と申しますか、かたじけなさに涙こぼるる……?(/_;)?
それにしてもですよ、振鉾(えんぶ)の一節だけでもこういう状況ですから、三節目は殿内に収まるの、それよりも平舞になったら四人ですよ(゜.゜)
さてどうなりましょう(・.・;)
と、『春庭歌』が始まりました。
どうやら雨は上がったようで、嬉しい事に舞人は林檎の庭へと入って来ました。
この舞は昨年(一昨年だったかな?)の『子供の日の万葉雅楽会』でも行われまして、その時にかなり気に入りまして、再演が実に嬉しい次第です(^_^)v
毎度ながらにほざきますと、私は得てして蛮絵装束が(視覚的に)好きでして、片袖を脱ぐスタイルが更に好みです。
そして画像を御覧頂ければ分かるように、巻嬰の冠のかざしは桜、更に珍しい事にこの舞人は太刀を佩いています。
これがどうしてなのか、大いに興味をそそります。
そして最後に、このように本殿に向かって拝礼をするのがとても優美でした。
少し後ろで女性が二人、「源氏物語に出てくる舞って、こんな感じなのかしらねぇ」と話しておられましたが、多分、当たらずとも遠からじ?
これも春日若宮おん祭の最後の舞ですから、本当に度々目にする機会も多いです。
そして今年は辰年ですから、二匹の龍の舞という事のようです。
途中で少しだけ時雨れてきましたが、今年もありがたく拝見して参りました。
というか、途中の時雨のお陰でかなσ(^◇^;)
さあ、次は節分万燈籠、金曜日だと思うけれど行けるかな( ̄▽ ̄)。o0○
そこからすぐ近くなので、岩船寺にも行き、その帰りに奈良市の奈良豆比古神社に御参りして来ました。
境内では宮司さん(かな?)が、22日に行われる御弓始式のための弓の準備をしておられました。
笹竹を数十センチに切って矢羽を着け、厄除けとして、氏子の60歳以上の方などに配るため、170本程度を用意するのだそうです。
ここ最近は前掛けはしていないようで、今日もこんな姿で座っています。
注連縄のアンクレットは新しい物になっていました。
そういえば、このブログのカテゴリーに『お犬様』もあったんでしたねぇ……その辺の神社で、結構な数を写真に写しているのに、全然上げておりませなんだ(-_-;)
『万葉歌碑』とともに、既に何所に入っているのやら、探すのが大変ですわ……(゜-゜)
昨年の『翁舞』の時は、ここ最近では珍しいほどの人出だったようですが、こちらはそれ程有名な観光地という訳でもないのか、普段はこのように御近所の方々の、ごく日常的な御参り場所としてあるようです。
昨年も一昨年も、返事を出すだけという横着をしましたお陰で、かつての八割減という枚数になりまして、まあ、因果応報とでも言うべきかなσ(^◇^;)
それでも何とか、松の内には投函できそうです。
アンバーフィルムがないので、今年は普通に0.3ミリのペンで描いてみましたが、絵柄が特に変わる訳もなし、相変わらずの意味不明の阿呆絵です。
お慈悲のある方は、適当に持ち帰って頂ければ幸いです。
今年の年男は、藤原朝臣良継……というよりも宿奈麻呂の年齢だな、多分……霊亀二(716)年、丙辰年生まれ、御年1,296歳です。
ちなみに他の候補は、神亀五(728)年戊辰年生まれの石川名足、安積親王
慶雲元(704)年甲辰年生まれ、藤原豊成、菩提僊那
天武九(680)年庚辰年生まれ、氷高内親王、藤原武智麻呂
天智七(668)年戊辰年生まれ、行基和尚
という豪華な面々がおられました( ̄▽ ̄)。o0○
今年のイメージは、『春日龍珠箱』(奈良国立博物館)の外箱の蓋の内側に描かれた『八大龍王』なんですが……
今年はおり良く土曜日に当たりましたので、性懲りもなく出かけましたσ(^◇^;)
午後からでしたので、御堂の入り口近くにおりますと、日が差し込んで来て背中は温かくて助かりましたが、約1時間半、時々、チョロチョロと動き回りながら声明を聞いておりました。
この声明は聞き始めると癖になると申しましょうか、鍛えられた人の声は、時に楽器以上に耳に心地よく響いて来ます。
それにしても、やはり大仏殿は参拝者が多く、何となく落ち着かない雰囲気は否めません。
法要を目的として来られている方々が、いくら正面を開けて一般参拝者の邪魔にならないように配慮していても、後から来た写真撮影が目的の連中などは、そういう気遣いなどほぼなし……
望遠レンズをこれ見よがしに装着したカメラを二台も抱えて、真正面に陣取る若い野郎とか、本当に何様なんだ、途中から遣って来て(--〆)
二月堂に上がって、更に『山手観音堂』を経て、いつものように『まんなおし地蔵尊』に詣でてまいりました。
さすがに除夜の鐘の後に、ここに来る勇気はなかったので、今年初めてのお参りです。
ここは滅多に人が来ないのに、時々、面白いものに会えます。
本日のサプライズ(?)は鹿の親子(^_^)v
この画像の右下に映っているのが御地蔵様ですが、右手斜面から降りて来て、地蔵尊のを回って、川沿いの道を横切って左手の斜面に上がって行きました。
そして奈良町に向かい……まずは『御霊神社』(^_^;)
『井上神社』『崇道天皇社』……何を正月から、そういう所に行くのやら(-_-;)
三日にも『鏡神社』やら『不空院』の『御霊塚』にも御参りして来ましたしねぇ(゜-゜)
そしてこの後は、先日に『フルコト』で御会いしたオーナーのお店、『ぷちまるカフェ』で軽い夕食をとって帰りました。
しかし奈良町も、裏通りなどにも素敵なカフェが次々と出来ていますねぇ。
かつてのストリップ劇場の場所なんて、面影もないくらいオシャレなお店になってますから、以前を知っている人にはギャップが大きすぎるかも( ̄▽ ̄)。o0○
そのような訳で、さっさと次の話の準備をしたいのですが、今考えているのは、またも次の世代の話です。
今までの主要登場人物はほぼ全員が故人、そういう訳で次の主人公を選ばなければならないのですが、第一候補がまだ干されている状況の時代の話ですから、選定のやり直し(゜_゜)
別の候補は約二名、これがどちらもイメージどころかプロフィールさえ掌握していない状況ですから、まずは史料をさらうところから始めなければ……この状況は久々ですわ(-_-)
しかしだ、次に読み込まにゃならん史料は『日本後紀』、舞台となる場所が既に平城京じゃない……つまり、地理が分からない(*_*;
現在考えている方向で行くと、話の中心となるのは、かなり年の離れた姉と弟になるのかな?
まぁ、とにかく、史料あさりから始めないとε-( ̄ヘ ̄)┌
今年は見ていた場所がチョッと難あり(?)、一臈の巫女さんの舞が、見事に柱の影で見えない……(T_T)
それでも昨年よりはかなりマシな状況で、間違っても参道の途中でストップをかけられて、待ちぼうけなどという事はありませんでした。
しかし混雑の仕方はかなりのもの、本殿回廊に入ってしまったら、御間道の方には出る事が出来ませんで、桂昌殿の方に出て二の鳥居の辺りまで戻って、また参道を行かなければなりません。
おまけに境内のあちこちも通行制限が出ていて、高畑の方に抜けようとしたら、『ささやきの路』にも『中の禰宜道』にも入れず、『上の禰宜道』に行こうと思えば、『金龍神社』に詣でる人の群れで、道の入り口に近づけない……・゚・(ノД`;)・゚・
結局『紀伊神社』まで行って、『奥の院道』から行く羽目になりました(゜.゜)
そこから『白豪寺』、『写真美術館』などに行って、『東大寺』に戻り、転害門から出て、『旅とくらしの玉手箱 フルコト』という奈良北町にあるショップに行って来ました。
昨年末に明日香村で行われていた『飛鳥アートプロジェクト2011』のために作成された作品だそうですが、今年の干支でもあるので当分はここにいてもらうのだそうです。
この催し、石舞台で霧を発生させるイベントと、絹谷幸二氏の作品展と、カフェことだまでのスポット展は見てきたのですが、後は通りすがりに車の窓から見た川原寺の吹流しくらいしか眺めておりません。
何せ年末恒例(?)、締め切り間際の修羅場でしたからσ(^◇^;)
三が日は外院の庭まで入る事が出来ますが、ここが文句があるかと言いたいほどに混雑しています。
しかし、普段は外拝殿までしか一般の人は入れないので、このように本殿の屋根すら、内拝殿の陰になって見えません。
それを考えると、まぁ、人込みは鬱陶しいけれど行く価値はあるのかな?
さ~て、明日は春日大社の『神楽始式』だけど、どうしましょうかね。
ここ最近の混雑の仕方が、何となく興ざめなのねぇ……って、私も混雑させている一人なんだけれどさ( ̄▽ ̄)。o0○
いずれにせよ、九日の『舞楽始式』には行くのですけれどね。
今年は辰年だから走舞は『落蹲』か『納曽利』だな、たぶん(~_~)
