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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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以外に目立ちません……何となく、昨日の続きのように……

この歌碑は私の出没場所の一つ、奈良市矢田原町の田原西御陵、または春日宮天皇陵の切り通しの入り口付近に立てられています。
私はつい、この歌碑の前辺りに車を停めてしまうので、嫌でも目に付くのですが、案外知っている人が少ないと聞いています。

さて、ここに書かれている文字、何度見直しても

いわはしる たるみのおかの さわらびの もえいずるころに なりにけるかも

と書かれているような気がするのですが……

この歌の内容について、今更云々するのもおこがましいので最低限のデータのみ記しますと、

万葉集 巻八ー1418 春の雑歌の一番初めにあげられている志貴皇子の歌です。

 志貴皇子の懽(よろこび)の御歌一首
石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の上の 早蕨(さわらび)の 萌え出づる春になりにけるかも
 志貴皇子懽御謌一首
石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

さて、この歌碑を揮毫されたのはどなたかと申しますと、左端の方に『昭和五拾年 七月吉日 賀陽邦寿』と書かれているように見えます……でも、100パーセント拡大しても良く分かりません(-_-;)
賀陽邦寿さんってどなたでしょう……ネットでチョイとしらべてみましたところ、『邦寿王』で出て来ました。
更にはこの方、日本居合道協会の初代会長だそうです……(゜.゜)
それにしても何となく気になるのは、どうして旧皇族の方がこの歌を揮毫されたものやら、まあ、つまらない想像はやめておきましょうっと……(゜_゜>) 
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伝飛鳥板蓋宮跡にあります相変わらず、このカテゴリーは記事が増えません。
万葉歌碑は橿原市にも桜井市にも奈良市にも、漬物石にするほどありましても、そのような不届きな事をする人はまずおられません。
私も意味もなく写真を撮って来たりするのですが、全然、ここには上げておりませんねぇ……(-_-;)
そういう訳で、この前のバーチャル飛鳥京の日に写した画像でもあげて見ましょう。

この歌碑は、案外、最近出来た物だと思われますが、いつからここにあったのか、チョッと記憶にありません。
場所は明日香村岡、伝飛鳥板蓋宮跡といった方が分かり易いでしょう。
この場所、実は板蓋宮のみではなく、後岡本宮や浄御原宮も同じ場所で遺構確認されています。

歌碑に刻まれた歌は志貴皇子の

 采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く

  婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久

揮毫は日本画家の平山郁夫氏です。

う~ん、この歌って明日香村に立てられた歌碑の第一号として犬養孝先生が揮毫して、甘樫丘の途中に立てられたはずです。
それをまたどうして、新たにこの場所に立てたのでしょうねぇ……
ところで、こちらの歌碑の画像はあるのかと申しますと、古いパソコンのどこかに入っているはずです。
ここ最近、甘樫丘には登りに行ってないからなぁ……
直径二センチくらいです。今年もこれから、このレインボーラムネの予約が始まるみたいですね。
詳しくはこちらをどうぞ……

作っているメーカーは個人経営だそうで、ここ最近は口コミで人気が出て、生産が追いつかないので申し込み制を取っているそうです。
はがきで申し込んで倍率数倍だとか、結構狭き門ですが、一袋に8~900グラム入っているので個人消費のために買う人もいれば、お店などで小売するために大量購入する方もいるそうです。

この画像の物は私が抽選に当たって買ったのではなく、カフェを営業している知人に譲って頂いたものです。
手に入りにくいので『幻のラムネ』と呼ぶ人までいるそうですが、メーカーの方で買えなくても、ちょっと割高になっても良いのならば小売しているお店も若干知っていますので、決して幻という訳でもありません。

このように職場で出しておくと、チョコチョコと摘んでくれる人もいるので、案外早くになくなるかも。
そうしたら、またどこかで買ってきましょうっと……とか言って、そこのお店が今回の抽選に漏れたら販売中止かな(゜.゜)?
 
アーモンドパリッシュこのお菓子、食感は軽めですが、カロリーは少々高いかもしれません。
何故ならアーモンドスライスや卵をたっぷり使っていますのでσ(^◇^;)
大和高田市の隠れた人気商品?
お使い物にも良く出るようで、私も時々、差し入れなどに買って行きますが、大抵の人から美味しいと評価されています。

作っているのは『大和高田育成福祉会』、福祉施設の中です。
売っている場所もこの施設が入っている、『ゆうゆうセンター』の1階のみだそうで、ごく時たま露天市のような所にもお店を出すくらいです。
『ゆうゆうセンター』は『高田温泉さくら荘』のすぐ西側ですが、センターが開館していても施設が休みの日には販売していません。
そして時々、売り切れ……二時ごろに焼きあがりますよと、施設の方は言っていましたが。
今年はバスに乗って(^_^)vバーチャル飛鳥京』という行事は毎年、この時期に行われていたと思います。
東京大学などの複数の大学の研究室が合同で、CGを使って遺跡のその場所に復元モデルを見せてくれるという、かなり分かり易く面白い試みです。
何せ、平城宮のように金も時間も掛け捲っての建造物復元のできる所なんて、兎にも角にも限られていますから、この手法が一般化してくれたなら、かなり画期的な再現方法となるでしょう。

今のところは専用のゴーグルをつけなければならないので、一度に見る事のできる人数は限られているのですが、行く行くはもっと手軽な方法で出来る様にと、研究開発をしているのだそうです。
それでも何年か続けて行っていると、ゴーグルや周辺機器もかなりコンパクトになって来ているのが実感できます。

今年はチョイト変わった試みで、ゴーグルとヘッドフォンを着けて電気自動車に乗り、周遊路を走りながら映像を見せて解説を聞かせてくれるという手法でした。
結構面白いのですが、視界が完全にゴーグル内なのでかなり制限され、今自分たちが何所にいるのかが分からないという難点もあったような……
私のようにしょっちゅう、この辺を徘徊しているのにも分からないのですから、観光客の方でも右も左も……という状況ではないかしらねぇ(゜.゜)

映像の中に、多分、学生さんが扮していると思われる人物が遠景で出てくるのですが……チョッと笑えましたか、こいつが、リアルとは少々かけ離れていてσ(^◇^;)
運河の掘削状況実に久々の藤原宮の現地説明会です。
前回も朝堂院地区で、この場所のすぐ北側、おまけにその時の現説も雨でした……(-_-;)
本当に奈文研の現説は雨が多いです。
誰か神通力でも使ってるのか(・_・;)

朝堂院は大極殿院内の、臣下が集うスペースで、朝庭はそこの朝堂に囲まれた何もないスペースです。
何もないと言いましても、全面石敷きで儀式が行われる場ですから、場所としては大変重用なスペースです。
しかし、この場所は石敷きが殆ど残っていないようで、近世までの耕作土をはがすと、すぐに藤原宮造営以前の面が出て来るとの事です。

藤原京は宮域を定める前に坊条道を通している事は有名ですが、今回もこの様子を検出しているようです。
調査区の西側では、先行朱雀大路の東側側溝と考えられる南北溝が出ていました。
そしてその溝に平行して、かつての調査でも発見されている南北方向に伸びる運河が見つかっています。
これは藤原京の造営に際しての物資を運んだ水路と考えられ、既に分かった総延長は570メートルにもなるのだとか。
最終的には飛鳥川とつながるのだろうと推測されています。
この他にも五棟の掘立柱建物が、最低でも三期に亘って建て替えられた事が分かっているので、ある程度の期間、この場所に造営のための役所的な施設があった可能性も考えられます。

場所が場所だけに、やや地味な成果にも見えますが、これらの調査の積み重ねが新たな事実の判明になるので、気長に注目しております。
しかしだよ……この面積に半年以上かけているって、行政発掘じゃ考えられんぞ(--〆)
と、今日は愚痴で終わってみたりしてσ(^◇^;)
 
今年の橿考研の公開講演会は、このようなタイトルです。
これが最近の傾向のように、海外での調査がメインになっている内容ならば、間違いなく春日大社の万葉植物園の池の傍で舞楽を見ていたと思いますσ(^◇^;)

ところで今回取り上げられた古墳は、藤ノ木古墳(斑鳩町・後期古墳)、キトラ古墳(明日香村・終末期古墳)、そして高松塚古墳(明日香村・終末期古墳)がメインで、牽牛子塚古墳や中尾山古墳も名前は出てきましたが、束明神古墳や牧野古墳や鳥谷口古墳は出てきませんでしたねぇ……この辺、被葬者云々では外せないような気がするんですが、何か意図があるような……なんて事を言っちゃあいけねぇよ(ーー;)
束明神や鳥谷口は一応、名前くらいは出てきたか……(゜.゜)

ともあれ今日の講演は人類学、考古学、歴史学の大御所的な先生が、それぞれの豊富な経験と知識からこれらの古墳に埋葬された可能性のある特定人物についてを説明して下さいました。
なかなかに理路整然として分かりやすいと言うか、矢でも鉄砲でも持って来いと言うか、それなりに説得力のある内容でしたので、かなり興味深く聞く事ができました( -」)φ

ちなみに、これらの画像には特に意味はありません……
矢でも鉄砲でも……モフッタのでかい面かなり面白かったのが、古墳から出て来る人骨に関しての片山一道先生のお話。
人骨から性別を判断できる事は良く知られていますが、一番分かりやすいのはやはり骨盤で、次は足の骨なのだそうです。
私はてっきり頭骨かと思っていましたが、足の骨の間接の形や連結の仕方で、9割近い確立で分かるのだとか。

これによって、藤ノ木古墳の石棺に埋葬されていた二人の人物は、いずれも男性だと分かったそうです。
いずれも若く、血液型はB型だそうで、同じ棺に埋葬されている事からも、血縁的に近い人の可能性は否めないようです。
この二人に関しては、どの先生も崇峻天皇即位前期に出て来る、蘇我氏側に殺害された二人の皇子(穴穂部皇子と宅部皇子)の可能性を否定してはおられませんでした。


朝顔と黄花コスモスそれにしても、南側の人物は骨から見ても男性で間違いないのに、身に着けていたと思われる装飾品などが、どういう訳か女性的なアイテム(アンクレットやブレスレットなど)なのだそうで、これが何を意味するのかと新たな問題も出ているのようです。

高松塚古墳の被葬者をズバリ、述べておられたのは考古学の白石太一郎先生で、まずは横穴式石郭の変遷や出土した須恵器から見て、この古墳は平城遷都後間もなくに作られたと考えても矛盾はないという事でした。
そして従来より指摘されていたように、壁画の人物群が掲げている蓋(きぬがさ)の深緑色は、一位の人物を表している事から推測すると、平城遷都から時期を置かずに薨去した人物で、一位を贈位された人が二人いるという結果になるようです。
この二人の内、藤原宮の留守官として残り、ここで亡くなったと考えられる人は……(゜_゜>)

私にとって最も素直に入って来るのが、文献史学の和田萃先生のお話です。
藤ノ木古墳の被葬者の可能性を示唆しながら、穴穂部皇子の宮やその同母兄弟たちの本拠地が斑鳩にあった可能性なども説明され、中尾山古墳を含む八角円墳の系譜や、そのルーツを推測し、赤穂という地名に見える皇族の墓域が何所になるかという可能性など、割合にグローバルな視線で大和周辺を見回しているという感じで、被葬者論の枠を超えても面白く拝聴しました。

しかし、発想の自由さや展開は大御所ならではですね。
若い研究者ですと、やはり色々な意味での遠慮が出てしまうのか、やや慎重になって硬い話になりがちですが……仕方はない事と思いますが(-_-;)
この何年かは平日に休みを取りそこね、休日に30分近く並んで入場していたような気がするのですが、今年は早々に休みをもらって、昨日に奈良国立博物館に行って来ました。
今年の正倉院展は地味だという前評判のせいか、単に平日だったせいか割合に空いていまして、午前10時過ぎに着いた時には待ち時間15分の表示が出ていましたが、10分少々で入場できました。
ちなみに出て来た13時過ぎには待ち時間0分の表示になっていて、列は全くできていませんでしたが、団体様がエントランスで待っていて、博物館本館の西側の駐車スペースには大型バスが4~5台留まっていました。
団体様とかち合うと、かなり凄い事になるのでは……

今年の目玉は何なんでしょう……『金銀鈿荘唐大刀』でしょうか。
『国家珍宝帳』に寄れば、光明皇后は百口もの大刀を東大寺に奉納したとされていますが、天平宝字三年の十二月、既に五口の刀剣が除物として取り出された事が『出蔵帳』に見えています。
今回はこの『出蔵帳』が展示され、除物の詳細と東大寺、紫微中台(坤宮府)、造東大寺司のお偉方の署名が並んでいます。
ここに書かれている『陽宝剣』『陰宝剣』が、東大寺大仏の鎮檀具として納められている事が判明したニュースは記憶に新しい事です。
東大寺の森本長老のご意見では、もう一口の大刀もこの時の除物として『国家珍宝帳』に記載された、聖武天皇の遺愛の大刀ではないかとの事、なかなかに魅力的なお言葉です。
この後、天平宝字八年の変(恵美押勝の乱)に際し、八十八口が取り出されて殆どが戻されないまま、その後にも何口かが出されたようで、奉納された大刀は殆どがなくなってしまったとの事です。
それにもかかわらず、このもっとも華美な儀仗刀が残されたのは偶然なのか必然なのか……

今回の会場で唯一、待ち時間のある列ができていたのがこの展示品でした。
拵えはポスターなどでも華麗さを誇っていますが、それ以上に私が感激したのは刀身の方。
沸も乱れも殆ど分からない波紋に、反りも微かにある様なない様な切っ先諸刃、ほぼ直刀と言って良い程の上代大刀の最優品です、まさに。
中世の日本刀のような派手さがない分、妙にそそる大刀です……(・_・;)

今回はやけに布関係が多く、復元品も数点出品されていましたが、これがまた凄く綺麗なんですね。
奈良時代ともなると機の幅もかなり広くなるんだなぁと、錦にしても平絹にしても興味深いです。
あとは『東大寺山堺四至図』が圧巻でした、個人的には。
奈良女子大でも東大寺でも、写本だけは何度も見ているのですが、本物を見たのは初めてかもしれません。
『黄熟香』は……相変わらずでかいです( ̄▽ ̄)。o0○
『五月一日経』(最無比経)の誤字脱字の多さにも、チョッと笑えましたか……(^_^;)
更に面白かったのは『沈香末塗経筒』、小口の断面が八角形の被せ蓋式の入れ物の表面に、小さな黒い豆の粒と丁子が貼り付けられているんです。
今ならばクローブ(丁子)なんてスーパーで一瓶500円くらいで売っていますが、この時代は宝石に値するほどの高価なスパイスだったんですね、確か。

今年は地味と言えば地味でしたが、スポット的に面白い物も結構ありました。
伎楽面なども、なかなかに良い面相でσ(^◇^;)
講師の藤岡禰宜この長いタイトルが、先日(10月30日)の春日大社で行われました『いのちと心の講座』です。

ここで何度もほざいていますが、私は雅楽の類は四半世紀、見聞きだけはしておりますので、中途半端な知識ならば一般の方々よりは多少あると思っています。
ただし、こういう場合は間違ったままで覚えている事も往々にしてあるものでして……

その一つが『管絃』と言う言葉と文字です。
狭義で雅楽と言った場合、この『管絃』をさす訳ですが、決して『管弦』ではありません。
雅楽で使用される絃楽器は、楽琵琶楽箏、どちらも絹糸の絃が使用されているので糸偏の『絃』を使うのだそうです。

着付けは二人で行うのが常だそうです。普通に管弦というと、これはヨーロッパから入ってきた管弦楽(オーケストラ)のこと、ヴァイオリンやチェロの弦は動物の腸などを加工し、馬の尾の毛でできた弓で引くので演奏法からして違います。
今までの戯言を見てみると、十中八九どころか十まで、管弦の文字を使っているかもσ(^◇^;)

今回の講座はこのような基礎知識や歴史から始まりまして、襲(かさね)装束の衣紋の実演の後に、タイトルの示すように赤(左方)と緑(右方)の舞人が一緒に登場する『振鉾(えんぶ)』を見て下さいという運びとなります。

衣紋を見ておりまして今更に気づいたと言うか、今まであまり気に留めていなかったのが、下襲(したがさね)の裾(きょ)の事です。
舞楽『振鉾』第三節以前にどこかで、平舞の装束の裾には裏地があるけれど、走舞の装束にはない云々と書いたような気がするのですが……裏地は下襲にある訳でして、袍には裏地はありません。
要するに襲装束での舞を見ていて、裏地云々と言っていた訳です……我ながら意味が分かっていないような事を書いたんですね(-_-;)
あと、忘緒(わすれお)は左側に垂らすとか(何せ袍を着けてしまうと見えないので)、石帯(せきたい)の構造も初めて知ったような……

そして実際に舞を見てみましょうという事になるのですが、これも聞かなければ気づかない事も多々あります。
左右で最初に出す足が違うとか、出手を舞った後の一ろう(字が出ません・゚・(ノД`;)・゚・)以下の舞人のポジションの取り方が違うとかの類は見ていて分かるのですが、細かい動作の違いなどは、教えてもらわなければ個人の癖の範囲と思ってしまいがちです。

『振鉾』第三節綺麗に左右の舞人の動きが合っていると、本当に見ていても気持ちが良いものです。

三方楽所が解体された明治維新以降、楽家のエリートの方々が宮内庁の所属となってしまい、南都でも天王寺でも京都でも、本来の楽家以外からも継承者を募るようになったそうです。
南都楽所(なんとがくそ)の心得の一つに、伝統をそのままに継承するという事があるそうですが、これこそ一番大事で一番難しい事なのかもしれません。
 これらの舞や楽の萌芽の見られた中央アジアや中原、東南アジア、朝鮮半島でも既に失われた伝統を千数百年に亘って継承して来たのですから、携わって来た方々には思うにつけ低頭致します。
ここ最近、これらの組織出身の方が新しい試みをされて、それが一般の耳目に膾炙する事によって変な勘違いが生まれているように思えるのですが、こちらに関心を示されてそれなりの発言をする人達にこそ、本来のものに触れて欲しいと思うのですが……これを関東の知人に言うと怒られるんだよなぁ、奈良や大阪みたいに簡単に見に行ける物じゃないって(゜.゜)
群生する花と耳成山半八重咲きの花

今日も今日とてベタな画像で失礼致しますm(__)m
橿原市にある藤原宮跡のコスモスはまだ見頃が続いています。
と、申しましても、コスモスにも早咲きと遅咲きが有るようで、キャンパス種やセンセーション種は終わりかけ、ただ今の見頃は大輪のベルサイユ種だそうです。

筒状の花弁の花黄色い花














コスモスにどんな品種があるのかを調べてみたところ、三つや四つではないようで、十以上はありそうです。
一番一般的な花が『センセーション』というのと、黄色やオレンジやくすんだ赤の花が珍しい『キャンパス』くらいしか知りませんでした。
半八重咲きは『サイケ』、筒状の花びらの花は『シーシェル』といい、覆輪のある花は『ピコティ』だそうです。

イエローキャンパスちなみにただ今見頃を迎えている『ベルサイユ』は、花の直径が12センチ近くにもなる大輪ですが、色は白とピンクの濃淡という具合にスタンダードです。

この画像の花は多分、『イエローキャンパス』。
オレンジキャンパスも微妙な色で、私は結構好きなのですが、藤原宮跡では見かけませんでした。

これらの花、何年か前には明日香村でも、休耕田などに沢山植えてくれていたのですが、ここ最近はあまり見かけません。
今年は石神遺跡の近くで、センセーションかベルサイユらしい鮮やかなピンクが群れ咲いていました。

それにしてもコスモスの類は、花が咲いている内から種ができるので、見に来ている人の中には種採集を熱心にしている方もいましたが、こちらはさすがに少し早いかな?
もう一週間もしたら、やや早咲きの物が種になっているかもしれませんので、私もその頃を見計らって、もう一度訪れてみようかなどと思っています……とは申せ、肝心の種を蒔く場所がないσ(^◇^;)
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