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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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確か明日から『国民文化祭』で、今年は京都だと聞いておりますが、私はこの行事で何をしているのかほぼ知りません……何せまだ、奈良県には回ってきておりませんからσ(^◇^;)
イベントの内容が今日の新聞に一面広告で載っていましたが、さて……そそらない(゜.゜)
シンポジウムも考古関係というよりも、国文関係っぽいしなぁ(゜_゜)
明日(既に今日)と明後日は『恭仁京天平祭』が行われるのだそうですが、二日間とも予定が詰まっているので、私は参りません。
たしか、このイベント、昨年の『平城遷都1300年祭』の関連行事として、行われるはずだったと記憶しているのですが、当日は台風がおり悪く接近で、野外での催しが殆ど中止になったと聞きました。
そのリベンジと、盛り上ってくれれば良いのですけれどねぇ。

そういえば少し前、この辺を舞台に白壁王の若い頃(と言っても三十代の頃)の話を書いていたんだっけ。
今の話をとにかく遣っ付けて、次はこいつの再編成を考えようかな……
しかしこの御仁、無理をしなくてもしっかり悪党の片鱗が現れるような……この辺、藤原百川や縄麻呂には真似ができないのかも?(゚_。)?(。_゚)?

ともあれ、明日は朝から市内をあちらこちら走り回って、後は明日香村で見るべき展示でも見に行って、アーモンドパリッシュを買って来たから、約束どおり『ことだま』の典子さんに持って行ってあげなけりゃ……そういえば、橘寺の特別開帳、まだやってたかなぁ??藤原宮跡のコスモス、まだ見ごろかなぁ(・・?
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延暦武官行進列しつこく時代祭が続いてますが、これで終わりのはず……(^_^;)

この画像は『延暦武官行進列』、先頭の主将は東北遠征を終えて帰京する坂上田村麻呂だそうです。
この行列の鎧姿を見ておりますと、騎馬の将軍たちは大鎧の初期ヴァージョンとでも言うような扮装ですが、歩兵たちは衝角付甲や目庇付甲を被っていたりしまして、博物館で見る古墳時代の鎧姿という感じで、奇妙な時代差を感じますσ(^◇^;)
まぁ、平安初期の鎧に関する具体的な史料が殆ど無いので仕方がない事なのでしょう。

騎乗の禰宜と孝明天皇の輿桓武天皇の御鳳輦

更に『延暦文官参朝列』、『神饌講社列』と続き、ようやく『神幸列』となります。
実は祭の主役はこの列、二つの鳳輦です。
前の輿には孝明天皇、後の輿には桓武天皇の御神霊が乗っておられるのだそうです(゜.゜)
輿のスタイルはどう見ても、孝明天皇の時代の物ですね(~_~)

『白川女』と『弓箭組』平安神宮に入る神輿列

行列の最後尾を飾るのは『白川女献花列』、そして『弓箭組列』です。
この方々が神宮の門を入られますと一般の人へのお祭は終了、門は閉じられて参加者が大極殿ならぬ本殿に祭文を奏上して、無事に祭典は終了するそうです。
この様子を熱心に扉の隙間や連子の間から見ている人達もおられましたが、私はすぐ近くで行われていた手作り市をのぞいておりました(^_^)(^^ゞ
 
楠公上洛列 楠木正成
しつこく昨日の続き、というよりも再び行列が戻りまして南北朝時代。

この時代も京都は何となく圏外という感じですが、「主上、御謀反」と隠岐に流された後醍醐天皇が、鎌倉幕府を妥当した人々によって、都に戻ってきた時の様子を示しているようです。
兵庫津に出迎えた中心人物は、この楠木正成とその郎党という訳で『楠公上洛列』です。
しかし、この時代の鎧って鎌倉時代の大鎧と比べると、何となくバランスが微妙ですね……

中世婦人列 淀君淀君の侍女と藤原為家の室

続くのは『中世婦人列』です。
最初は、頭の上に柴を乗せて売り歩いた『大原女』と桶を抱えて川魚などを売った『桂女』の列が行き、その後ろから、『淀君』、『藤原為家の室』、『静御前』と続くのですが……真ん中の人、誰??

何せ京都の祭なので、京都で活躍した人物でないと選ばれない訳でして、鎌倉時代の女性として教科書に載るほど有名でも、北条政子などでは関東から出ておりませんので、選考外になるようです。

藤原公卿参朝列それにしても、鎌倉時代と平安時代(藤原時代)は何となく地味でして、特に誰という指定もない方々が、御供の人達を大勢引き連れて馬で黙々と通り過ぎて行きます。

しかし私の陣取っていた所は交差点のすぐ手前でしたので、しょっちゅう行列が止まって自動車を通しては、「一気に通りますので小走りに渡って下さい」と、平安神宮の神職さんや警察官に指示されて、わらわらと神宮の鳥居に向かって行く後姿を見送っておりました。
おかげで、以前に行った時よりも退屈しないで見る事ができました。

そしてこの後が、昨日上げた『平安時代婦人列』となり、ようやく延暦朝の人々と神職の列を先立ちに、この行列の主役たる二基の鳳輦がやってくる事となります。
豊公参朝列の牛車と牛童鞨鼓童 室町洛中風俗列

二日あきましたが何となく続きでも……

江戸時代の次は安土桃山時代(豊公参朝列、織田公上洛列)、室町時代(幕府執政列)となりますが、これはイマイチ色気のない武士集団のオンパレード、何やら配役に難あり(?)な写真は何枚か撮りましたが、それ以外で子供たちの扮装がかわいらしいものでも。
一緒に歩いている若い女性は、お母さんでしょうか。

騎乗の巴御前です。この後に南北朝(楠公上洛列)、鎌倉時代(城南流鏑馬列)と続くのですが、どちらも京都から幕府が離れているせいで、これという主役がいないような列の編成になっています。
この間に『中世婦人列』が続くのですが、この画像をあげるのを忘れていますね……
ここからの画像はむしろ、『平安時代婦人列』です。
その先頭を白馬で行くのが、この巴御前ですが、同時代人のはずの静御前は、鎌倉幕府以降に活躍(?)したと見なされるためか、中世に入っていました。

それにしても以前に『時代祭』を見に行った時も、ついつい、『四天王寺ワッソ』のイメージで出かけてしまったため、いざ拝見しておりますと、維新や江戸時代には鳴り物も掛け声もあるのに、時代がさかのぼるにしたがってそれらしい音声も無くなり、ただ装束をまとった人達が粛々と歩いているだけ……えらく辛気臭い祭だわ~と思ってしまったものです。

王朝時代の才女二人 清少納言と紫式部平安初期の後宮の実力者の一人 百済王明信

その辺の改善という訳でもないのでしょうが、この度は録音とはいえ雅楽なんぞを流して、もう少し雰囲気作りには勤めてくれていたようです。
それとも以前は、丸太町通のように交通量も人出も多くて、幅も広い道沿いで見ていたから、音声に気がつかなかっただけなのでしょうかね?
でも、近くにいた地元の若い女性も、考えようによっては地味な御祭ですよと言っていましたが。

名前つきのヒロインとして最後を飾るのが『百済王明信』なのですが、この人の前に確か、やはり唐風装束の『小野小町』と『和気広虫』が歩いていたはずです。
ところが以前も今回も、『小野小町』の画像が何所にもない……何で(・・?
まぁ、良いか、そういう訳で、続きはまた明日以降にでもm(__)m
 
何となく風邪気味のようなので、電気ブランをハイボールにして飲んだところ、やっぱり体調不調の時は酔いが早い……一昨日の続きは、それこそ明日以降にでも書きますか。
書いたから何って事もないんだけど、自らの備忘録かな???

ただ今は何を検討しているかと申せば、称徳天皇の晩期から光仁天皇期の初めにかけての呪詛事件の洗い直しですわ。
ここに、とっても胡散臭い昇進をした陰陽寮関係の人物が、若干二名登場いたします。
この二人、接点が有るようで無いような、勢力関係、利害関係、敵対関係となると二人の間に直接は無かったと思うのですが、背景にいるべき権力者の存在がかなり分かりにくいです。
いずれにせよ権力者が二人に期待したのは、彼らの能力を利用する事によって敵の裏をかく事。

片方が浮き上がると、片方が水面下に潜み、片方が失脚するともう片方がおもむろに姿を表すような傾向が若干見られます。
ストレートに考えると、それぞれを利用した権力者は別人という事になるのでしょう。
しかし、考えようによっては二人とも、まともな最後を向かえていない様な気がしないでもありません。

桃色のオシロイバナ少々アルコールが周り気味ですが、この二人の周辺を少し眺めて、権力者たちの水面下の活動やら、過去の出来事との関連をもう少し整理してみないといけませんわ……
それにしても、この辺りから、山部親王と北家の対立が始まりそうな気がしてきましたわ。
山部親王が一番嫌っているのは小黒麻呂じゃなくて、明らかに魚名だろうなぁε-( ̄ヘ ̄)┌

ところでこの花は何かと申しますとオシロイバナです。
こいつの花色は、ハイブリッドの妙とでも言いますか、メンデルも頭をひねる、優勢も劣勢もありやしない(-_-;)
赤と白を掛け合わせると、赤白まだらになるどころか、時にはこのようなピンク色すら現れまして、F1同士の交配による優勢と劣勢の比率は3:1なんて、高校生の頃に勉強した内容を見事にあざ笑ってくれます。
しかし、この花も雑草化すると鬱陶しいですね、種が大きいので発芽率も高いし、宿根だから翌年にも生えてくるし……
昨夜の続きを書こうと思ったのですが、矢鱈滅多らに眠いです。
先ほどまで、過去の正倉院店の図録をひっくり返して思った疑問だけ書いておきましょう。
孝謙天皇の頃に、後太上天皇といえば聖武天皇、中太上天皇といえば元正天皇の事ですが、この呼び名は宝亀年間までは有効なのでしょうか?
少なくとも桓武天皇の御世となれば、太上天皇は父親の光仁天皇になりますから……

それにしても、酒人内親王の自署の字を見て、何とな~くこの女性のイメージが変わった様な……
とは申せ、娘の一周忌の時のものだから、それなりの年齢の頃なのですがね。
維新勤王隊列 錦旗京都の三大祭はいずれも日にちが決まっているため、休日に当たる事は滅多にありませんが、今年は『葵祭』と『時代祭』が週末に当たっていたため、かなり人出が予想されたようです。
しかし、
『時代祭』の日は四天王寺の『経供養』と同日のため、休みに当たっていても滅多に出かける事は無いのですが、昨日(十月二十二日)の天気予報は雨、装束を濡らしてしまう訳にも行かずと、翌日に延期となりました。

そのような訳で昼前、突然に出かけようと思い立って行き着く先は三条東山……地下鉄の駅から出たとたんに沿道で待つ人の群れに遭遇致しました。


維新志士列 近衛忠熈徳川城使上洛列 城使

取りあえず時間の余裕もあったので、何所が良いかと『平安神宮』に向かってみますと、鳥居付近はかなりの人出でしたが、近代美術館の手前の交差点付近が割合に空いておりましたので、そこに陣取る事と致しました。
行列が『平安神宮』に到着するのは14時半との事ですが、時間はまだ14時より少し前というところ、周囲の人たちに倣って歩道の縁石に腰掛けて買い求めたガイドブックを眺めつつ待っていますと、10分そこらで警察の方が、「行列が到着しますので歩道に上がって下さい」と注意にやって来ました。

江戸時代婦人列 和宮江戸時代婦人列 吉野太夫 出雲阿国

この祭の時代行列には、京都を都に定めた桓武天皇から、都を京都から移した孝明天皇までの人々が明治維新からさかのぼって登場します。
まずは明治維新から江戸時代までの行列などの画像でもあげて見ました。

ガイドブックを見ていて気がついたのですが、この行列に登場するのは公家、武家、町衆、庶民という人々で、皇族はいないのかと思っていたのですが、唯一の例外は『江戸時代婦人列』に登場する『和宮』様のようです。
勿論、最後の列に孝明天皇と桓武天皇の鳳輦は登場しますが、登場人物としては配役されていません。
この後には安土桃山時代、室町時代と更に古い時代に向かって更に行列は続きます が、既に眠い(*_*)……続きはまた明日以降にでも。
JR畝傍駅の貴賓室今週に入ってから何故だかひどく眠くて、昨日と一昨日は日付の変わるよりかなり前に寝てしまいました……なのに、全然寝足りないような気がするのは、やっぱり眠りの質が悪いのでしょうか(゜.゜)

 さて、先日の日曜日(十月十六日)、ようやくJR畝傍駅の貴賓室を見に行って来ました。
この公開は八日からやっていたそうで、今月一杯、奈良県内で『奈良・町屋の芸術祭 HANARART(はならぁと)』という催しが行われており、その一つの会場として使用されていたためです。
公開は十六日まで、要するに最終日駆け込み状況です。


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この日はちょうど、今井町の鎮守である『春日神社』のお祭で、『華甍』の前辺りでだんじりがやって来ました。

それにしても私は現代アートにはかなり暗い状況でして、何をどう見たら良いのか……別に見方なんで無いよと言われても、どう楽しんでよいのか、つまりは面白みがイマイチ分かりません。
そのような訳で、『畝傍駅』でも『華甍』でも、今井町の中の登録文化財の町屋でも、展示されていた作品を無節操に写してきたのですが、既に何がなにやら分からない状況になっておりますσ(^◇^;)

華甍とりあえず、会場の一つとなっていた『今井まちなみ交流センター 華甍』です。
正面から見るとシンメトリーの、とっても渋くて堂々とした和洋折衷建造物です。

この後、今井町の中でアート鑑賞をしながら少し歩き回っておりましたが、数年前に比べると飲食店なども少しずつ増え始め、観光客の姿も多くなったように思えます。
でも奈良町に比べるとかなりコンパクトな町で道も狭いので、観光地としてはまだまだというところでしょうか。
それに、近隣の観光地(例えば明日香や三輪など)とは結構離れているのも、一寸行き難い印象を否めないのでしょうか。
この後も、現代アートとは言わず、他の分野でもイベント会場として活用して欲しいものですわ……
島野町『御霊神社』 扁額のある鳥居島野町『御霊神社』 春日造りの本殿
 
昨夜はとにかく眠くて、日付が変わる前に沈没……記事を見てみると、途中で書くのをやめたという感じで終わってますね(゜_゜)

少々ハレーション気味の鳥居に掲げられた扁額には『御霊神社』とあります。
ロードマップを見てみますと、『栄山寺』から吉野方面に抜ける県道沿いにもいくつか神社がありますが、鳥居のマークだけが示されていて名前がありません。
もしも通り過ぎなければ一寸寄ってみましょうと、東に向かって車を走らせる事と致しまして、最初にスルーせずに立ち寄ったのがこの島野町の『御霊神社』です。
本当に道路わきにポツネンと鳥居が立っていて、すぐ横に来るまで殆ど気づかない状況なので、通り過ぎた後に少し引き返したくらいです。

ここよりも手前の牧町六倉町にも神社のマークがありますので、ここも御霊社の可能性がありますが、こちらは全く気づかない内に通り過ぎたようです(^_^;)

南阿田町『御霊神社』 鳥居と拝殿南阿田町『御霊神社』 春日造りの本殿と、流造りの末社

こちらは阿田橋のすぐ近くにある南阿田町の『御霊神社』です。
本殿の色あせた扁額に『御霊宮』の文字がありました。
瑞垣の柱には『南阿田町』と『滝町』の文字が見えましたので、二つの町の鎮守さんという存在なのでしょうか。
それにしても、これだけ立派なお宮さんでも、由緒を記したような看板が無いところが多いので、扁額や石燈籠、手水鉢などに刻まれた文字を探すのですが、これすら見つからない所も時々あります。

南阿田町『牛頭天王神社』八田町『日吉神社』

この後にも二つの神社が地図に乗っていたので立ち寄ってみましたが、どちらも『御霊神社』ではありませんでした。
最初に道の右側に見えた鳥居の近くに車を停めて扁額を眺めると『牛頭天王』と記されていましたので、ここは間違いなく『牛頭天王社』で、祭神はスサノヲノミコトで良いのでしょう。

この神社の少し先に『南阿田大塚』という看板が見えまして、ついでによって行こうかしらと思いきや、6世紀の横穴式石室に入るには懐中電灯が必要との事で、既に夕方だったので次の機会に譲る事と致しました。

最後に寄った神社には名前を記した箇所が全くありませんで、周辺を少し歩き回ってみたのですが、やはり何も手掛かりがありません。
同じ敷地に建てられた新しい小さなお堂には『福林寺』とありましたが、両者の説明のある案内板は見当たりません。
そこで帰る時に、道の反対側で畑作業をしている方がいたので伺ってみたところ、『日吉神社』だとようやく分かりました。
何でも時々、ちょっとしたツアーのような人たちが訪れる事もあって、以前には九州から『日吉神社』巡りをしている一団もやって来たとの事でした。
ちなみに、ここまで大淀町寄りになると『御霊神社』は殆ど無いのだそうです。

何年か前に静岡の友人を引きずりまわして、五條市の『御霊神社』巡りをしていたのですが、この時は吉野川の北岸が中心でしたので、いずれ南岸も行わなければと言っていたものの、未だに果たしておりません。
いったい、いくつ回ったのかな……既に忘れているので、最初からやり直すべきかなぁ(゜_゜>)
栄山寺 八角堂栄山寺境内の御霊神社

『宇智川磨崖碑』から車で数分もかからない、吉野川の北岸に『栄山寺』があります。
ここでとにかく有名なのは、国宝の八角堂ですが、そのほかにも小野道風の手と伝えられる銘のある梵鐘も国宝です。

八角堂は亡くなった人の供養のために建てられる事が多いようで、この寺の堂も藤原南家の初代武智麻呂とその内室のために、次男の仲麻呂が天平宝字年間に建立したと伝えられています。
この八角堂の存在感のため、本堂が忘れられている事が多いような気がしますが、こちらの本尊は薬師如来坐像で、通常は秘仏となっていますが、室町時代の堂々とした御方です。

この寺の境内にも、実は御霊神社があります。
本堂と八角堂の間に赤い鳥居が立ち、狛犬が座り参道が延びていますが、扁額も銘も無いために御霊神社だと気づかない人も多いようです……といいますか、ここに来る殆どの人の目的には御霊神社などどうでも良いのかもしれませんが(^_^;)
大抵の時には神社正面の門は閉まっていて、出かけた日にもやはり閉まっておりました。
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