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この画像は先月の17日に奈良国立博物館の前庭で行われた『音燈華SPECIAL LIVE』の時のものです。
これを始めとして、書いていない記事がやたらにありますが……畝傍山散歩もあったっけ(゜.゜)
記事はあまり書かずに、画像だけ上げようかな、これからはσ(^◇^;)
それにしてもですよ、開成親王が出て来ると、山部親王のテンションがやたら上がるんだが、これって単に私のテンションが上がっているだけだよな……(ーー;)
この二人がしゃべりだすと、他に百川がいようが、種継がいようが、まったく忘れられた状況になってしまいますわ。
とにかく開成親王、情報通すぎるのが一寸問題かも知れません……坊主の前では誰もが口が軽くなる、などと行っておりますがσ(^◇^;)
ところで二人の会話の中に出て来る親王禅師(早良親王)のポジションが、かなり曖昧かもしれません。
まだ何も記録がない分、稗田親王辺りの方が立場や状況を決めやすいのですがねぇ。
大体、宝亀二年現在、この御仁は東大寺にいるのか?それとも大安寺にいるのか?
調べるの面倒だわ……東大寺要録とか、どこかにテキストがあったかなぁε-( ̄ヘ ̄)┌
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それにしてもボケてるし色も飛んでいるような画像ばかりですみません。
コンパクトデジカメしか持っておりませんし、舞殿に乗り出すみたいに(マナー悪く)写している人の真似はしたくなかったので、大人しく自分の席から写しておりました。
走舞は四曲、最初は左方の『蘭陵王』
拝見するところ舞人はまだ、この舞の練習を始めたばかりという感じで、これから次第に上手になって行くのだと思います。
最後の方、一寸スタミナ切れでしたか、御疲れ様でした……という感じです。
そして番になる舞は『納曾利(なそり)』、女性の舞手のようでしたが、この方は慣れた感じですね。
最近は何処の楽所も女性の参加が多いようで、『納曾利』が女性によって舞われる事も多々ありますが、なかなか切れの良い舞を見せて頂けるものです。
『抜頭(ばとう)』の童舞ヴァージョンは、こちらの定番なのでしょうか、今日も美人姉妹(なのかな?)が舞台に登場されました。
しかしこのヴァージョン、急の部分が無いので、テンポの良い曲調に乗って聞いておりますと、あれっ?というところで入手になって、舞人退出となってしまいます。
こいつを頭に入れておかないと、軽い消化不良を感じてしまいますわ……次に見た時も、また忘れていそうな気が致しますが( ̄▽ ̄)。o0○
南都における『落蹲(らくそん)』は二人舞、この度の舞人は男性と女性なので、少々身長差がありましたが、案外綺麗に揃っている様に拝見いたしました。
『長慶子』に乗せて『撤饌の儀』が行われる頃には、既に21時を回っておりました。
宮司さんが、「参列の方々もお手伝い頂ければ幸いです」と言われたので、こうなると臆面も無く参加してくるのが常……供物やら御幣やら御祝儀などを次々と手渡しで神前からひきあげ、
「今年も無事、お祭を終える事が出来ました」と、宮司さんや氏子の方々と御礼を言い合って境内から出る頃には、灯された『氷献灯』もかなり溶けて、氷の容器も薄くなっていて、更に透明感が増して綺麗な光を見せてくれました。
それにしても、寒かった~~(*_*)
ところで……どうでも良いのですが、ついにセカンドページ(最初はメインページ)が跡形も無く消えているようです。
おかげでこのブログ内に貼ったリンクも、完全無効みたいです。
時々、一週間くらい消えては、また復活しているような状況が何度もありましたし、放って置くとスパムの温床になるだけなのに、サーバーもまったく対応する気が無い状況が何年も続いていたので、いっその事、消えてくれて帰って清々しいと思える次第です。
外付けのハードディスクのどこかに、記事や画像の一部が残っているはずなので、その内引っ張り出して再録でもしようかしらねε-( ̄ヘ ̄)┌
現在、畿内だけにとどまらずあちらこちらで寺社などが中心となって、祭礼のためなどに楽所を置いているようですが、江戸時代までは幕府の管理の下に『南都楽所』、『天王寺楽所』、『京都楽所』の三方楽所が置かれていました。
これが明治時代になって幕府の援助が受けられなくなりますと、それぞれの楽所の人たちは東京に行き、現在の宮内庁雅楽部に所属する事になり(勿論、リストラも行われているはずですが)、奈良も大阪も京都も活動があまり出来ない状況となってしまったようです。
しかし奈良と大阪は、中心となる春日大社や四天王寺で今現在も、盛んな活動を続けています。
本来の南都楽所は、こちらの『氷室神社』に本拠があったそうで、それを受けてここでも『南都晃耀会』という組織を結成して活動を行っておられるそうです。
では、昨日の続きでも。
19時前くらいから舞楽が始まりましたが、最初はセオリーどおりに『振鉾(えんぶ)』が行われます(時間の関係か、三節目は省略)。
そして続いて左方平舞の『万歳楽(まんざいらく)』、左の写真ですが、この楽所では女性ががんばっておられるようで、一臈以外は女性でした。
続いて番舞(つがいまい)になる右方の『延喜楽(えんぎらく)』、題名の通りに平安時代に日本で作られた舞です。
そして次が『賀殿(かてん)』なのですが……この画像を見る限り、『万歳楽』と見分けがつかない??
今までも二度ほどこちらの楽所の『賀殿』を見ているのに、どうして気がつかなかったのか我ながら不思議でたまらないのですが、今回見ていて、舞人が舞台に上がった時、
「何で両袖脱いでないの、賀殿なのに?」という疑問が真っ先に出てきてしまいました。
他の楽所と装束の着方が違うんですよ、つまり。
こいつは番舞の『登天楽(とうてんらく)』にも言える事でして、四天王寺の『雅亮会』などでは右袖を脱いだ姿で舞っていますが、こちらや春日大社の『南都楽所』では脱いでおりません。
まあ、楽所によってさまざまな箇所での違いは、往々にしてある物なのだそうで、それを明治維新以降の宮内庁では、統一させるのに一苦労あったと聞いた事があります。
では明日以降は、走舞(わしりまい)なんぞを……しつこく続く(゜.゜)
氷室神社の御祭神は闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおおやまぬしのみこと)、『日本書紀』の仁徳天皇62年の条によりますと、天皇の弟の額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が都祁に狩に行った時、大山主命の管理している氷室を見せられ、この後より氷の献上をするようになった云々と書かれています。
現在は三間社流造の御社に、上記の人々を三柱の神として祀っています。
前日に『宵宮祭』、そして『本宮』は午前11時から『朝座の儀』が行われるようですが、私は17時からの『夕座の儀』から拝見してまいりました。
そして18時からは『東遊(あずまあそび)』の奉納が行われます。
私は春日大社で行われる子供たちによる『東遊』しか知らないので、詳しい知識はあまり無いのですが、ここで行われたのも『駿河舞』と『求子(もとめご)』なんでしょうか?
舞人の装束も色などが少し違い、太刀には錦らしい鞘袋もつけられていました。
楽人は高麗笛、篳篥、笏拍子、歌人で、弾琴はいませんでした……一寸、寂しいかも(;_;)
それはともかく、かつて例大祭には興福寺の南門前に御旅所が設けられ、この舞はそちらで行われたのですが、交通事情などによって今では境内の舞殿で行うようになったという事です。
さて、境内では『夕座の儀』が終わった辺りから、恒例(今年に限り、毎月1日に行っています)の『氷献灯』に火が入れられ、『東遊』の終了した19時前にはこのように見事に映えていました。
この後、舞楽奉納と相成るのですが……続くσ(^◇^;)
ちなみにこの画像は内容とは別物、少し前に写しました興福寺南円堂の『右近の橘』です。
今年は沢山の実をつけています。
日中は招待券を頂いたので、難波の髙島屋で『大和の尼寺三門跡寺院の美と文化』展を見ておりました。
その後、奈良まで行きまして、氷室神社の『例大祭』を一寸だけ拝見して帰って来ようと思っておりました。
でも思っただけで、いざ『夕座の儀』が始まって、その後に『東遊び』と『舞楽』の奉納があると聞けば、そのまま居座ってしまうのは私には極めてありがちな事です。
『夕座の儀』の時に頂いた『舞楽目録』を眺めて見ますと、18時から始まって……二時間じゃ絶対に終わらないよ、これだけの曲目(・_・;)
近くにいた女性から「何時くらいに終わるか御存知ですか」と聞かれ、「多分、9時を回ると思います」……案の定、終わったのは21時20分くらいでしたσ(^◇^;)
そして帰って来たのは22時40分……色々一段落して、ついさっきまで『ケータイ大喜利』なんぞ見て、猫と一緒に爆笑しておりました。
出かける時には、21時までに帰って来て今日は映画でも見ようか、裏番組のドラマも気になるなどと悩んでおりましたが、これでまったく悩む必要はなくなった次第です。
映画はその内、DVDでも借りて来りゃ良いんだよ(-_-)
それより、またもや写してきた写真の整理をしなければ……そういう訳で、例大祭の模様は後ほど。
しかし、来週の土曜日も同じような状況になりそうだわ……奈良坂辺りは更に冷えそうだから、冬物のストール持って行かねば(゜.゜)
昨日の昼ごろで、蕾はこんな状況。
この後雨が降り出して、今日は気温が下がり気味なので、まだ完全には開花していないと思いますが、これからあちらこちらで、この香りがただよう事でしょう。
……ってぇと、三嶋大社の金木犀の花は、二度目ももう終わっている頃かな。
大社の金木犀はオレンジ色ではなくて、白というよりも薄い黄色という感じの花です。
以前、どなたかのミステリーでキーアイテムとして、白い金木犀の花を取り上げていたのですが、子供の事からこの花を見ている私には、白い金木犀って頭をひねるほど珍しい物なのか?という、変な疑問があって納得できなかったという記憶があったりします。
それくらい、三島市周辺では誰もが知っている花なんですね(^_^)v
ここの花が二度目の満開を迎える頃、我が家の金木犀も咲き始めていましたっけ。
既に100枚(400字詰め換算)は超えているはずですが、核心の部分にちっとも入って行きやしませんわ。
百川もそろそろ、疑問をすっきり晴らしたいんじゃないかと思うんですが、とにかく作者がつまらない情報の隠蔽をしておりますので( ̄▽ ̄)。o0○
結局、右大臣(吉備真備)はどっかに失踪しちまって、変わりに娘やら和気公の姉弟が出てきたりで、何とな~く登場人物も代わってきてしまいました。
まぁ、そりゃ良いのですけどね、山部親王の登場割合をかなり削っているつもりなのに、やっぱり、この御仁を抜きでは話が進まないためもあって、出て来た時には、ここぞとばかりにとんでもない事を言いまくってくれます。
本当に口数の多い連中ばかりで……
それにしても開成親王や種継が大人しすぎるのは何故?
ところで本日、今更ながらに悩んでいるのが、斎宮の卜定のタイミングです。
「しかし、何事も皇后の思うようには行かせぬ。何せ大嘗祭が終わり次第、伊勢斎宮を卜定せねばならぬ。神祇官が何の建前を言おうが、天皇の御心は既に決まっておられる」
などと、山部親王は挑発的な事を言っておりますが、大嘗祭と斎宮卜定の順番って決まっているのかしら?
巷の噂では斎宮の候補は天皇の娘の酒人内親王と孫の五百井女王、この選定に漏れた方が中務宮の正妃になる……なんて言われていちゃ、親王としても傍から横目で見ている訳にゃいかんわな……σ(^◇^;)
では一昨日の続きなど……
『田原東陵』から、この『太安万侶墓』は割合に近く、自動車ならば五分とかかりません。
既に奈良時代の上級官人の御墓なので、時代に則して火葬が取り入れられています。
発見した茶畑の所有者は、多量の炭が出てきたので、それこそ戦前に炭を貯蔵していた穴でも見つけたのかと思ったそうですが、そこに金属の文字が刻み付けられた板が置かれていて、見た事のある名前があったために届け出て世紀の発見となったそうです。
この墓の模型と、実際に出土した『墓誌』は、橿原考古学研究所付属博物館で見る事が出来ます。
ここは河瀬直美監督の『殯の森』の舞台になって、チョイト有名になった所ですね。
こちらのカフェ、コーヒーは結構美味しかったけど、シフォンケーキはイマイチかな……御店の雰囲気や外の景色はとても良いのですけどねぇ(^_^;)
また、こちらの方へ来た時には別のケーキを頼みましょうっとσ(^◇^;)
ともあれ、来た時と同じ道を帰りまして、途中で道端の古墳の上のお稲荷さんにお参りをして来ました。
この『ベンショ塚古墳』は五世紀の前方後円墳で、測量した結果、全長が70メートル(周濠も含めれば106メートル)はあるそうですが、現在は前方部は殆ど分かりませんし、後円部は削平されているうえにお稲荷さんの祠まで置かれています(゜.゜)
確かここからは短甲や馬具が出土しているはずなのですが、主体部はどこに残っていたんだ??
『ホケノ山古墳』は『箸墓古墳』のすぐ東側、墳丘規模は80メートル、出現期のホタテガイ式古墳です。
あの辰砂(水銀朱)で真っ赤だった割竹形の刳り貫き式木棺を納めた石囲い木郭の発見で、一躍有名になった古墳ですが、相変わらず細い道を入って行かなければならないので、一寸行き難い印象の場所です。
調査中には何度か見に行ったのですが、実を言いますと公園整備の後には初めて行きましたσ(^◇^;)
夕方だったので、ご近所の方が犬の散歩に来ていました。
そういう訳で、再び御陵に寄って参りました。
こちらの御陵の古墳としての名前は『野口王墓古墳』、宮内庁では『檜隈大内陵』、通称は『天武・持統天皇合葬陵』です。
私は大抵、『野口王墓』と呼んでいます。
五段に築成された八角円墳で、鎌倉時代に盗掘された時の様子が『阿不幾乃山陵記』に記されている事が有名です。
メノウの切石で石郭が組まれ、漆塗の棺と銀の骨壷が納められていたとか云々。
江戸時代の初期までは石室が開口していたとも聞いています……
この古墳も周囲を一種する事が出来ますが、西の方から伸びている尾根の先端の最も高いところに作られているようです。
以前に石材が残っているのが見えると聞いた事があるのですが、今までに何度か周囲を回って見てみたものの、相変わらずまったく分かりません・゚・(ノД`;)・゚・
この辺りでそろそろ日没、三連休の最後の日とあって、奈良や大阪方面に向かって北上する車の列が、まだ続いておりました。
朝からニュースで、航空自衛隊の次期主力戦闘機(F-X)として、F-35、F-18 、ユーロファイターの三機種から候補を選定する事となった云々と言っておりました。
あれ……?
F-22じゃないの??
F-35って、試作機から進んでないんとちゃうんか???
ユーロファイター導入なんて言い出したら、オバマさん、ブチ切れるんとちゃうの????
それより何で今更、F-18なのよ?????
などという、まぁ、日頃ニュースを聞いていれば頭に残っているような、戦闘機の名前は浮かんで来るのですが、そいつがどういう飛行機なのか……かろうじてイメージが湧くのがF-18くらいという、かなり慎ましやかな知識だという事を再認識など致しました(~_~;)
F-18ってホーネットってヤツだよね、フォークランド紛争の時には飛んでたんじゃないのか?
*フォークランド紛争にアメリカは参戦していないので、飛んでる訳ありません……チョッと考えたら分かるだろうって(ーー;)
まぁ、とにかく、湾岸戦争の時に空母から蜂みたいに飛び立っていった軽量そうなヤツだよね、垂直尾翼が逆ハの字に開いた……(゜.゜)
要するに現在のアメリカ海軍の主力戦闘機だという事くらいは分かっておりますが。
導入から四半世紀は優に経っている飛行機の事は確かですから、機体が古いという事をニュースでも指摘しておりました。
更にはF-35もF-22同様にステルス機だけれども、果たして日本側が導入を希望する年までに、実用機が生産できるかという問題が残っていると言っておりましたし、こんな状況なので日本国内のメーカーが各部品の生産ライセンスも取得できるかすら不透明云々と、問題山積を匂わせておりました。
そのほか、ファントム(F-4EJ) の後継機だとの事ですが、私はてっきりイーグル(F-15)の後継機だと思っておりましたσ(^◇^;)
ファントムにしてもイーグルにしても、デルタ翼(カナードは無し)なのだから、それから言うとユーロファイターがデルタ(カナード翼、しっかり着いてます)みたいだから、私としちゃ、こいつが良いかも……などと、朝から寝ぼけた事を考えておりましたら、案の定、画面ではオバマ大統領が
「あなた方、ヨーロッパの飛行機なんぞ買ったら、どうなるのか分かっていますよね」的な脅しをしっかりかけておりました……桑原( -」)φ桑原
で、ユーロファイターってどこの国の開発よ……ヨーロッパ4ヶ国といってるけど?
ダッソー(フランス)が入ってない事だけは、何となく知ってるくらいだわ^_^;
以上、調べりゃ簡単に分かるような事を、仕事中も時々思い出しておりました……が、まだ調べておりませなんだ( ̄▽ ̄)。o0○
それにしても、うちのいじられキャラどもに武官は多いけど、連中が現代人になって自衛隊に入ってたら、どういう事してるんだろうなぁ……などと、途中からいつものように脱線致しましてσ(^◇^;)
間違っても、災害派遣で土嚢積んだり、重機の運転はしてないよなぁ。
蔵下麻呂なんて、陸自の空挺レインジャーやってたりして??
山部王は絶対に空自のパイロットよ、だって一番、地に足が着いてなさそうだし……おいっ(--〆)
あれ……?
F-22じゃないの??
F-35って、試作機から進んでないんとちゃうんか???
ユーロファイター導入なんて言い出したら、オバマさん、ブチ切れるんとちゃうの????
それより何で今更、F-18なのよ?????
などという、まぁ、日頃ニュースを聞いていれば頭に残っているような、戦闘機の名前は浮かんで来るのですが、そいつがどういう飛行機なのか……かろうじてイメージが湧くのがF-18くらいという、かなり慎ましやかな知識だという事を再認識など致しました(~_~;)
F-18ってホーネットってヤツだよね、フォークランド紛争の時には飛んでたんじゃないのか?
*フォークランド紛争にアメリカは参戦していないので、飛んでる訳ありません……チョッと考えたら分かるだろうって(ーー;)
まぁ、とにかく、湾岸戦争の時に空母から蜂みたいに飛び立っていった軽量そうなヤツだよね、垂直尾翼が逆ハの字に開いた……(゜.゜)
要するに現在のアメリカ海軍の主力戦闘機だという事くらいは分かっておりますが。
導入から四半世紀は優に経っている飛行機の事は確かですから、機体が古いという事をニュースでも指摘しておりました。
更にはF-35もF-22同様にステルス機だけれども、果たして日本側が導入を希望する年までに、実用機が生産できるかという問題が残っていると言っておりましたし、こんな状況なので日本国内のメーカーが各部品の生産ライセンスも取得できるかすら不透明云々と、問題山積を匂わせておりました。
そのほか、ファントム(F-4EJ) の後継機だとの事ですが、私はてっきりイーグル(F-15)の後継機だと思っておりましたσ(^◇^;)
ファントムにしてもイーグルにしても、デルタ翼(カナードは無し)なのだから、それから言うとユーロファイターがデルタ(カナード翼、しっかり着いてます)みたいだから、私としちゃ、こいつが良いかも……などと、朝から寝ぼけた事を考えておりましたら、案の定、画面ではオバマ大統領が
「あなた方、ヨーロッパの飛行機なんぞ買ったら、どうなるのか分かっていますよね」的な脅しをしっかりかけておりました……桑原( -」)φ桑原
で、ユーロファイターってどこの国の開発よ……ヨーロッパ4ヶ国といってるけど?
ダッソー(フランス)が入ってない事だけは、何となく知ってるくらいだわ^_^;
以上、調べりゃ簡単に分かるような事を、仕事中も時々思い出しておりました……が、まだ調べておりませなんだ( ̄▽ ̄)。o0○
それにしても、うちのいじられキャラどもに武官は多いけど、連中が現代人になって自衛隊に入ってたら、どういう事してるんだろうなぁ……などと、途中からいつものように脱線致しましてσ(^◇^;)
間違っても、災害派遣で土嚢積んだり、重機の運転はしてないよなぁ。
蔵下麻呂なんて、陸自の空挺レインジャーやってたりして??
山部王は絶対に空自のパイロットよ、だって一番、地に足が着いてなさそうだし……おいっ(--〆)
朝からまたも本薬師寺でホテイアオイを眺めた後、昼前から車を転がして東に向かい、桜井市谷の交差点から北上し、更に奈良市に入ってもう一度東に行き、道なりに北上した後に着いた所はこちら、宮内庁の指定する『崇道天皇八嶋陵』です。
御陵の前の横穴式石室は水没しており、前池は水が満水状況でした。
今日も杉の梢でハシボソガラスが、ツクツクホウシとコオロギが諸所で一緒に鳴いておりました。
お彼岸は蝶に良く出会いますが、ここでもモンキチョウが番で飛び回り、ノシメトンボやスズメバチもいつものように飛び交っていました。
八島町まで来てしまったら、矢田原町は大して遠くはありません。
嶋田神社を経由して再び県道188号線に戻り北上、東紀寺の交差点を右折して80号線をひたすら上りますと、県のヘリポートを過ぎて下り始めた道の先にここはあります。
背後の山は親王山、この名前はこの墓所の主からつけられたのでしょうか、『春日宮天皇陵』の主は志貴親王です。
江戸時代に切り開かれたと聞く切通しの参道では、ハンミョウやらホタルガ、ノシメトンボやアキアカネ、スズメバチが出迎えてくれます。
周辺の田んぼは既に刈取りも終わり、周囲の茶畑では今日も風車が回って、山では最後のツクツクホウシが鳴いていました。
奈良名張線(県道80号線)を東に向けて走れば日笠町、光仁天皇田原東陵があります。
最近に宮内庁の書陵部で草刈をしてくれたようで、墳丘周囲の道はひどくサッパリとして、歩くたびにバッタやらカエルがあちらこちらに飛び跳ねて行く始末。
どうやらこいつらを狙っていたらしい中鷺と青鷺が、私の姿を見て飛び去って行きました。
周囲の山ではまだミンミンゼミが鳴いておりました……橿原辺りではセミの声はパッタリなのに。
ここのトンボはフレンドリーなのに、日本ミツバチには終始からまれておりました……本当に、こういうところに来ると昆虫類や鳥類が、妙に人間に干渉するんですよね、良く分からないけど(゜.゜)
さて、ここから大柳生にでも抜けようかと思ったのですが、すぐ近くだからと太安麻呂墓に行ってしまいまして、これで続きは、墓参という古墳巡りになるのでした……続きは次回?(゚_。)?(。_゚)?
それにしても途中から、ここじゃなくて宇智(五條市)に行くべきなんじゃないのかと思えてきました。
近い内に、宇智陵と五條市の御霊神社を片っ端から訪問に行こうかなぁ……
