[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
祭に神様がいなければ、それはただのカーニバルだよと以前に知り合いの大学生の子が言っていましたが、『葵祭』とは『賀茂祭』、賀茂の大神の祭は欽明天皇の時代に始まったとされています。
この事は『日本書紀』には見えないので、詳しい事は良く分かりません(-_-;)
この辺を突付くと、またも『鴨と鴉のドツボ』が待っているので、今は止めておきます。
普段の年を知らないのですが、確かに出町柳駅を出たら、これでもかと言うほど人がおりました(~_~;)
どうやら私は、時代行列には然程に興味が無いのやら……だって、この類は『春日祭』でも『おん祭』でも毎年見ておりますし(^^ゞ
斎王代だけ眺めれば良いかしらねと、下鴨神社の前で見送った後は、さっさと馬場に向かいました。
三大勅祭として、宮内庁から勅使も派遣されますので、私としてはこちらを見たいのですが、これは有料で結構良い金額を取られます(/_;)
舞殿で『東遊(あずまあそび)』が始まる頃、馬場では『走馬(そうめ)の儀』が始まります。
私の本日のメインはこれですσ(^◇^;)
『流鏑馬』ほどメジャーではないので、それ程混雑もしておりませんで、一時間も前に陣取れば最前列で見る事も可能です。
そういう訳で最初から写真を撮る気は余りありませんで、動画を取って遊んでおりました。
ここにあげた画像は、走り終えた騎手が俸禄を頂いているところです。
騎手は木綿(ゆう)を賜り、それを馬の鞭で引っ掛けて受け取り肩に掛けます。
そして鐙の上に立ち上がって、腕を左右に振るう『拝舞(はいぶ)』を行います。
この拝舞は記録や絵画では見た事があるのですが、実際に見るのは『流鏑馬』や『走馬の儀』の時くらいです。
『春日祭』でも勅使が行うそうですが、当然ながら一般人には見る事ができません。
でも騎手のお兄さんが、ダメだよ~と手綱を引いて、外埒ぎりぎりを歩いて行ってくれます。
これがとっても、可愛いです( ̄▽ ̄)。o0○
ところが馬の写真を撮ったつもりが、騎手のお兄さんが写っておりました(^^ゞ
こちらはこちらで、なかなか良い表情ですわね。
今日も今日とて、墓参という態度ではありません。
この三日くらい『続日本紀』の宣命に悩みまくっていたので、土日は遊び回って終わりました……だからさっさと仕事しろって(+_+)
五月十四日は中将姫の御命日だそうで、毎年この日に当麻寺では『練り供養』が行われています。
中将姫と呼ばれている女性は、藤原南家の右大臣豊成の娘とされ、若くしてこの当麻寺で出家し、やはり若くして亡くなっているようです。
そして伝説では、この寺にて蓮糸で曼荼羅を織ったとされています。
この辺りの物語、折口信夫の『死者の書』をはじめ、謡曲『雲雀山』や浄瑠璃などで有名でしょうか……ってのか、この辺で勘違いされているような気もしますが(ーー;)
実のところ、私の周辺にはこの法要を見に行った事があるという人が殆どおりませんで、どのような状況なのかニュースや新聞記事でしか知りませんでした。
おまけに今年は土曜日に当たるので、絶対に混雑する事も窺えますし……(-_-;)
実際、いつもの年よりもかなり混雑していると、ご近所らしい人が話していました。
練り供養自体は、各地のいくつかの寺院でも行われているようですが、その元祖がこちら『当麻寺』で、既に千年を超える歴史があるのだとか。
何年か前に菩薩の面や装束も新しくしたそうで、昔とは別の趣きで良いものですよと、やはり御近所の方らしい御婦人が話しておられました。
これには尼僧姿の中将姫の坐像が乗せられていますが、御簾がかけられているために、御姿は殆ど見えません。
そして僧侶や楽人、お稚児さんに続いて、二十五菩薩が介添え役の人に手を取られて、まさにゾロゾロとやって来ます。
これが行きは常に逆光状態で、写真はフォトレタッチで修整しませんと、色も飛んでしまって全体にぼやけた感じになってしまいます……修正して何とか、ここに載せたという状況です。
逆に、通り過ぎた後姿は西日を浴びて鮮やかなものです。
それが二番目の、菩薩の後姿ですね。
ところでニュース映像などで良く見る、踊るようにして歩いて来る菩薩は阿弥陀三尊の脇侍の観世音菩薩と勢至菩薩だけです。
そして西に帰ってゆく時には、観世音菩薩の捧げ持つ蓮の花の上には、中将姫が乗っておられるという事になっています。
隣にいた二人の若い女性達が、この格好は絶対に如来じゃないねと囁き合っていました。
私にもそう見えます(~_~;)
それはともかく、仏画などに良く見られる、二十五菩薩と阿弥陀如来の来迎の様子を、このように表している訳です。
それを頭に入れておきませんと、何か変なパレードに見えない事も……と、今日も罰当たりな事をいう奴でした(*_*)
浄瑠璃などでは、この女性がまだ子供の時に孝謙天皇の前で琴を弾き、それが見事だと褒められたために中将の位をもらったとあるようですが……奈良時代の後期に、女性にそのような位を授ける事は絶対に無いでしょう。
ちなみに父親が中衛や近衛の中将だったかと申しますと、こちらの事実も無いようです。
私には未だに、この藤原南家の媛君にこのような名前がついた意味が分からずにいます……ってのか、この媛君の本名が伝わっていないのですから何とも申せませんが。
今日は午前中に大阪の住吉大社でふらついていて、そのまま当麻寺に来たので結構疲れましたわ……そして明日は京都だわ^_^;
いい加減、遊び歩いとらんで仕事せいって(-.-)
右にも左にも進めなくなったなら、とりあえずベーシックな所に戻りますか……(~_~;)
そういう訳で昨日から『続日本紀』(新日本古典文学大系:岩波書店)を眺めています、と言うか読んでおります。
だいたい神護景雲元年から宝亀四年くらいまでは、一通り読まなければなどと思っておりますが……
一番の敵は睡魔……σ(^◇^;)
次はウメナさん……(ーー;)
未だに神護景雲三年で立ち往生しております。
三年のいつかと申しますと、案の定、九月ですわね。
この時に起きたかなり有名な事件は、『宇佐八幡大神の託宣』騒ぎです。
何に引っかかってるかって……二つの宣命に挟まれて記されている事件の経緯が、どちらの宣命ともスムーズに結びつかないのよ(゜.゜)
だから後半の宣命は本来ここに入るべきじゃないという研究者もいる訳なのですが、こちらはともかく前半の内容にも結構疑問があるんです、以前から。
だから阿倍女帝がわざわざ筑紫にまで聞きに行かせた神託は、事件の経緯にわざとらしく書かれている内容とは別なんだろうと考えている訳で……こいつにいい加減、まともな解決策を考えないと(+_+)
それでもこういう事を考えている内は良いんです……
困るのは……正五位上淡海真人三船、従五位上大伴宿禰家持を並に大宰少弐……なんて記述にぶち当たると(?_?)
なんちゅう鬱陶しい人事だ、この時の大弐は誰さ?
藤原朝臣楓麻呂か、もしかしたらこの人、兼任官で遙任かな?
という事は、このどちらかが大宰府に行く事になるんだろうなぁ……どっちもどっちだけど^_^;
二人が一緒に赴任なんぞしたらどうなるんだ??
度を越した堅物と、融通の気かないチャランポラン(いずれも私の勝手なイメージです)、甲乙つけ難い変人同士か……大宰府も気の毒だなぁσ(^◇^;)
こういう脱線ばかりしているから、内容が頭に入りやしない!!
画像は、今の時季、河原辺りにやたらに咲いている草藤です。
これが誰かって、藤原朝臣雄田麻呂です。
……ってのか、誰の顔をモデルにしたんだっけ?
それはともあれ、現在は四十を過ぎて百川に改名したこの御仁を糾問中というところですか。
まったく、こいつが黙秘権でも使ってるんじゃないかというくらい、何もアクションを起こしてくれない(T_T)
初っ端から山部親王に顎で使われているのに反発しているのか、こちらの要望なんてからっきし聞いちゃくれませんわ(/_;)
そりゃ、井上皇后はじめ、和気広虫だの吉備由利みたいな、百戦錬磨の女傑らの相手しかさせていない私も悪いんだが(~_~;)
何せこの御仁、私の話の中ではこの世代の藤氏の内でも一番の常識人、誰かのように腹黒い所があまりないのがネックです。
だから五つ年下の甥にも、三つ年下の異母弟にも少々なめられているような所があったりします。
まあ、一番なめて掛かっているのは、どこかの親王でしょうが……(-_-;)
でもねぇ、最後にはその人から頭下げられるだけの事、してもらわにゃ私が困る訳ね……
このような訳で、スランプという日常現象への対処を登場人物の責任とほざいて、今日も現実逃避に走るうめぞーでした……ε-( ̄ヘ ̄)┌
え~と、コメント(非公開)、誠にありがとうございます<m(__)m>
いや~、汗かきましたσ(^◇^;) (・_・;) (~_~;)
考えている内容は昨日の続き……
彼(彼女ではない……)は誰のために手を汚す事を辞さないのか。
これが封建時代ならば、仕える主のためと案外言い易いのですが、今考えている時代はそういう意識が何処まで通じるのか、かなり疑問です。
何せ平たく申せば、天皇家対藤原氏ですから。
皇家内にも藤氏内にも権力争いがありまして、この類は平安時代初期の方が顕著でしょうが、奈良時代中期以降もかなり露骨にあります。
案外勘違いされているのが、この時代の天皇権力の大きさでしょうか。
対抗する(もしくは協力する)藤氏の側も侮っていては、こちらが食い物にされかねない?
おまけにここで藤氏の曲者らが相手にしなければならないのが、一筋縄で行くような相手じゃない……何せ元太政官のトップ3に入っていた御仁だったりしますから。
彼は自らの意中の人物のために、この大物と渡り合うと言うか、この御仁を持ち上げている太政官面々の裏をかかなけりゃならない……しかしだよ(゜.゜)
実は一番の大物と彼の意中の人物は案外連携している?
つまり黒幕になるのは、この最大の御仁だったりする……
これが有利な事なのか不利な事なのか?
自らも含めて謀る側は誰一人や表に立てず、通常と変わらない態度で何をするのか。
簡単そうに見えて、かなり厄介なのかも……ε-( ̄ヘ ̄)┌
画像は河内飛鳥にて地味に花盛りだった『五葉アケビ』の花です。
こう言った後、この人はどういう態度を取るだろう……
奈良で友人と会って帰って来る時の電車の中で、ボヤーっと考えておりました。
もしも彼(彼女)が物事の矢面に立って、本当に汚れ役を引き受けるとしたら、その人はただの阿呆かもしれない。
こんな行為をする人物に、傍から見た者は、どの程度の魅力を感じるだろうか?
確かにこれでは、ただの鉄砲玉だな……(@_@;)
では言われた方の御仁はどうするのか?
何もしないで座っているのでは、正真正銘の馬鹿だな……(ーー;)
この御仁は「手を汚す」と言った相手のために、果たして何をするだろう??
「貴方は私のために影を作って下さいますか」
もしも続いて、このように彼(彼女)が言ったとしたら?
言われた御仁のするべき事は何なのか……常と同様に振舞う事か?
それとも第三者を巻き込むべきか??
ではその第三者は、どういう役割を振られる?
この人がどのような立場なのかで、かなり状況は変わってくるはず。
スケープゴードにもなれば、水面に浮かべられた中身の無いヒーローにもなるかもしれないし、本当の悪党になるかもしれないし、正真正銘の曲者として活躍できるかもしれない。
……では私が現在選ぼうとしている第三者は誰なんだ?????
そういう訳で、ただ今方向の見直し中(-_-;)
連休遊び倒し(?)の最終日は春日大社です。
昨年後半から妙に春日大社づいてます?
お蔭でこのところ舞楽と言えば雅亮会(四天王寺)よりも南都楽所(春日大社)です。
五月五日は朝から端午の節句にちなんで『菖蒲祭』
舞殿の柱にはさり気無く花菖蒲(アヤメ科)と蓬の葉が飾られていますが、この日にお風呂に入れるのは菖蒲はサトイモ科の植物です。
しかし、柄付きスポンジみたいな菖蒲の花では、それこそ華が無い……見た目も艶やかな花菖蒲で代用しています。
神事は参列者に御祓いをした後に御本殿の御扉を開き(多分……だって見えないし^_^;)、御供えを献じまして、華道の先生による献花、祝詞の奏上、玉串を捧げまして、撤饌、御扉を閉めて神職の退場と言うところだと思います……だって見えないんだもの(^^ゞ
供献と撤饌の時には、楽が流れますので何となく分かります。
神事は基本的に非公開、この後に行われる舞楽を見ようと参拝の人達は舞殿の外に並んでおります。
この間、背後で若い神職さんが「賽銭箱の前は、御参りする方のために御空け下さい」をひたすら繰り返していました……結構大変な役目かも(~_~;)
今年は『還城楽(げんじょうらく)』でした。
タイトルからすると、戦いに勝った将軍が凱旋するような内容に思えるのですが、舞を見ておりますと全く違うストーリーです。
走舞(わしりまい)の内でも、これほど分かりやすい(?)舞は無いかも知れません。
蛇を食用としている人種が、蛇を見つけて喜ぶ……見も蓋もない表現ですみません。
最初は舞人が一人で序を舞っているのですが、途中で出て来た人が、その後に密かにとぐろを巻いた蛇を置きます。
暫くして気がついた舞人は露骨に喜びまして(上の画像)、徐々に間合いを詰めた後、一気にゲットします。
そして右手に撥、左手に蛇をつかんで狂喜乱舞(?)してくれます。
実を言えば私、この日の舞は『蘇莫者(そまくしゃ)』かと密かに期待しておりましたが……
先月の二十二日に法隆寺で『聖徳太子1390年御遠忌』の法要があったのですが、舞楽四箇法要の途中から土砂降り……中断の後、殆どの行事が中止となりまして、この中に舞楽『蘇莫者』もありました。
南都楽所では基本、十年に一度の法隆寺の大会式の時にしか『蘇莫者』は奉納されないとされています……が、七年前(申年)の舞楽始め式で拝見しましたわ。
今年中にどこかでリベンジで行われないかしらと、密かに期待をしているうめぞーでした。
更に午後からは万葉植物園にて『子供の日萬葉雅楽会』がありました。
また記事を改めまして<m(__)m>
この法要は朝廷からの勅使を迎えて行われたそうですが、戦国時代に兵火で講堂が焼失してからは途絶えてしまったそうです。
それから五百数十年、平成十五年に大講堂が再建され、この法要も復活しました。
この辺りの事は、昨年の記事にも書きましたね。
結構盛り沢山な法要と申しましょうか、まずは四箇法要(しかほうよう)が行われた後に、表白(ひょうびゃく)や勧請(かんじょう)が行われ、講問論議(こうもんろんぎ)となります。
村上さ~ん、今日も良い御声ですね~……ってなところです( ̄▽ ̄)。o0○
ところでこちらの法要、行道のみならず堂内でも天理大学雅楽部の学生さん達の演奏がありまして、四箇法要の唄(ばい)に合わせて管弦が行われていました。
これを聞いていて、篳篥が人の声を表すという言葉の意味が、よく分かりました。
今年の勅使役は志野流の蜂谷宗玄氏だそうです。
すみません、流派の御名前も宗匠さんの御名前も初めて聞きましたσ(^◇^;)
この後に行われました番論義(ばんろんぎ)は、二人の少年僧によって行われます。
昨年に行きました興福寺の『慈恩会』でも、この試問は行われていましたが、やはり何を言っているのか全く分かりませなんだ(T_T)
それでも「今一度申せ」の言葉に、そこかしこから微かな笑い声がしていました。
もう一度、あのヤヤコシイ質問を繰り返さなけりゃならないのね……(~_~;)
法楽の最勝王経の読経も終わり、最後の惣礼(そうらい)の後に講堂を退出した時は既に二十時過ぎ、暖かい夜で助かりました。
薬師寺の伽藍も先月くらいからようやく、ライトアップを再開したようですが、六月にはついに東塔の解体修理が始まるそうで、予定としては平成三十年までは覆い屋に囲われてしまうそうです。
そういう訳で、ここが河内源氏発祥の地なので、三代の墓所もこの地にあるのだそうです。
なかなかに風光明媚な葡萄畑が広がる土地です。
何ですか、誰かの追っかけでもやってるんですか、我ながら??(゚_。)?(。_゚)??
でも、この度は佐保川さんは来ておられませんよ……
私は昨年の下鴨神社の流鏑馬で見て以来、この方の密かなファンだったりしますσ(^◇^;)御本人は絶対、こんなところ見てないだろうなσ(^◇^;)
お馬鹿はこの程度にして、こちらの境内も決して広くはありません。
射手は男女五名ずつの二組です。
この度も私がどれだけ写真を撮るのが下手なのかを痛感致しました。
射手が右手を離して、優に一拍置いてからシャッターを切っていますね、この画像は明らかに(ーー;)
申し添えますと、決して悪意はありませんので御了承下さい<m(__)m>
蟇目とは射場を清めるために行うのだそうで、悪いものは全て的に収めて、それを鏑矢で射抜くのだそうです。
見ていて、実にカッコいいです(-_-)
男性五人に引き続いて、この度も水干を纏った女性が御奉仕下さいました。
私の見ていた場所は、射手の方々の並んだほぼ横でしたので、構えた時の綺麗さがイマイチ写っておりませんねぇ……残念(/_;)
おまけに的も的役も全く見えない場所なので、当たったのかどうなのか……
もっとも、見えていてもほとんど分かりませんで、むしろ音を聞いていた方が何となく分かります。
これも一つの発見?(?_?)?
それにしても、娯楽ではなく神事や仏事に伴って発達した芸能とは、見ていて興味深いものが多いと、この度も思いました。
御奉仕下さいました方々には、厚く御礼申し上げます<m(__)m>
かくして一人で喜ぶうめぞーは、珍しくお守りなどを購入してしまいました。
『白旗守り』楠木で出来ているので、ほのかに樟脳の香りがします。
『八幡大菩薩』の八の字が、しっかり『はとサブレ』です……って、また関東周辺の人しか分からないような寒い事を言う((+_+))
早速、この前に替えたばかりの携帯電話に着けております。
