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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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源頼義公の墓所羽曳野市の『壺井八幡宮』で行われた百々手式が昼前に終わったので、せっかくなので周辺の史跡なども見に行って参りました。
『壺井八幡宮』はかなり以前に車で来たきり、周辺に何があるかも良く知りませんが、案内板には少し離れた所に『河内源氏三代』の屋敷跡や創建した寺跡墓所があると紹介されていたので、好天の下、フラフラと歩いて行きました。

こちらがまず、源頼義公のお墓です。
頼義公といいますと、『前九年の役』の発端を作った一人という印象がありまして、別に陸奥の安陪氏や藤原氏に思い入れもへったくれも無い私でも、何となく良くない方のイメージが先行してしまいます。
それはともあれ、頼義公は自らが創建した『通法寺』の本堂の下に葬れと遺言をし、後に同じ境内の現在の場所に改葬されたそうです。
墓所の扉には笹竜胆の家紋が刻まれていますが、墓石も全体的に新しく整備されたという印象ですね。

源義家公の墓所中世寺院は全くの門外漢ですが、こういう所に来るととにかく地形が見たくなるのが私の病気(-_-;)
背後や横の竹やぶなんぞ覗いて、斜面を人為的にカットして、この辺から盛り土をして一段あげて……なんて眺めていても、傍から見たら筍泥棒に見えるかもσ(^◇^;)

馬鹿はさて置き、そこから少し離れた高台には息子の源義家公の墓所があります。
こちらは『後三年の役』の張本人?
しつこく言うと、私は出羽の清原氏にも、陸奥の藤原氏にも思い入れはありませんよ。

この場所はすごく良い……妙な第一印象ですが、多分、相性が良いのでしょう。
思わず、その辺の切り株に座って暫くボ~っとしていました。

源頼信公の墓所

義家公から見れば祖父に当たる源頼信公の墓所も、目と鼻の先にありました。
こちらは周囲をブドウ畑に囲まれていて、ビニールハウスの中で作業をしている人から、逆に眺められていてチョッと落ち着きませんわ……(~_~;)

この方は源満仲公(多田満仲)の三男ですから、頼光公(摂津源氏の祖)の弟ですね。
満仲公と言えば『安和の変』に暗躍する曲者……(ーー;)
頼信公は摂関家に仕えて、『平忠常の謀反』を平定した方だそうです。
どこかで聞いた名前だと思ったら、ここに出てくる訳ですわね……マジ、この辺の歴史、すっかり忘れてます(゜.゜)

大僧正隆光の墓昔、この辺の時代を扱った話を書いていたんですよね。
勿論、主人公はお公家さんですけど、特殊技能保持者(?)の受領階級で、お兄ちゃんが蔵人の五位なんぞになって、喜んで関東の方の国守をやっていて、お姉ちゃんは皇太后に仕える女房で、お父さんは筑紫大好き、大宰少弐に戻りたい、理系技術職(?)のお祖父ちゃんの後を継いだのは、この主人公一人だけ……変な家族構成(-_-;)
この人が年をとってからの話に、八幡太郎義家公やら鳥海三郎宗任公やら出て来るんで、嫌でも頭に入っていたはずなんですけどねぇ……(/_;)

ところでこの写真は、江戸時代の隆光大僧正のお墓だそうです。
何でも五代将軍綱吉と共に『生類憐みの令』を出した方だそうです。
で……何なの、この供養塔の形?
暫く眺めていて、ようやく宝篋印塔の成れの果てだと分かりました。

鑑真大和上の廟所これらの墓参の後、羽曳野市が整備したウォーキングルートをたどって上ノ太子駅まで戻り、そのまま奈良市の西ノ京まで行き、久々に唐招提寺も参拝して来ました。
こちらはただ今、瓊花(けいか)が花盛り、明日まで公開しています。
そちらはまたカテゴリーを改めて紹介しますが、こちらでも墓参をして参りました。
鑑真大和上の御廟所です。
拝観者も多く、正面から写真を撮るのは何となく気が引けたので、横に廻りまして。
開山忌は来月ですね……久々に行こうかしらねぇ(-_-)
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相も変わらず柏原陵です。

今日も墓参と言う態度ではない……『日本後紀』の大同元年の記述に寄れば、桓武天皇の墓所として『山城国葛野郡宇太野をもって山稜地となす』と見えています。
今の右京区宇多野辺りだろうという事ですから、仁和寺の近くでしょうか?
どうも京都の地理に疎くていけませんが、京福電車の駅にありましたよね、『宇多野』って?

ところが墓所を定めた後に、点け火と思しき山林火災、月食、鳴動現象などが続いたため、恐れをなした皇太子が再び墓所の選定をやり直させて『山城国紀伊郡柏原山陵』に埋葬を決め、更に半年後に同じ柏原の別の御陵に改葬したとされています。

この時、宇太野の墓所が賀茂神に近く、この社が災いを成していると疑われる云々と理由を述べています。
現在の賀茂の社といえば、『上賀茂神社』、『下鴨神社』共に左京区にあるのは周知の通りです。
どうして右京区辺りに御陵を造ろうとしたら、賀茂の神様が怒ったのか……
これって、もしかして現在の『蚕の社』の事じゃないのか?????

このような事を昨日、『糺の杜』でボヤ~っと考えておりました。
京都とはイマイチ相性の悪い私が、何となく相性が良い場所の一つが、この『糺の杜』のある『下鴨神社』と『元糺の杜』のある『蚕の社』こと『木嶋坐天照御魂神社』です。
まぁ、養蚕や繊維産業に携わる方々の信奉を集めると同時に、奇妙な三角に組み合わさった三つ脚鳥居でかなり有名です。

摂社に『蚕養神社』があるために『蚕の社』の通称で呼ばれ、秦氏のテリトリーという印象が凄く強いのですが、どうしてこの社の杜が『元糺の杜』なのか……嵯峨天皇が下鴨に糺の杜を移したから?(゚_。)?(。_゚)?
だから、『糺の杜』って本来が秦氏の信仰対象だったの?
そもそも、秦氏も賀茂氏(賀茂県主氏)もどういう関係なの?
この疑問に、どなたかが長く縁戚関係を結ぶような間柄だったと教えてくれた事があったのですが、未だに不勉強で確かめておりません。

私は十数年前から時々思い出したように“鴨と鴉のドツボ”というやつにはまるのですが、鴨は葛城の賀茂朝臣、鴉は山城の賀茂県主の事です。
この二つの氏族をゴッチャニしている人が、すっごく多い……
以前に陰陽師ブームなんてやつがあった時、暦道の賀茂朝臣氏(後の幸徳井家)を山城の賀茂氏に結び付けて、奇妙な事を言う大学生くらいの子がやたらにおりましたっけ……ε-( ̄ヘ ̄)┌
こちらは間違いなく、葛城の賀茂朝臣です。

ちなみに私のドツボは、どうして山城の賀茂氏が葛城と自らを結びつけるような事を考えたのか、こちらの疑問です。
こいつに秦氏(蚕)が加わると更に複雑になって来そうで、これを称して“鴨と鴉と蚕のドツボ”と勝手に命名しております。
……葛城の賀茂氏と大和の三輪氏の関係までを考え合わせると、更に収集がつかなくなります。

それはそうと、今日は羽曳野の『壺井八幡宮』やら『河内源氏三代の墓所』に行き、夕方からは薬師寺の『最勝会』にも行きましたので、そちらの写真も整理せにゃ……またも阿呆ほど写して来た奴がいる(ーー;)

二の的……的中したはずなんです!今年こそ有料席でゆっくり見ましょうと思ったのが甘かった……神社に到着したのは12時20分くらいなのに、観覧席券売り場から、これでもかと言うほどの人の列が伸びておりました(@_@;)
これが本当の「埒があかない」……状況?

仕方なしにいつものように三の的のあたりに陣取りましょうかと思ったら……報道陣で埋まってる・゚・(ノД`;)・゚・
フラフラと馬場元の方向へ歩いて行きますと、馬場殿の辺りが割合空いておりまして、それこそ実況席がすぐそこに見えるような所に陣取っておりました。
お蔭で二の的のすぐ傍、解説の方の顔もしっかり見えるような場所です。
何と申しますかこの度の騎射は、小笠原流の宗家御夫妻の頭越しに終始眺めていたと言う感じですわ?(゚_。)?(。_゚)?

公家装束の射手

昨年の夏にカメラを壊して買い換えたのですが、このカメラは一枚写すと次にスタンバイするまでが、阿呆ほど掛かる……失敗したら次は無い?
このような状況で、今年の写真はほとんど惨敗……
とにかく糺の森は暗いので、いくら絞りを開放してやってもシャッター速度が上がらず、ぶれまくりも良いところでした。
そういう訳で途中から動画など写して遊んでおりましたが、どうやってもこのブログにファイルのアップロードが出来ない……
こんなデータも小さく、何秒も無い動画を別のサイトに上げるのも嫌なので、さっさと諦めました。

それにしても、今年も的中率は……??(゚_。)?(。_゚)??
賀茂の神様は馬が大好き、矢が的に当たるに越した事は無いけれど、やっぱり疾走する駿馬が見たいのですよ、多分( ̄▽ ̄)。o0○

パソコン内に残っている昨年の動画を見ておりましたが、この時陣取った場所の方が見通しが良かったみたい。
やっぱり三の的の少し手前辺りが良いのかしら、全体が見渡せて??

昨日に行われました奈良市の氷室神社『献氷祭』で、舞楽奉納を今年も見てきました。
曲目が昨年とまったく同じなのですが、これは祭の通例として決まっているのでしょうか、それとも舞人や練習している曲の都合なのでしょうか?
何となく、後者のような気がしないでも……

さて、何とも珍しかったのが、今年の『振鉾(えんぶ)』は一節、左方しか舞われなかった事……
昨年は三節行ったのかな、それとも三節のみを舞ったのでしょうか、残っている写真では左右の舞人がちゃんと写っているのですが??

登天楽ともあれ、その次が『賀殿(かてん)』左方の平舞です。
一臈の方が振鉾の舞人と同じ方、装束が同じですから鉾を置いてすぐ出る事は可能でしょうが、なかなか大変そうです。
二~四臈は女性でしたが、これは昨年も同じでしたかね。

続いてこちらの画像、『登天楽(とうてんらく)』右方の平舞ですね。
今年も小学校の高学年くらいの男の子が一人加わっていました。
舞はまぁ、なかなか様になっていたようですが、途中で演奏がずれていたように聞こえたのは気のせい(^^ゞ

抜頭・・童舞ヴァージョンそして今年も、女性二人による童舞ヴァージョンの『抜頭(ばとう)』左方走舞です。
私はこの舞が少々苦手でして、ひざまづいて這いずる様な動きを見ていて、何か重苦しくなってくるのですが……このヴァージョンは良いです。
舞人が若い綺麗な女性というのも、かなりのプラスポイントですが、二人並んで対称のポジションで舞ってくれると、変化が大きくて見ていてとても楽しいです。
あのぶっとい眉毛に吊り上った目をむいて、歯を食いしばった真っ赤な面の舞とは、全然別物で軽やかに優美な印象ですね。
お二人とも同じ苗字の方なので、もしかして姉妹でしょうか?

納曽利最後の舞は『納曽利(なそり)』右方走舞です。
画像が暗くてすみません……

ところで走舞の舞人に妙に感心したのが、裾捌きが巧い事です。
後ろに長めの裾(きょ)をひきますので、これを巧く捌きませんと、踏んづけて躓いたりしますので、学生サークルの舞などを拝見すると時々ハラハラします(~_~;)
その辺、南都楽所(春日大社)や雅亮会(四天王寺)の方々は心配する必要ありません……でもない?

『納曽利』の方は特に上手に思えましたが、『抜頭』のお二方も見ていて気になりませんでしたから、綺麗に捌いていたのでしょうね。
まぁ、走舞の装束の裾は単で裏地が無いようですので、それ程絡まないのでしょうか?
先日に見ていた『和舞』や『久米舞』は裏地があるようで、その分重いのでしょう、見ているとだんだん捩れてくるんですね……撥ねたり走ったりはしない舞ですから、これでも大丈夫なのかしらねぇ(゜.゜)

こちらの楽所でチョッと良いなぁと思ったのが、舞台から退出する時の仕草。
一瞬立ち止まって胸を張り顎を少し上げた後、軽く頭を下げる様子が、特に女性がやると可愛いらしかったです(*^。^*)
何やら見慣れてきますと、変なところを見るようになって来ました……σ(^◇^;)

奉納された氷柱奈良市の氷室神社といえば、全国の製氷業者の厚い信仰を集めている神社だそうで、毎年五月一日に『献氷祭』が行われています。

『献氷祭』といえば、この鯛と鯉の氷柱でしょうか。
ガイドブックなどにも良く画像が取り上げられています。
今年は午前中までは雨模様でしたが、昼過ぎからは上がり、暑すぎず寒い事もなく、氷もそれ程解けずに済んでいたようです。

舞楽『抜頭』童舞午前中に製氷業者の方々が中心となってお祭をし、午後からは神社に所属する舞楽の楽所が舞楽の奉納を行って下さいます。
私は昨年に初めて行きまして、今年も折り良く日曜日に当たったので、再び訪れてみました。

こちらの神社は真夏にも、奉納された氷柱を境内に立てて、お参りに来てくれた方には撤饌としてカキ氷を振舞ってくれる事もあります。
今日は祭礼とあって、やはり訪れた人たちにカキ氷の振る舞いがありまして、私もそれをいただきながら、舞楽奉納が始まるのを待っておりました。
そちらの様子は、また項目を改めまして紹介する事と致しましょう。

舞楽殿前の献灯今年は『献氷1300年記念』に当たるという事で、今までにも何度か『氷献灯』が行われています。
今日も夕方から行われると聞きましたので、祭事の終了後、東大寺で少しばかり時間をすごした後に戻って来ました。
18時過ぎくらいから宮司さんを始めとした方々が、境内に並べた氷の器にティーキャンドルを入れて、次々と火を点けていましたが、まだそのくらいの時間ですと結構明るいんですね……
ようやく雰囲気が出てきたのは、やはり19時過ぎくらいでしょうか。待ちかねたように三々五々、見学の人たちがやって来て、静かに観賞していました。

ところで……明日の仕事を挟みまして、連休後半はチョッと遠出でもしたいです。
と言っても行き先は京都ですがσ(^◇^;)

三日はこのところの恒例、下鴨神社の流鏑馬ですがな~!!
昨日まで週間天気予報で、雨になっていたので「誰の行いのせいだ~っ!」と騒いでいたのですが、今日になったら曇りになっていたので一安心??

四日はどうしようと考えておりましたら、『壺井八幡宮 百々手式』という案内を見つけてしまいました……我ながら結構懲りない奴、一月の終わりまで読み方も分からなかったくせに(ーー;)
壺井八幡宮って、上ノ太子だったわよね、十年以上前に行ったきりだけど。
天気が良ければ、電車で行って駅から歩こうかしら、20分くらいだと思うし。

神主舞初段
昭和の日に和舞(やまとまい)と東遊(あずまあそび)の奉納を始めたのは平成三年からだそうで、今年で既に二十年めにもなるそうです……私が知ったのは昨年・゚・(ノД`;)・゚・
切っ掛けは、昭和五十四年に昭和天皇、皇后両陛下が春日大社を参拝され、これらの舞を御覧になったためだとの事です。

二十年めの節目に当たって、今回は『神主舞前歌(かんぬしまいまえうた)』と『槲酒歌(かしわさけのうた)』が復曲され、昨年以上に楽しませて頂きました。

『諸司舞二段』
音取(ねとり)』と共に地方(じかた・歌方とも)が林檎の庭に出て来て、『進歌(すすみうた)』で二人の舞人がポジションに着きます。
そして笏拍子(しゃくびょうし)を打って『前歌』を歌った後、『初段』の舞が行われました。
これが上の画像でして、『初段』の舞の最初はこのように、神前に参拝する所作から始まっています。
『神主舞』は四曲あるのですが、この舞は多分、初めて拝見しました。

『神主舞』が終わると『交替歌』で退出し、続いて四人の舞人が登場して『諸司舞(しょしまい)』となります。
歌の説明は以前、こちらに書いてましたね……

『槲酒歌』
今年は新人の方が加わっての『諸司舞』だそうで、二枚目の画像を見て頂ければ歴然?
本殿側の一臈二臈に比べますと、舞殿側の三臈四臈のポーズが何となく自信なさげ……(~_~;)
ベテランのお二人は、それこそ三十年のキャリアはあるでしょうか、私が南都楽所の舞楽を見始めた頃には、既に堂々と平舞を勤めておられましたからσ(^◇^;)

そして三枚目の画像が『槲酒歌』です。
まさに槲(柏)の葉を杯に直会の酒をいただき、四度の拍手を二回繰り返し、本殿に頭を下げて退出して行きました。
良いですねぇ~、こういう退出の仕方って(*^。^*)

『東遊』そして『東遊
例年は若宮社で行われるそうですが、今年も昨年に引き続き林檎の庭で行われました。
しつこく申しますと、春日大社では子供達が舞手です。

一見すると『和舞』とほとんど変わらない装束に見えますが、一番分かりやすいのは大刀でしょう、こちらはトラ皮のカバーはありません。
そして装束の文様も、こちらの方が多少とも華やかです。
『和舞』は衣にのみ松と鶴で袴は無地、『東遊』は笹竹に雉で衣にも袴にも入っています。
更には冠にかざしている枝も違います。
『和舞』は渋く榊の枝、『東遊』は精悍に桜の花です。

それにしても両端の一臈と二臈に比べると、真中の二人は可愛らしいですねぇ……まだ小学生でしょうね。

『諸司舞四段』林檎の庭での奉納が終わりますと、若宮社でも『和舞』奉納が行われます。
『前歌』と『槲酒歌』は変わりませんが、『神主舞』一曲と『諸司舞』二曲の曲目及び、舞人と歌方のメンバーが替わっています。

八曲ある『諸司舞』の四段以降は、こちらの画像のように右肩を脱いで舞いますので、変化があってチョッと素敵(^^ゞ
檜扇をかざして舞うのは『宮人曲』というのでしょうか、榊の枝を振り回す(?)のも厳粛でカッコいいですが、こちらは別の色気がありまして、私は結構好きです。

ところで今年は行儀良く神楽殿に座って見ていたので、チョッと柱などがお邪魔でしたわ。
昨年のように楽人の後ろの方から見ていた方が見やすかったかしらねぇ……σ(^◇^;)
『源平の誉』
当初は大阪OMMで開催中の『石ふしぎ大発見展』に行けたら行こうかと思っていたのですが、私がこのように思う時は七割方は行かないだろうという状況で……まぁ、大抵の人が似たようなものだと思いますがσ(^◇^;)

そして出かけた先は、御所市の『高鴨神社』です。
今年は朝夕の冷え込みが何時までも続いているお蔭で、こちらの日本桜草も開花が一週間近く遅れたそうです。
昨日に行った春日大社でも、回廊内の砂ずりの藤はようやく花房が伸び始めたところという感じでした。


『銀覆輪』日本桜草は、江戸時代の園芸ブームの一つとでも言いましょうか、主に武家階級が競って品種改良をしたそうです。
私が昔住んでいた埼玉県の浦和(現在はさいたま市)では、荒川河川敷に自生している原種が有名で、保護対象にもなっています。
確か以前は、浦和市の花になっていたような。
今はどうなのでしょうね、さいたま市の花は?

この名前がかなり請っていまして、謡曲や古典から引用したものも多いようです。
そういう訳で、何となく関連性のある名前の花など挙げてみる事に致しました。

『壇ノ浦』
上の二枚『源平の誉』にしても『銀覆輪』にしても、裏が赤で表が白の素敵な色合い。
私が始めてこの神社で買って来た桜草が『銀覆輪』で、三年くらい咲いてくれたのですが、四年目にして芽すら出て来ない・゚・(ノД`;)・゚・
しかし、この神社で栽培されている方に聞いたところ、大抵は一年で枯らす人が多いとの事、少しだけ安心しました(^^ゞ
でも素人にはかなり難しい花だそうで、私のように植えっぱなしの奴では、花が可哀想なので、その後にもう一度別の花を買ったきりで、この度も止めておきました。

『源氏梅』
境内では、宮司の奥さんが荷い茶屋を開いてくれていて、花より団子で一服いただいてまいりました。
今日の葛城地域はかなり風が強く、今が落葉時季のクスノキや樫が盛大に落葉していました。

『高鴨神社』の前に行った『吉祥草寺』でも、隣接した神社のクスノキが派手に、赤くなった葉っぱを撒き散らしていたし、昨日の春日の杜も落葉だらけ……
伊豆の田舎育ちの私には、この春の終わりの落葉も懐かしいものです。
何せ家の目と鼻の先に、樹齢800年にもなろうという大クスノキがありまして、春には葉っぱ、秋には黒い実を四方八方に撒き散らしていましたから。
あのクスノキ、それこそ源平の合戦の頃には頼りない若木だったんだろうなぁ……

回廊にて待機中
今日は『昭和の日』なので、諸処で『昭和祭』が行われたようです。

こちらは橿原神宮、例年のように『久米舞』が行われます。
国風歌舞(くにぶりのうたまい)の内でも、この舞が行われる事は少ないようで、私の知っている限りでは宮内庁楽所とこの橿原神宮の例しか分かりません。
宮内庁でも同じような赤い装束で舞われるようですが、画像で見る限りは、こちらのように薄緑の裾を引いた下襲ではなく、白いものを着用しているようです。

宮内庁では大嘗祭に舞われるそうですが、橿原神宮では新嘗祭昭和祭(奉賛祭)で行われる事は、今までも何度か紹介いたしましたか(^^ゞ

外院の庭にて
今日の午前中は風が強く、時折、舞人の装束も大きく翻って、少し舞いにくそうにも見えましたが、天気はとても良く、外院庭の敷石や晴れた空に、赤い衣がとても映えておりました。

ところで午後から今年も春日大社に出かけ、和舞(やまとまい)と東遊(あずまあそび)を拝見して、今年も国風歌舞三昧の一日でした。
そこでようやく気付いたのですが、久米舞の装束の表袴(うえのはかま)の文様は、東遊の装束に描かれた文様と同じ、竹に雉ですね……東遊の装束の文様の方が、かなり華やかですが。

それでは次には春日大社の和舞と東遊でも……

中の禰宜道にて

夕方に雨が降ってから、なにやら寒いです。
明日の朝も少し寒いようです。
そして何とな~~~く寒い話でも??

私の友人に占い師を生業にしている女性がいます。
占い師というより魔女なのかな?
欧米では社会的な資格として『魔女』が認められていまして、彼女は言わばそういう人です。
で、この魔女の彼女の言うには、私とは過去世というやつで因縁があったから、今の時代でも友人関係という訳なのだそうです。
彼女の仕事の御弟子さんたちは、別の過去世でやはり部下の関係にあった人たちが多いようですが、私は絶対にこの仲間ではないだろうと、変な確信がありまして、それじゃ一体何時、どういう関係だったのよと聞いてみました。
「かつて、おんなじ軍隊にいたんよ」
「へ~、で、一緒にサイパンで玉砕したとか」
「それはない」という具合に、オチャラケたところ即座に否定されました(~_~;)

「ところでさぁ、私の書く話の主要人物って、大体が家とか地位とか立場に縛られて、自由なふりしていても結局は逃れられないような連中ばかりなのよね。実生活でもさ、別に知り合いでも何でもないんだけど、そういう立場の人を見ると気になって仕方ないんだよね」
「ふ~ん」とイコマ製菓のレインボーラムネを食べながら、魔女は適当にうなずく。
「もしかしてさぁ私の昔って、そういう立場だった訳かなぁ。それで次に生まれ変わる時には、絶対にそんなものには縛られないってのか、無頼でも良いから自由に生きてやるって……ところが、今ようやくそうなれたのに、この年になるまでそれにも気付かないで、かなり無駄な時間をすごしていたとかさぁ」何となく、静岡弁のイントネーションでぼやく。
「それも多分、違ゃうわ。あんたは割合、何時の世でも自由人の立場なんよ。ただ、本来は何かを継がにゃならない立場だったのに、そうならなかったから、そういう人が気になるんよ」
「つまり、羨ましいって訳」
「ってのも、チョッと違うかも」

以上、会話の流れに若干の脚色もありσ(^◇^;)

これって、今書いている話で見たら、何処から考えても開成親王の立場だわ……(゜_゜)
そうか、開成親王のモデルって私だったのか……な、訳ねぇだろう(*_*(○=(・_・o)
馬鹿言ってると、この御仁も何もしてくれなくなるぞ( -」)φ
ともかく、また山部親王と兄弟漫談を始めてくれたようなので、ちょいと軌道修正しなければ……
誰に言っているのかと申しますと、藤原百川に対してです。
まったく、この御仁は私の話に出て来る人物の中でも、最も常識人に分類されているんじゃないでしょうかね……
その辺に咲いていたヒメオドリコソウ……
その真面目な御仁が、ただ今、かなりの非常識な山部親王とコンビを組まされている上に、その向こうを張る白壁天皇や井上皇后の相手までさせられるのですから、その内、ストレスと過労でぶっ倒れるかもしれませんわ……この人が早死にした理由は、絶対にこれです、誰かの怨霊だなんて戯言は申しません、私に限ってσ(^◇^;)

この百川の一人称語りで話は進んで行くのですが、この人の周囲の変人軍団に翻弄されてか、ひたすらに傍観者になり切ってしまっているのが、今のところの問題です。
もう少し動かさなけりゃいけませんわ……
主人公ではなくとも、重要な狂言回しというポジションなのですから。

さ~て、次のシーンでは開成親王も出てくるのだし、少しは話が進むのかな……
画像は、いつものように内容とは関係ないヒメオドリコソウ。
デジカメのスーパーマクロがどの程度のものか、面白がって写した雑草その他の画像の一枚です。
おまえは誰か
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うめぞー
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非公開
自己紹介:
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