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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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勅使参向

 『春日祭』は三勅祭の一つとして、春日大社では最も重要な祭だそうです。

原則非公開なので、毎年ながら垣間見状態で様子だけを報告致します。
何せ解説できるほどの知識がありませんので……・゚・(ノД`;)・゚・

そういう訳で今年の勅使様は、宮内庁掌典職の山田蓉 氏です。
御棚奉舁 勅使は『祓戸神社』の前でお清めをされた後に『着到殿』に入りますが、さて、何をされておられるのやら、全く様子は見る事ができません。

そして再び参道にお出ましになり、剣先道を通って本殿回廊内に入られるようです……多分、だって、見えないんだもの(・.・;)

御馬牽廻を待つ 皇室から春日の神々に献上された御幣物を勅使、宮司、神職らが奉納する訳ですが、春日大社は四柱の神様がおられまして、御食事の棚も四基、神酒や御幣物も四組あるはずです。
そのためか、何人もの神職が列を成して、階段を上り下りする様が中門越しに見えておりました。

和舞 お供え物や祭文の後に御馬も御覧に入れて、『和舞(やまとまい)』が奉納されます。
最初の曲は神主舞の初段の舞だと思うのですが、舞人が見事に弊殿の柱に重なってしまって見えません……(T_T)
そして、諸司舞の……四段以降です、だって片袖脱いでますからσ(^◇^;)

本殿を退出する馬たち 和舞が終わりますと、舞人を始めとして祭の諸役が退出します。
馬寮の御馬さんも、このように石段を降りて行きました。

 昨年は勅使も同じように、こちらから退出されていたのですが、今年は待っていても出てこられませんで、どうやら入場と同様に剣先道の方から帰られたようでした。

この後、直会殿などの片付けも有るようで、参拝は13時過ぎからとの事で、若宮社に御参りに行きますと、ちょうど神職さん方が御祭終了の報告をされているようでした。

しかし、相変わらす詳細が分かりません。
かなり以前に、岡本権宮司のレクチャーで『春日祭』について、普段には伺えない様な話を聞いた記憶もあるのですが、あの時の資料は果たしてどこにいったのやら……(゜_゜>)

 
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近藤等則氏の奉納追悼演奏 東日本大震災からちょうど一年という日は、折りしも日曜日となって、各地で追悼行事が行われていたようで、奈良県内も例外ではありませんでした。
私は案内を頂いた事もあり、東大寺の大仏殿で行われた『東日本大震災物故者一周忌法要』に参列して参りました。

まあ、参列というのもおこがましいでしょうか、大仏殿に御参りに来た方は御自由に御焼香頂いて、法要の場で共に御祈りをして下さい、その片隅にいたという状況です。
北河原別当様により『諷誦文(ふじゅもん)』が読み上げられた後、読経が行われ、奇妙なほど耳に心地よいまま、周囲の方々に倣って合掌しておりました。

そして奉納の後に、近藤等則氏によるエレクトリックトランペットの奉納演奏が行われました。
私は音楽の方は相変わらず暗くて、この方がどれだけ有名で凄い方なのか、イマイチ分かっておりませんσ(^◇^;)
でも、このロケーション、この音響、聞き惚れてしまいました。
インパクト強かったです、これでこのアーティストの名前は、しっかり印象に残りました(^_^;)

……にしても、これらに水をさしてくれるのは、セオリーのように報道陣です。
新聞にしてもテレビにしても、より良い、絵になるショットを探しまくっているのか、焼香をする人の真横でカメラを構えたり、合掌している人の真ん前に平気でぼっ立ってみたり、タイムスケジュールらしきペーパーをガサガサと人の耳元で繰ってみたりと、マナーの悪い事この上ありません。

bc7ee532.jpeg法要の後、大仏殿から出ますと雨……
ここ何日か、冬が戻って来た上に天気もやや不安定で、この日も例外ではありませんでした。

ともあれ奈良町の方に用事があったので一旦戻りまして、その頃には雨も上がってくれました。
ところが、その後に性懲りもなく境内に戻って来たのが17時過ぎ、またもやポツリポツリと来まして、雷が鳴った……と、一気に降り出してくれました。


0ab92335.jpegその程度の事でめげる暇はないと、傘を差しながら陣取ったのは『観音堂』こと『二月堂』の欄干の下です。
そういう訳で、この日は最初から御堂に上がる気はなく、下から見上げるポジションで臨む事と致しました。

幸いな事に18時過ぎには雨も止み、いずれも傘を閉じたお陰でスペースに余裕もでき、足元は多少悪くても悪くない状況で拝観できるかなと、暢気に周囲の観光客の方と雑談をしながら、更に一時間……

2b68f4c7.jpeg練行衆が上がる少し前に、今年も別当様からの御言葉がありまして、お松明が上がるのを待ちわびてざわついていた人々も、凪のように静かになって聞き入っていました。
そして、人々の感嘆の息の後に、二月堂内で鐘が鳴らされ、大松明が登廊を上がって行きました。
この日は風がやや強く、煙も火の粉もよく流れて、実に勇壮に美しい火でした(-_-)

 
二月堂を見る二月が個人的に多忙で、外出外泊も多く、ここもサボりっぱなし、三月になっても一度ついたサボり癖は止みがたく、気がつけば既に四日、いや五日になってしまいました。
パソコンに触らずに済むのなら、それが困るという事もない、鬱陶しいのはメールサーバーだけ、ってな状況でしてσ(^◇^;)
その反動ではないけれど、またもコーヒー豆を2㎏も買ってしまいました……これで半年はもつかな?

このようなどうでも良い事は脇に放り出しまして、東大寺は修二会の本業に入っています。
今日は午前中、明日香村に奈文研の現説に行きまして、午後からは奈良市に出かける事と致しました。

舞台の南端奈良国立博物館も東大寺ミュージアムも、『修二会』関係の展示をしているので、まずはそちらを見学です。

奈良博は年末から年始にかけては『おん祭』、二月から三月にかけては『お水取り』の展示を毎年行っています。
そして毎年、必ず展示されるものもあったりします。
今年も昨年と、さて、どこが変わったかしら……という感じの展示だったような(゜.゜)

そして東大寺ミュージアムでは、館外展示で籠松明が置かれていましたので、写真を撮ったのですが……
実はこの写真、何を映しているのか分からない画像となってしまいまして、また来週あたりに撮り直して来ましょうっと(・.・;)
こちらは江戸時代に焼失して再建された観音堂(二月堂)の図面と、要録や参篭日記などの文書類がメインで、なかなか地味で興味深い内容でした。
明治くらいの文書ならば、何とか読めるものなのですね、字さえ崩されていなければ。

しかし本日は昼から雨……小康状態の雨の中、約一時間半前に二月堂に行って見たのですが、良い場所はまだまだ空いているものの、いつまた降り出すやら分からないので、小懲りなく御堂に上がってしまいました。

チョッと手ブレです……そして周囲の方々と話をしながら、長丁場(?)に待つ事と致しました。
途中で、今年は参篭されずに世話役に翻弄している御僧侶や、毎年活躍されていると思われる童子さんの御話なども聞けましたので、案外、退屈せずに待つ事が出来まして、いつもながらありがたい事です。
そして今晩は割合に冷え込みが厳しくはなかったのも幸いでした。
風もやや弱く、いざ、お松明が上がって来ますと……煙が外に流れてくれない(*_*;
下にいる訳でもないのに、灰を被っておりました( ̄▽ ̄)。o0○

さて、来週の土曜日も奈良市に用事がありますので、今度は下でユルリと見学しましょうかね、天気が良ければ……(^_^;)
 
外院の庭昨年には何の知識もないままに見ておりました橿原神宮の『百々手式』を今年も見てまいりました。
相変わらず、詳しい説明ができないままです……
そのような訳で、取り敢えずは画像だけでも。
それにしても、やはり良いですね、こういう儀式を拝見するのは。

蟇目の儀百々手式百々手式
大仏殿にての法要修正会とは正月に行われる悔過法要で、東大寺では大仏殿にて正月七日に行われます。
今年はおり良く土曜日に当たりましたので、性懲りもなく出かけましたσ(^◇^;)

午後からでしたので、御堂の入り口近くにおりますと、日が差し込んで来て背中は温かくて助かりましたが、約1時間半、時々、チョロチョロと動き回りながら声明を聞いておりました。
この声明は聞き始めると癖になると申しましょうか、鍛えられた人の声は、時に楽器以上に耳に心地よく響いて来ます。

それにしても、やはり大仏殿は参拝者が多く、何となく落ち着かない雰囲気は否めません。
法要を目的として来られている方々が、いくら正面を開けて一般参拝者の邪魔にならないように配慮していても、後から来た写真撮影が目的の連中などは、そういう気遣いなどほぼなし……
望遠レンズをこれ見よがしに装着したカメラを二台も抱えて、真正面に陣取る若い野郎とか、本当に何様なんだ、途中から遣って来て(--〆)

まんなおし地蔵尊にて今日は基本的には良い天気でしたが、途中で時々思い出したように時雨れてきまして、大仏殿から『二月堂』に向かう頃には、かなり曇って寒くなっておりました。
二月堂に上がって、更に『山手観音堂』を経て、いつものように『まんなおし地蔵尊』に詣でてまいりました。
さすがに除夜の鐘の後に、ここに来る勇気はなかったので、今年初めてのお参りです。

ここは滅多に人が来ないのに、時々、面白いものに会えます。
本日のサプライズ(?)は鹿の親子(^_^)v
この画像の右下に映っているのが御地蔵様ですが、右手斜面から降りて来て、地蔵尊のを回って、川沿いの道を横切って左手の斜面に上がって行きました。

春日造りの屋根と十三日の月この後、『東大寺ミュージアム』は三日に行ったばかりなのでパスして、『戒壇院』にも初詣してまいりました。
そして奈良町に向かい……まずは『御霊神社』(^_^;)
井上神社』『崇道天皇社』……何を正月から、そういう所に行くのやら(-_-;)
三日にも『鏡神社』やら『不空院』の『御霊塚』にも御参りして来ましたしねぇ(゜-゜)

そしてこの後は、先日に『フルコト』で御会いしたオーナーのお店、『ぷちまるカフェ』で軽い夕食をとって帰りました。
しかし奈良町も、裏通りなどにも素敵なカフェが次々と出来ていますねぇ。
かつてのストリップ劇場の場所なんて、面影もないくらいオシャレなお店になってますから、以前を知っている人にはギャップが大きすぎるかも( ̄▽ ̄)。o0○
 
春日大社『神楽始式』混雑しているからどうしようなどと、二の足は踏んでいたものの、結局行って来ました、春日大社の『神楽始式』です。
今年は見ていた場所がチョッと難あり(?)、一臈の巫女さんの舞が、見事に柱の影で見えない……(T_T)

それでも昨年よりはかなりマシな状況で、間違っても参道の途中でストップをかけられて、待ちぼうけなどという事はありませんでした。
しかし混雑の仕方はかなりのもの、本殿回廊に入ってしまったら、御間道の方には出る事が出来ませんで、桂昌殿の方に出て二の鳥居の辺りまで戻って、また参道を行かなければなりません。
おまけに境内のあちこちも通行制限が出ていて、高畑の方に抜けようとしたら、『ささやきの路』にも『中の禰宜道』にも入れず、『上の禰宜道』に行こうと思えば、『金龍神社』に詣でる人の群れで、道の入り口に近づけない……・゚・(ノД`;)・゚・
結局『紀伊神社』まで行って、『奥の院道』から行く羽目になりました(゜.゜)

そこから『白豪寺』、『写真美術館』などに行って、『東大寺』に戻り、転害門から出て、『旅とくらしの玉手箱 フルコト』という奈良北町にあるショップに行って来ました。
本尊薬師如来のお身拭い中大講堂でもお身拭い
毎年12月29日の正午過ぎから、薬師寺の各御堂の御本尊他、お身拭いが行われます。
寺では午前中に正月用の餅つきをして、その時に使用した水を使って仏様を拭き清めるのだそうです。
まずは12時に御僧侶方が金堂に入られて法要を行います。
その後に若い御僧侶や、奉仕して下さる学生さんたちによって、お身拭いが行われます。

聖観音菩薩もお身拭い中東塔 12月29日の様子












お身拭いは金堂の薬師三尊を始め、須弥壇も綺麗に拭き上げます。
そして薬師如来の前には、正月に特別公開される国宝『吉祥天女画像』の御厨子も置かれ、こちらも綺麗にされました。
そして金堂が終わりますと、大講堂の諸仏、更には東院堂の聖観音像なども拭いて行きます。
だいたい2時くらいには終了というところです。

さて、ようやく解体修理が行われる東塔ですが、塔の北側に素屋根を組み上げて、それを移動させて今の状態になっています。
この後、来年の三月で塔全体を覆う形になり、この中で解体修理が行われる予定です。
この素屋根、高さが42.5メートルもあるそうで、現在の西ノ京で一際目立つ存在となっています。
修理が完了するのは平成30年の12月、それまでは『凍れる音楽』と賞賛された姿を見る事も適わなくなります。
『和舞』『和舞(やまとまい)』
これは諸司舞の宮人舞でしょうか。
和舞は装束を見ますと、舞楽などに比べて地味に映りますが、片袖を脱いで扇をかざす舞には、日本独特の美意識があるとでも言いましょうか、隠れた人気があるようです。

舞楽『蘭陵王』さて、ここから舞楽の走舞(わしりまい)です。

舞楽『蘭陵王(らんりょうおう)』と『納曾利(なそり)』は、勝負舞といいまして、日中に行われる競馬の勝敗によって、奉納の順番が変わります。
今年は左方の勝ちだそうで、『蘭陵王』が先でした。
舞楽『納曽利』今年の『蘭陵王』の舞人はどなたでしょう?
久々に、見事だなぁ……と見惚れてしまいました(^_^)v

『納曽利』は、ここ最近、割合に小柄な方が舞人を勤めておられますが、この方、切れが良くてとにかく上手いです。

舞楽『散手』舞楽『貴徳』『散手(さんじゅ)』(左方)
『貴徳(きとく)』(右方)

『貴徳』の方、何となく調子が悪そうでした……(゜.゜)

舞楽『抜頭』『抜頭(ばとう)』(左方)
『落蹲(らくそん)』(右方)

私は常々、『抜頭』という舞が苦手だとほざいておりますが、この時の舞は良かったです。
やっぱり、おん祭というロケーションが大きな要因でもあるのでしょうか。

舞楽『落蹲』『落蹲』が終わりますと、『還幸の儀』に向けて速やかにお旅所から退出を願いますと、神職の方々が促しますので、私は電車の時刻も気になるので、後ろも見ずに退却……もう、寒いなんてレベルじゃない。
奈良の冬の夜の底冷えは半端じゃありませんから。

駅に着いて、飲みたい訳でもないのにホットの缶コーヒーを購入、電車の中でも、手を温めるために開けもせずに握ったままでした。

こうして、今年もせっかく保存会の会費を払ったんだからと、かなり戯けた動機半分で言って参りました『春日若宮おん祭』でした。
翌日の『後宴能』は、締め切りに追われて行きませんでした(T_T)
舞楽『振鉾』第三節舞楽『万歳楽』舞楽が始まる時間には、このようにかなり暗くなっておりました。
かくして、火の近くに陣取って見ておりました。

舞楽『振鉾(えんぶ)』第三節
舞楽『万歳楽(まんざいらく)』(左方)


舞楽『賀殿』舞楽『長保楽』え~と、『延喜楽(えんぎらく)』(右方)の画像がありませんね……
右方の装束は寒色系なので、下手な写真が更に見る影もない・゚・(ノД`;)・゚・

舞楽『賀殿(かてん)』(左方)
舞楽『長保楽(ちょうぼらく)』(右方)

舞楽『甘州』舞楽『敷手』今年は東日本大震災と奥吉野熊野大水害の復興を祈願しての『別願舞楽』として、
舞楽『甘州(かんしゅう)』(左方)
舞楽『敷手(しきて)』(右方)
が奉納されました。
一時間早く始まったのは、この二曲が特別に舞われるためですが、『別願舞楽』の奉納は、実に300年ぶりだという事です。

それにしても画像で見ると、『賀殿』や『長保楽』と何所が違うの?ってな感じですね。
装束も、ひょっとしたら舞い人も同じ?

それではしつこいようですが、続く( -」)φ
 

『神楽式』翁と三番叟今年の『お旅所祭』は一時間ほど早く始まっておりますので、『神楽式』の時間になっても、このように明るかったです。
ここで行われる『神楽式』とは、簡単に言いますと翁と三番叟です。
千歳はおりませんし、いずれも面は着けずに浄衣で舞います。
(画像を参照)(^_^)v

『神楽式』三番叟・鈴の段

さすがに三番叟の後半にはかなり暗くなってきまして、写真もブレまくりです。
このくらいの時刻から更に寒くなりまして、とにかく火の傍に行きたい……(((´゚ω゚`)))
幸いなるかな、私の前で干渉していた方々が、こちらの金春流の御身内のようでして、『神楽式』が終了したところで、一気にお帰りになられました。


何のかんので続く…(-_-)zzz

 
おまえは誰か
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うめぞー
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明日は歴史作家!

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