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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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神主舞以前にこちらかサブページかどちらかに、春日大社の和舞(やまとまい)は、三月十三日の『春日祭』と十二月十七日の『春日若宮おん祭』でのみ舞われると書いてしまったと思うのですが、実は何年か前から昭和の日にも奉納されているのだそうです。

そういう訳でして、今日は午後から春日大社に出かけてきました。
ちなみに午前中は橿原神宮に行きまして、『奉賛祭』で久米舞を拝見しておりました。
こちらはまた、項目を改めまして。

実は春日大社さんの方で、特別な講座(有料ですが)がありまして、そちらでレクチャーを頂いた後に、本殿の林檎の庭での奉納を直会殿(なおらいでん)の特別席にて観賞させて頂きました。

東遊の駿河舞……というやつですね。この日は和舞に続いて東遊(あずまあそび)も行われました。
例年は若宮社の方で行うようです。
この舞も『おん祭』には欠かせないものとなっていて、他の行事で舞われる事は滅多に無いようです。
東遊が稚児によって行われるのは春日大社のみだそうで、宮内庁や他の神社では大人の男性が舞人になっています。
東遊とは、元々は東国の風俗舞が寺社の楽所や宮中に取り入れられた舞なのだそうで、古くは平安時代の初めの貞観三(861)年に、東大寺での奉納の記録が見られるとか。
この時の舞人は近衛府の武官なので、当然ながら大人です。

諸司舞レクチャーによりますと、和舞には二人で行われる『神主舞』が四曲と、四人ないし六人で行われる『諸司舞』が八曲あるそうです。
春日大社と宮中に伝わっていたそうなのですが、応仁の乱以降に宮中では行われなくなり、1748年、桃園天皇即位の折に復興されたとの事です。
ところが当の春日大社でも寛正年間(1460~66年)に奉納が途絶えてしまい、唯一、冨田家にて伝えられていたとの事です。
こちらでの奉納の再開は、元治元(1864)年の古儀復興のおりに『春日祭』で行われたものだそうです。

採物には榊の枝と桧扇があります。今年は16時から本殿での奉納があり、18時くらいから若宮社で再び『和舞』の奉納がありました。
舞に先立って、本殿と若宮社での神事が行われますので、その関係で多少、時間が前後する事もあるのだと神職さんが言っておられました(^。^)

どちらでの奉納も神主舞が一曲に諸司舞が二曲ですが、曲目は異なっています。
頂いた目録に歌の詞が載っていたので、何とか聞き取れるのですが、これが無ければ何を言っているのか殆ど分かりません(-_-;)
そういえば以前に聞いた神楽歌も全然、聞き取れませんでしたわ……慣れているせいか、まだ謡曲の方が聴き易い(~_~;)

国風舞(くにふりのうたまい)は舞楽とは、曲も装束もかなり違った趣きです。
いつぞに御神楽(みかぐら)を見てショックを受けて以来、こちらに妙に傾倒しているうめぞーでしたm(__)m
では、次は橿原神宮の久米舞でも……
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予告(?)通り、奈良国立博物館の『春日若宮おん祭の舞楽』を見に行ってきました。
三年前にも同じ催しがありまして、確か昨年にもあったようですが、毎回、楽曲が少し違います。
今年の曲目は、和舞(やまとまい)、蘭陵王(らんりょうおう)、落蹲(らくそん)です。
三年前には写真撮影は出来たのですが、今年はご遠慮下さいとのこと、まぁ、当たり前ですかね。
やはり写真など撮るよりも、集中して見て下さいという事なのでしょうか。

おん祭りの和舞です。和舞は『国風舞(くにふりのうたまい)』に分類されるそうで、舞楽のように海外から曲や舞が入って来たのではなく、日本独自の歌と舞だそうです。

青摺の細布衣(たへのころも)を着、紅の長紐を垂る

このように『続日本紀』は舞人の姿を記しています。

そういう訳で、こいつはかなり昔の『おん祭』の時に写した『和舞』の写真です。
四人の舞人による『諸司舞』ですが、二人しか写ってませんねσ(^◇^;)
それに、ストロボをたいているお陰で、衣の模様が飛んでますね(~_~;)
和舞』に関しては、こちらにも少し書いてありますのでご参照頂ければ幸いです。

蘭陵王』については、今更、解説は不要かな?
三年前の『舞楽始式』でも舞われましたので、画像はそちらをごらん下さい<m(__)m>
そして『落蹲』は、四年前の『舞楽始式』で(・_・)

落蹲』は二人舞ですが、同じ舞を一人で舞いますと『納曽利(なそり)』と呼びます。
ところが四天王寺宮内庁をはじめとした他の楽所では、二人舞が『納曽利』、一人舞が『落蹲』と呼んでいるとのことです。
『枕草子』に 落蹲は二人して膝踏みて舞ひたる とあるそうで、南都楽所が伝統に則っているのだそうです(^.^)

必ず最初に行われる舞です。毎年、成人の日の13時から、春日大社の林檎の庭で行われるのが、南都楽所(なんとがくそ)の舞楽始式です。
今年は少し曇り気味で肌寒い日でしたが、結構な賑わいで始まりました。

舞楽の始まる前に神事が行われるのですが、これこそ拝殿の向こうの事ですので、私が陣取っていた直会殿(なおらいでん;要するに有料席です)からは、全然様子が伺えません。
伶人方々も、拝殿の入り口の所に控えた神職の方が笏拍子で合図を送って、低頭したり直ったりしておられました。

そして神職の方々が席(今年は直会殿の内に設けられていました)に着きまして、いつものように『振鉾(えんぶ)三節』が始まります。


左方平舞のうちでも、結構華やかな曲です。今年の二曲目は『賀殿(かてん)』です。
元々は唐の琵琶曲だったそうですが、日本で雅楽に編曲されて舞いも着いたのだそうです。
やはり左方の平舞の内でも、華やかで見栄えが良く、動きも早い舞です。
舞楽始式に限らず、舞われる機会は結構多いように思います。
『賀』の字が着きますので、お祝い事の時には特に好んで舞われるのだとか。
見た目の特徴としては、(かさね)装束の両肩を脱いで、鳥兜を被っているので分かりやすいでしょうか。

今年の舞人の方々は、とても良く揃っていて、切れも良かったように拝見いたしました。


このように拝殿前の庭で舞われます。『賀殿』は何度も見た事があるのですぐ分かるのですが、分からなかったのがこの舞……
春日大社のHPには『長保楽(ちょうほらく)』とありました。
ところが私の記憶とちょいと違う……

どうしてかと申しますと、私が記憶していたのは四天王寺楽所の舞人の姿だったんですね。
どう違うのかと申しますと、右方の緑色の襲装束鳥兜だと思っていたのですが、南都楽所の舞人は、蛮絵(ばんえ)装束の片袖を脱いで、巻纓(けんえい)老懸(おいかけ)というスタイル?
『登天楽』もこんな装束だったかしら、『春庭花』は左方舞だし……それとも『仁和楽』かな、もしかして??
他に蛮絵装束の舞って何があったっけ???


後姿がとても綺麗です。結局、いろいろ調べてみましたが、南都楽所の『長保楽』は、このスタイルで舞われるようです。
この舞が、装束も含めて、とても綺麗なんですよ。
最近、南都楽所は装束や面などを少しずつ新調しているようで、この装束も新しそうです(^^ゞ

右方の舞といいますと、緑色の装束が多い印象を受けますが、このような濃い縹色の装束も見かけます。
蛮絵装束は右方が縹色、左方が金茶色で、これらの色がなかなか、私は気に入っております。
それに巻纓に老賭の武官装束は素敵ですね。
実に単純な理由ですσ(^◇^;)

余程気に入ったと見えて、写真をパソコンに出してみましたら、半分近くがこの舞を写しておりました。

最後は必ず走舞です。舞楽始式は毎年、最初は『振鉾三節』、そして左方の平舞、そして右方の平舞(番舞(つがいまい)になる事が多いようです)、最後が走舞(わしりまい)となります。
干支にちなむ曲があれば、それが行われる場合もあるそうです。

そして今年はこちら……舞人が現れた途端、思わず
「わっ、抜頭(ばとう)だ……」と呟いてしまいまして、隣にいた女性に「何?」という顔で見られてしまいました(*_*;
実は私、この舞が結構苦手かも……曲は割合に好きなのですが(だ太鼓の連打が良い訳、ここでも単純な理由です。)、屈んで這いずったり伸び上がったりする動きの連続が、何とも見ていて重々しくて駄目なんです。
でも、この舞も良く行われますねぇ……(~_~;)
それでも例外もありまして、昔々、ケルン大学の学生さんの舞を見た事があるのですが、こいつが変に直線的でアッケラカンとしていて面白かったかな。
何時ぞやの雅亮会(四天王寺楽所)も悪くなかったかな。

それはともかく、それなりに見ごたえのある舞である事は否定致しません。
最近、あちらこちらの神社などで、独自の楽所を開設されているようで、学生さんなども活動されているようですが、やはり見慣れた南都や四天王寺の楽所は安心してみていられるという所ですね。

春日大社拝殿今日の奈良県北部は朝から荒天、突風に雪混じりの雨です。
昼前には何となく持ち直してきましたが、思い出したように雲っては、風に乗って雪がチラついていました。
成人式はちょっと大変だったかもしれませんね。
そしてこの日、春日大社舞楽始式です。
南都楽所による舞楽の方のに先立ち、いつものように神職の方々が神事を行います。

振鉾三節そして舞楽の奉納となります。
ところが午前中の雨で林檎の庭が濡れているようです。
装束を汚してしまいかねないと、舞殿の内で行われる事となりました。

始まりはいつも『振鉾(えんぶ)』ですが、このように左右の舞人が揃ってしまうと、なんとも窮屈そう……
御簾で、一見したところ天井も低そうに感じてしまうのですが、そちらは大丈夫みたいですね。

更に窮屈そうな四人舞そして鉾は振り回しませんが、平舞で四人の舞人が入りますと、更に手狭そうです。
この舞は『萬歳楽(まんざいらく)』。
動きがまだ緩やかだから良いのですが、見ていても柱や御簾の裾を気にしているのが良く分かります。
特に前列の二人(一﨟と二﨟)は共に袖が当たるのを気にしていたみたいです。
何となく気の毒(・.・;)

やっぱり柱が邪魔みたいですね……少しアップにすると分かるでしょうか?
簡単にポジションを動かせないようで、緩やかな動きで柱をよけているという感じですね。
ところで、この一﨟の方、振鉾で左方の舞人をされていたのと同じ方みたいです。
確かに衣装は同じですから、鉾を置けばすぐに出て来れるのでしょう。

どういう訳か、向こうを向いた写真ばかり(-_-;)そして右方舞は『地久(ちきゅう)』。
おん祭りではお馴染みの舞で、両肩脱ぎの四人の舞人が、鳥の着いた冑を被り、鼻の高い真っ赤な面をつけて舞います。
鳥兜が高い分、こちらの舞は上に窮屈そうに見えます。

朝に雨が降らなければ、この時間には晴れ間も出ていたので、庭の方でもっと伸び伸びと舞えたかもしれないのに、見ている方も何となく狭苦しく思えていけませんわ(-_-)

1a3b119a.jpeg走舞(わしりまい)となりますと、一人だから多少はマシ……?でもないみたいですね。
散手(さんじゅ)』も途中で鉾を振り回しますからねぇ。

それにしても寒い日でした。
直会殿(なおらいでん)で見ている人たちも、最初の頃は行儀良く座っていたのですが、少しずつ中座する人が出て来てスペースが開き始めると、二つ置いてある大型のストーブの周りに集まり始めていました。
私も写真を撮る時だけ前の方で座っていて、寒くなると火の側に逃げておりましたから(^^ゞ
この画像の右端の方は権宮司さんです。
神職の方々も火桶が足元にあるとは言え、やっぱり寒かったでしょうねぇ……

ところで以前から疑問なのですが、神様の前に出る時は帽子を脱ぐべきなのか、むしろ被っている方が良いのでしょうか。
神職にしても伶人にしても、皆さん烏帽子を着用してますから、やはり路頭は不適切なんでしょうかねぇ?
そういう訳で、寒いを幸い、神前でも帽子を被っていたうめぞーでした。
本日は晴天、11月23日十一月二十三日は『新嘗祭』です。
宮中では新米を神様に捧げ、天皇陛下ご自身も召し上がるという行事が行われたそうです……今もやってるのかな、もしかして(^^ゞ
たいていの大きな神社でも、新穀を神前に捧げる行事が行われますが、橿原神宮の行事はなかなかに盛大です。
今日は七五三のお参りに来ている親子連れでも盛況で、回廊ではご祈祷を待っている人たちも、興味深げに見ていましたが、やっぱり小さな子供には、一寸(いや、かなり)退屈かな?

武官装束の四人の舞人によって舞われます。四月二十九日の『奉賛祭』でも行われる久米舞は、大変珍しいのだそうですが、春日大社四天王寺舞楽に比べると、割り合いに知られていないようで、わざわざ見に来る人は割合に少ない様子です。
それでも熱心に写真を撮っている方も、老若男女、結構おられます。
舞いも楽も神職の方々がされているようで、決して派手さはないのですが、武官舞だけあって切れの良い舞です。
特に抜刀した時の、和琴の音にあわせた動きは、メリハリがあって見ていても面白いです。

神職退場奉賛祭の時の神職の方たちは、皆白装束でしたが、今日は赤と青の装束をまとっておられます。
多分、赤い装束は五位以上、青は以下を示しているのだと思います。
七人の楽人も、琴弾尺拍子の二人が赤い装束で、他の五人は青でした。

久米舞が終わりますと、玉串を神前に捧げる行為が延々と行われます。
特に列席の方々が多いので、見ていても子供でなくても退屈……日陰が寒いのもあって、拝所を逃げて、七五三の親子を眺めておりましたσ(^◇^;)

そして、それが終わると、拝殿の御扉を閉めて神職方々の退場となります。
禰宜装束の方々が列を成して行くのも、とても壮観な眺めですね。
ちなみにこの画像の三番目の、赤い装束の方が宮司さんです。
胡徳楽え~と、三日もあいてしまいましたね。
賀殿の次は『胡徳楽(ことくらく)』、これは右方の舞です。
舞というよりもパントマイムで、一応ストーリーがあります。
そういう訳で、楽頭の笠置先生の解説付きでした。
登場人物は六人おりまして、四人が大きな鼻の赤い顔の面をつけた、宴会の客人です。
一人目の客人は割合に酒に強いのか、それともあまり飲んでいないのか、鼻は固定されていますが、後の三人はそれぞれに酒癖に難有り(笑い上戸、泣き上戸、怒り上戸だそうです)で、鼻がぶらぶらと動きます。
これが酒を飲む時に邪魔になると、片手で横にひょいと持ち上げて杯を傾けていました。
唯一、左方のオレンジの装束と雑面(ぞうめん・布製の面です)を付けた人物が、この宴会の主催者(勧盃かんばい)で、客人たちに酒を勧めると途中で退座します。

実は盗み飲み中です・・・この勧盃に伴なって出てくるのが、瓶子取(へいしとり)です。
装束は客人らと同じですが、咲面という笑い顔の老人の面をつけて、大きな壺と言いますか瓶子を抱えています。
この人が、こうやって主人や客人の目を盗んで、しょっちゅう酒の盗み飲みをしています。
瓶子取は、主客から順番に酒を注ごうとするのですが、御主人を先に、あちらの客人を先にと、礼儀上の遠慮のため、あっちに行かされ、こっちに帰って来てと、瓶子を抱えてヨタヨタと客人の間を行き来させられます。
おまけに、下座の客人になるほど、酒癖が悪い……

酔漢たちでも、最後は舞で締めます。勧盃の退出した後、ようように出来上がった客人らは、立ち上がって舞を披露します。
誰よりも酔っ払った瓶子取も、この舞に加わるのですが、その間も残った酒を飲んでおります。
おまけに杯を何処かに紛失して、客人の衣の裾をめくって探したり……
それでも、最後はきっちりと舞い納めて、各人とも舞台を去って行くのでした。

この舞を行うのは、南都楽所では結構珍しいのだそうです。
確かに雅亮会(天王寺楽所)では、何度も見た記憶があるのですが、こちらでは初めてかもしれません……いや、学生時代に一度見たかな???
かなり長いので、演奏する方々も大変だそうで、アドリブも入ったりすると、更に長くなって難儀するとか(~_~;)

今回は管弦のほうでも朗詠があったりと、演目的にはかなり面白いものでした。
昼前から雨模様で、出かけるのを躊躇していたのですが、なかなか、出かけて正解でしたわ(^^ゞ
左方童舞-迦陵頻南都楽所(なんとがくそ)の定期演奏会とも言える催しは、五月五日と十一月三日に春日大社神苑で行われる『舞楽演奏会』です。

ところが本日は昼前から雨という天気予報です。
開演の頃にはまだ奈良市では降り出していませんでしたが、これも時間の問題という訳で、急遽、春日大社の“感謝共生の館”という場所で行われる事となりました。


右方童舞-胡蝶いつもの池越しとは違って、このような舞台との近さです。
特に私の座っていた場所は、楽人の方々のすぐ脇だったので、これでもかという音量で曲が聞こえます……特に高麗乱声(こまらんじょう)が耳に痛いくらい(-_-;)

今日は子供の日の演奏会とあって、恒例のように左右の童舞(わらべまい)が舞われました。
写真が相変わらずにかなり下手なのですが、どちらも四人の子供たちによる舞です。
そしてどちらも四人中三人までが女の子が、舞人を勤めています。
こちらの楽所でも、最近は女性の活躍が著しいそうで、管弦や童舞に限らず、平舞(ひらまい)などでも女性が勤めているのを時々拝見します。

左方平舞-賀殿そのような訳で、こちらの『賀殿(かてん)』の舞人四人も全て女性です。
右方の舞では何度か見た事があるのですが、左方舞ではもしかしたら始めてかもしれません。
何と言いましても美人ぞろいで、男性ばかりとはまた違った綺麗さと華があります。
兵庫県には女性ばかりで結成されている楽所もあるそうで、今や伝統芸能にも女性の力は欠かせない時代と言えるのでしょう。

そういう訳で、続きは明日に引っ張るのでした……しつm(__)mこい
橿原神宮内拝殿に入る神職本日は『昭和の日』、こちら橿原神宮では『奉賛祭』が行われます。
この奉賛祭と十一月の『新嘗祭』の時だけに『久米舞』が行われると聞いたので、散歩がてらに入って参りました。
我が家から歩いて二十分程度です。

そういう訳で、皆様お馴染み(?)の内拝殿です。
外拝殿の中央の賽銭箱の前から見ております(^^ゞ
宮司さんを始めとした神職の方々は、皆様、真っ白な浄依です。
本殿の御扉を開き、御前にお供え物をして、宮司さんが祝詞を奏上した後、皆様の御待ちかねの『久米舞』が始まります。

舞人入場こちらの御祭神、神武天皇の東征に従った久米の輩の勇姿を舞に現したという訳で、ごらんのように巻纓においかけ、長々と伸ばした裾の武官装束です。
これはどう見ても、平安時代の武官ですね、決して神武天皇の時代ではありませんσ(^◇^;)
そのような詰まらない突っ込みは、脇に置いておきまして、久米舞は中世には途絶えてしまい、現在、宮内庁などで行われている舞は、江戸時代に再興したものだそうです。

楽人も神職の方々です。和琴、篳篥、龍笛、尺拍子に合わせて、『久米歌』が歌われます。
横笛が高麗笛になれば『東遊(あずまあそび)』、神楽笛になれば『御神楽(みかぐら)』、『久米舞』もこれら国風歌舞(くにぶりのうたまい)に入ります。




斎庭の舞人舞はいたって優雅です。
見ようによっては、舞楽の平舞よりもゆったりとしています。

“みつみつし久米の子らが 頭槌 石槌持ち 撃ちてしやまむ”
とは、かなりかけ離れた印象を受けます(~_~;)



武官なので、大刀も帯びています。しかしやはり武官舞、和琴をかき鳴らす音に合わせ、中盤で抜刀します。
神武天皇紀にある、大和の宇陀での戦闘を表しているようです。
あくまでも歌舞ですので、勇壮と言うよりも優雅と言う方が近いかもしれません。

この方たちも神職さんでしょうか?舞人をアップにしますと、こんな感じ。
石帯、平緒に細大刀、袍も下襲も無地の平絹、しかし差貫に笹竹らしい模様が入っているのが珍しいです。
この久米舞、次は十一月二十三日の『新嘗祭』で舞われます。

それにしても和琴の音に、今日も揺れておりました。
次は何処かに御神楽でも見に行きたい……
六月に八坂神社の大祭があったかな?
それよりも八月の御盆には田舎に帰って、三嶋大社の例大祭に行くって手もあるわね……次の日には流鏑馬もあるし……(*^。^*)
まず、神事が行われます。昨夜の『若草山山焼き』は、週末の雨で燃え方があまりよくなかったようで、登大路から眺める山は殆ど焦げていない有様でした。

さて本日、性懲りなく今年も、春日大社の『舞楽始め式』に行ってまいりました。
昨年末は文化の日の公演にも、おん祭りにも行かなかったので、南都楽所の舞楽は久々のような気がします……いや、経供養にも行っていないから、雅亮会の方もちょいと縁遠いのですが(^_^.)

微妙に二人の動きが合ってませんか?週末の雨から急に冷え込んだ奈良ですが、今日も晴れたり曇ったりで、とにかく寒い日でした。
毎年の事ですが、この『林檎の庭』は半分だけ日が当たるんですね。
あの日なたで舞っている舞人が、何となくうらやましいような……(^^ゞ
そういう訳で、始めに必ず舞われる『振鉾(えんぶ)』です。

二臈のお兄さんは、何処を見ているんだ?実はちゃんと演目を聞いていなかったので、この舞が何なのかが分かってないんです……すみませんm(__)m
左方の襲装束で諸肩ぬぎとなると、『賀殿』かと思いがちなんですが、違う事は確かです。
多分『甘州(かんしゅう)』だと思うのですが……『林歌(りんが)』の番舞(つがいまい)になるらしいので……もし違いましたら後日訂正致します<m(__)m>

舞人は真剣な顔、でも装束は可愛いかも・・・(^^)こちらが、今年の干支のネズミにちなんだ『林歌』です。
右方の黄色い装束にネズミが刺繍されています。
こういう舞があることは知っていましたが、実は初めて見ました。
それにしてもタイトルの意味も、内容も良く分からないのですが、曲が催馬楽の『老鼠』に似ているために、装束に鼠が刺繍されているのだそうです。

貴徳侯には鑓が似合う?そして『貴徳(きとく)』です。
気のせいなのか、以前はこの舞の装束は緑だったような気がするのですが……少なくとも一昨年のおん祭りには、既にこの青い装束だったかな?
匈奴の王侯の貴徳侯、出手を舞った後、すぐに鉾を置いてしまい、長々と徒手で舞ってくれるのですが、この舞が結構難しいのだと聞いた事があります。
おん祭りで『貴徳』が始まる頃と申しますと、寒さのピーク……毎年この辺りで逃げ出したくなるのですが、今日もとにかく震えながら見ておりました。σ(^◇^;)

実は各人の足元に、一応、火桶があります。
舞人はかなり着込んでいるし、走舞ならば動きが激しいので、寒いの何のは言っていられないでしょうが、神職や伶人の方々も、かなり寒かったのではないでしょうか。

それでも今年も、つつがなく式は終了し、参拝の方々は感激の内に帰って行かれたと、NHKのニュースでやっておりました(^_^)

舞楽『狛桙』このところ、出かけた所や行事の報告を当日にする事が全然ありませんね(^^ゞ
夏バテ気味というよりも横着そのものと言う方が近いですか。

そういう訳で一昨日の八月五日、四天王寺の『篝の舞楽』に行って参りました。
しかし、夜に撮った写真というのは、この程度の大きさにしておかないと見れたものではありませんね。
そういう訳で写真は二枚しか撮っておりませんσ(^◇^;)

演目は『振鉾三節(えんぶさんせつ)』『賀殿(かてん)』『狛桙(こまほこ)』『抜頭(ばとう)』の四曲です。
この写真は『狛桙』、大昔に朝鮮半島の北部にあった高麗国(渤海)から船でやって来た船人をイメージして作られた舞だそうです。
舞人が持つ長い棒は、舟をこぐ棹を表しています。

今回はあまり演目的には期待していなかったのですが、いざ始まってみればが何のその、結構面白い方向でそれを裏切ってくれました。
『賀殿』の四人が所々でバラバラ……挙句の果ては一人が逆を向いて舞い始める始末……う~ん、いったい彼らに何があった(?_?)

そして私の苦手なはずの『抜頭』、この舞手が無茶苦茶切れが良いのです。
とにかくアップテンポ気味で振りが大袈裟、いつぞやに見たケルン大学の学生の舞を髣髴とするような、変な小気味の良さがありましたわ(^^ゞ
でも、いつ聞いてもこの曲は良いですよ~(^.^)
やっぱり四天王寺楽所の舞は、派手で大振りで忙しくて好きですわ~。

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