忍者ブログ

うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

HOME Admin Write
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『百万本のバラ』が聞きたくなって、チョイト検索してみたところ、ロシアでこの歌を持ち歌にしている女性歌手の画像が出てきました。
何か、印象が全然違う……アラ・プガチョヴァという方だそうですが。
こんな迫力のある人が歌ってたのか、あまりにライブの雰囲気と歌の内容(日本語の歌詞が、もし同じような内容ならば)が違いすぎるような(・_;)

この同じプガチョヴァさんがもっと若い頃に歌っている、プロモーションビデオらしき画像もリンクで見る事が出来るのですが、こっちは終始、カメラ目線……怖すぎる(-_-;)

正直、どちらも画像抜きで音声だけ聞いている方が良いようなσ(^◇^;)
でも、徳永英明さんよりも良いです。
申し訳ないけれど、この方のカヴァーは最後まで聞くのが辛いです。
何となく背筋がこわばってきそうで……力、入りすぎよ(+_+)
PR

凡そ親王及び子には、皆乳母給へ。親王に三人、子に二人。

このように『後宮職員令』に見えている訳なので、公式に官から乳母が配置されるのは孫王までということになるようです。
そうすると孫王の白壁王には二人の乳母がいたという事になります。
公式に任命された乳母は官人に準ずるという訳で、それなりの季禄が公から配給されたはずです。

私が現在、考えている話の中では、白壁王の家に首天皇(おびとのすめらみこと:聖武天皇)がじきじきに命じて、二人の乳母を賜っている事になっています。
これも長女(私の設定では次女)の能登女王(のとのひめみこ)だけの話で、その下の弟たちには適応されておりません。
こいつには一応、それらしい理由をつけている訳ですが、そのようなこじつけのない場合でも、三世王くらいの人ならば当然ながら乳母はつく訳で、公の規定がない限り、私的に頼むのだと思われます。
公家の子供たちの乳母も同様で、その人への手当てはその家の台所から出るのでしょう。
三位以上の人ならば、この台所を切り盛りする家司などの職員も官から派遣されるのですが、それ以下の人の場合は乳母に同様、やはり私的財政からやり繰りして頼むのでしょうか。

家司や家政機関はさて置き、能登女王の四つ年下の同母弟、山部王にも二~三人は乳母がいても良いのではないか、後々まで“とにかく手のかかる子”と周囲の女たちに言わせるくらいですから、一人という事はないと勝手に思っています(~_~;)
その一人は、山部朝臣子虫という人だろうという説は、結構有名で支持されております。
私としては、もう一人を具体的に考えているのですが、この女性の息子(乳母子)とは、かなり重要で因縁めいた関係に後々までつながって行きます。

こんな具合に考えているのですが、さてと、手嶋王には乳母は一人で大丈夫なのかな?
まぁ、、この人は子供の頃も長じてからも、自分で自分の面倒は充分に見る事の出来る人ですからねぇ、異母弟と違ってσ(^◇^;)

今日も今日とて、うめぞーの嘘八百が始まりますので、決して全面的に信用しないように伏してお願いを申し上げますm(__)m

天平七年、都での豌豆瘡(えんどうそう)の蔓延によって、この頃には既に難波にいた白壁王は、妻子を実家のある山背に移り住ませます。
この事によって手元不如意になった白壁が、果たしてどうしたかと申しますと……別の女性に手を出します。当σ(^◇^;) 然??
そして二年後の春の終わりの頃、男の子が生まれる事になります。

同じ年の冬の最中、久々に山背の妻子の元を訪れた白壁は、言い出せずにいました二人目の内室と息子の事を、よりによって三人の姉の前でポツリと洩らしてしまいます(~_~;)
これによって怒りまくるのはどういう訳か三人の姉でした。
とうの内室(新笠)はと言いますと、この姉と弟のやり取りが余程おかしかったと見えて、笑い転げた挙句に産気づく……実は臨月だった訳ですね(^^ゞ
百済王真鳥の孫娘は、かなり能天気に図太いところが有ります。
この性格をもろに受け継いだのは、この時に生まれた山部王ですσ(^◇^;)

こういうアホネタはどうでも良いのですが、実は随分前から考え付かなくて困っている事があります。
それは白壁の二人目の奥さんの名前……
摂津の中臣氏の出という事にしてありまして、今までも何度か与太話の中に出て来ているのですが、常に中臣氏としか書いておりませなんだ(・_;)
息子の名前は手嶋王、乳母の名前は手嶋広虫女、こんな事はとっくに決まっているのに……
別に悩む事じゃない、適当に何処かから拾い出してくりゃ良いんだ、とは思うのですが。

ところで今日(11月24日)は、旧暦にすると10月8日だそうです。
そういう訳で、五日後が白壁王の1300歳の誕生日となるのでした。

これは今日(既に昨日)、大阪歴史博物館で行われたシンポジウムのタイトルです。
ただ今こちらの博物館で「史料が語る日韓交流史を通じたミュージアム事業 古代新羅土器と近世薬種業を中心に」という企画展を行っておりまして、この一環で行われたものです。
私はこちらの展示も見ていないのに、シンポジウムだけ参加してまいりました。
まぁ、片手落ちってやつでしょうかね(~_~;)

ここでの報告を聞いていても、やはり三国時代の新羅(古新羅)と日本(倭国)の関係が友好的だった事は、ほぼないと言っても良いようです。
そして韓半島での関係は如何なるものかと申しますと、私がかつて与太話の中で主人公に言わせたとおり、「我が百済と高句麗が友好関係を結んだ事など、建国以来、一度としてないはずだ」という具合です(*_*;
日本は常に親百済・伽耶政策を取っており、新興国とみなされる新羅は北に国境を接する高句麗との同盟を持ってきました。
この構図が変化するのは、韓国の学者が言うところの新羅の上古期の終わり、麻立干を名乗った最後の智證王による領土拡大の動きによります。
そして続く中古期に南の伽耶諸国を併合し、北への領土拡大を図った新羅は、嫌でも海を挟んで倭国と対峙する事になります。
それ以前に百済では高句麗によって漢城(ハンソン;現在のソウル)を攻略されて、王都をずっと南の熊津(ウンジン;現在の公州)に移しています。
この旧都を奪い返さんと、新羅との連携で高句麗を追い出したものの、後には百済も排除されて新羅の領土は更に拡大します。

更に決定的に構図が変化するのは、高句麗におけるクーデターの後です。
642年、宰相の泉蓋蘇文が国王一派を排除して傀儡の新王を立て、自らが権力を掌握して百済との同盟を結びます。
この事に恐れを抱いたのが双方に接している新羅、目を光らせたのは先王朝(隋)よりの高句麗遠征に連敗している唐です。
百済はこの頃、新羅の国境を越えて度々の侵略をしていました。
新羅は最初、高句麗に救援を求めるのですが、既に百済を結ぶことを決めていた高句麗は求めに応じません。
そして647年の有名な金春秋の来日となるのですが……

まぁ後は、唐と結んだ新羅による百済の変(660年)を経て、白村江・周留城の陥落まで一直線、ここまで来ても倭国と新羅は敵対関係しか見えていません。
このような政権上の関係にも拘らず、難波を始めとした畿内地域や北九州などには、多くの新羅系の土器や文物の出土が見られます。
これは結論(?)、国の政策と人々の往来は必ずしも一致しない事を示しているのでしょう。
亡命者とは国にいられなくなった者が、別のイデオロギーを有する国に逃げてゆく事でしょう。
亡命者、難民、そのような人々が何度かにわたって倭国にやってきた形跡は、日本書紀の行間にも読み取る事ができますし、このような出土品にも見ることが出来る……まぁ、決してありえない事ではないでしょう。

しかし新羅からしてみれば、果たして倭国の入り口の一つたる難波は、どの程度の重要な場所だったのでしょう?
国交は多少ともあっても、友好関係を結んでいたとは言いがたい両国です。
倭国から見ても、新羅の王都金城(現在の慶州)は、かつての伽耶の玄関であった金海(キメ)に比べれば、殆ど重要視されなかったのだと思うのですが……

う~ん(゜.゜)、三国の内では新羅よりの私にしても、やはりこの国と倭国の関係は、百済に比べたら遥かに淡白というか疎遠に思えるのですが……
以上、感想というよりも殆ど本日の講演の内容と、私の他愛もない戯言でしたm(__)m

一月半ぶりの三室戸寺です。
八十四年ぶりという
秘仏開帳は、今月一杯という事ですが、もう1つ「観音様の足の裏を拝する」会という特別拝観も、宝物殿にて行っています。
そういう訳でして、高麗寺恭仁宮の現地説明会の後に、イソイソと出かけて参りました。

返り咲きでしょうか、それとも秋咲き?上狛駅からJR奈良線で、そのまま宇治駅まで行けば良いので、結構近いはずです。
三室戸駅は宇治駅の一つ手前ですし、歩いても行ける程度の距離ですから……と思ったのですが、ちょいと誤算(*_*;
実は三室戸駅はJRではなく京阪電車なのですね。
JR宇治駅と京阪宇治駅の間は、宇治橋をはさんで約一キロはあるんです。
それでも三室戸寺までなら約二キロ、天気も良い日だったのでフラフラと歩いて行く事と致しました。

そういう訳で割合に早めに寺には到着いたしました。
ただ今、紅葉の見ごろに差し掛かって、観光客の方々も大勢来ておられました。
石段の途中には画像のような白い石楠花が、赤い紅葉を背景に咲いておりました。
石楠花というと四月から五月始めに咲くのが普通なのですが、この種類は果たして秋咲きなのでしょうか、それとも返り咲き??
そういえば高麗寺の近くの田んぼの畦には、シロツメクサやムラサキサギゴケが咲いていましたっけ。

阿弥陀様の脇侍ではあるのですが……そして件の足の裏を拝する事のできる観音様ですが……
この写真、試しに宝物殿を写して見たのですが、なんとまぁ、不謹慎な……このように仏像が写っておりました。
マナー違反と分かっていながら載せるんじゃないって?
しかし、雰囲気くらいしか分からない写真ですσ(^◇^;)

大和座り(正座)した足の先が衣の裾から出ていまして、綺麗に彫られた足の指も拝む事ができます。
この観音様は阿弥陀仏の脇侍なので、勢至菩薩とペアになっているのですが、勢至様の方の足は出ておられないのだそうです。
毎年十一月中、このような御姿で公開されています。
平安末か鎌倉初期の仏像だそうですが、木芯乾漆のように見えるんですよね……玉眼も入っていないし、もう少し古いんじゃないのかなぁ?
背後に掛けられた十二天の画像は室町時代の仏画だそうで、仏様も色も綺麗です。

飛鳥時代に作られたという御本尊の観世音菩薩も再び拝して参りまして、それでもまだ三時過ぎ、そのまま帰るにはチョッと早い?
そこで向かった先が、駅からここまで来る途中にありました『源氏物語ミュージアム』です。

私が源氏物語に詳しいとは、誰も思われないと思いますが、事実全然詳しくありません(ーー゛
それでも平等院辺りまで戻るよりも、ずっと近かったもので(-_-;)
まぁ、初めて行ったので、決して悪くはなかったです。
上映されていた『橋姫』という映画が特に良かったです。

物語はあくまでも『宇治十帖』なのですが、宇治橋の守り神たる橋姫に扮した白石加代子さんが凄かった……(~_~;)
大体私ゃ、『宇治十帖』は嫌いなんですけどねぇ……あの二人の野郎(貴公子か?)が、どっちもどっち、好き勝手に遣りたい放題、惚れた腫れたで三人の姉妹の運命を滅茶苦茶にしてくれたような話……こういう事書くと、また誰かの怒りを買うようなε-( ̄ヘ ̄)┌
それでも見ていて泣けてくるんです……画像が綺麗で請っているのは勿論のこと、演出というか切り口が巧いんですわね。
野郎(だから貴公子だ?)よりも姫君の方に焦点を当てているのが、なんと言っても物語としての説得力があり、宇治橋姫という超越した存在の目から見ているのがとても良いです。

こういう具合に決して悪くはなかったですが……展示内容からして再訪するのかと聞かれますと、多分、誰かに付き合わない限りはしないと思います(+_+)

これが区画溝今年も高麗寺の発掘現地説明会が行われました。
既に第10次、調査自体は今年度で終了ですが、来年からは史跡整備に入るという事です。

さてそれにしても、相変わらず何が何やら分からない画像ですね。
先細りに掘られた溝の中に瓦の割れたのが、やたらに散乱しておりますが、これは高麗寺の伽藍回廊のすぐ西側に掘られた区画溝です。
どうしてしっかり掘られていないのでしょう……これは排水用の溝だという事です。
この場所の地形は西から東に向かって緩やかに傾斜しているそうで、雨水が伽藍の内側に流れ込まないようにと、この溝に集め、南側の木津川へと流すための溝だそうで、寺域の外まで掘られているのが、昨年の調査で確認されています。

こういうイメージ画が、今回も示されていました。いつものように木津川市内在住の早川和子氏による、再現イラストが公開されていました。
このようなヴィジュアル資料があると、本当に分かりやすくて助かりますね(・。・)
このイラストの中央辺り、回廊に沿って寺の外まで掘られているのが、今回検出された溝です。
この溝の中から9世紀初頭の瓦と12世紀末くらいの瓦器碗が多数、出土しています。
つまり9世紀以降は寺の補修はされておらず、12世紀末までは人がこの場所に住んでいた事を示しています。
南山城域の古代寺院は、たいていが長岡京への遷都に伴うように廃絶しているそうですが、この寺はその後も存続していた可能性があるようです。

柵列の角が出ています。さて、この日は京都府の方でも恭仁宮の調査の現地説明会も行われていまして、高麗寺から無料シャトルバスが出ていました。
奈良県版の新聞にはこちらの記事は載っておりませんで、イレギュラーですが、この好意に甘えて恭仁宮の発掘現場にも行って参りました。
昨年の調査でも、大極殿の後殿の推定場所と朝堂院に調査区を設けておりましたが、今年もやはり二箇所の調査が行われています。

この画像では、朝堂院と朝集殿院の間を区画した柵列を検出しています。
調査技師の足元に見えている変な形の穴は、柱の抜取り穴です。
何せ五年弱しか都として機能しなかった恭仁京の宮地です。
平城還都の後はさっさと解体が始まったらしく、ここに立っていた柱も平城宮に運ばれたのかもしれません。

さて、ここの朝集殿院は朝堂院よりも東西、三間分ほど広くなっているそうで、このプランは平城宮の第一次朝堂院と同じなのだとか。
しかし土地的な制約なのか否か、全体の幅はやや狭いのだとか……
全体的に急普請の印象の強い恭仁宮です。
この後の調査でも、やっぱり掘っ立て柱の検出ばかりなのかなぁ……?

寒いのは嫌い!寒いです。

今日も12月並の気温なのかな?

例によってホットカーペットは猫の住処……


車の運転中につい歌い出すという、格別に珍しくもない癖が私にあります。
そして今朝の通勤中、どういう訳か『赤色エレジー』(あがた森魚)なんぞを歌っているのに気づいたのでした……私ゃ、団塊の世代か?何処でこういう歌を覚えてくるんだ??
でも、うろ覚えの歌なので、しっかりした歌詞が分からなくて、つい先ほどYouTubeで検索して聞いておりました……改めて聞くと、妙な歌詞?まぁ、物語の方を知らないからなぁ(~_~;)

そのついでに、ちょっくらサーフィンをしていたところ、何やら懐かしい曲が出てまいりました。
この歌、昔知り合いが良く聞いてましたわ……この暗さが良いとか何とか言いながら(-_-;)
久々に聞いて、つい思ってしまいました。
今現在、私なら絶対に、こういう男は書けない!!

多分私が書き始めたら、自暴自棄に破滅型を装う自意識過剰の若い奴が、最初こそは自分のスタイルに酔っているものの、話が進むうちに化けの皮が剥がれ切って、気がついたら本来のイノシシタイプに化けてるかも知れませんわ……これじゃ、昨年に書いてた話の主人公だわσ(^◇^;)

「やはり最後に頼るのは御身らだな。御身らが俺を支えてくれるのなら、俺は俺の戦いをする。俺は腐狗になどはならぬ」
「御身様は……将軍になるべき御方だ。王などではなく、将軍に」
「そうか。俺もそう思う」

こういう具合に、最後にはなるんですわね(^^ゞ(・_;)(・o・)
と、阿呆な事考えてないで、さっさと書くべき話を進めろって……(--〆)

南宋で焼かれて日本にもたらされた三点(若しくは四点)しか実例が残っていない『曜変天目茶碗』ですが、こいつを見に行こうと、職場の同僚と先日から漠然とした計画を立てております。

関西圏で一番手近に見られそうなのが『藤田美術館』です。
ここでの展示予定は、来年の春季特別展『歴史を彩る 教科書に載る名品』(3月6日~6月13日)だそうです。

京都の『大徳寺 龍光院』は原則非公開、10月第一日曜日の曝涼展に出る事もあるという程度なので、実に狭き門かな……(-_-;)

そして滋賀県甲賀市の『MIHO MUSEUM』ですが、ここの天目茶碗は曜変ではなく、油滴だという方もおられまして、四点の内では唯一の重要文化財のようです。
こちらでの展示予定は、やはり来年春の特別展『創立者生誕百年記念特別展』(3月13日~6月6日)だとか。

稲葉家伝来なので『稲葉天目』とも言うそうですところで国宝の三点の内で一番有名で、一番艶やかな茶碗は『静嘉堂文庫美術館』にあります。
場所は世田谷区の二子玉川……これ考えただけで、チョッと気が萎えますわ。
確か二子玉川駅から更にバスに乗り継ぎだったかな……東京でも東端の方ですわね(*_*;
ここでの展示予定は、『国宝 曜変天目と付藻茄子―茶道具名品展』(2月6日~3月22日)です。

更には近年、陶芸家の林恭助氏が見事な復元作品を制作されまして、こいつが江戸川競艇場の所有になっておりまして、見学するには競艇の開催日に特別席に入るか、一日定員限定のツアーに事前申し込みするかしないといけないそうです。
こっちは東京の西端の方、静嘉堂文庫以上に足が遠のきますわ……尼崎競艇場ならばいつでも行けるんですけれどねぇσ(^◇^;)

ともあれ来年の春は、久々に東京行きになるのかしら?

今年も『関西文化の日』で、この土日、いくつかの博物館相当施設を無料で拝観してまいりました。
『県立橿原考古学研究所付属博物館』、『県立万葉文化館』、『香芝市立二上山博物館』、そして『天理大学付属参考館』ですね。

実を申しますと、毎年、この日にしか行かないのが、万葉文化館と天理参考館です。
前者は今年もあまり有名ではなさそうな日本画家の方の作品展、一通り眺めて地下の常設展会場の『さやけしルーム』で居眠りをしておりました。
ここでは、これが一番の楽しみかもしれません。
仕切られた照明を抑えた部屋で椅子に座り、耳元のスピーカーから流れる風や水の音、鳥や虫の声、時折混じる和楽器の音などを聞いているだけなのですが、何となく気が休まって心地良くなって参ります。

インドの楽器です。一応ここの呼び物として『万葉劇場』とかいう、音と映像を駆使した人形劇(?)があるのですが、これが何度か見ていると……見ている方が恥ずかしくなる内容に気づく(~_~;)(-_-;)(^^ゞ(*_*;
蒲生野の薬狩りでかつての背の君が袖を振っているのに気づいた額田王……
「私は大君に召された身、あなた様とは言え、そのような事をなさってはいけません、人が見ていたら如何なさるのですか」
とか何とか一人で気を揉んで(のろけてか?)……それなら、あんな歌、詠むなよ(ーー;)何考えてんだ(-_-メ)?

まぁ、そういう戯言は大概に致しまして、日曜日に行って来たのが、この画像にあるような見事なタンブーラも展示されていた『天理参考館』です。
現在行われている特別展は『世界の民族楽器』、日本やアジア諸国を始め、ヨーロッパやアフリカ、アメリカの楽器も、所狭しと展示室や展示ケースに並べられていました。
質素な物も多いのですが、中にはこれのように芸術品にも匹敵する楽器もあるし、同じような作りの楽器が、場所によって少しずつ形や素材、大きさも変えて制作、演奏されているのが分かって、なかなか面白いです。
美人の演奏者なのにピントが甘くてスミマセン(*_*;弦楽器一つとっても、いったいオリジナルはどれで、何処からどのように伝播して、このような形になったのでしょうと思われる物も沢山あります。

ではこれらの楽器、どのような音色がするのでしょう?
そういう訳でいくつかの楽器を使いまして『民族楽器を楽しむ』コンサートがエントランスホールで行われていました。
私が行った時には、ダルシマーというタイの琴の演奏が行われていました。
演奏している女性と比べても分かりますように、オーストリアのツィターに似た大き目の琴で、弦を直接スティックで打つ、ハンガリーのツィンバルンやスイスのハックブレッドと同じ仲間の楽器ですね。

御馴染みの天理大学雅楽部です。その他にもクラシックギターフォルクローレアフリカのパーカッションなどの演奏も行われていました。
そして最後が、天理大学雅楽部による『胡飲酒(こんじゅ)』、林邑楽(りんゆうがく)ですね……十数年ぶりに見たような気がするわ(・・?最期に見たのは春日大社神苑での南都楽所の公演でだったかしらねぇ???

一度も正規の金額を払って入場した事のない身としては、無料で特別展を見せて頂き、コンサートまで聞かせて頂いて、返す返すも低頭致す次第です……とか何とか言って、次に来るのは来年の『関西文化の日』?σ(^◇^;) ?
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
明日は歴史作家!

カレンダー
04 2026/05 06
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

お天気情報

-天気予報コム-

最新コメント
[02/06 賀茂史女]
[02/05 うめぞー]
[02/02 賀茂史女]
[01/30 うめぞー]
[01/30 マム]

ブログ内検索

メールフォームです
今日の参考に

Copyright ©  -- うめぞー、思案中 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by 押し花とアイコン / Powered by [PR]
 / 忍者ブログ