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本来ならば万葉植物園の浮き舞台で行なわれるのですが、今年は雨模様、感謝共生の館(いつも講座を行なう場所です)での開催になりました。
曲目は『貴徳(きとく)』、おん祭の舞楽でも恒例の右方走り舞です。
催馬楽などは天理大学の雅楽部が再現を試みて、演奏会でも発表していますが、南都楽所でも最近演奏されるようになった気が致します。
そして、いつものように舞楽は『振鉾(えんぶ)』から。
チョッとタイミングが違うかな?
次は『北庭楽』、『狛鉾』、『還城楽』と続くのですが、現在かなり眠いので続く……(ーー;)おいっ
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秋の平城京天平祭が本日から始まりました。
以前には『平城京遷都祭』といっていましたが、一昨年から『平城京天平祭』の名前で、春、夏、秋に行われるようになりました。
それにしても、今日、行ってみた感じですと、秋は少々地味なのかな?
それはさて置き、本日は『射礼(じゃらい)』の再現を行なうという事で、いそいそと出かけました。
『射礼』とは宮中の正月行事の一つで、一月十七日に親王以下五位以上という高官によって行なわれたそうです。
再現という訳で、このような復元装束で行なわれます。
この装束ですが、文官と武官の違いも復元されています。
こちらの画像は蟇目射手と介添役の方ですが、射手は三位以上の浅紫の縫腋(ほうえき)の袍、介添は五位の浅緋の闕腋(けってき)の袍を着ておられます。
縫腋の袍はサイドにゆとりを持たせるために、裾にギャザーを入れています。
チョッと画像では分かりにくいですか(^_^;)
行なわれたのは『大的式』です。
射手の方々は、いつもならば直垂を着用しているのですが、本日の装束はいつもと勝手が違うようで、弓を引くのも難しかったようです。
ちなみにこちらの太郎射手の方は、二位の左大臣という設定だそうです。
こちらの御二方は、四位相当の設定です。
四位なので深緋の袍ですが、地紋があるためなのか、ややくすんだ色に見えています。
さて、午後にも『射礼』の再現があるとの事。
少しだけ覗いて、別の所を見に行こうかと思ったのですが、午後からは内容が違っておりました。
14時半からの開始と聞いていましたが、やや早めに始まったようで、遠目に直垂と水干の方々が並んでいるのが見えました。
近寄ってみれば一目瞭然、『百々手式』が行なわれていたので、またもや見学と相成りました。
凄いなぁと思ったのが、前弓と後弓の方々、各10名ずつ。
あの広い橿原神宮でも7~8人しか並べないようなので、この会場はかなり広いという事ですね。
後弓の方々は全員男性です。
それにしても場所が広い分、的までの距離もいつもよりも遠いようで的中が難しそうです。
そして的はというと、『大的式』でも使われていた二尺五寸の網代的、多分、いつもよりも小さいのだと思います。
網代的は紙の的とは違って矢が突き抜けないので、命中具合がとてもよく分かります。
そして後弓の方々は、とてもキャリアを積んだ方ばかりだそうで、このように見事な結果になって、矢を回収するのも大変そうでした。
最初の予定では、『平城京歴史館』に行くつもりだったのですが、こちらはこちらでかなり興味深く拝見致しました。
スポーツ観戦はあまりしない方なのですが、古武道となりますと様式美に重点が置かれるで、何度見ても感心させられるのではないのかと、ここ最近思う次第ですm(__)m
『平城京歴史館』は、またそのうちに行きましょうっとσ(^◇^;)
以前には『平城京遷都祭』といっていましたが、一昨年から『平城京天平祭』の名前で、春、夏、秋に行われるようになりました。
それにしても、今日、行ってみた感じですと、秋は少々地味なのかな?
それはさて置き、本日は『射礼(じゃらい)』の再現を行なうという事で、いそいそと出かけました。
再現という訳で、このような復元装束で行なわれます。
こちらの画像は蟇目射手と介添役の方ですが、射手は三位以上の浅紫の縫腋(ほうえき)の袍、介添は五位の浅緋の闕腋(けってき)の袍を着ておられます。
縫腋の袍はサイドにゆとりを持たせるために、裾にギャザーを入れています。
チョッと画像では分かりにくいですか(^_^;)
射手の方々は、いつもならば直垂を着用しているのですが、本日の装束はいつもと勝手が違うようで、弓を引くのも難しかったようです。
ちなみにこちらの太郎射手の方は、二位の左大臣という設定だそうです。
四位なので深緋の袍ですが、地紋があるためなのか、ややくすんだ色に見えています。
さて、午後にも『射礼』の再現があるとの事。
少しだけ覗いて、別の所を見に行こうかと思ったのですが、午後からは内容が違っておりました。
近寄ってみれば一目瞭然、『百々手式』が行なわれていたので、またもや見学と相成りました。
凄いなぁと思ったのが、前弓と後弓の方々、各10名ずつ。
あの広い橿原神宮でも7~8人しか並べないようなので、この会場はかなり広いという事ですね。
それにしても場所が広い分、的までの距離もいつもよりも遠いようで的中が難しそうです。
網代的は紙の的とは違って矢が突き抜けないので、命中具合がとてもよく分かります。
そして後弓の方々は、とてもキャリアを積んだ方ばかりだそうで、このように見事な結果になって、矢を回収するのも大変そうでした。
最初の予定では、『平城京歴史館』に行くつもりだったのですが、こちらはこちらでかなり興味深く拝見致しました。
スポーツ観戦はあまりしない方なのですが、古武道となりますと様式美に重点が置かれるで、何度見ても感心させられるのではないのかと、ここ最近思う次第ですm(__)m
『平城京歴史館』は、またそのうちに行きましょうっとσ(^◇^;)
行なわれたと申しましても、この日の天気予報は雨だったため、手向山八幡宮での神事は行われましたが、転害門での儀式は中止となりました。
神様にこれよりお祭を行ないますと宮司が挨拶をした後、警蹕(けいひつ)の声と共に御神殿の御扉を開き、神様に御出ましを願い、御神饌と御幣を奉げます。
こちらは八幡宮なので、三柱の神様がおられまして、御神饌や御幣も三度奉納されます。
最初は東大寺の御僧侶が勤められ、氏子の方々が続きます。
神饌をお下げした後、再び警蹕の声と共に神様を御神殿に御送りして御扉を閉めます。
神事の流れは、大体どこでも、このような感じですね。
雨は随分前にやんでいたので、この後に転害門まで行ってみましたが、こちらでの儀はやはり中止との事でした。
転害門のすぐ横に、今年にオープンした観光案内所があり、こちらで記録の絵図や写真パネル展示を拝見して参りました。
何でも10月1日に行なわれる『氷室神社』の大祭が良い天気だと、『転害会』の日は天気が崩れ、1日が雨模様だと、こちらが天気に恵まれる事が多いそうです。
確か、今年の『氷室神社』大祭は、とても良い天気だったはずです。
来年の『転害会』の日は日曜日になるはずなので、是非とも好天に恵まれる事を期待しています。
この画像を見て、イコマ製菓のレインボーラムネだと思う方も多いかと思います。
左側は『レインボーラムネ』です。
右側は『ビー玉ラムネ』という名前で、奈良市内のお土産物屋さんで売っています。
公益社団法人奈良市観光協会が、奈良市の新しいキャラクター『しかまろくん』グッズの第一弾として、7月くらいから販売しているのだそうです。
現在、イコマ製菓さんは年に二回のレインボ-ラムネの注文生産だけで手一杯だそうで、他の販売ルートに下請けで下ろす余裕はないようです。
そのような訳で、別のメーカーが生産販売をしているようです。
食べ比べてみようと、なじみのカフェにてスタッフの方々も一緒に試食会(?)をしてみました。
お皿に出してみると、外見はそっくりですが、ビー玉(左側)の方が若干小さく見えます。
そして何よりも違うのは出した時の音……ビー玉の方がかなり硬質な音がしました。
そしていざ、食べてみますと……全然、別物だよ、こりゃ(゜.゜)
味も硬さも、口の中での溶け方や舌触りも、まったく違う(*_*;
「これならば、こっちの圧勝だよ」と、全員が同じ見解でした。
どちらが圧勝なのかは、是非とも食べ比べてみて下さい、といってもイコマ製菓のレインボーラムネは売っている所がかなり限られますからねぇ(゜_゜>)
相変わらず写真の合成が下手なので、奥の方が変にひずんでいますが、全体的に見て遺構面がかなり浅い事が分かるかと思います。
記録によればこの建物は、七度焼失して七度再建され、享保二(1717)年、八度目の火事の後は再建されなかったという事です。
調査前から礎石が地表に現れていて、周辺を掘り下げたところ、幾つかは創建時から動いた形跡が無い事が分かりました。
つまり、今まで行なわれた七度の建て直しも、同じ位置に同じ規模で行なわれた事が照明されました。
本来ならば、更に西側に『小子房』という建物も平行して建てられているはずなのですが、その礎石や抜き取り穴などは、平面での確認は出来ていないそうで、これから断ち割っての調査が続けられるとの事です。
整地層には大小の礫も多く、この地面を掘るとなると、かなり大変そうに見えます(-_-;)
記録には11間と記されていたので、復元図は従来そのように描かれていたのですが、今回、それが間違っていた事も分かったという訳です。
それにしても電気やガスや水道の配管が、遺構を破壊するように走っているのが、この画像でも分かるかと思います。
中近世の排水用の土管や暗渠も多くみられますが、新しいものでは昭和30年代くらいの配線などもあるそうです。
文化財保護法などない時代の工事なので仕方がありませんが、これはこれで見事なものです(^_^;)
しかし今年は、台風18号の接近で朝からの雨、『光の回廊』は中止になりましたが、公演の方は警報が出ない限りは行なうと聞いておりました。
こちらの“風舞台”には屋根があるから多少は大丈夫と思いきや、奥の1/3程度しか庇がかかっておらず、役者の立ち居地は完全にオープンスペースも良いところです。
しかし、降雨を感じさせない熱演は見事なものです。
美術や衣装も毎年、趣向を凝らしていて、こちらも見どころになっています。
今年の物語は飛鳥寺建立が背景になっているので、主人公が関わる瓦だけではなく、丈六の仏像も舞台に上がっていたのには驚きました。
飛鳥寺の御本尊のみではなく、善信尼(日本で初めて出家された尼僧です)の精舎の半跏像(二枚目の画像参照)までも……とにかく、どちらもクオリティ高いんです。
役者さんと比較しても大きな物ですが、これを手造りしてしまう美術スタッフには毎年、びっくりさせて頂いていますσ(^◇^;)
本公演を毎年楽しみにしているという地元の方も多く、朝からの土砂降りもものともせずに見に来てくれる姿を見ていると、地元に密着して支持されているのだなと、その一人としても嬉しく思えました。
『光の回廊』が中止になったので、公演も中止と思ってしまった人も少なからずいるようで、どこか分かりやすい所で行ないますと表記して欲しかったです。
日中に『光の回廊』のオフィシャルサイトを見た時も、時空の公演は行ないますとは、一言も書いてなかったからなぁ……
団員さんが個人でやっているフェイスブックには書かれていたらしいのですが、やはり公共のページで教えて欲しいですね。
上演したのなら見たかったという人も、絶対に大勢いたはず……(T_T)
その南東にある字が薬王寺、双方にまたがった広い範囲に『十六面・薬王寺遺跡』は広がっています。
今回の調査地は、遺跡の最北端にあたり、あまり大した遺構は無いだろうと予想していたのに反して、5基の方形周溝墓を始めとした、弥生後期から中世にかけての遺構、遺物を検出しています。
調査区北東にある溝から、緑色凝灰岩製の勾玉や管玉、滑石製の臼玉が未完成品や失敗作も交えて見つかりました。
他にも鏡を模った石製模造品(こちらは別の溝から)や、石を切るのに使ったと思われる石鋸、穴を開けるのに使った水晶の石錐、磨くのに使った砥石、更には材料の石のチップも多量に出ているようです。
溝の途中に水を溜めるような遺構を設けていて、何かの御祭りをしているようです。
この溝は自然の川を掘削して、耕作用の水路として使用していたようで、古墳時代末期には使われなくなって埋没したようです。
井戸や溝から多数見つかり、遺構の時期を判断する決め手となります。
方形周溝墓からは、山陰地方からもたらされた土器も見つかっています。
この場所は弥生時代には墓所、古墳時代には住居と耕作地になっていたようですが、律令期になるとかなり開けた土地の隣接地となっているようです。
ここより300mほどの東側で、奈良時代の多くの建物跡や遺物が見つかっていて、どうやら磯城郡の郡衙に関連する土地だと考えられるのだとか。
鎌倉時代以降は全面が耕作地となったようで、条里制に伴った東西南北の鋤溝が多数残っています。
遺構面全体が、現地表からかなり浅い位置から検出されており、土地が多少高かったために常に何らかの利用がなされていた事が窺えます。
調査の後は大型店舗が建設されるそうで、調査も来週には来週には終了すると聞いています。
といいましても、明日は台風の接近で奈良県の天気予報は雨……中止の確立も高いだろうと、今日(既に昨日)に人出が集中したようです。
駐車場は何所も彼処も満車状態、村内を走る無料シャトルバスも満員で乗れない情況が多々見られました。
ロウソクのカップやLED、ライトアップ、野外ライブなどは毎年恒例ですが、今年はそれに加えた演出で、『光のマルシェ』(県内の名店が参加しています)、ミニ鉄道を走らせたり、3Dプロジェクションマッピングなども行ないます。
こちらは例年ならメイン会場の一つで、芸術大学などの若い人たちがロウソクカップを駆使して、豪勢に見せてくれていたのですが、今年のアート作品も趣向が変わって面白かったです。
水が流れたり小さな鳥が飛び回ったりと、見ていて飽きないのですが、如何せん場所が狭い……
次はもっと広い場所、例えば飛鳥資料館の庭園とかでやってくれないかな~(~_~)~
石造物のレプリカ、いっぱいあるし( ̄▽ ̄)。o0○
それにしても飛鳥は狭そうで広いというか、見る場期場所が点在しているので、一晩ではかなりハードです。
結局、高松塚地区や川原寺地区には行けず、最後は石舞台公演まで行きました。
劇団『時空』のリハーサルはとうに終わって、最後の打ち合わせをしているようでした。
チョッと声をかける雰囲気ではなかったので、暫らく眺めて引き揚げてきましたが、さて、明日の天気はどうなるものか。
多少の雨ならば本公演は実施すると聞いていますが、さすがに警報が出たならば中止も覚悟しておいた方が良いのかなぁ……・゚・(ノД`;)・゚・
既に四回目ですが、今回は新しい瓦も焼きあがって、瓦の葺き替えが始まった状況を見せて頂きました。
この画像は南東の隅から東面の屋根を見たところ。
手前の方が今回の修理で新しく焼き直した瓦で、奥の方は室町・慶長年間、江戸時代の物が並んでいます。
左端に少し見えている南面の物は、創建期と思われる天平時代の瓦だそうです。
こうして見ただけでも、暦年の風化によって色が変わっている様子が良く分かります。
屋根の南側や東側は日当たりが良く乾燥して、瓦の痛みも少ないのだそうで、古い瓦は主に南面に固めて再利用するのだそうです。
北面と西面はほぼ、新しく制作した瓦を使用するそうですが、軒瓦のデザインは創建期の東大寺式。
軒瓦は創建期の物が残っておらず、最も古くても鎌倉期の物になるとの事です。
そうなりますと復元瓦は、普段の正倉公開では見る事の出来ない面に集中してしまいます。
個人的には、このデザインが一番好みなので、何となく勿体無いなぁ……と、感じる次第ですσ(^◇^;)
鬼瓦も慶長年間から明治時代の物までが使われていますが、北東隅の明治時代の物は割れが大きくて保存に回すそうで、今回新たに焼き直したという事でした。
それがこの画像、ペアになる慶長年間の物にデザインを合わせています。
ところで格隅に一対ずつ置かれる鬼瓦ですが、これが阿吽になっているとは今回初めて知りました(-_-)
予定では、今回の修復工事は来年の秋まで続くそうで、正倉の外観公開は来年の正倉院展を目処にしているようです。
次の一般公開は来年の春を予定しているそうで、その頃には全て瓦を葺き終わった屋根を見る事が出来るとか。
その頃にも忘れずに、宮内庁のHPをチェックしておかなければ( ̄▽ ̄)。o0○