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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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「いや何、古い戸籍を調べていたのだよ」

「戸籍調べが楽しいのか」

「かなりややこしい故にな」少輔の薄い眉が下がる。笑うと妙に子供じみた顔になる。

「ややこしいのが楽しいのだから、これは病気だ」義兄がこういう具合に軽口を言うのも珍しい。やはり、大伴家持や石上宅嗣のいない穴は大きいのかもしれない。

 「そう言うな、久々に調べがいがありそうで、楽しいのだよ」

  ***********************

これは少し前に書いた話に出て来る、淡海真人三船(式部少輔)と市原王(東大寺写経所長官)の会話です。
この話の時点では天平宝字八年、二人とも同世代(多分、四十代半ば)の淡海帝系の四世王、三船は元々は出家していたので、長らく玄蕃寮にいた治部省畑一筋の市原王とは旧知の間だったのではないかと、勝手に思っています。
ここでの語りはいつものように山部王、後に大学頭となる布石ではないけれど、割合にこの御仁の周囲には若い頃から文人が多かったらしいです……私が勝手に設定したのですけれど。
そして以前書いた話を読んでみますと、この文人連中がどれもこれも変人らしい?
義兄の市原王や、実務派の佐伯今毛人あたりは常識人みたいですが。

どうも私は文人連中に偏見があるみたいですσ(^◇^;)
脇役でチョロチョロ出て来る大伴家持なんて、一度もまともに書かれていませんから。
では武人はと申しますと、根暗と天然に分かれるようです……とどのつまり、うちのキャラクターにまともなヤツはどれだけいるんだ??

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お絵描きをするつもりだったのに、どういう訳かHPにあげてある『100のお題』を読み始めてしまいました。
題によっては、やたらに趣味に突っ走ってるのがあるんですよね。
特に『書簡』で日並皇子(草壁皇子)の言っている内容って、普通に読み流しただけじゃ全然分からない……
こいつって、この前書いた話の百済における後日談(これこそ、大枚妄想の世界ですが)からずっと引っ張って来て、二十年もたった頃に倭国に影響してくる事ですわ。
だから概ねの事はさて置き、細かい事で理解できるのは私だけ??!!

唐の高宗に対して新羅の文武大王(金法敏)が、とんでもないケンカを売る、それも『新羅本紀』になど書かれていないような内容で……(だから私の大枚妄想です)
唐が定めた熊津総督を追い出す形で新羅が別人を任命する、それも唐に同様、旧百済の王族をです。
この話は果たして、いつか書く事になるんだろうか……結構ヤバイ内容だと私は思っているので、今のところは頭の中で練り回しているだけです。

それでですよ、先ほどから書き直そうかと考えている志貴皇子の若い頃の話ってのが、まさにこの二十年後に起きる事件なんですわね。
ここでまた七世紀の東アジア情勢に突っ走ると、歯止めが利かなくなるような気がする、我ながら(・.・;)
こいつがまた、皇家の陰謀に負けじ劣らじ、筆が進む……あぁ、殆ど病気ですわσ(^◇^;)
父親の世代を460枚でやっつけたと書いたけれど、考えてみればあの話で中大兄皇子はまだ即位もしていませんでした。
まぁ、称制はしているんですが、まだ何というほどでもない所で、話の舞台が海外に行っちまったもので、戦後処理も遷都もする時期まで行っていないんですわ。
だからって、淡海篠浪宮(あれ、この字を使ってたっけ??)での話を書こうという気は、今の所ほぼ起きていませんから、やっぱり飛鳥浄御原宮っちゅうか後岡本宮っちゅうか、その辺を舞台に書く事になるのかなぁ……いや、まだ百済王真鳥志貴親王の話を書こうという訳じゃないのですがね。

でも書くとしたら、志貴親王のプロフィール(?)が大幅に以前の作とは変わります。
しかしキャラクターは変わらないだろうなぁ……「俺は関わりたくない」とか言いながら、何にでも首を突っ込んで行く困った性格は。
仮に真鳥の視点で書いたとしたら、主人公は草壁皇子ではなくて志貴皇子(大宝令以前なので親王ではない(-_-))になるのかもしれません。
しかし、私の話に出て来る草壁皇子って御仁は、相当腹黒い(--〆)です。
父親だろうが兄だろうが丸め込んで、従兄もあごで使うような所があるからなぁ。
この人が果たして、脇役で収まっていてくれるのかしらσ(^◇^;)

う~ん、やっぱり孫か曾孫の世代にしておこうかしら(・.・;)
あっちにはもっと、腹黒い(?)のが揃ってるし(-。-)y-゜゜゜
またもや、本ページが逝かれました?
管理画面が全く表示しないようで、どうしましょうかと、年賀状用の画像を加工しながら様子を見ていましたが、この時間になっても復旧しないようなので、戯言はこちらに書きます。
何か書いていないと落ち着かないと、以前に友人から言われましたが、そいつを否定する気は毛頭ありません(-_-)

志貴親王画像百済王真鳥志貴親王の話を書こうか、それとも粟生江内親王五百枝王の話を書こうか、何となく悩んでおります。
何故、何となくなのかって、どちらも猛烈に書きたいという欲求に見舞われてませんから……嗚呼、情けないかな(/_;)
どっちの話も、片方は架空の人物ですね、良く考えてみたら。
私にしてはかなり珍しい傾向ですが、双方ともかなり具体的なプロフィールは持っております。

真鳥というのはあくまでも日本名、本名は扶余真泗沘(さび:後期百済の王都)で生まれる。母親と共に倭国に来たのは十一歳の時で、武官である義父は淡海朝の重臣となり、真鳥自身は皇太弟に認められて、その甥の皇子の帳内となる……という具合に。

取り敢えずは年賀状を明日明後日の内に片付けて、溜まっているお絵描きでもしながら考えましょうか。
確かリクエストに『百済王真鳥』がいたはずなんですが、随分以前に描いていたところ、この顔は早良親王かもしれないと思い始めて……つまりは母方の曽祖父似って事なのか?
え~と、誰をモデルにするんだっけ……玉木宏だったかな??
宇智(うち)とは葛城よりも更に南の方、現在の五條市の辺りをいいます。
大和から紀伊に抜ける街道の要所の一つとして、昔より栄えた場所ですが……現在は、もうちょいと活気が欲しいような(^_^;)
明治維新の先駆けとなった天誅組が闊歩した地域として、幕末に詳しい方ならばご存知かもしれませんね。
宮内庁指定 井上内親王宇智陵
ここは大和よりも紀州の影響を強く受けた部分も多く、古墳の石室などは奈良県内でもかなり特殊です。
これよりあげる画像は、一応古墳なのですが終末期も良いところ、奈良朝の後期に亡くなられた方々の御墓です。

何処も同じ宮内庁管轄の陵墓ですが、これは光仁天皇の皇后である井上内親王(いのへのひめみこ)の御陵です。
今回うめぞー、この御仁とうちのスメラミコトとの関わりを書かにゃならないので、遠方より御出で頂いた友人を引っ張りまわして、この御方の御陵と、祭られている御霊神社に行って参りました。
この辺の報告は、また後日にでもm(__)m

宮内庁指定 他戸親王御墓私が常々不満に思うのは、この皇后が呪詛などという冤罪を押し付けられ、ひたすら悲劇のヒロインとして扱われた挙句に、怨霊なんてまがまがしいものに仕立て上げられた、世間一般に流通しているイメージです。

そしてその息子の他戸親王(おさべのみこ)も、何もできないまま追い遣られて母親と共に死ななければならなかったという、これまた絵に描いたような不幸な貴公子にしかなれない姿です。

更にそこに必要なのは、権力欲に手段を選ばない一方的な悪役と、その者に担ぎ上げられる無能な為政者のという、至極極端で面白くもない登場人物たちです。

天邪鬼うめぞーがこんな話を書く訳ゃぁねぇっての(-_-メ)
この一家にもう少し脳味噌を使ってもらわにゃ、権謀も術数も出る幕がありませんわ。
今回、井上皇后(いのへのおおきさき)の御陵を前にして、この女性は割合に強かで行動力もあったのかも知れないと思い始めています。
そしてその夫君たる白壁天皇(しらかべのすめらみこと)も、側近らの言いなりになどならない頑固爺様で、情に流されて悔やむような御仁ではありません。

で、悪役はいないのかって?
式家よりも北家よりもヤバイのは、何と言っても皇家……一番の悪党はやっぱり、うちのスメラミコト???(-_-;)???

本家の方がどうなるのか疑問なので、『執筆中の戯言』はこちらにもあげる事と致します。
単純にコピー&ペーストして、表記はどうなるのかな???
ルビは触れないでしょうから、とり合えず後に追い出しますか(-_-メ)

賜姓とは姓(かばね)を下賜する事。
本来、姓とは朝廷よりもらうものですから、まあ、建て前として大変名誉な事となります……実生活ではどの程度なのかは別と致しまして(-_-;)
天平宝字年間の末から天平神護神護景雲年間を眺めておりますと、この賜姓に関する記事がやたらに多いです。
同様に多いのは、国に私財を寄進した者への叙位です。

この頃はと言いますと、何年か続きの悪天候で全国的に不作が続いたようで、何かと言えば、どこそこの国が日照りのため飢饉と疫病が流行り、賑給(しんごう)をしたという記事が散見されます。
そして天平宝字八年九月には大規模な兵乱が起きたため、この年の米の価格は急騰して『一石につき千銭』にもなったと史書にはあります。

有り体に言えば、地方に限らず中央までが困窮している状態です。
税を納めろと言ったところで、納めるべき米の収獲がない……恐らく賑給米も底をつく状況でしょう。
そこで頼るべくは民間の力……国債を発行する訳ではなくて(ーー;)
個人の蔵に納まった米などを吸い上げるため、氏姓(うじかばね)や階級という、資本としては無から発生する餌(?)を撒く訳です。
位階は今後の給料査定に関わるし、五位以上がもらえれば蔭位(おんい)に預かれるという訳で、子孫にも益があるのでかなりありがたいことでしょう。
そして氏姓も、間違いなく朝廷が下賜したステータスシンボルとして、子々孫々に誇るべきものだったのでしょう。

位階役職の大安売りといえば、後々、封建の世になってから武家階級に対して乱発しますが、律令円熟期たる奈良時代の後半から、既にその萌芽がありありと見えるのは何とも皮肉です。

何の本命かと聞かれますと、称徳女帝が皇位を譲ろうとした相手です。
間違ってもチョコレートを贈る相手ではありません……つまらぬ事は言わない(*_*(○=(・_・o)

最近の文献屋の先生方が、一番妥当だと考えているのは他戸親王で、うめぞーとしてもこれに反論する気はありません。
これの立役者は、まあ、藤原北家で良いんじゃないかな。
そうすると、神護景雲三(769)年の宇佐八幡宮の神託騒ぎは何なのだろう?こういう疑問が湧いてきます。

一般的に言われているというか、『続日本紀』に書いてある内容によりますと、大宰府の主神(かむつかさ・祭祀を行う者)が「道鏡法王を天皇位につければ、天下は大平になる」というお告げをでっち上げます。
その真偽を確かめるために、輔治能真人清麻呂(ふじののまひときよまろ・後の和気清麻呂)が宇佐八幡宮に派遣されます。
ところが清麻呂が持ち帰った応えは、「天つ日嗣には必ず皇諸の人を立て、無道の人は早く掃除せよ」というものでした。
これに道鏡が怒り狂い、清麻呂とその姉を配流したとあります。

ここで怒っているのは道鏡法王で、女帝とは書いてありません。
しかしこの事件のあらましを記した条文の前にあるで、清麻呂と姉の法均が偽りを告げたと、尋常ならざる口調で激怒しています。
本当にこの二人、同じ内容に対して怒っているんでしょうか?
故意に何かが省かれているのでは?

例えば女帝が宇佐の大神に問いたかったのは、道鏡を皇位につけるなんて内容ではなく、全く別の人を指名しての答だったのか?
さもなくば皇位継承ですらなく、全然別の事なのかも??

どうもこの時代を書くに当ってのうめぞー的セオリーには、『皇家の最大の敵は皇族』というのがあるので、弓削氏なんて河内の田舎者では据わりが悪いんです。
諸臣がクーデターを図るにしても、常に掲げる御旗は諸王なんですよね。
だから女帝にしても藤氏や他の氏族にしても、自らに都合の良い日嗣を推そうとしているんです。
では、女帝に都合の良い日嗣とは?
結局、誰が称徳女帝の本命かという疑問に戻ってくるのでした。
他戸王なのか、別の王なのか……これが判断の分かれ目(-_-)

まさにボチボチと資料の作成をしております。
脇を固める人物たちが世代交代をし始めているので、その辺りを押さえて置かないと、後で手痛い目に合いそうですからσ(^◇^;)

神護景雲元(767)年の正月十八日に、定例の叙位が行われています。
名前の上がっている内では、無位から従五位下をもらった諸王と、六位から従五位下になった人が殆んどです。
この後者に藤原朝臣長道という人が出てきます。
聞いた事のない名前だなと思い、注釈を眺めていたのですが、簡単な経歴は書いてあるものの、誰の子で誰の孫なのかが分からないんです……(・・;)
一緒に名前の上がっている割合に有名な人は、藤原朝臣雄依(永手の次男)、世代的に同じだとして、藤原氏(不比等を初代として)の四代目か五代目くらい?

まだまだ殆んどの人がエリートコースに乗っている藤原氏の各家ですが、奈良朝の最後に到って係累の分からない人が出始めているんですね(-_-;)
これが女性だと、三代目くらいから不明の人もいるんですけど。
ともあれ、この四代目、五代目がどうも頭に入ってなくて困ってます。
諸王ともなると、もう、全然、誰が誰だか……(-_-メ)

ただ今本家のBlog『うめぞー、執筆中』がサーバーのトラブルで、全然快適に使えない状態です。
そこで、こちらに戯言を書く事と致します。

とり合えず今考えているのは、高野天皇崩御からいくらもたたない時点から物語を始めようという事。
どうやら乗っ取りの予感は的中したらしく、うちのスメラミコトは三十過ぎても主役を張りたいらしい……ただし一人称で書くかは、まだ未定。
我らが開成親王は既に都を出奔してしまって、スメラミコトとしては駄弁り相手がいなくて困っているらしい。
そこで出てくるのが、やはり出家中の一回り年下の同母弟。
ここで困るのが、この御仁の法名が分からない(-_-;)
その他のいつもの連中も十中八九出てくる予定。
もしかしたら伯父上は出て来ないかな??

それにしても、雄~田~麻~呂~、もしかして名前変わってるの、この頃には?

おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
明日は歴史作家!

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