- 2025.01.19 [PR]
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- 2010.12.14 打倒、海千山千……無理無理( -」)φ
- 2010.12.06 脱線……南北朝は後期が面白い
- 2010.12.03 父帰る……何処から??(゚_。)?(。_゚)??
- 2010.10.30 北門前を通過して
- 2010.10.26 作者は今日もいい加減?
- 2010.10.09 次も書き直しです(~_~)
- 2010.09.29 飛鳥浄御原内郭の池
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「疏だ忠だを問題にしているのではない。紫微中台におられる事を問題にしているのだ」
「問題はないであろう、あそこでの諸王は兄だけゆえに」
「ううむ、案外、兄上よりも御身の方が食えぬ壮士やもしれぬな」
こいつは藤原雄田麻呂と山部王の会話で、話題にしているのは紫微中台にいる手嶋王の事です。
これを書いた時に気付いていたのですが、皇后宮職の時代から紫微中台に見える名前には、確かに諸王は見えません。
紫微中台なんて、四位以上の役職が六人もいるってのに、余っている(と思われる)散位の諸王には、一つもポストを空けるような気配はありません。
やはり皇后が皇族出身じゃない事が、この辺りに関係しているんでしょうかね。
これが中宮職になるとどうなるんでしょう?調べておりません(~_~;)
恐ろしい事に私はこれを踏まえておいて、平気で白壁王周辺の人たちをこの令外司の官職に就けております。
何せ湯原王なんて皇后宮大夫までやってたりするんですから……(ーー;)
この人事、やはりこの家の特異性から来るのですが、今まで書いた部分を読み返してみても、その辺りの経緯が殆ど書かれておりません。
一度また、最初から見直す必要があるかも……何で、この話はここまでややこしいんだ(?_?)
それにしても、ワードからの貼り付けをすると、行間や何かがおかしくなりますわ(゜.゜)
相変わらず、件のやたら長い話の構成し直しに勤しんでおります。
この何日かで、以前に書いた話なども辻褄合わせのために
ちょくちょく読み直していますが、やっぱり気になる事があるんですよね……
それが何かと申しますと、どいつもこいつも、主人公が良い子過ぎる(ーー;)
だからと言って、嫌われるようなキャラクターにしたら、こちらが書き続けること出来ないしなぁ(+_+)
まあ、確かに普通に小説を読んでいても、主人公は割合に良識派が多いですね。
最初は癖があっても、いつの間にかヒーローに化けてくれる成長モノも多いしなぁ(~_~;)
もう一つ引っかかるのは、誰も彼も現実主義者ばかりだわねぇ……(?_?)
チョッと前に、平安初期を舞台にした女流作家が書いた作品を読んでいたのですが、この辺を書く方、男だろうが女だろうが、変にファンタジーに走りたがる人が多いような気がするのですが、これって穿った物の見方かしらねぇ。
とは申せ、うちの連中にファンタジーは全然似合わない。
変な物言いですが、私が書くと大抵のキャラクターは、地に足着けたがるみたいというか、私自身がそういうキャラクターしか書けないみたいですね(-_-;)
ただ今、手嶋王は自らの立ち位置を模索しているのですが……
困ったなぁ、やっぱりこの展開でも、二人とも事件の経過から投げ出される。
別の展開をもう少し考えないと……・゚・(ノД`;)・゚・
何せ読み直してみますと、主人公兄弟が途中で置いてけぼりにされておりまして、どうして突然、こういう展開になるのか、書いた本人が理解できませんわ(+_+)
特に手嶋王の立場に矛盾があるので、これを整理しなおしますと、後半に入ってからの行動が若干変わらざるを得ないような展開になって来ました。
何よりも、父上が介入して来た辺りで、息子たちが自ずと萎縮してしまいまして……(゜.゜)、二人とも案外小心者かも。
と言うか、父上が予定以上に大物なのか(・・?
伯父上は必要以上に悪党だし(ーー;)
とにかく、主役の二人に高みの見物をさせないようにしなければいけません。
この先、紫微内相や右大臣はもとより、皇太后も介入して来るような事態になって来るのに、駆け出しの官人に過ぎない二人が、何処まで対応できるのかしら……ってのか、この二人のような立場で、何処まで状況が見えるのかなぁ。
この辺をもう少し眺めなおしてみませんとねぇε-( ̄ヘ ̄)┌
画像は内容とは全く関係なく、先日の春日若宮おん祭のお旅所祭での東遊(あずまあそび)です。
それにつけても、モバイルパソコンを買おうかどうしようかで迷っております。
タブレットパソコンでも、OSにウィンドウズを使っているものもあるし、こっちも捨てがたいかなぁ(?_?)
電子書籍の類、ダウンロードしたい気もするしなぁ。
いっその事、コンバーチブルタイプにしようかな、Windows7が乗っかっているのでも、5万円前後のやつまで出てるらしいしなぁ……とか何とか言って、値段に負けてXPの中古を購入という展開もありそうだわσ(^◇^;)
どうせ私の使用しているOfficeは2000で、Wordしか使ってませんから、OSが何だってあまり頓着しないんですけどね。
まあ、先立つものがないからもう少し考えるとしまして、ただ今のところの展開は、うちのスメラミコト、紫微内相にネチコラと虐められております。
紫微内相にしてみれば、二十年近く前、この父親相手にこれをやろうとしたところ、その天然ぶりに玉砕というに近い事態となったためか、息子相手に逆襲をしております。
それにしても、このくらいの年齢の時ならば、うちの主人公どもも結構かわいげがあるかも知れませんわ(~_~;)
考えても分かりますが、海千山千で知れた五十二歳の藤原朝臣仲麻呂に対し、駆け出しの内舎人、二十一歳の山部王、全く太刀打ちできませんε-( ̄ヘ ̄)┌
あの世泰親王(我らが大覚寺統のホープ?)は、父親も叔父も幕府の重鎮も寺の坊主ども持明院の歴々も引っ掻き回して我が物顔のところがあったのですがね……これこそ無知ゆえの怖い事しらずがなせる業?(゚_。)?(。_゚)?
この報告はまた後ほど……で、脱線というのは何かと?
私にしてみれば大した脱線でもないのですが、切っ掛けは昨日に桜井市民会館で見ていた演劇です。
私がかつて書こうと計画して、資料集めやら構成やらをしていた物語で、最も新しい時代が南北朝後期というか室町時代の初期です。
まさに昨日の戯言のごとく、結崎座(後の観世座)の面々も主要な人物として出てくるような話ですが、主人公は大覚寺統の親王……もう少し平たく申しますと、南朝の親王です。
この人の腐れ縁的な相手の一人が足利義満、もう一人が世阿弥元清で、ここにこの三人の家族やら家臣やら持明院統の連中やらが入り乱れ、『明徳の和議』を経て前後で、話の雰囲気ががらりと変わるような構成を考えておりました。
何せ前半と後半では、主人公の立居地がこれでもかというほど変化します。
この物語自体は、いつか機会があればまた練り直さなければなりませんが、昨夜から何となく気になっているのが、主人公の家族構成その他です。
この話を考え始めたのは十年以上前にも拘らず、今の今まで全く気付かなかったのですが、家の中での主人公のポジションが、やたらに山部王に共通しているんですわ(~_~;)
まずは次男坊で嫡男、そして同じ年齢の異母兄がいます。
こちらの母親は早くに亡くなっていますが、父帝の正室ではないけれど一番存在感のあった内室とされています。
父親はこの息子にかなり放任主義、乳母子と常につるんで悪さをしていますが、うるさくは言いません。
それでも政略とも恋愛とも着かないような結婚の後、娘が生まれます。
この娘がまた、とんでもない人の内室になりまして……
性格ややる事はあまり似ていないのですが、もう一つの共通点は特に好きでもないのに管弦の名手と他者から見られている?
こちらの親王は琵琶を四六時中抱えておりましたわ、確かσ(^◇^;)
それにも拘らず、バリバリの武官??(゚_。)?(。_゚)??
直垂に風折烏帽子をつけ、平気で臣下の連中に混じって小笠懸だろうが犬追物だろうがやっちまうような、とんでもない御仁だったりします……あんたは鎌倉武士か(ーー;)
うちのスメラミコトの原点は、この一番の不良親王だったとは(-。-)y-゜゜゜
思うにこの両者、作者の好みが露骨に出ているのかもしれません。
ただし、二人の生涯は似ても似つかないものになるのですけれどね。
こういう事に気付いて、果たしてキャラクターが変わってくるかなぁ?
まあ、変わりたい時には、作者に断りもなく豹変するようなやつらばかりだからなぁ(--〆)
それが誰かと申しますと、ズバリ白壁王です。
主人公兄弟の父親です。
何せこの兄弟が、周囲の大物に目を着けられる要因の一つが、この人の息子だという要因なのに、肝心の父親が知らぬ存ぜぬ、何もしてないという状況……
そもそも、これだけの曲者が、息子たちの巻き込まれている大事を見過ごすはずがありませんわ。
大体、私の話に出て来る白壁王という人は、いざとなれば、為政者に対して牙もむきかねないだけのキャリアを持ってますからねぇ。
八省の四等官でも参議でも、かつての同僚だったり部下だったり……
さ~て、これから喰えない親父の一人としての父上のキャラクターと、この複雑極まる話の中での立居地を考えませんとε-( ̄ヘ ̄)┌
この父親の息子である事に、手嶋王も山部王も、子供の頃から苦労しているようですからね( -」)φ
やけに手嶋王(開成王)との会話の場面が長いんですよね、こいつがかなり気になるのですが、この二人が無い情報を持ち寄って、ようやく事態が少しずつ見えてくるような話の進み方をしているので、下手に分断してしまうと、逆に話の流れが分からなくなりそうですし、どうしたものかと、少々悩んでおります。
ところでこの画像は、今日も内容とは関係なく、平城宮跡でボランティアで天平人をされている方々です。
山部王(うちのスメラミコト"^_^")が右京北辺(当時この呼び名はなかったと、奈文研の先生は言いますが)にある手嶋王の第宅を訪問する時のルートに、もう一つ悩んでおります。
山部王といいますか白壁王の第は、ここで何度も張ったりを飛ばしているように、『左京北一条第』、もう少し具体的に申しますと、左京一条三坊の北端にあります。
何坪かは適当に想像してやって下さい(~_~;)
そういう訳で、先代には藤原さんちとも結構、ご近所だった訳で、色々な意味での一等地にあります。
ここから右京に行くとなりますと、巨大な障害があります。
それが何かといえば、『平城宮』……こいつをどのように迂回するべきかが、本日の悩みどころσ(^◇^;)
当初は一条北大路を素直に西に向かえば、何の造作もないと考えていたのですが、宮の北側のもう一つの巨大施設を忘れておりました。
『松林苑』、平城宮の北側に広がる最大の禁苑です。
これがまた、調査が進んでいないので、範囲が確定していなくて、佐紀盾列古墳群の南の方の小規模古墳もいくつか取り込むような説もあるくらいの、巨大規模が想定されています。
何せ、古墳の周辺に築地塀の基礎や、石敷き遺構などが確認されているらしいので、あながち信憑性がない訳でもないようです。
この松林苑と宮城の北辺大垣の間に、一条北大路は通っていたのか……?
調査例が見つけられないんですよ、色々探しているのですが。
この辺、平城宮資料館のボランティアガイドさんに聞いても、やっぱり分からないだろうなぁ(*_*;
もしもこのルートが通れなかったら、二条大路まで南下して、朱雀門の前を通って右京に入って、適当なところで北上するという、すっごく大回りな経路をたどる事になるんですよね。
訊ねて行く本人は馬に乗っているから良いかもしれないけれど、使いに出される資人らは、かなり良い迷惑なのではないでしょうか。
そもそも、資人くらいの人が家の用事で出かける時って、御屋敷の馬を借りる事ができたのかしら?
宅司くらいの有位者ならばできそうですけれど、白丁では無理でしょうねぇ……
相変わらず、書き直しに取り組もうと足掻いておりますが、このところの休日は全然家におりません。
この土日も講演会やらシンポジウムやらに行きまして、何れも午後一杯くらい掛かったために、目と鼻の先の国立博物館の『正倉院展』にも行っておりません。
だいたい私がこれに行きますと、3~4時間掛かるんですよ。
この土日の混雑具合からして、ほぼ一日つぶす覚悟で行きませんと、殆どまともに見れないかな(?_?)
ちなみに画像は博物館の如意輪さんですが、この戯言の内容とは関係ありません。
ところで書き直しの話ですが、何作か続けて読んでおりますと、別の人物に対して同じような例えを使っている、変な事に気付きます。
面白くも何にもないのですが、うちのキャラクターには童顔と女顔が多いような気がするのですがσ(^◇^;)
志貴親王家の連中がほぼ前者、藤原氏の大半が後者……それって、主要登場人物が、どちらかに偏るって事か(~_~;)
更にそのような面構えにも関わらず、猛禽のようなと形容されている人が何人か出て来ます。
最初が日並皇子こと草壁皇子、次が藤原太政大臣こと藤原朝臣不比等、そして毎度お馴染みの山部王……こいつら、何処に共通点があるんでしょう?
作者のイメージが、かなりいい加減なのが良く分かります?(゚_。)?(。_゚)?
ついでに、ただ今の書き直しの話と取り組んでいる間に、また登場人物が勝手なイメージになって参りました(@_@;)
今回の御仁は橘朝臣奈良麻呂……吉岡秀隆さんの顔してる、笑えるわ(~_~メ)
そもそも、書き直して短くなった例ってあるのか、私の場合??(゚_。)?(。_゚)??
それでですよ、次の書き直しも始めたのですが、こいつも一筋縄じゃ行かないです。
何がって……とにかく長い(*_*;
いや別に、私が今まで書いた内で、一番長い程度ですから、間違っても何万枚にもなる訳じゃなくて、せいぜい六百枚超くらいですけど。
設定自体がどれほど変わる訳じゃないのですが、何となくバランスが悪いうえに、後半に来て主人公のやる事が無くなってしまったような、変な印象があるのを何とかしなければならないので、考えようによってはかなり前途多難かも。
それにしても、少し前まで四十過ぎだったうちのスメラミコトが、またもや二十代前半に戻ってしまって、何か書きにくいかも(~_~;)
親父臭くなるよりも、詰まらなくはじけそうなε-( ̄ヘ ̄)┌
まぁ、まだ性格悪くはなってないだけマシかな。
作者的には、開成親王こと手嶋王が若い方がうれしいか?(?_?)?(・・??
画像は今日も内容と関係なく、奈良市の『崇道天皇社』の鳥居です。
近い内に、この隣の『璉城寺』の特別拝観に行かなければ(^。^)
私が以前に書いていた話では、この内郭の中に池があるという描写があるんです。
ところが、飛鳥宮Ⅲ期の建物配置図を見ますと、池なんぞどこにあるのよ?
そういう訳でどうして私が池の描写を書いているんだろうと、先日から疑問が起きておりまして、ようやく重い腰とばかりに、2005年に橿原考古学研究所が行った『飛鳥京第153次調査』現地説明会資料を引っ張り出しました。
この調査の次の年に行われた155次調査(すぐ北側を調査しました)でも、ここで出た建物と同規模の建物遺構が検出された事で、かなり話題になりました。
ところで、153次調査のリンク先の画像を見て頂ければ分かると思うのですが、確かに内郭北区の建物の西側小殿(建物3)を壊して、池状遺構が造られています。
こいつが天武天皇の時代の後半、恐らくは十年前後に行われたのではないかという可能性が指摘されているそうです。
こいつが本当に池なのかは、何やら微妙なところらしいのですが……(゜-゜)
要するに……以前に話を書いていた時には、こいつがしっかり頭に入っていた訳で、現在は完全に抜け落ちているという事ですねσ(^◇^;)
もしかして、書き直した部分、この既に取り払われた小殿で何やらしているようなシーンがなかったかしら?
また、こんな事をチェックし直さないといけませんわ……(+_+)
もうすぐ書き直し自体は終わるのですが、ともあれ、ルビでもふりながら見直して行きませんと。
ところでこの画像は何かって?
明日香村にあります『カフェことだま』のスイーツメニュー、黒ゴマと米粉のシフォンケーキ、美味です(^.^)
明日香村という地域繋がり(?)で上げてみました……?(゚_。)?(。_゚)?