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今年の紅葉は何となく鈍い感じですね。
11月の後半まで暖かい日が続き、急に寒くなったと思いきや、また暖かくなったり寒くなったり……一雨ごとに何とやらとは、うまくは行かない様子です。
奈良県の紅葉スポットは、まあ、少なくはないのでしょうが、中部や北部はどうなのかなと言うと、ここぞという場所は桜井市の『談山神社』や『長谷寺』のような寺社でしょうかねぇ……(゜.゜)
私がいつも行くところは、大体がマイナースポットで、あまり人がいないところが多いです。
最初の画像は大和高田市の『大谷山自然公園』、
クヌギや樫の木などが多く、近隣の小学生などが秋の遠足で度々訪れるような場所ですが、市民はとなりますと、近所の方が犬の散歩などで来る事が多いようです。
かつては水路に水が流れていて、紅葉が散った時にたいそう綺麗でしたが、今は水も枯れ、今年の紅葉は鮮やかさに少々欠けるような……でも、この辺りではかなり綺麗なイロハカエデを見る事が出来ます。


葛城市まで行けば、屋敷山公園や当麻寺などの観光スポットもあるのですが、ここが果たして紅葉の名所かと問われると……特にそういう事はありませんか?
こちらは御所市との堺にも近い『笛吹神社』こと『葛城坐火雷神社(かづらきにますほのいかづちじんじゃ)』です。ここの紅葉も毎年、見事な物なのですが、今年はかなり鈍い色合いです。
境内はイチイガシなどの常緑の木に覆われていて日当たりが良いとは言えないので、真っ赤になるにはもう少しかかるのかもしれませんが、既にかなり散っている状況ですので、果たしてどこまで赤くなるものでしょうか……(゜_゜)
散紅葉が鮮やかに映えるのは、鳥居をくぐってから昇る石段です。
石段の両側には石燈籠が並び、段の土の部分にはうっすらと緑のコケが生えていますので、赤との対比が毎年綺麗です。
上りきったところには広場があり、奥には末社が並んでいますが、その手前で存在感をここぞとばかり誇っているのは、日露戦争で使われたというイギリス製の大砲です。
……という具合に、なかなか演出感も多彩で渋めの神社なのですが、場所が少々不便なために観光客が多く訪れるというところでは決してありません。


多少不便でも、案外人の多いのは御所市の『一言主神社』でしょうか。
地元の人は『いちごんさん』とか『いちごんじんさん』と呼んでいます。
一言主は『古事記』、『日本書紀』にも名前が見え、この地域の土俗の神だと思われますが、かなり早い内から賀茂、葛城氏の祭る神との混同が起きていて、『続日本紀』では、土佐国に流罪にされた葛城の神を大和に戻す事を許可するという記事が見えます。
雄略天皇の時代に土佐国に流罪になったのは、賀茂のアジスキタカヒコネ命ではなく、この一言主です。
この境内で特に有名なのは、奈良県の保護樹木にも指定されている大きな銀杏の木で、推定樹齢は1200年、『乳銀杏』とも呼ばれるのは、幹に乳房のように下がる瘤(気根)が多数着いているためです。
この形状から、子供の欲しい女性や、母乳の出が良い事を願う女性からの信仰を昔から集めているそうです。
この銀杏は葉がかなり小ぶりで、散った様もたいそう綺麗ですし、周囲に植えられているイロハカエデや南天の実の赤とも鮮やかな対比を見せてくれます。
それにしても銀杏の木は背の高くなる物が多いので、黄色く色付くと、遠方からでもかなり目に付きます。
一言主神社も少し高いところにあるので、山麓線を走っていても銀杏は良く目立つと思います……というのは、この神社、道の西側にあるのですが、進入路は東に回って路の下をくぐる形になるので、いつも運転しながら曲がる道のほうばかりを気にしておりまして、神社の方向をほぼ見ていない為なんですね( ̄▽ ̄)。o0○
11月の後半まで暖かい日が続き、急に寒くなったと思いきや、また暖かくなったり寒くなったり……一雨ごとに何とやらとは、うまくは行かない様子です。
私がいつも行くところは、大体がマイナースポットで、あまり人がいないところが多いです。
最初の画像は大和高田市の『大谷山自然公園』、
クヌギや樫の木などが多く、近隣の小学生などが秋の遠足で度々訪れるような場所ですが、市民はとなりますと、近所の方が犬の散歩などで来る事が多いようです。
かつては水路に水が流れていて、紅葉が散った時にたいそう綺麗でしたが、今は水も枯れ、今年の紅葉は鮮やかさに少々欠けるような……でも、この辺りではかなり綺麗なイロハカエデを見る事が出来ます。
葛城市まで行けば、屋敷山公園や当麻寺などの観光スポットもあるのですが、ここが果たして紅葉の名所かと問われると……特にそういう事はありませんか?
境内はイチイガシなどの常緑の木に覆われていて日当たりが良いとは言えないので、真っ赤になるにはもう少しかかるのかもしれませんが、既にかなり散っている状況ですので、果たしてどこまで赤くなるものでしょうか……(゜_゜)
散紅葉が鮮やかに映えるのは、鳥居をくぐってから昇る石段です。
石段の両側には石燈籠が並び、段の土の部分にはうっすらと緑のコケが生えていますので、赤との対比が毎年綺麗です。
上りきったところには広場があり、奥には末社が並んでいますが、その手前で存在感をここぞとばかり誇っているのは、日露戦争で使われたというイギリス製の大砲です。
……という具合に、なかなか演出感も多彩で渋めの神社なのですが、場所が少々不便なために観光客が多く訪れるというところでは決してありません。
多少不便でも、案外人の多いのは御所市の『一言主神社』でしょうか。
地元の人は『いちごんさん』とか『いちごんじんさん』と呼んでいます。
一言主は『古事記』、『日本書紀』にも名前が見え、この地域の土俗の神だと思われますが、かなり早い内から賀茂、葛城氏の祭る神との混同が起きていて、『続日本紀』では、土佐国に流罪にされた葛城の神を大和に戻す事を許可するという記事が見えます。
雄略天皇の時代に土佐国に流罪になったのは、賀茂のアジスキタカヒコネ命ではなく、この一言主です。
この形状から、子供の欲しい女性や、母乳の出が良い事を願う女性からの信仰を昔から集めているそうです。
この銀杏は葉がかなり小ぶりで、散った様もたいそう綺麗ですし、周囲に植えられているイロハカエデや南天の実の赤とも鮮やかな対比を見せてくれます。
それにしても銀杏の木は背の高くなる物が多いので、黄色く色付くと、遠方からでもかなり目に付きます。
一言主神社も少し高いところにあるので、山麓線を走っていても銀杏は良く目立つと思います……というのは、この神社、道の西側にあるのですが、進入路は東に回って路の下をくぐる形になるので、いつも運転しながら曲がる道のほうばかりを気にしておりまして、神社の方向をほぼ見ていない為なんですね( ̄▽ ̄)。o0○
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別に病気とか、超多忙とかではありませんで、適当に忙しくサボり病も頭をもたげて来たという程度です。
それにしても土曜日の晩くらいから寒いですねぇ。
日曜日も昼間に日がさしている間は暖かいのですが、日が翳り始めたら途端に寒くなって来ました。
今月に入ってから、朝夕の冷え込みが結構厳しく、後半になってからは暖房なしではいられない状況となっています。
昨日の日曜日は『関西文化の日』のピーク日だったので、『橿原考古学研究所付属博物館』を皮切りに、『橿原市立昆虫館』や『犬養万葉記念館』など、近所の博物館をハシゴしてきましたが、何処の庭の木も赤や黄色に色づきつつ、クヌギや柿、桜、ナンキンハゼなどは散り始めていました。
これからはイチョウやイロハカエデが主役でしょう。
この二枚は『奈良県立万葉文化館』の庭の様子です。
明日香村でこの様子ならば、葛城市の『笛吹神社』や、大和高田市の『大谷山自然公園』もかなりの見頃になっていると思われます。
これは土曜日、土砂降りの日の様子。
そういえば春日大社の着到殿、屋根の葺き替えも無事済んで綺麗になっていました。
その写真を撮ってくるのを忘れていますね……(゜_゜)
ところで明後日、どこの神社も新嘗祭ですが、天気はイマイチみたいですね……(*_*)
『橿原神宮』の久米舞は大丈夫かなぁ……
多度大社の流鏑馬 (;一_一) ……誰じゃ??
そんな言葉、私の耳に囁くんじゃない、この締め切りの近い時に・゚・(ノД`;)・゚・
東京大学などの複数の大学の研究室が合同で、CGを使って遺跡のその場所に復元モデルを見せてくれるという、かなり分かり易く面白い試みです。
何せ、平城宮のように金も時間も掛け捲っての建造物復元のできる所なんて、兎にも角にも限られていますから、この手法が一般化してくれたなら、かなり画期的な再現方法となるでしょう。
今のところは専用のゴーグルをつけなければならないので、一度に見る事のできる人数は限られているのですが、行く行くはもっと手軽な方法で出来る様にと、研究開発をしているのだそうです。
それでも何年か続けて行っていると、ゴーグルや周辺機器もかなりコンパクトになって来ているのが実感できます。
今年はチョイト変わった試みで、ゴーグルとヘッドフォンを着けて電気自動車に乗り、周遊路を走りながら映像を見せて解説を聞かせてくれるという手法でした。
結構面白いのですが、視界が完全にゴーグル内なのでかなり制限され、今自分たちが何所にいるのかが分からないという難点もあったような……
私のようにしょっちゅう、この辺を徘徊しているのにも分からないのですから、観光客の方でも右も左も……という状況ではないかしらねぇ(゜.゜)
映像の中に、多分、学生さんが扮していると思われる人物が遠景で出てくるのですが……チョッと笑えましたか、こいつが、リアルとは少々かけ離れていてσ(^◇^;)
さて、先日の日曜日(十月十六日)、ようやくJR畝傍駅の貴賓室を見に行って来ました。
この公開は八日からやっていたそうで、今月一杯、奈良県内で『奈良・町屋の芸術祭 HANARART(はならぁと)』という催しが行われており、その一つの会場として使用されていたためです。
公開は十六日まで、要するに最終日駆け込み状況です。
この日はちょうど、今井町の鎮守である『春日神社』のお祭で、『華甍』の前辺りでだんじりがやって来ました。
それにしても私は現代アートにはかなり暗い状況でして、何をどう見たら良いのか……別に見方なんで無いよと言われても、どう楽しんでよいのか、つまりは面白みがイマイチ分かりません。
そのような訳で、『畝傍駅』でも『華甍』でも、今井町の中の登録文化財の町屋でも、展示されていた作品を無節操に写してきたのですが、既に何がなにやら分からない状況になっておりますσ(^◇^;)
正面から見るとシンメトリーの、とっても渋くて堂々とした和洋折衷建造物です。
この後、今井町の中でアート鑑賞をしながら少し歩き回っておりましたが、数年前に比べると飲食店なども少しずつ増え始め、観光客の姿も多くなったように思えます。
でも奈良町に比べるとかなりコンパクトな町で道も狭いので、観光地としてはまだまだというところでしょうか。
それに、近隣の観光地(例えば明日香や三輪など)とは結構離れているのも、一寸行き難い印象を否めないのでしょうか。
この後も、現代アートとは言わず、他の分野でもイベント会場として活用して欲しいものですわ……
昨夜はとにかく眠くて、日付が変わる前に沈没……記事を見てみると、途中で書くのをやめたという感じで終わってますね(゜_゜)
少々ハレーション気味の鳥居に掲げられた扁額には『御霊神社』とあります。
ロードマップを見てみますと、『栄山寺』から吉野方面に抜ける県道沿いにもいくつか神社がありますが、鳥居のマークだけが示されていて名前がありません。
もしも通り過ぎなければ一寸寄ってみましょうと、東に向かって車を走らせる事と致しまして、最初にスルーせずに立ち寄ったのがこの島野町の『御霊神社』です。
本当に道路わきにポツネンと鳥居が立っていて、すぐ横に来るまで殆ど気づかない状況なので、通り過ぎた後に少し引き返したくらいです。
ここよりも手前の牧町と六倉町にも神社のマークがありますので、ここも御霊社の可能性がありますが、こちらは全く気づかない内に通り過ぎたようです(^_^;)
こちらは阿田橋のすぐ近くにある南阿田町の『御霊神社』です。
本殿の色あせた扁額に『御霊宮』の文字がありました。
瑞垣の柱には『南阿田町』と『滝町』の文字が見えましたので、二つの町の鎮守さんという存在なのでしょうか。
それにしても、これだけ立派なお宮さんでも、由緒を記したような看板が無いところが多いので、扁額や石燈籠、手水鉢などに刻まれた文字を探すのですが、これすら見つからない所も時々あります。
この後にも二つの神社が地図に乗っていたので立ち寄ってみましたが、どちらも『御霊神社』ではありませんでした。
最初に道の右側に見えた鳥居の近くに車を停めて扁額を眺めると『牛頭天王』と記されていましたので、ここは間違いなく『牛頭天王社』で、祭神はスサノヲノミコトで良いのでしょう。
この神社の少し先に『南阿田大塚』という看板が見えまして、ついでによって行こうかしらと思いきや、6世紀の横穴式石室に入るには懐中電灯が必要との事で、既に夕方だったので次の機会に譲る事と致しました。
最後に寄った神社には名前を記した箇所が全くありませんで、周辺を少し歩き回ってみたのですが、やはり何も手掛かりがありません。
同じ敷地に建てられた新しい小さなお堂には『福林寺』とありましたが、両者の説明のある案内板は見当たりません。
そこで帰る時に、道の反対側で畑作業をしている方がいたので伺ってみたところ、『日吉神社』だとようやく分かりました。
何でも時々、ちょっとしたツアーのような人たちが訪れる事もあって、以前には九州から『日吉神社』巡りをしている一団もやって来たとの事でした。
ちなみに、ここまで大淀町寄りになると『御霊神社』は殆ど無いのだそうです。
何年か前に静岡の友人を引きずりまわして、五條市の『御霊神社』巡りをしていたのですが、この時は吉野川の北岸が中心でしたので、いずれ南岸も行わなければと言っていたものの、未だに果たしておりません。
いったい、いくつ回ったのかな……既に忘れているので、最初からやり直すべきかなぁ(゜_゜>)
『宇智川磨崖碑』から車で数分もかからない、吉野川の北岸に『栄山寺』があります。
ここでとにかく有名なのは、国宝の八角堂ですが、そのほかにも小野道風の手と伝えられる銘のある梵鐘も国宝です。
八角堂は亡くなった人の供養のために建てられる事が多いようで、この寺の堂も藤原南家の初代武智麻呂とその内室のために、次男の仲麻呂が天平宝字年間に建立したと伝えられています。
この八角堂の存在感のため、本堂が忘れられている事が多いような気がしますが、こちらの本尊は薬師如来坐像で、通常は秘仏となっていますが、室町時代の堂々とした御方です。
この寺の境内にも、実は御霊神社があります。
本堂と八角堂の間に赤い鳥居が立ち、狛犬が座り参道が延びていますが、扁額も銘も無いために御霊神社だと気づかない人も多いようです……といいますか、ここに来る殆どの人の目的には御霊神社などどうでも良いのかもしれませんが(^_^;)
大抵の時には神社正面の門は閉まっていて、出かけた日にもやはり閉まっておりました。
先日の日曜日、五條市の宇智陵に行った後、一番近い黒駒町の御霊神社に行って来ました。
五条市内に分社されている御霊神社は21とも22ともいいますが、本宮は霊安寺町にあります。
1238年に地元の豪族である吉原氏と牧野氏が争って十社に分祀し、その後も吉野川の北と南で競うように分社した結果だと聞いています。
黒駒町は川の南に位置し、つい最近に本殿の修復をしたようで大変鮮やかです。
この御社の破風の下、真っ赤な鬼か雷様が右の頬に手を当てて、片膝立ちで座っていますが、これが妙に可愛かったりします。
少し離れて眺めていましたが、直会が始まったようなので退散して参りました。
例祭は十月二十二、二十三日とありましたが、さて、何の御祭なのでしょう?
ところで御霊神社というと、関東では祖先神を祀る御社という意味合いが強いのですが、関西でも奈良と京都では怨霊となった人々を祀る御社が圧倒的に多いようです。
いわゆる八所御霊のように、何柱かを御祭神とする所が多いのですが、本来の祭神は井上内親王です。
間違っても早良親王でも菅原道真でもありません。
だから本宮が五條市にあるのですね。
早良親王ならば、京都の上御霊、下御霊の両社ですし、菅原道真ならば北野天満宮です。
この日も宇智陵のついでに思い立ったので、地図を眺めて栄山寺までの道すがらに寄ってみた程度です。
そういう訳で、神社以外の処にも立ち寄っており、それが古墳だったり、この史跡『宇智川磨崖碑』だったりします。
場所は栄山寺口を入ってすぐ左側、看板や石碑もあるのですが、殆ど目立たないために通り過ぎる人も多いようです。
細くて水が所々で染み出しているような階段を下りて行くと、道の下には、宇智川がかなり深く細い渓谷を造っています。
対岸の岩肌に経文から取った文が刻まれているらしいのですが、風化してしまって殆ど読み取れないそうです……ってのか、それ以前に何所に刻まれているのか分からないσ(^◇^;)
寒い時期に訪れた事が無いのですが、ここは夏でもとても涼しいです。
奈良県は海が無いので、夏には川で遊ぶ人も多いようですが、この場所は泳ぐには一寸、怖そうな……下流の方、もしかして吉野川に向かって滝になっているかもしれません。
ここから栄山寺までは車でなら数分とかかりません。
では続きは明日以降に栄山寺からm(__)m
橿原神宮から畝傍山に登って、下りて、イトクノモリ古墳から神武天皇陵と綏靖天皇陵に御参りしてきました。
この事はまた記事を改めましてm(__)m
いつもの墓参ツアーは、明後日か来週以降にでも行きましょうかね。
ところで明日香村では、本日から『彼岸花祭り』です。
夜には『光の回廊』が行われますので、夕食後に少しだけ見に行きました。
ここは駐車場もすぐ隣にあるというのに、毎年あまり人が来ません……(゜.゜)
私としては、結構、好きなエリアなのですが。
そういう訳で、ここに駐車しまして飛鳥寺までフラフラと歩いて行きました。
飛鳥寺は夜のイベントがありますと時々、御堂も御本尊もライトアップしてくれますので、そいつを期待してですね。
そして期待通りに、御堂の前を開けて御本尊を拝む事ができるようになっていました。
年末年始や潅仏会などの時にも、このような御姿を拝む事ができます。
もう少し足を伸ばして『伝・飛鳥板蓋宮跡』にも行こうと思ったのですが、出かけた時間が割合に遅かったのでかなり寒くて挫折しました……ってのか、実を申しますとこちらよりも、早めに行かねばならない所がありましたので(^_^;)
確か神戸の『ミューズクラスターカンパニー』という劇団の人たちが、ショートミュージカルを各所で演じてくれると聞いていましたので、その人たちだと思われます。
しばらく眺めていたのですが、寒いの何の……
写真も何枚か撮らせて頂いたものの、とにかくこの場所は暗い、ストロボを焚いてもかなり荒れた画像になってしまいまして惨敗状況・゚・(ノД`;)・゚・
では、この画像は何かって……石舞台公園にある『風舞台』で行われていた、劇団『時空』の総合リハーサルです。
私がボチボチとたどり着いた時には、そろそろフィナーレというところ、出演者全員が舞台に登場してくれました。
今年の主役の若菜さん、滅茶苦茶に綺麗です!
クールビューティーで背も高いので、割合に男性の役が多かったのですが、初めてのヒロイン役だとか。
ポスターの写真も素敵でしたが、明日は期待して見に行かないといけませんわ(^^♪
一応、差し入れなんぞを渡しに行ったのですが、質、量的にいささか心許ない状況でしたので、明日もまた何か持っていった方が良いかな、多分、質より量になるかもσ(^◇^;)
それにしても、石舞台公園は更に寒いです。
明日お出掛けになる方は、是非とも防寒対策が必要と思われます……冬物のストールでも持って行こうかな。
かくしてすっかり凍えたので、光の回廊、他の場所は見に行かず仕舞い……明日は本公演だから、当然行く暇はないわね((+_+))
開山は天文七(1538)年、地元に勢力を張っていた当麻氏によると記録にあるそうです。
本来は今の場所よりも北東に、かなり広大な伽藍を構えていたようですが、江戸時代以降に現在の場所に移転し、今では本堂一棟のこじんまりとした、真言系の寺院となっています。
こちらの本尊が、この丈六の弥勒如来坐像で、寺よりもはるかに古く、11世紀の初頭の作ではないかとされています。
本来がどこの寺の本尊だったのかの記録は無く、これだけの見事な像がこうして現在まで引き継がれ守られ続けたのは、地元の人々の信仰心の賜物といえましょう。
桜と思しき広葉樹の一木造、江戸時代に修復を受けているそうで、金箔も貼りなおされ、螺髪も鮮やかな青紫に塗られているので、かなりインパクトの強い仏様です。
外れた白毫は木製で膝元に置かれていましたが、10年位前に見に来た方の話では、水晶らしき白毫が額にあったとの事……その方の記憶違いでなかったら、さて、どういう事かε-( ̄ヘ ̄)┌
ともあれ、弥勒如来像は昨年の三月に奈良県の重要文化財として指定を受け、このたび、県と市の補助を受けて本堂の修復もする運びとなったため、本尊には一旦、お移りを願う事と相成りました。
引越し先は奈良国立博物館の仏像館です。
10月4日からの公開になるそうで、本堂の修理の終わる二年後に帰って来る予定だそうです。
機会のある方は、常設展示ですから是非とも拝観に行って下さいm(__)m
私が見ていたのは、梱包作業から……
文化財関連の美術梱包といえば、日本通運です。
和紙や晒で仏像全体を包み込んだ後、木枠で囲みまして、数人がかりで運び出します。
ところがお寺は環濠集落の中にあるので、周辺の道が狭く、路地のような処を入って行かなければなりません。
搬出の時も途中までは人が持ち上げて、表の通りでようやく台車に乗せて、更にトレーラーが駐車出来るだけの広い道まで、慎重に運んで行きました。
このたび、奈良県が中国の西安市の博物館で埴輪の展覧会を行う事になりまして、県内の市町村にも協力を仰いで、形象埴輪の優品を出品してもらいます。
そういう訳で、大和高田市からは池田遺跡出土の楯持人埴輪と靫を背負った武人埴輪が出かける事となりました。
こちらも搬送は日本通運の美術梱包の方々です。
眺めておりましても、実に鮮やかと申しますか、手際良く、ごく普通に使うようなクッション材を駆使して、綺麗に梱包してくれました。
やっぱりプロの仕事は違うなぁ(・_・;)
来月の始めに上海経由、陸路で西安市まで向かうという事でした。
こちらはチョッと遠すぎて、簡単に見に行く事は出来ませんねσ(^◇^;)
ところでどうでも良い話……
明日はようやく晴れそうなので、久々に墓参にでも行こうかなぁ~( ̄▽ ̄)。o0○
と言っても、いつもの御陵巡りですけどね、家の墓参りはチョイト遠すぎる( -」)φ
その内、御朱印帳でも買って来て、朱印ならぬ御陵印を畝傍管区事務所にもらいに行こうかと、何とな~く考えております。
まぁ、春日宮天皇陵や崇道天皇陵の印はないと思いますけどね?(゚_。)?(。_゚)?