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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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二の的……的中したはずなんです!今年こそ有料席でゆっくり見ましょうと思ったのが甘かった……神社に到着したのは12時20分くらいなのに、観覧席券売り場から、これでもかと言うほどの人の列が伸びておりました(@_@;)
これが本当の「埒があかない」……状況?

仕方なしにいつものように三の的のあたりに陣取りましょうかと思ったら……報道陣で埋まってる・゚・(ノД`;)・゚・
フラフラと馬場元の方向へ歩いて行きますと、馬場殿の辺りが割合空いておりまして、それこそ実況席がすぐそこに見えるような所に陣取っておりました。
お蔭で二の的のすぐ傍、解説の方の顔もしっかり見えるような場所です。
何と申しますかこの度の騎射は、小笠原流の宗家御夫妻の頭越しに終始眺めていたと言う感じですわ?(゚_。)?(。_゚)?

公家装束の射手

昨年の夏にカメラを壊して買い換えたのですが、このカメラは一枚写すと次にスタンバイするまでが、阿呆ほど掛かる……失敗したら次は無い?
このような状況で、今年の写真はほとんど惨敗……
とにかく糺の森は暗いので、いくら絞りを開放してやってもシャッター速度が上がらず、ぶれまくりも良いところでした。
そういう訳で途中から動画など写して遊んでおりましたが、どうやってもこのブログにファイルのアップロードが出来ない……
こんなデータも小さく、何秒も無い動画を別のサイトに上げるのも嫌なので、さっさと諦めました。

それにしても、今年も的中率は……??(゚_。)?(。_゚)??
賀茂の神様は馬が大好き、矢が的に当たるに越した事は無いけれど、やっぱり疾走する駿馬が見たいのですよ、多分( ̄▽ ̄)。o0○

パソコン内に残っている昨年の動画を見ておりましたが、この時陣取った場所の方が見通しが良かったみたい。
やっぱり三の的の少し手前辺りが良いのかしら、全体が見渡せて??
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公家装束の射手
家に帰って来て、何とも体中が埃っぽくて、さっさと風呂に入ってしまいました。
本日出かけたのは、京都市左京区の賀茂御祖神社、つまり下鴨神社です。
糺の森がこれ程に埃っぽいのは珍しいです。
何せ今日は『葵祭』の前儀となる『流鏑馬神事』の日、あれだけの馬が走り回るのですから、埃もたたない訳がない(^。^)

昨年にもこの神事には行きましたので、流鏑馬の多少とも詳しい説明は、こちらの記事を参照して下さい。

的中!さて、どうでも良い事なのですが、私は上賀茂神社とは良く分からないのですが、下鴨神社とは結構、相性が良いらしいです。
何が良いのかって……そいつも何やら分からないのですがσ(^◇^;)
昨年の今日、某所で拾って来た正体不明を引き取ってもらったのも、多分、こちらの糺の森ですしね。
その変な記事は、セカンドページの方にあります。

武家装束での射手ところで気のせいか、今日は的中率がイマイチだったような……
まぁ、神事ですので当たれば良し、当たらずともそれも良し……賀茂の神様に馬を御覧に入れるのが目的なのだそうですから。
でもやはり、的中してくれないと観客一同も盛り上がりませんね(^^)

神事が終了した後、関係者各位が神前にお参りに行くのに着いて行きましたが、射手の方々も役員の方々も、それぞれの装束を身に着けていますと、男前度が数段アップしますねぇ(・_・)
公家装束のお兄さん方なんぞ、若い女性に囲まれて、一緒に記念撮影しておりましたよ。
多分、『手綱潜り』?五月五日といえば、あちらでもこちらでも行事が目白押しで、私のいつもの予定でしたら、春日大社の神苑で南都楽所の舞楽でも見ていたと思うのですが、今年は突然行きたくなって『藤森祭』に行って参りました。

そういう訳で昨夜の続きです。
このお祭のクライマックスは、五日の午後から行われる『駈馬(かけうま)神事』です。
京都市の民俗無形文化財にも指定されている神事だそうで、保存会のHPによれば、
“駈馬神事は、古来、早良親王が天応元年(781年)に陸奥の反乱に対し、征討将軍の勅を受けて、藤森神社に祈誓出陣された際の擬勢を象ったもので”
とあります……これにより、1200年の歴史があるとされているのでしょう。

『一字書き』これらの技が確立したのは江戸時代だそうで、もし本当に1200年の伝統があるにしても、当初とは全く形が変わっている行事だとも思われます。

それにしても『流鏑馬』でもそうですが、馬の速度があまりに速くて、カメラが自動的にフォーカスを合わす事が全く出来ていません。
この日の馬は特にテンションが上がっていると、解説の方が言われていましたが、四頭の馬それぞれのコンディションも走る速度もかなり違います。
あまりゆっくり走られても、技が行い難いとの事です。

『藤下がり』なのですが……どのような技があるかは保存会のページを見て頂くのが一番早いでしょう(^^ゞ
この画像は『藤下がり』という、片足だけを鞍に引っ掛けて駈け抜ける技ですが、まだ体が完全に下がっていませんね……
とにかく馬が速くて、画像に納めるだけでも大変です。
動画にしても速度に追いつけない……(~_~;)

13時と15時の二回行われたのですが、二度目の途中からは雨が降り出しまして、それでも観客方々は傘も殆ど注さずに歓声をあげていました。
それにしても馬を使う行事では必ず注意されるのは、“ストロボやフラッシュ厳禁”という事ですね。
馬に限らず動物は、突然の光に驚くので危険な事になる場合も、決して少なくないという事です。
しかしですよ……誰とは言わないが(大多数の人は分かっているはず)、来賓席で自慢らしいカメラのフラッシュを切るのを忘れて、写真を撮っている方が居られましたぜ……(ーー;)

お稲荷さん門前の摂社にて神事が行われていました。天皇賞も終わったのに『藤森神社』にいったのかとお思いの方は、京都市伏見区のこちらの神社がどのような方々の厚い信仰(?)を請けているのかをご存知でしょう。
今日五月五日子供の日、あいにくの曇天でしたが『藤森祭』のクライマックスという訳で、朝から出かけて参りました。
チョイと情報検索を間違っておりまして、鼓笛隊や御神輿が神社を出るのは午前9時……私が到着したのは既に20分くらい(^_^;)
仕方がないから、それらの巡航コースの案内を頂いて『伏見稲荷神社』へとエッチラオッチラ、電車で参じる事と致しました。
三つの郷の御神輿が到着したのは11時過ぎ、その後に神事が行われました。
端の方で警備の方が、「お写真は語遠慮ください」と叫んでいたような……私も含めて、殆ど誰も聞いていない(-_-;)

鼓笛隊は子供たちが一年かけて練習を重ねたそうです!鼓笛隊や武者行列、各郷の御神輿は、ほぼ一日をかけて町中を練り歩き、夕刻近くに神社へと帰って来る事になっています。
ちなみにこの『鼓笛隊』の画像は、16時くらいに神社へと戻って来た時のもの、既に雨が振り出していましたから、その後に戻って来る御神輿は大変だったと思います……私は雨に負けて、この辺りで退散いたしましたので。

さてこの日は『神幸祭』や『武者行列』もさる事ながら、もっとも人出を集める『駈馬(かけうま)神事』が午後から、境内の参道を馬場として行われます。
解説によりますと1200年も続いているとの事ですが、真偽の程は如何に……(~_~;)
こちらについてはまた改めて。

武者に扮する方も世話役の方も、本当に大変そうでした。こちらの武者行列は、幟に『払殿(ほって)当町』とありますので、神社のHPの解説を参考にすれば、神功皇后の凱旋の時の有様という事になりますが……
この前の方にも、『朝渡』といって早良親王東征の行装を現している武者行列もいたのですが、う~ん(^_^;)
はっきり申しまして、『三嶋大社』の頼朝旗揚げ行列とあまり変わらないような……σ(^◇^;)
まあ、このような大鎧の武者が、現代の人たちには一番それらしく勇壮に豪勢に映りますから、悪くはないのかもしれません。
大人たちのみならず、子供たちも多数参加して頑張っている姿は、自然と頬が緩んでくるものですしねぇ(^_^.)
天気は何とか夕方までもってくれたし、まずまず楽しめたお祭でしたでしょうか。
とか何とか言いながら、初めて行って一人ではしゃいでいた“うめぞー”でしたm(__)m

これぞ公家の流鏑馬!セカンドページでの予告どおりに『下鴨神社流鏑馬神事』に行って参りました。
13時からと聞いていたのですが、諸役が馬場に入って来るのは13時半過ぎ、流鏑馬の本番は14時くらいからとなりました。

私が三嶋大社で何度か見ていた『武田流流鏑馬』での装束は武家装束、しかしこちら『小笠原流』の射人は闕腋(けってき)の袍(ほう)に巻纓(けんえい)老懸(おいかけ)、まさに武官装束です。
こちらの画像の方は青緑の装束ですから、六位相当の武官でしょうか。

おっと、外れたか?!このような武官装束の方は三名、その内の一名は五位の赤い衣です。
このように的と射手は割合に近いのですが、疾走する馬上から矢を射るのですから、タイミングが難しい事はこの上ないでしょう。

小笠原流の弓馬術も神職の方が多いのでしょうか?
射手の方々も京都のみではなく、東京や神奈川、静岡、奈良、福岡など、流鏑馬神事を行っている大きな神社の所在地から御出でになっていますから。

見事、的中!!公家装束の方々の次には、私にはお馴染みの武家装束の射手によって行われますが、装束の動きやすさの違いから、後者の方が的が一回り小さくなります。

三嶋大社の流鏑馬では、土器(かわらけ)の的になっていましたが、これが割れるのを見るのは、本当に爽快です(^^ゞ
終わった後に、先を争って拾いに行ったのを覚えています。
ところで、こちら下鴨神社では、射抜いた的に神職の方が墨書を施して、有料にてお分けしているとの事。
結構良いお値段でしたので、私は遠慮してまいりました(~_~;)

明後日は確か、静岡県の浅間神社の流鏑馬神事でしたか。
(京都の方は上賀茂神社の競馬だと言われましょうが^_^;)
こちらも小笠原流の方々の御奉仕だと思います。
私としては、次は八月十七日、三嶋大社の例大祭ですねσ(^◇^;)
今年は子年・・・そういう訳で林歌石舞台の上から衆僧が下りられますと、変わって右方楽所から四人の伶人が登場します。
それがこの舞、『林歌(りんが)』です。
今年は子年と言う訳で、装束に鼠の刺繍の入った『林歌』が春日大社の『舞楽始式』でも演じられました。
この番舞となるのが『甘州』で、この演目も同じ……それどころか入調(にゅうじょう)舞が『貴徳(きとく)』というところまで同じ?
偶然なのやら、わざわざそのようにしたのやら??
舞楽始式は、↓を参照下さい(-_-;)
http://umena.blog.shinobi.jp/Entry/197/

この舞が終わると再び衆僧が登場して、梵音(ぼんのん)・錫杖の儀が行われます。
そして高座に着いておられた二人の舎利が退出した後、『太平楽』の舞が始まります。

聖霊会にはこれも欠かせない、舞楽『太平楽』この舞は五十分弱と長い上に、装束もかなり重く、動きも激しいという事で、舞人はかなりベテランで体力のある方になります。
何せ、装束を付けるだけで小一時間かかるとか……?
私が天王寺舞楽に親しみ始めた頃には、先ほどの『林歌』を舞っておられた方々が、この舞人を務めていたような気が致します。

篝の火は、ライターでつけていました(^^ゞ特に動きの激しい急の舞では、四人の舞人が抜刀して激しく舞い動きます。
この抜刀を合図に四隅の篝に火が入り、御堂内の聖徳太子の御影も巻き上げられるそうで、聖霊の還御を促すためにも、この舞は絶対に行われるという事です。

こちらの貴徳公は緑の装束法要が終わり、入調の行事鉦が鳴らされると、最後の舞が始まります。
今年は右方の『貴徳』、匈奴の王侯の有志を舞にしたものだそうです。
春日若宮おん祭りでは必ず舞われるこの舞も、ここ四天王寺で見たのは久々のような気が致します。

このように、今年も舞楽三昧(?)に行きたい私ですが、次の五月五日の春日大社神苑での演奏会が、少々難しそうな気配です。
もしかしたらこの日、仕事になるかも??
まぁ、それはそれで良いのですけれど(~_~;)
ともあれ明日は、橿原神宮に行ってまいりますm(__)m
左方の童舞『迦陵頻』え~と、どこまで行きましたっけ?
『獅子』まででしたね。
このかなり変化の無い舞(既に舞は失われて、二頭の獅子は舞台の上を歩いて回るのみです)が終わると、ようやくテンポの良い曲にのって、左方の童舞(わらべまい)の『迦陵頻(かりょうびん)』が始まります。
小学校の低学年と思しき男の子が六人、このように付け髪をし、化粧もして鳥の翼を背負った装束で舞います。

右方童舞『胡蝶』こちらはその番舞(つがいまい)となる『胡蝶(こちょう)』です。
胡という字が付きますが、この舞は平安時代に日本で作られたのだそうです。
こちらはもう少し大きな男の子四人の舞です。
私見ですが、右方に比べて左方の舞は、曲調も手伝ってかやや地味に思える事もあります。
しかし童舞を見ていると、この『胡蝶』は割合に直線的な動きが多い気がしまして、それでなくとも他の楽所よりも切れの良い雅亮会(天王寺楽所)ですから、背の高い子供たちの舞の様子を見ていると、優雅と言うよりも勇ましく見える事が度々です。

これらの舞が終わると、法要のクライマックスに入って行きます。
石舞台上での唄、散華六時堂から衆僧が出て来て、石舞台の上に整列し、声明と共に散華を撒き、唄師(ばいし)は堂の前の礼盤(らいばん)の上で(ばい)を唱えます。

ところで余談も良いところなのですが、このときに撒かれる散華の量が、最近はかなり少なくなっています(^_^;)
大昔、学生の頃に行った時は、束になるほど拾った五色の散華をあちらこちらに「御土産だよ」とばらまいた事が何度かあります。
こういうこっぷざけた事を言いつつ、続きは更に明日となるのでしたσ(^◇^;)
六時堂を出る両舎利さて、昨日の続き。
『蘇利古』の舞が終わると、舎利職の御二人の師が六時堂から出られます。
管長猊下の天蓋が、いつ見ても立派です。
そして御付の童子は、いつも二人の女の子が勤めています。
そして御二方が石舞台の前の高座に登られますと、舞楽『甘州(かんしゅう)』が始まります。

甘州というのは中国の地名だそうですが、曲名の由来が良く分かりません(-_-;)甘州
何でもここの名産物の甘竹の根に、毒のある虫が住み着いていたけれど、この曲を聞かせると金翅鳥の声と思って、悪さをしなかった云々……そのように曲目の解説にありました。
ともあれ、これは見るからに左方の舞ですね。

さてこの後は、伝供(てんぐ)といって、お供え物を手渡しで堂内に運び入れる儀式が行われます。
しかしこれが結構、時間がかかるため、ここでついに席を立って、日本庭園の御茶席に逃げてしまいましたσ(^◇^;)獅子:池の東側から見る。
『舞楽協会』の会員になりますと、このような法要の時の御茶席券を頂けるので、無駄にするのも勿体無いと……σ(^◇^;)

そして戻って来たところ、『獅子』が始まっていました。
この前の行われる『菩薩』にしても、元は『伎楽』だったのだろうと言われていますが、既に舞は失われ、菩薩に扮した二人の舞人、二頭の獅子が舞台の上を輪を描いて歩くのみです。

何となく、まだまだ続きそうなので、今日はこの辺りで……と、ネタが無いのでまだまだ引っ張るつもりでいるのでした(ーー;)
道行四天王寺では四月二十二日を聖徳太子の命日(旧暦の二月二十二日です)として、毎年『聖霊会』の法要を行っています。
色々と行事の多い四天王寺でも、最も大掛かりな法要です。
昨年は雨、一昨年も途中から雨と、ここ最近は何となく天気に恵まれなかったのですが、今年はようやくの晴天となりました。
http://umena.blog.shinobi.jp/Entry/145/
http://umezo.bakeinu.jp/entry/27419/
昨年、一昨年の様子は↑を参照。

『振鉾三節』『聖霊会』といえば舞楽法要、衆僧が堂内に入られた後、このように『振鉾三節(えんぶさんせつ)』より始まります。
この法要は昼過ぎから十七時半くらいまで、六時堂前の石舞台の上で行われます。
一番舞台を見やすいポジションは、恐らく池の西側からではないでしょうか。
『舞楽協会』の会員には椅子席が用意されているのですが、池の傍の木や柱に遮られて、結構見難い場所なので、割り合いに座っている人は少ないようです。

蘇利古私も時々席を立っては、池越しに眺めたり、境内で開かれているガラクタ市を覗いたり、日本庭園の御茶席に出かけたりと、無節操にふらついていましたσ(^◇^;)
何せ長丁場なので、最初から最後までじっとしている人の方が珍しいくらいです。

この『蘇利古(そりこ)』の舞が舞われている間、堂内では太子御影のを上げ、御手水を捧げる儀式が行われるそうです。
つまりこの舞により、太子の聖霊が目覚めるという訳で、法要には絶対に欠かせない舞なのだそうです。

こうしてまだまだ、法要は続いて行きますが、続きはまた明日……一日中、外にいたので結構疲れましたわ。
眠い……(*_*)
六時堂内での『振鉾』最近ついぞ忘れていたのですが、私は聖徳太子という御方にどうも好かれておりません。
中学校の修学旅行で初めて法隆寺に行った時は雨でした。
明日香村の橘寺に行った時も雨、四天王寺ではにわか雨に雷……、尼寺廃寺の現説(何次か忘れましたが)の時は雪でした(^_^;)
確か法隆寺に三度目か四度目に行った時はみぞれでしたか。
そしてこの四天王寺の聖霊会に始めて行った時も雨でした(T_T)

両舎利登高座
太子の御命日に行われる法要なので雨が降っても延期と言う訳には行かず、本来は石舞台の上での行事を六時礼讃堂の中で執り行う事になります。
そして参拝者は雨の中、傘をさして見学という事となります。
法要の中心となる管長と長老の高座も、ビニールハウス状況です(失礼な物言いです、今日も(ーー;))
当然ながら諸々の次第も堂内で行われます。
舞楽『桃李花』しかし、舞台の上と堂内では各段の広さの差があるので、なかなかに制約も大きいようです。
特に気の毒なのは、舞楽を奉納する伶人でしょうか。
『蘇利古』や『桃李花』、『綾切』といった平舞は人数が四人以上なので、どうしても窮屈な印象を受けます。
そして今年の入調舞(奉納舞の後に行われる、参拝者に振舞う舞で、たいてい走舞です)の『納蘇利』などは二人ですから、多少動きが激しくてもそれほど窮屈にも見えません。舞楽『太平楽』
気の毒なのは『太平楽』です。
聖霊会の奉納舞の最後を飾るのがこの勇壮な武将舞、四人の舞人が鉾を振り回し、抜刀して激しく動くのですから、いくら大きな御堂の内とはいっても制約が大きすぎます。
序破急に分かれた舞ですが、破の舞では長い鉾を打ち振るうので、この度は仕方なくカットとなりました。
舞楽『太平楽―急の舞』全曲で五十分弱ですから、これで十分くらいは短くなっていたでしょうか?

私はこの舞が昔から好きで、この何年かはこれ見たさで聖霊会に行っているようなものですσ(^◇^;)
やっぱり石舞台の上で、鎧に付けた鈴をジャラジャラ鳴らしながら、大刀や鉾を振り回して頂きたいものです(^_^;)
楽所の伶人には女性も多いです。
この日は昼前からほぼ一日雨、法要の終った後、天王寺楽所の伶人方々も傘をさして控え所に帰って行かれました。
おまえは誰か
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