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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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『伝供』を行う童舞の子供たち六時堂内の僧侶に御供え物を渡す。六時堂に戻る長者役ら『伝供(でんぐ)』とは、仏前や神前への御供え物を手渡しで送って行く儀式です。
十天楽(じゅってんらく)という、聖霊会にのみ奏される曲が左右の楽人によって奏され、御供(ごく)所から石舞台上を経て六時堂までの間を、菩薩、八部衆、迦陵頻(かりょうびん)、胡蝶(こちょう)などの諸役が並んで、手渡しで御供えを送って行き、最後に迦陵頻と胡蝶の一臈の舞人が堂の階段を登り、僧侶に渡して宮殿(くうでん)の聖徳太子御影の前に供えます。

左方童舞『迦陵頻』右方童舞『胡蝶』『伝供』の後、再び行事鐘(ぎょうじしょう)が打たれると、『菩薩』と『獅子』の舞が行われるのですが、いずれも現在では舞が失われています。
どちらも残っている曲が奏される間、『大輪小輪(おおわこわ)』という、舞台を回るだけの所作を行います。

この後は番(つがい)になる童舞(まらべまい)、左方の『迦陵頻(かりょうびん)』と右方の『胡蝶(こちょう)』です。
四天王寺では、どちらも男の子が付け髪をして舞ってくれますが、これがとにかく可愛い(^_^;)
特に『迦陵頻』は大抵、小学校低学年くらいの男の子が勤めます。
四人して背中の鳥の羽に振り回されるように飛び回っていまして、見ていてもつい笑みがこぼれる次第です。
今回の『胡蝶』は割合に背の高い子達が、しっかりと舞ってくれました。
こちらは、大体いつも五人舞です。

童舞が終わると三度目の行事鐘が打たれ、『四箇法要(しかほうよう)』の開始となります。
そういう訳で、しつこく続くのですが、この調子じゃいつ終わるんだε-( ̄ヘ ̄)┌
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振鉾第三節両舎利が入堂し、石舞台の上で衆僧による惣礼(そうらい)が行われた後、諸役が堂内の各座に着きますと、池の対岸の楽人の幕舎から集会乱声(しゅえらんじょう)の音が聞こえてきます。
そして舞楽法要の幕開けとなります。

最初の演目は『振鉾(えんぶ)』三節。
一節目は左方の舞人(オレンジ色の装束です)が、二節目は右方の舞人(緑色の装束です)が、三節目は左右の舞人が鉾を振るって舞台を清める舞を行います。

右方舞楽『蘇利古』その後、舞台上には雑面(ぞうめん)と呼ばれる布製の面を着けた五人の舞人が登場します。
右方の舞楽『蘇利古(そりこ)』は、一般的には四人舞いだそうですが、四天王寺では五人で舞う事が恒例化しているそうです。
ちなみに私は、四天王寺以外ではこの舞を見た事がないので、常より五人舞だと思っておりました(~_~;)

舞が行われている最中、六時堂内に安置されている聖徳太子の御影の帳が上げられる『御上帳(みじょうちょう)』と、御水を奉る『御手水(みちょうず)』の儀式が行われているそうです。
堂内の奥の方での儀式のため、一般の人の拝観場所からはまず見えないので、殆どの人は『蘇利古』の舞に集中しているところでしょう。
いずれにしても、この舞を最初の供養舞とするため、聖霊会には欠かせない舞なのだそうです。

両舎利登高座『蘇利古』の舞が終わりますと、六時堂からは一舎利と二舎利が御付きの僧侶や童子らを連れて降りて来られます。
そして堂前で礼拝をして、一舎利は西側(御堂に向かって左側)、二舎利は東側の高座(こうざ)に登ります。
一舎利が『諷誦文(ふじゅもん)』を、二舎利が『願文(がんもん)』をそれぞれ唱え、法華経八巻の読誦をされるのですが、これらの声はほぼ聞こえません。

この時、舞台には四人の左方の舞人が登場し、舞楽『萬歳楽(まんざいらく)』が舞われています。

左方舞楽『萬歳楽』左方舞楽『萬歳楽』『萬歳楽』は隋の煬帝(ようだい)の作といわれていますが、真偽のほどは分かりません(^_^;)
いずれにしても唐楽の代表として、御祝いの時にはよく舞われる舞で有名です。

伝供にむかう諸役ら舞が佳境に入った頃、六時堂や楽人の幕舎からは、御供え物を運ぶ『伝供(でんぐ)』に奉仕する諸役が石舞台の南側へと参集し始めます。

この後、舞人が舞台を降りると、南側に置かれた『行事鐘(ぎょうじしょう)』が打たれ、法要は次の段階に移ります。
 
本坊より出発する道行の列道行の獅子4月22日が晴れたのは四年ぶりの事、今年は無事に四天王寺『聖霊会舞楽大法要』が行われました。
今年は“昭和伽藍復興五十年記念”という事で、四箇法要(しかほうよう)の内、散華の後に『梅の木行道』を行うという特別な様式になるそうです。
右方の伶人列御寺から頂いた案内にそのように書かれていたのですが、今までに聞いた事のない行道のため仔細も分からず、これは実際に行って見るしかないと、月曜日にもかかわらず休みをもらって出かけました。

三臈の僧侶と一舎利石舞台上の衆僧と一舎利いつものように12時半に衆僧や楽人らは本坊を出発しました。
そして門を出てすぐの辻で、左方と右方に別れて六時堂の横を回り込み、池も越えて、正面から石舞台に上って舞台前庭儀(ぶたいぜんていぎ)を行います。
衆僧が舞台の上の両側に並び、その間を左右の楽人や長者役、八部衆の面を下げた人々、更には天蓋や傘を差しかけられた一舎利と二舎利が渡って、六時堂に入場します。
その後に舞台上で行われる惣礼伽陀(そうらいかだ)で、法要の開始が告げられます。
三の的の前で、このような儀式を行います。連休の後半は天気が微妙……今朝も9時過ぎくらいまでは雨が降っていましたが、10時前には上がって、日中は割合に良い天気のようでした。
何せ糺の森は晴天でも薄暗い、木の間越しの光が射してくれば、晴れてきたのかなと思う具合ですから。
そういう訳で、今年も賀茂御祖神社(下鴨神社)の流鏑馬神事に行って参りました。

馬場殿の前で拝舞を行っています。それにしても何度か見に行っているのに、前後や合間に行われる儀式の内容や意味を、イマイチ理解していない、私は困った奴です……(-_-;)
射手や諸役が馬場入りした後、三の的の前で長官代が一の射手に儀式の始めを命じるとか、戻って来た射手が馬場殿の前で神禄をもらって拝舞を舞うという程度は、見ていても分かるのですが、順番とか作法などは全く分かっておりません……解説を聞いていても、声は遠い、いや、それ以上に行っている場が遠すぎて見えない(T_T)

何やらこの馬、やけに興奮気味だったような……昨年までの経験で、写真を撮るのはほぼ無理だと分かっておりますので、今年は矢鱈目鱈に動画ばかりを撮って遊んでおりました。
静止画像はと……もしかして、私ゃ、束帯を着けた人ばかりを写してるのか??(゚_。)?(。_゚)??
それ程、写真が偏っております。

確かに衣冠は、あちらこちらの神社で神職さんが御祭りの時に着ておられますが、束帯は文官でも武官でも、案外目にしませんからねぇ。

この馬の目つき、何なんでしょ?そういう訳で、精悍な武官装束の方々の画像などを。

今年は結構、命中率が良かったような気がします。
加えて派手で面白かった……って、何が?
それより、もしかして……今年って射手の人数、少ない?って事はありませんよねぇ??

ところで今年、初めて有料席(三の的のエリア)で見ていたのですが、気分的には落ち着けるのですが、視界的には微妙ですね。
余程に早く来て、入場券購入の始めの方の列に並んでカブリツキの場所でも確保しないと、見易いとは思えませんでしたわε-( ̄ヘ ̄)┌

この方の役職は何?11時45分くらいには糺の森にいたのですが、ひょっとしたら有料席の列に並ぶよりも、その後の良さそうな立ち見場所をゲットしておく方が良いかな?
まぁでも、椅子でゆっくり見るのも良いものです。
馬場から近いので、より臨場感ありますし、これはこれで良いんです(^_^)v
神事は地味と先日に申しましたが、こういう派手な神事は病み付きになります、はい( ̄▽ ̄)。o0○
舞楽『太平楽』『聖霊会』の舞楽の内でも最も派手で見ごたえもあるのが、最後を飾る『太平楽』です。
この舞、南都楽所でも天理大学雅楽部でも行いますが、何と言っても四天王寺楽所がダントツに面白い?

『序』で鉾を持って登場した舞人は、『破』で鉾を振り回して舞います。
『急』では鉾を置いて最初は徒手の舞が進んで行きますが、途中で腰に佩いた太刀を抜刀します。
これを合図に、舞台横の篝に火が入り、六時堂の内では掲げられていた聖徳太子の御影が巻き上げられます。
そして舞人は太刀を振り回して、まさに飛び跳ねながら輪舞をするという感じです。
何せこちらの楽所の舞では、太刀を顔の前にかざしたまま、片足で飛び跳ねるような所作までしてくれます。
他の楽所では、せいぜい足を踏み鳴らす程度。
これが石舞台の上で行われていたならば、舞人の鎧に着けられた鈴がシャラシャラと音を立てるのも聞こえます。

以前に聞いた事では、この舞、『十八史略』などに出て来る、沛公(劉邦)と項王(項羽)の『鴻門の会』での有名な宴の様子を表しているという説もあるのだとか。

舞楽『採桑老』『太平楽』までが法要の供養舞、その後に一曲、入調(にゅうじょう)の舞が行われます。
法要が終わり、臨席している人たちへのアンコールとでも言うところでしょうか(゜_゜>)

今年は『採桑老』(さいそうろう)でした。
不老不死になるための桑の木を探す、百歳の老人の姿を表しているとかで、付き添いの人に支えられるようにして入退場します。
確か、この舞も一旦途絶えて、四天王寺楽所で再現した舞だと思います。
昨年の『経供養』でも舞われましたが、もしかして記事を上げてなかったかなσ(^◇^;)
次の日の『時代祭』はしつこくUPしてるけど……

舞台を片付ける作業員達結局この日は、最後まで雨……
お陰で舞台の四方に立てた『曼珠沙華』も、法要の最中に少しずつ散って行きました。
そして入調舞が終了しますと、一気に片付けに入りました。
枝を下ろすだけで、和紙の赤い花びらのノリがはがれ、あちらこちらに散らばりますので、散華の代わりに何枚か拾って帰りました。

そういえば昨日の夕刊の一面の小コラムに、この『聖霊会』について書かれていまして、最後に記者の方が、見に来ている人が少なかったのが寂しかったと結んでいました。
でも、晴天での法要を知っている人は、雨の法要に参加して、全く様子が分からないフラストレーションを絶対に感じるでしょう。
ここ何年か、こうも雨に降られているのでは、いつも来ている人でも二の足を踏んでも仕方ないでしょう。
何せ境内で行われるはずのガラクタ市の出店も皆無ですからねぇ……
さて、来年はそろそろ晴れてくれませんとε-( ̄ヘ ̄)┌
祭文奏上『胡蝶』が終了すると、ここより四箇法要。
本来ならば、御堂から出て来た御僧侶が石舞台の前で祭文の奏上を行うはずなのですが、雨のため御堂の縁で奏上が行われました。
(ばい)も散華も薄暗い堂内ですので、外からは全く様子が分かりません……・゚・(ノД`;)・゚・


舞楽『崑崙八仙』式次第に寄れば、散華の後に行事鍾が打たれ、右方舞楽の『崑崙八仙』(ころばせ)が始まりました。
私が眺めていた場所は、左方の楽所のすぐ脇だったので舞は遠いけれど楽は近い、雨さえ降っていなければ案外良いポジションだったと思うのですがね。
『八仙』は雅亮会でも南都楽所でも何度か見た事がありますが、衣装も面も舞いそのものも、チョッと変わっていて面白いです。
タイトルは八人の仙人という意味ではなく、八羽の仙禽、鶴の事だそうです。
しかし、この舞人の姿を鶴に見ろといわれても、どうも難しい……(^_^;)

舞楽『太平楽』『梵音』(ぼんのん)、『錫杖』(しゃくじょう)、いずれも堂内ですので、スピーカーから聞こえて来る声や音で様子を伺うしかありません。
『四箇法要』が終わるとお馴染みの『長慶子』(ちょうげいし)の音に乗って、高座から下りて六時堂の中に戻られます。
そして舞楽の内でも、最も派手で長い部類に入る『太平楽』(たいへいらく)が始まります。

そういう訳で、しつこく続く(-_-)




性懲りもない愚痴もしくは戯言

昨夜、もはや文句を言うために見ているのかと、錯覚したくなる大河ドラマを眺めておりました。
この度は何に呆れたかって……平家一門の経営センス(?)の無さですかね。
一門の存続って、まぁ、時々、会社経営に例えられますが、それが何やら分からない思考の元に置かれているような気がしてならないんですわね、主人公の台詞を聞いていて。

美福門院と関白が左大臣に売りつけた喧嘩に、源氏が安直に乗って院を巻き込み、院や中納言が平氏をも巻き込もうとした時、平氏はこいつを突っぱねた……この流れは駆け引きとして、決して間違っていないと思います。
た~だ~し~、院の要請を断る理由の意味が、さっぱり分からない(゜゜)
最初に喧嘩を吹っかけた側が、姑息な方法を取ったから、こちらは感情論??
これじゃ、今回は良くっても、次は無いんじゃないの???
だから、伊勢平氏は忠盛から三代で滅亡するの……多分、作者はこんな事、意図してないと思うけどε-( ̄ヘ ̄)┌
打毬楽チョイト過去の記事などを見てみましたところ、ここ最近、四天王寺聖霊会での雨の確立はかなり高いようです。
2007年が雨、2008年と9年は晴れましたが、10年から今年まで三年連続で雨です。

今年も週間天気予報が発表された時点から雨……
それも日を追うごとに降水確率が上がって行く?
土曜日は一旦天気が回復したというのに、その晩から降り始めて、夜が明けてみればしっかり降っておりました。

行事鉦を打つ僧侶どうも朝から気が向かない……天気予報は雨が降ったり止んだり
さりとて春日大社に行こうという意欲もイマイチ湧かず……
(本日、春日大社の百々手式が執行されるのは聞いておりますが)
ともあれ、気を取り直して昼前に出かける事と致しました。

胡蝶 四天王寺の境内に着いた時は、相変わらずの雨。
六時堂に到着した時には、『蘇利古』(そりこ;右方)が終わる辺りでした。
しかし朝からの雨のため、法要は六時堂の中で行われますので、殆ど様子が分からないんですね。
受付で式次第やらお茶席券などを頂いている内に、両舎利が御堂から御出ましになりまして、御堂と石舞台高座に御着きになられました。

そして『打毬楽』(たぎゅうらく;左方)が始まりました。
最初に見ていた場所からは、最初の画像の通り、殆ど見えませんね……
『伝供』(てんぐ)にいたっては更に見えませんので、『菩薩』(ぼさつ)が始まったところで御茶席に行く事と致しました。
そして帰って来た時には『胡蝶』(こちょう;右方)が終わるところでした。
これが晴れていたなら、御茶席は多分、放っておいて大人しく見学していたでしょうけどねぇ……

っちゅう訳で続く(-_-)

 
 
三重の高棚、五色の幣“三重の高棚、五色の幣、おのおの供物を調えて、肝胆を砕き祈りけり、謹上再拝、それ天開け地固まりしよりこの方……”

昔見た能楽の『金輪』の一節です。
これって、まさにそれだわ……と思いましたのは、土曜日に正懲りなく出かけました住吉大社の百々手式の場に据えられた祭壇を眺めながらです。

それにしても面白いと思ったのが、この御幣の並べ方でしょうか。
“東西南北”に“青白赤黒”を配して、中央にしっかりと黄色を持って来ています。
青が緑ではなく、黒が紫でないのも妙に新鮮です。

アップで見てみますと…私が普段、奈良の寺社で見る事のある御幣は、大抵が横一直線に並んでいます。
この順番も昔から疑問なのですが、こちらの祭壇の最上段の幕の色と同じ順番で、ほぼ全てが並んでいます。
“木火土金水”の順番ならば、“青赤黄白黒”のはずなのですが、どうして中央(土・黄色)が二番目に来るのか……御寺の法要で掲げられる五色の幔幕もこの順番なのですよね。
何度か調べようとしたのですが、何を調べて良いのか分かりません・゚・(ノД`;)・゚・
自慢にも何もなりませんが、私は民俗学の方にはまったく無知です。
民族学(文化人類学)には更に暗いです。

供物の方になりますと……完全に分かりませんσ(^◇^;)
二段目に並べられた餅らしき御供えの数、どうして左右に十二づつなんでしょう?
最初は九つ(陽数の最大)が三列の二十七個だと思っていたのですが、陽数じゃなくて陰数なの?
この数字の類も、本当にお手上げ……三途の川の渡し賃はどうして六文なのと、私には聞かないで下さい、分かりません(T_T)

上段の中央に蟇目鏑が掲げられていますが、これに雁股も添えると棟上式だわね……などと、またも明後日の事を考えて今も眺めております(=_=)
……にしても、また変な方にスイッチ入ってます(-_-;)
今月中に四百枚はやっつけようという予定なのに、そんな事調べてる暇ないわよ!!(@_@;)!!
さっさと、百川を後から蹴っ飛ばさにゃ……ε-( ̄ヘ ̄)┌

斎王代の牛車
祭に神様がいなければ、それはただのカーニバルだよと以前に知り合いの大学生の子が言っていましたが、『葵祭』とは『賀茂祭』、賀茂の大神の祭は欽明天皇の時代に始まったとされています。
この事は『日本書紀』には見えないので、詳しい事は良く分かりません(-_-;)
この辺を突付くと、またも『鴨と鴉のドツボ』が待っているので、今は止めておきます。

今年の斎王代です。

今年も『賀茂祭』が日曜日に当たりましたので、恐ろしい混雑を覚悟の上で行って参りました。
普段の年を知らないのですが、確かに出町柳駅を出たら、これでもかと言うほど人がおりました(~_~;)
どうやら私は、時代行列には然程に興味が無いのやら……だって、この類は『春日祭』でも『おん祭』でも毎年見ておりますし(^^ゞ
斎王代だけ眺めれば良いかしらねと、下鴨神社の前で見送った後は、さっさと馬場に向かいました。

馬場殿にてご褒美を頂いております。下鴨神社では『社頭の儀』が行われます。
三大勅祭として、宮内庁から勅使も派遣されますので、私としてはこちらを見たいのですが、これは有料で結構良い金額を取られます(/_;)
舞殿で『東遊(あずまあそび)』が始まる頃、馬場では『走馬(そうめ)の儀』が始まります。
私の本日のメインはこれですσ(^◇^;)

『流鏑馬』ほどメジャーではないので、それ程混雑もしておりませんで、一時間も前に陣取れば最前列で見る事も可能です。

禄を頂くと拝舞を馬上で行います。この儀はひたすら馬を早く走らせ、馬上で鞭を振るう……

そういう訳で最初から写真を撮る気は余りありませんで、動画を取って遊んでおりました。
ここにあげた画像は、走り終えた騎手が俸禄を頂いているところです。
騎手は木綿(ゆう)を賜り、それを馬の鞭で引っ掛けて受け取り肩に掛けます。
そして鐙の上に立ち上がって、腕を左右に振るう『拝舞(はいぶ)』を行います。
この拝舞は記録や絵画では見た事があるのですが、実際に見るのは『流鏑馬』や『走馬の儀』の時くらいです。
『春日祭』でも勅使が行うそうですが、当然ながら一般人には見る事ができません。

会心の笑み?何やら今日のお馬さんには、何頭か人懐こい子がいるようで、時々、頭を振りながら観客の方に近付いて来てくれました。
でも騎手のお兄さんが、ダメだよ~と手綱を引いて、外埒ぎりぎりを歩いて行ってくれます。
これがとっても、可愛いです( ̄▽ ̄)。o0○

ところが馬の写真を撮ったつもりが、騎手のお兄さんが写っておりました(^^ゞ
こちらはこちらで、なかなか良い表情ですわね。

今日もこういう態度です……(ーー;)そしてこの後、本殿に御参りして御手洗池で手など洗って、さっさと引き上げた挙句、またもや丹波橋駅で下車して散歩して来ました。
今日も今日とて、墓参という態度ではありません。

この三日くらい『続日本紀』の宣命に悩みまくっていたので、土日は遊び回って終わりました……だからさっさと仕事しろって(+_+)
1a225539.jpeg羽曳野市の『壺井八幡宮』は河内源氏の始祖、源頼信公が河内守に任命され、館を築いたのがこの場所だそうで、孫の義家公が陸奥での十二年合戦のおりに、岩清水八幡宮から八幡神を勧請した事から始まるのだそうです。
そういう訳で、ここが河内源氏発祥の地なので、三代の墓所もこの地にあるのだそうです。
なかなかに風光明媚な葡萄畑が広がる土地です。


一堂、着座されました。……で、何をチャラケているのやら、またもやこちらで行われた『百々手式』を拝見に行って参りました。
何ですか、誰かの追っかけでもやってるんですか、我ながら??(゚_。)?(。_゚)??
でも、この度は佐保川さんは来ておられませんよ……
私は昨年の下鴨神社の流鏑馬で見て以来、この方の密かなファンだったりしますσ(^◇^;)御本人は絶対、こんなところ見てないだろうなσ(^◇^;)

お馬鹿はこの程度にして、こちらの境内も決して広くはありません。
射手は男女五名ずつの二組です。

蟇目の義……ですがまずは『蟇目の儀』ですね……
この度も私がどれだけ写真を撮るのが下手なのかを痛感致しました。
射手が右手を離して、優に一拍置いてからシャッターを切っていますね、この画像は明らかに(ーー;)
申し添えますと、決して悪意はありませんので御了承下さい<m(__)m>

蟇目とは射場を清めるために行うのだそうで、悪いものは全て的に収めて、それを鏑矢で射抜くのだそうです。
見ていて、実にカッコいいです(-_-)


凛々しい女性射手の方々そして百手射手の登場となります。
男性五人に引き続いて、この度も水干を纏った女性が御奉仕下さいました。
私の見ていた場所は、射手の方々の並んだほぼ横でしたので、構えた時の綺麗さがイマイチ写っておりませんねぇ……残念(/_;)
おまけに的も的役も全く見えない場所なので、当たったのかどうなのか……
もっとも、見えていてもほとんど分かりませんで、むしろ音を聞いていた方が何となく分かります。
これも一つの発見?(?_?)?

源氏の白旗守り!相変わらず、教養、素養共に無い事を暴露しております。
それにしても、娯楽ではなく神事や仏事に伴って発達した芸能とは、見ていて興味深いものが多いと、この度も思いました。
御奉仕下さいました方々には、厚く御礼申し上げます<m(__)m>

かくして一人で喜ぶうめぞーは、珍しくお守りなどを購入してしまいました。
『白旗守り』楠木で出来ているので、ほのかに樟脳の香りがします。
『八幡大菩薩』の八の字が、しっかり『はとサブレ』です……って、また関東周辺の人しか分からないような寒い事を言う((+_+))
早速、この前に替えたばかりの携帯電話に着けております。
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
非公開
自己紹介:
明日は歴史作家!

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