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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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タイトル画像奈良国立博物館で『3Dプロジェクションマッピング』の上映を行うのは、多分三回目ですが、『ならファンタージア』というタイトルで行っているのは昨年からでしょうか。

今年も8月16日から21日まで、19時半くらいから行われています。
会場は17時半には開きまして、フードパークもあるので、夕食がてらに待つことも出来ます。

画像に先立ってライブさて、今年のタイトルは『YAMTO 新New Story話』
古事記編纂1300年にちなんで『日本神話』かと思っていたのですが、違うんですね(^_^;)
日本の神話は踏まえているようですが、オリジナルストーリーのようです。
そして今年は、音楽にも性根が入っておりまして、上映に先立って、参加されている歌手や演奏家のライブまでありました。

合掌する手全体のイメージは、破壊と再生……なのかな?
生命への賛歌……なのかな?
正直申しまして、ストーリー性は昨年の『SANZO』の方が具体的にありましたので、分かりやすかった事は確かです。

最初に祈りありき
欲する事で人は多くの物を手に入れ、文明を享受し、繁栄を謳歌するのですが……

林立するビル群次々と発つ摩天楼は、どこまでも高く空を目指そうとするのですが……
ここに雷鳴が轟き、雷はこれらを一気に破壊するのでした……ってなストーリーなのだと思います。
何やら、日本とは違う御国の神の物語を想像させる映像にも思えます。
恐らくは、四の五の考えずに、音と映像の臨場を堪能して下さい、これが正解なのでしょう。

飛翔するのは三本脚の烏そして、瓦礫の後には植物の繁茂。
葉から滴るしずくが、新たな生命を生み出す。
鳥が一羽、おもむろに翼を広げ、最初の羽ばたきで宙に舞う。
更に大きく羽を上下に打ち振るえば、地上は瞬く間に遠ざかる……

でも、この鳥、フェニックスではありません。
三本脚の烏、ヤタガラスです。

……にしても、いつもながらに情けない画像ですみません。
言い訳は、いつものようにカメラの限界です・゚・(ノД`;)・゚・
そしてしつこく続く……(ーー;)
 
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興福寺にて 興福寺の五重塔を背景に
 前半は「祈」の文字だったようです。


国立博物館
 奈良国立博物館
こちらは文字が好きです。
「なら・とうかえ」とひらがなで書かれていました。


鹿の顔?
「なら」と「とうかえ」の間にあったのが、この鹿の顔?
「せんと君?」と言っている親子連れがおられましたが、多分、鹿でよいのだと思います(^_^;)

今年も、適当にふらついて写真を撮っていたので、気合の入らない画像ばっかり……
とりあえず、カメラのせいにしておきましょう。

春日大社の万灯篭も、東大寺大仏殿の万燈供養も、高円山の送り火も終わりまして、それでも奈良はまだ夜のイベントが八月いっぱい続きます。
これが終わると、『正倉院展』までは少し落ち着くのかなぁ?
人が少ないのも寂しいですが、昔の様子から比べると、いろいろな行事が増えて、寺社の法要などにも無節操に人が増えているのが、何とな~く落ち着かないのも正直な気持ちです。
でも、観光行事は是非とも皆様、御出で下さい(^_^)v

阿修羅……のようです?今年も『なら燈花会』が無事終了しました。
ちなみに期間は8/5~8/14までの十日間でした。
今年は雨は大丈夫みたい、と思っていたら、後半は結構、夕立などに祟られたみたいです(*_*;
13日は、途中で片付けたみたいでしたからね。

ワシ座……かな?私が出かけたのは、12日の日曜日。
この日は奈良町で毎年恒例の『ならまちカクテルバー』がありまして、夕方からチョッと引っかけて、酔い覚まし(と言うほど飲んでおりません(-_-))
ここ何年かは、このパターンですね。
燈花会だけ目掛けて行くというのは、当初よりまずありませんが。

白鳥座……頭の部分??この四年くらい、『一客一燈』(自分で火を点ける事が出来ます)に参加しますと、オリジナルの散華をいただけるので、散華欲しさに参加するという不埒をしています。
三箇所申し込むと、昨年と一昨年の物も頂けますので、こいつをお土産代わりにもしております……安上がりな土産で済みませんねぇσ(^◇^;)

定番ですね(^_^)v

相変わらず写真は下手ですが、上から
興福寺宝物館の前の『阿修羅』?
二番目は、春日野園地の『ワシ座』でしょうか?
この会場のテーマは『夏の大三角形』なのだそうです。
三番目は、春日野園地の『白鳥座』なのだと思うのですが……
何せ、それ程の起伏の無い場所に、大きな絵柄なので普通に見ていても分かりません(+o+)
四番目は、浮雲園地の『We Love 奈良』、文字は定番ですね。

さて、明日は『ならファンタージア YAMATO』を見に行きましょうっと。
一応、原稿が上がったので、お気楽気分( ̄▽ ̄)。o0○
 
分かっちゃいないのはナタも同じ、毎日、シマコを追い掛け回して怒らせてます。シマコ、マジ切れ寸前

とりあえず、書き上がりましたのでインターバル……
今回も、とに~かく長い……(゜_゜)650枚くらいある
そしていつもの事ながら、悪党だらけです。
おまけに皇族密度が矢鱈に高い?

時に、お兄ちゃん、こんなに食えない人だったっけ……ってのは、湯原王なんですね。
ベスト(ワースト?)3に入る程度に悪党ですが、多分、本人は自覚無いと思いますσ(^◇^;)
今回の話の時点での、この御仁は四十代前半で、皇后宮大夫。
この人のプロフィールは九割九分でっち上げですってのは、ここでも何回か書いております。

式部省からスタートして、宮内省に移り、皇后宮大夫になってからが結構長い。
皇后宮職が紫微中台になってからは宮内卿、確か極官は右大弁だったかな……勢いで、こういう事になっているみたいなのですが、かなり滅茶苦茶な気がしないでも(-_-;)

いずれにしても、ここの兄弟の下二人は、こちらが無理しなくても悪党になってくれるから、ある意味扱いやすいかもしれませんわε-( ̄ヘ ̄)┌




そういえば今日は三嶋大社の『流鏑馬』だったんだよなぁ……来年は見に行けるかなぁ?
ってのか、関西に住んでるなら『五山送り火』とか言えって(ーー;)

そして、また診断メーカーで遊んでみました。
うめぞーあなたの二つ名は『潔白の覇者』です。 http://shindanmaker.com/260865
『潔白の覇者』って何?
昨年に引き続き、東日本大震災で亡くなられた方々を追悼する法要が、東大寺大仏殿で行われました。
昨日の八月十三日、朝からうす曇の湿気の高い日でしたが、法要の受付の始まる18時半くらいには、割合に涼しくなっていました。

この日は大仏殿の夜間拝観も行われ、19時に開く中門の前で、参加申し込みをしていない一般参加者の人たちが、既に列を作って待っていました。
これを尻目に30分前には堂内の須弥壇の上に並べられた席に着き、目の前に創建当初から残る蓮華座の花弁に残る蓮華蔵世界を眺めながら、法要の始まるのを待っていました。
19時少し前に観相窓を開ける鎖を引く音がして、開始の鐘の音が続いて法要が始まります……が、私の座っていた位置からでは、破風の柱の影で開けられた観相窓は見えず、衆僧の入道も見えませんσ(^◇^;)

観相窓を閉める人たち三礼(さんらい)の後、散華行道、別当様による表白、全員で般若心経を三遍唱え、更に法号を唱えながら大仏様の周囲を一周行道するのは昨年に同様です。

ところがいつ降り出したものやら、気がついた時には外は土砂降り、雷も鳴って、大仏殿内は参拝の人が帰るに帰れず、大勢が法要を見上げている様子でした。

そして一時間程度の法要の後、インドから来られた方々による伝統の音楽が、仏前で奉納されました……が、これがまた全く姿は見えず、音しか聞こえない?(゚_。)?(。_゚)?
しかし、声明の起源ではと言われるだけあって、シタールと打楽器(何という名前なのか……?)を従えた唸る様な男性の低い声が、奇妙に心地が良くて、これは癖になるかもしれません( ̄▽ ̄)。o0○

こうして須弥壇を下りた時には、もうすぐ拝観の終わる時刻ですとのアナウンス……なのにまだ、外は土砂降り……・゚・(ノД`;)・゚・
とりあえずおみやげ物売り場で傘を買って、大仏様の正面に回った頃には、係の人たちが観相窓を閉めておられました(上の画像参照)

閉じられた観相窓の上下から見える、大仏様の口元と光背の化仏この日は鏡池の周辺にも燈花会のロウソクを並べてあったのですが、早くに降り始めた雨で全て撤収、21時45分までの予定の各所も、早々に片付けられていたようです。
燈花会には12日も出かけたので、その内、気が向いたらUPしますか……
近鉄奈良駅まで歩く間も、これ見よがしの豪雨、それなのに橿原に帰りついたら降っていない?!
家に帰りついて着替えを追えた頃、雨音がしだして、ようやく北部の雨が中部にまで下りて来たようです。
かくしてこの後は一晩中の雷雨……だと思うのですが、結構しっかり寝ておりました。
何せ、このところ執筆追い込みで、夜更かしが続いておりますので……(^_^;)(-_-)zzz
 

難波といえば四天王寺ストーリーを練り直したり、書き直したりするたびに、何故か主人公は悪党になって行くような気がしております……

無理して悪人にしなくても、勝手になって行く御仁と、無理をして書かないとただのお馬鹿になってしまう御仁がおりまして、前者の代表が白壁王、後者の代表が志貴親王なんじゃないかと、作者は密かに思っていたりしますσ(^◇^;)
まぁ、お馬鹿度は山部王あたりも負けてはいないでしょうが……

これは隔世遺伝なんだろうか、などと思ってみましたが、白壁王の孫の五百枝王は、曽祖父や叔父にも度し難いところがあるような……
お馬鹿と悪党は紙一重?(゚_。)?(。_゚)?

今回も、もう一息で完成かな???
本日の画像は、四天王寺の五重塔ライトアップ。
白壁王は若い頃、内舎人を経て摂津職に配属されていたというのが、うちでの設定。
更には干されている間も時々、難波堀江を望む別業で過ごしておりました。
振鉾第三節四天王寺に所属している『雅亮会』が、舞楽を一般の人たちに公開してくれる機会は、年に数度あるようですが、四天王寺境内では恐らく三度です。
一番大きな法要でもある4月22日の『聖霊会』、そして10月22日の『経供養』、それから昨夜も行われました8月4日の『篝の舞楽』です。
これは毎年、日が決まっているので平日に当たる事が多いのですが、今年はおり良く土曜日の晩でした。

篝の火入れこの『篝の舞楽』は8月9日から行われる御盆の行事の前哨的な儀式と申しますか、舞楽演奏会なので法要は伴いません。
以前はお茶席の御奉仕などもありまして、献茶や献花も行われていたのですが、昨年くらいからはそれも行われなくなっているようです。
何せ、三年に一度、行ければ良い方なので、昨年は行けず、一昨年は確か行ったのですが、イマイチ記憶が曖昧……

左方平舞『承和楽』一番上の画像は、『振鉾(えんぶ)第三節』。
左右の舞人によるこの舞いは、舞台を清めるために必ず最初に行われます。

その後に篝(かがり)に火が入れられます。
最初に直垂姿の方が大きな松明を持って登場し、舞台の前で四方を払うような仕草の後、四人の白丁姿の人たちの松明に点火し、それぞれが舞台下の四隅に置かれた篝に点火をします。
ところが、火の着き難い篝もありまして、最後には三人がかりで火をかざしているのが、二枚目の画像です。

右方平舞『白濱』そして舞楽が三曲行われます。
左右の平舞(ひらまい:四人舞)が一曲ずつ、そして走舞(わしりまい:一人舞)が一曲が恒例です。
今年の曲目は、左方の平舞の『承和楽(しょうわらく)』、三枚目の画像ですね。
舞人は二人しか写っていませんが四人舞です。
次が右方の『白濱(ほうひん)』、蛮絵装束の四人舞です。
面白い事に舞人は、途中で片袖を脱いで後半を舞うというチョッと珍しい曲です。

左方走舞『蘭陵王』何れの画像を見て頂いても分かりましょうが、相変わらずカメラが小さいので、それほど奇麗に写りません。
そういう訳で、ここ最近の傾向としまして、動画を撮って遊んでおりました。

最後の走舞は左方の『蘭陵王』。
その後は、最後の締めとなる『長慶子(ちょうげいし)』に演奏が行われて、本日の舞楽会は終わりとなります。

それにしても、相変わらず伶人の多さにたまげます。
横に20人並んで4列ですから、ざっと80人はいるでしょうか。
御陰で『振鉾』から『蘭陵王』まで、乱声(らんじょう)が騒がしいの何のってσ(^◇^;)
ここ最近は『南都楽所』ばかりでしたので、久々に『雅亮会』の演奏を見聞きしますと、かなりギャップがあって面白いです。
 
かなり以前より常々思うのは、橘諸兄という人は案外、過小評価されているのではないかという事です。
チョイト奈良時代辺りに詳しい人の言い分ですと、天平九年の豌豆瘡流行で藤氏四家の主を始めとした太政官構成員の多くが病没した後、棚から牡丹餅で大納言から右大臣に推挙された人。
異父妹の光明子皇后に持ち上げてもらって出世した人。
この言い分、必ずしも間違いではないんですけどね……ε-( ̄ヘ ̄)┌

この御仁が葛城王と名乗った時代を見てみますと……
四世王として無位から従五位下に叙位されたのが27歳の時、特に早い訳でもなく極端に遅い訳でもなく、というところでしょう。
従四位下をもらったのは41歳、左大弁になったのが46歳でこの時は既に正四位下です。
そして参議に任命されたのは48歳、翌年には従三位にまで上っていますから、かなりのエリートコースを歩んでいる事は確かです。

興福寺南円堂前『右近の橘』天平八年十一月、母親が賜った橘宿禰の姓を弟と共に引き継いだ時は53歳でした。
そして翌九年の八月、壊滅的となった太政官再編に当たって大納言に抜擢、十年の正月には正三位右大臣に就任します。

さて、私の書く話の中にもこの御仁は度々、登場してくれます。
総体的な評価は、
「天皇の片腕として穏健派と言われながらも、時には容赦なく政敵を追い落として断罪して来た老獪な為政者」 by白壁王
ただ今、この御仁は浅慮な愚息の行いに苦慮しつつも、部下の白壁王に無理難題を要求しております。
この要求を白壁王の息子達は、後々まで曲解して、既に故人となった諸兄の事を仇のように見る羽目になります。

諸兄の愚息といえば、かの橘奈良麻呂……うちでのこの御仁のキャラクターは、割合にセオリー通り?(゚_。)?(。_゚)?
山部王が吉備泉を「いつかぶん殴る!!」と思っているのに対し、白壁王は橘奈良麻呂を「遣唐副使にでも任命して、諸手をふって送り出してやる……」と根に持っていたりしますσ(^◇^;)
それなのに、白壁王は大臣(諸兄)の事を決して嫌っていないんですね……何故なんだ(・・?

いずれにしても、現在の白壁王(37歳)には、決して越えられない大きな壁のような存在となっています。
何せ天平十七年現在、橘宿禰諸兄は62歳の従一位左大臣、官界の頂点に君臨して八年になろうとしていますから。
そういう訳で、この御仁は紛う事なき大物政治家の一人です。
このところのサボタージュは、いつものサボり癖もあるのですが、実は半缶詰状況に自分を追い込んでいるためです。
例によって自分で締め切りを切って、何やら書いている訳で、その追い込み状態にあるというところです。
本当だったら今日は、東大寺の解除会に朝から行こうと思っていたのですが、仕事は進まず、おまけに寝不足……つい、ロンドンオリンピックの開会式を眺めておりました。
奇妙なセレモニーだなぁと思ったのは、子供ホスピタルとファンタジーの世界の演目……
好みの問題なんでしょうけど、何かイギリスの文化って独特の暗さがあるのねぇ……その辺、チョッと苦手かも(゜.゜)

東大寺西塔の辺りにいた鹿私の好みなんざ、さて置き、相変わらず分からないでお茶を濁そうとしている事が多々出て来ます。
その一つが『駅鈴』というヤツ……

こいつは早馬の使者に貸し出される物で、街道の一定の距離ごとに置かれた『駅』という中継施設で、これを見せなければ換えの馬やら食料やらももらえないし、休憩さえさせてくれなかったというパスポートのような物です。
天皇崩御などに当たって固関の使者を出すとなれば、最低でも三人が一時に出て行く事になるので、それから考えても、数は一つや二つではなく、複数あったようで、使者の階級によって貸し出される鈴も違っていたようです。

天平十七年九月に難波宮に行幸した聖武天皇が、そちらで病気になり、一時は危篤状態にまで陥った可能性もあり、十九日に“使を遣して、平城宮の鈴・印を取らしむ”という状況になります。
この時には更に、全ての孫王も難波宮への参集を命じられます。
印は天皇の御璽と太政官印ですから、一つずつあれば良いはずなのですが、鈴(駅鈴)となるとどのくらいの数があって、どう管理していたんでしょう……別に、それを書く必要もないのですがσ(^◇^;)

ところで平城と難波の間にも駅はあったはずで、この時、天皇の不予を伝えに平城に送られた使者は、やはり駅鈴を所持していたのでしょうか?
この程度の距離ならば、馬も換えずに一気に走った……可能なの(・・?
それとも、もしもの時の事を考えて、行幸に幾つかは持って行く決まりでもあったのか、陪都の難波にも常備されていたのか……本当に、どうでも良い事にこの度も引っかかっておりますε-( ̄ヘ ̄)┌
大仏殿の南門にてたいそう長いタイトルですが、これが昨日(二十一日)に東大寺大仏殿で行われた法要です。
もっとも、鶴岡八幡宮から宮司以下の方々もお越しになられての合同の祈りですから、法要ではなく神事でもあるわけですが。
神も仏もある祈りというところでしょうか。

八乙女による『浦安の舞』それはともかく、東大寺と鶴岡八幡宮の繋がりといえば、平氏の南都焼き討ちの後に鎌倉復興が行われたのですが、この時の一大スポンサーが鎌倉殿こと源頼朝だという事が一番大きいでしょうか。
更にさかのぼれば八幡神つながり?
聖武天皇が東大寺での大仏建立に際し、宇佐八幡宮からこの神様を勧請し、手向け山八幡宮に鎮座された(最初は金堂伽藍の前に御社があったようですが)という事と、頼朝が鎌倉を武家の都とするために、父祖ゆかりの岩清水八幡宮からやはり八幡神を勧請して鶴岡八幡宮を建てたというところでしょうか。

鶴岡八幡宮からは『浦安の舞』の奉納もありまして、今年もあこめ装束の巫女さんが八人(普通は四人)できっちりと舞い納めて下さいました。
昨年も今年も、惚れ惚れするくらい、綺麗に揃っていました(^_^)v

北河原管長と吉田宮司の御挨拶この催しも昨年の九月に、東大寺と鶴岡八幡宮でそれぞれ行われ、今回が三回目になります。
次は来年に鶴岡八幡宮で、その次は再来年に東大寺でと、年に一回、交互に行いましょうという事で、続けられて行く予定だそうです。
今年は最後に『南相馬ジュニアコーラスアンサンブル』の中学生、高校生の女の子達の歌の奉納もありました。

大仏殿もライトアップそして今回も、観相窓が開けられて、毘盧舎那仏の御顔がのぞいていました。

ところで……昨年の東大寺での祈りの時には、写真や録画は御遠慮下さいという事でしたが、今年は特にその類の注意はなし……
こうなると、マナーに難ありの人が大抵の場合、チラホラ……((+_+))
私のすぐ後ろでは、あらゆるシーンでストロボ焚きまくりで大顰蹙という方がおられまして、若い御僧侶がたまりかねたか、何度も注意をされていましたε-( ̄ヘ ̄)┌
やはり、最初に注意は必要なのでしょうかねぇ……って、私も写真は何枚か撮っておりましたが。
おまえは誰か
HN:
うめぞー
性別:
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