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まさに寺の名前を冠した奈良市般若寺町にあります『般若寺』です。
コスモスが見に行きたかったのではなく、実は夕方から行われるライトアップの招待券を頂いたので出かけました。
何せ当日の再入場が可能だと言う事で(^^ゞ
そういう訳でこれは昼ごろに写した写真です。
今回こちらに行って一番良かったのは、花でも石塔でも石仏でも本尊の文殊菩薩でもなく、特別公開をしていた小さな金銅仏です。
白鳳時代に作られた阿弥陀如来なのですが、何でも昭和39年に境内の真ん中にある十三重石塔を解体修理した時に、その中から見つかったのだそうです。
そしてその白鳳仏の台座部分には更に納入品がありまして、これがまた10センチ内外しかないのに、これでもかと言うほど精緻に刻まれた大日如来坐像、地蔵菩薩立像、十一面観音立像の三体です。
こちらは鎌倉時代のもの、石塔の建立時に奉納された物なのでしょう。
名勝と言われる庭がもう紅葉していまして、こいつはまた、気が向いたら紹介でも致します。
そして『般若寺』に戻って来た頃には日も暮れて、境内のあちらこちらに行灯が置かれて火が燈され、本堂の前では弾き語りのライブも行われていました。
昨夜とは違って寒くもなく暑くもない、ちょうど良い気候でしたので、ますます良かったですね。
ライトアップは今日までだという事で、こちらもちょうど良かったですわ(^_^.)
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こちらはいつも外から拝むのみ、堂内に入る事ができるのは一年に一度だけ、十月十七日(毎年同日)です。
そして今年は土曜日に当たっているのを幸い、久々に行って参りました。
ところが興福寺の境内に入った途端、このような御僧侶が御堂に向かっているのに出会いました……もしかして、これから法要?
拝見を待っている人の列に並んでいくらもしない内に係りの方が、これから法要を行いますので、一時間ほど御堂に入れませんのでご理解のほどをお願い致しますと……(*_*;
ところで今日の興福寺は雨模様なのに、チョッと混んでいます。
そして土曜日とは言え、南円堂の拝観日がこれほど混むのも珍しい状況のようです。
その理由は何かって?
今日から『興福寺国宝特別公開2009-お堂で見る阿修羅-』が始まっているためのようです。
このイベントは11月23日まで行われるのですが、来週からの正倉院展の頃には滅茶苦茶混雑が予想されそうですし、終わる直前も恐らく長蛇の列が出来る事でしょう。
ところが今日はと申しますと……南円堂の前の列よりも遥かに空いていますわ、と言うか、列そのものが仮金堂の前に出来ていないんですよ。
そういう訳で、これから一時間の時間をただ待つのも芸が無い、九州から帰って来た八部衆と十大弟子でも拝みに行きますかと、拝観権売り場のテントに向かうのでした。
仮金堂に入るのは何年ぶり?
いつぞに『慈恩会』に行った時以来ですわ。
こいつは消えちまったセカンドページに記事があったんですけどねぇ……困ったもんだね、まったく(--〆)
それはともかく、あの大きな江戸仏の釈迦如来の前に置かれた阿修羅像の姿が、何とも奇妙でした……というか微妙なのかな。
造られた時代が約1000年違うのですよね。
一瞬、合成映像を見ているような変な感覚すら覚えまして、これはこれでかなり面白いかなと私には思えましたわ(-_-)
仮金堂から出ようとしたら外は土砂降り、もう少し踏みとどまって、大きな本尊や鎌倉仏に囲まれた天平仏の一群をぼけ~っと眺めておりました。
乾漆仏の装飾は綺麗です、見慣れた鎌倉仏の切金とはまた違う優美さがありますからね。
それがこれだけ見事に残っているのは大したものですとは、沙羯羅や緊那羅を眺めつつの感想です。
こちらの不空羂索観音に御逢いするのは一年ぶりでしょうか、相変わらず貫禄ありますわ。
仮金堂の四天王もそうなのですが、康慶の仏様は実に堂々としておられます。
つい、国宝館に並ぶ天平時代の仏様に目が行きがちですが、興福寺は鎌倉時代の代表彫刻の宝庫なんですよね(^・^)
北円堂の御本尊(弥勒如来)や無著・世親立像も然りですね。
ところでついでの与太言でも……(-_-;)
仮金堂の内では繰り返し八部衆などの説明をしてくれていました。
八部衆の作られたのは天平六年、西暦にすると734年の事となるそうです。
……ってぇと、うちのスメラミコトよりも年上になるな、三つほど。
もしかして、そうすると、蔵下麻呂と同じ年なんだ……(・・?
へぇ~ぇ、蔵下麻呂って阿修羅像と同い年ねぇ……いや、可笑しくもないし、どうでも良い事なのですけど、つい笑いがσ(^◇^;)
この辺のイベントは他に無いのか?
そういう訳じゃなくて、気がついたらこんな季節になっていたというところでしょうか(^^ゞ
明日香村辺りの秋の行事なんて、気がついたら殆ど終わってますね……
あんまり念頭に無かったのもあったので、などと言えば主催者側に失礼ですが(~_~;)
さて今年のこのイベントですが、大体毎年、10月の始め辺りに行われるはずが、今年はどういう訳なのか、十月半ばに行われましたので寒いの何の……(+_+)
おまけに日中は雨が降ったりやんだりで気温が上がらず、日が翳ったら一気に寒さもやってきたという感じですね。
持統女帝に扮して熱演をされていました。
物語の内容はともかく、綺麗でしたよ浅野さん、やっぱり美人女優の代表格だけありますね。
しかし、当たり前のことながら、ステージの撮影は一切禁止です。
そういう訳で今年もしつこく、シルエットイルミネーションの画像などを……昨年と同じですがσ(^◇^;)
今日は昼間、興福寺の南円堂の拝観に行っていたのですが、夕方早々に引き返して来たかいはありましたかね。
また来年の二月に浅野温子さんの語り舞台は大和郡山で行われるそうですので、予定が合えば見に行こうかしらね……まぁ、内容はともかく(・・?
ただ今考えている辺りでは、志貴親王家の家長は長子の春日王です(正史には決してこの様な事、これより以下の事は書いてないので、絶対に信じないで下さい)。
天平元年、末弟の白壁王が内舎人になりたいと突然言い出した時、中務省に対して横車を押せる程度の地位にはおりました。
この時の年齢は四十四歳、役職は刑部卿、割合に親しい知人や友人として、内臣の藤原朝臣房前、大蔵卿の鈴鹿王、宮内卿の葛城王などがいた事になってます……以前に書いた話によりますと(^_^;)
そして仲が良いのか悪いのか分からない相手に、左大臣の長屋王がおります。
恭仁京遷都が行われる天平十二年には五十五歳、まだ官界をリタイアする年齢ではないのですが、甲賀寺の造営の頃には散位になっています。
そして亡くなった天平十七年にはちょうど六十歳、ちなみにこの年に白壁王は三十七歳ですから年齢差は二十三歳、長子と末子だけあって親子ほどの年齢差になります。
つまり白壁の生まれた時には、既に成人して家庭も持っておりました。
当然、この末弟が生まれた時の状況も良く理解しています。
父親の志貴親王が亡くなった時には三十一ですから、この後の家の置かれる状況や周囲が向ける目にも、理解や予想は充分についていた事でしょう。
春日にとってはすぐ下の弟たちや息子は、大して悩みの種にはならなかったのですが、下の方の弟たちには少々、厄介をかけられています。
何といっても一番の心配の種は末弟だった事は間違いありません。
父親を何もしていなかった風流人には決して想定しなかった結果、息子もそれなりに目も鼻も利くキャラクターになってしまいました(ーー;)
この長兄に育てられた白壁王も飲んだくれるだけが仕事じゃない、後に猛禽のようだと呼ばれる息子以上に遠望(むしろ遠謀か?)の利く壮士になった事でしょう、ってのか……なってくれにゃ困るんだよ、作者的にはね(~_~;)
さて春日王は、天皇や左大臣らの計画に深入りし過ぎて行く末弟を、果たしてどのような目でみていたのでしょう。
後々、白壁の息子たちから、穏やかで思慮深く、怒らせれば誰よりも怖い人だと評されたこの伯父、やっぱり一筋縄じゃ行かないのかもしれませんわ。
こう考えると、身内の大人たちもかなり厄介な人だらけだわねぇ……どの程度登場させりゃ良いのかなぁ、殊に春日王は絶対に無視の出来ない立場の人だしねぇ(@_@;)
天平元年、末弟の白壁王が内舎人になりたいと突然言い出した時、中務省に対して横車を押せる程度の地位にはおりました。
この時の年齢は四十四歳、役職は刑部卿、割合に親しい知人や友人として、内臣の藤原朝臣房前、大蔵卿の鈴鹿王、宮内卿の葛城王などがいた事になってます……以前に書いた話によりますと(^_^;)
そして仲が良いのか悪いのか分からない相手に、左大臣の長屋王がおります。
恭仁京遷都が行われる天平十二年には五十五歳、まだ官界をリタイアする年齢ではないのですが、甲賀寺の造営の頃には散位になっています。
そして亡くなった天平十七年にはちょうど六十歳、ちなみにこの年に白壁王は三十七歳ですから年齢差は二十三歳、長子と末子だけあって親子ほどの年齢差になります。
つまり白壁の生まれた時には、既に成人して家庭も持っておりました。
当然、この末弟が生まれた時の状況も良く理解しています。
父親の志貴親王が亡くなった時には三十一ですから、この後の家の置かれる状況や周囲が向ける目にも、理解や予想は充分についていた事でしょう。
春日にとってはすぐ下の弟たちや息子は、大して悩みの種にはならなかったのですが、下の方の弟たちには少々、厄介をかけられています。
何といっても一番の心配の種は末弟だった事は間違いありません。
父親を何もしていなかった風流人には決して想定しなかった結果、息子もそれなりに目も鼻も利くキャラクターになってしまいました(ーー;)
この長兄に育てられた白壁王も飲んだくれるだけが仕事じゃない、後に猛禽のようだと呼ばれる息子以上に遠望(むしろ遠謀か?)の利く壮士になった事でしょう、ってのか……なってくれにゃ困るんだよ、作者的にはね(~_~;)
さて春日王は、天皇や左大臣らの計画に深入りし過ぎて行く末弟を、果たしてどのような目でみていたのでしょう。
後々、白壁の息子たちから、穏やかで思慮深く、怒らせれば誰よりも怖い人だと評されたこの伯父、やっぱり一筋縄じゃ行かないのかもしれませんわ。
こう考えると、身内の大人たちもかなり厄介な人だらけだわねぇ……どの程度登場させりゃ良いのかなぁ、殊に春日王は絶対に無視の出来ない立場の人だしねぇ(@_@;)
「俺には、そいつが妙に気になる。御身、中納言に何か探りを入れられぬか」
「難しい相談だ。知らぬ存ぜぬを通すに決まっている」
「御身の父上であろう……」
「あの御仁は、家族であろうと平気で隠し事をする人だ」
「そのような事は、御身の家だけではあるまい。宿奈麻呂のところなど、夫婦そろって隠し事だらけだ。それを面白がって、うちの室が突き回しに行く」
「うちでは、こちらが逆に突かれる。何せ俺は信用がない」
「心にもない事を言う」
後々、息子にこういう具合に言われる白壁王の若い頃って、どういう具合だったんでしょう。・
作者は何となくイメージがつかめずに悩んでおります(゜.゜)
でも、祖父の志貴親王はもっと変な人になってますからねぇ……もしかして、この辺のコンセプト、挫折は人を変人にする?????
いや、この家の連中は最初から変なんだけれど(ーー;)
ところで先ほどテレビで『相棒シーズン8』なんぞを見ていていて何となく思ったのですが、及川光博の顔って私の頭の中のイメージでは、石上宅嗣に一番近いかも……(?_?)何のこっちゃ??
9月29日の『東大寺で見つけてみよう(^^ゞ5』の辛国神社がなぜ天狗社と呼ばれているかが、少しばかり分かりましたので報告致しますm(__)m
奈良町の西の方に『阿字万字(あぜまめ)町』という字名があります。
昔この町にあった宿屋に天狗が突然振ってきたという、なんとも奇妙な伝説があります。
この天狗はしばらくの間、同町に祭られていたのだそうですが、明治維新になって行き先が困り、どういう訳か東大寺に転居してもらう事になり、境内の『辛国神社』に鎮座していただいたのだとか……
そもそもこの辛国神社は、良弁僧正(金鐘行者)と法力比べをして負けた辛国行者が祭られているという伝承もあるらしく、この神社のある大仏殿東側の丘(鐘楼や俊乗堂のある場所ですね)は、本来は辛国連などの渡来系氏族の所有地だったと考える説もあるようです。
金鐘寺を総国分寺にするに当たって行政執行をかけたようなものですかねぇ。
それで辛国連の氏長格の人が最後まで抵抗したものの、国家権力の前には敗れ去ったとか(*_*;?
何でも良弁に負けた行者は、捨て台詞を残して地の底に去って行った……??
この話はどこに載ってるんだ……『古事談』で良いのか???
どうやら阿字万字町の人たちには、天狗のイメージが辛国行者とかぶったらしく、この辛国神社を天狗の移住先に選んだのではないかとのお話でした(~_~;)
そういえば、神社内の涸れた手水鉢に『阿字万字町』の名前が刻まれていましたか。
ろくな写真がないので、その内写して来たらUPしましょうか。
ついでに、大仏殿からこの『辛国神社』に登ってくる石段には、『猫段』という名前がついているのだそうです。
この石段で転ぶと、猫に生まれ変わるのだとか……ホンマかいなσ(^◇^;)
奈良町の西の方に『阿字万字(あぜまめ)町』という字名があります。
昔この町にあった宿屋に天狗が突然振ってきたという、なんとも奇妙な伝説があります。
この天狗はしばらくの間、同町に祭られていたのだそうですが、明治維新になって行き先が困り、どういう訳か東大寺に転居してもらう事になり、境内の『辛国神社』に鎮座していただいたのだとか……
そもそもこの辛国神社は、良弁僧正(金鐘行者)と法力比べをして負けた辛国行者が祭られているという伝承もあるらしく、この神社のある大仏殿東側の丘(鐘楼や俊乗堂のある場所ですね)は、本来は辛国連などの渡来系氏族の所有地だったと考える説もあるようです。
金鐘寺を総国分寺にするに当たって行政執行をかけたようなものですかねぇ。
それで辛国連の氏長格の人が最後まで抵抗したものの、国家権力の前には敗れ去ったとか(*_*;?
何でも良弁に負けた行者は、捨て台詞を残して地の底に去って行った……??
この話はどこに載ってるんだ……『古事談』で良いのか???
どうやら阿字万字町の人たちには、天狗のイメージが辛国行者とかぶったらしく、この辛国神社を天狗の移住先に選んだのではないかとのお話でした(~_~;)
そういえば、神社内の涸れた手水鉢に『阿字万字町』の名前が刻まれていましたか。
ろくな写真がないので、その内写して来たらUPしましょうか。
ついでに、大仏殿からこの『辛国神社』に登ってくる石段には、『猫段』という名前がついているのだそうです。
この石段で転ぶと、猫に生まれ変わるのだとか……ホンマかいなσ(^◇^;)
今日(12日)は『宵宮祭』だそうで、夕刻から氏子の方々の寄り合いがあるようで、明日の正午からが本番のようです。
十六時くらいに神社の方へ行ってみますと、境内には雅楽が流れておりまして、社務所の方に神職や氏子の方々が集まりまして、食事がてらの話をしておられるようで、チョッとした町中の例大祭の前って感じですね(^^ゞ
その内に宮司さんらしき方を先頭に神職の方々と氏子総代らしき方が拝殿の方に御出でになりまして、神事を執り行い始めましたので、後ろの方で眺めておりました。
本殿の前には、この様に立派な鳳輿が置かれていました。
まだ神様は載っておられませんので、臆面もなく写真を撮ってきましたσ(^◇^;)
ところでこちらの御社ですが、やはり春日若宮からの移しだそうです。
ただし時代としては江戸時代の末ごろの建物で、若宮社の一番古い例は『崇道天皇社』の御社になるのだそうです。
以上、御祭に参列しておられた若い神職さんから伺いましたm(__)m
一応画像をクリックして頂ければ、少しは分かるのではないかと思いますが、明日の正午には御神輿やら御稚児さんも参加して、お渡り式が行われるようです。
これは安政五年の御祭の様子を描いた絵図のコピーで、境内の建物のガラス戸に無造作に張られていました(^_^;)
まあ、この御時世、御神馬だの随兵だのは無理でしょうから、御近所の子供さんたちが御稚児さん行列で参加してくれるのかもしれませんね。
うちの姉も大昔、地元の神社の御祭に参加しておりましたっけ。
今とは違って、兄弟姉妹の一番上の子しか御稚児さんは出来ない時代でしたわ……と、相変わらず年が知れるような事を言うのでした。
明日の奈良町界隈は、さぞかしにぎわうのでしょうねぇ、地元の方々で。
こういうお祭は、ずっと続いて欲しいものです。
ところで、途中でこういうポスターを見たんだが、コリャ何なんだ?????
新しい祭や法要も、あちらこちらで行われるようになってはいるのですがねぇε-( ̄ヘ ̄)┌
……で、どんな御像が出来るのでしょう、何となく興味は湧きますかねぇ。
日本近代彫刻史に燦然と輝く、山崎朝雲氏の代表作です。
私がこの御方に会いましたのは、既に十数年前の事、東京都千代田区竹橋にある『東京国立近代美術館』の常設展ででした。
一メートル足らずのあまり大きくない木彫作品でしたが、これぞと言う存在感で立っておられました。
“タカオカミ”という神様は、国産み神話の途中に名前だけが出てきます。
イザナミノミコトがカグツチ神を産んで亡くなった後、悲しみのあまりイザナギノミコトは御子神を切り殺してしまいます。
殺されたカグツチの体から生まれたのがこの神だとされ、剣より滴り落ちる血から生まれたのが“クラオカミ”だとされ、この二柱は同一とも対の神ともされています。
いずれにしても水の神様、京都の貴船神社、奈良の丹生川上神社の御祭神として有名です。
やはり水の神とされるミヅハノ女神と共に祭られるせいなのか、山崎朝雲氏はこの神様を女神だと考えていたようです。
しかし私の見た印象では、かなり凛とした若い男性に見えまして、本当に女神なのだろうかとつい、かんぐってしまいました……(~_~;)
ところで、先日に新聞屋さんが招待券を下さいましたので、今日は大阪歴史博物館に行って来ました。
『伊勢神宮と神々の美術』、気が向きましたらその内、報告致しますm(__)m
いえ、うろついていたのではなく、『みやこめっせ』に用事があったので出かけました。
地下鉄東西線の東山駅で下りて、疎水沿いに北上すると、じきに岡崎公園に到着します。
一昨日の豪雨の影響か、いつもよりも疎水の水も多く濁っておりました。
平安神宮の鳥居をくぐって次の四つ角を左に曲がると『みやこめっせ』です。
京から明後日まで益富地学会館の主宰の『石ふしぎ大発見展』の京都ショーがこちらで行われます。
これが実を言えば、私の恒例の大散財の日に当たっております。
何せ会場全体の雰囲気が一昔前とは、かなり変わってしまっています。
昔は本当に鉱物や化石の好きな人がメインだったのですが、今ではそういうジャンルよりもアクセサリーや宝石、半貴石が中心、あっちこっちのブースでブレスレットやらペンダントトップ、ピアスにストーンビーズならばまだしも、基礎金具やアクセサリーコード、メタルチャームなんぞまで扱っていまして、かなり様変わりしたものだなぁと、チョッと複雑な感慨ですね(@_@;)
その類も決して嫌いではないのですが、相変わらず私が手を出すのは、こちらの画像のような連中です(~_~;)
どうして毎度、小汚い系の水晶なんだって?
そりゃ、水晶はインクルージョンこそ面白い!
左後ろの磨きのシトリンだの、左手前のチョッとアメジストがかったダンブルは、私にしてみればチョッと邪道(?)な買い物です……いや、だって安かったんだもの(^_^;)
一体こんなガラクタな石ころに、どれだけつぎ込んだんだって……まぁ、一つ一つは決して高価じゃないんですけどσ(^◇^;)
何がって、ここのSecondブログですね。
昨夜から消えてるんですよ(^^ゞ
まぁ、いつかはこういう事になるだろうと思っていたのですが、予想よりももった方ですね。
何せ最初の意気込みと言うか掛け声は何処に……なんでこんな所が親会社になっている???
こういう状況でしたので。
一掃、消えてくれてスッキリした?
あっ、でもリンクが全部消えましたねσ(^◇^;)
昔の与太言の一部は、古い方のパソコンの何処かに残してあるので、その内に外付けのハードディスクにでも移して、別の形で利用しようかしらね。
昨夜から消えてるんですよ(^^ゞ
まぁ、いつかはこういう事になるだろうと思っていたのですが、予想よりももった方ですね。
何せ最初の意気込みと言うか掛け声は何処に……なんでこんな所が親会社になっている???
こういう状況でしたので。
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あっ、でもリンクが全部消えましたねσ(^◇^;)
昔の与太言の一部は、古い方のパソコンの何処かに残してあるので、その内に外付けのハードディスクにでも移して、別の形で利用しようかしらね。
