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うめぞー、思案中

明日は歴史作家「うめぞー、執筆の合間に思案中」

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この画像はネット上から拾ってきました……京都市西京区大原野の宝菩提院願徳寺の本尊、如意輪観音です。
お寺さんでは如意輪観音と言われているようですが、実のところは尊名不詳、独立尊か三尊仏の脇侍なのかも分からず、菩薩半跏像とするのが無難なところなのでしょう。

私がこの仏様に初めてお逢いしたのは割合に最近、四年前に奈良国立博物館の特別展『古密教』の会場ででした。
黒光りした姿から遠目には金銅仏かと思ったのですが、近寄って見ますとほぼ等身大の木彫像です。
尊顔の端麗さや御姿のバランスの良さも勿論ですが、軽く豊かにうねる天衣の美しさは格別です。
ここ最近の博物館の展示方法に良くありますよう、360度の方向から鑑賞が出来るのがとても感激でした……思わず、周囲を何周もしつこく回って、一人でうなずき感心しておりました。
髪型も後姿もとっても素敵(*^_^*)

ところで、向日市文化資料館へ行きますと、この仏様の大きなパネルが掲げられているのですが、特に説明も何もないのが以前から不思議でした。
何せ、この御方のおられる御寺は向日市の隣の京都市西京区ですから。
この理由が最近、ようやく分かりました。

実はこの御方は、元々は向日市寺戸にあった願徳寺におられたのだそうですが、こちらの御寺が昭和三十年代に廃寺になってしまい、大原野の勝持寺(花の寺)に移され、その後に勝持寺のすぐ近くに新たな願徳寺を建立して、新たな御住まいとされたのだそうです。

そういう訳で行く先は博物館ではなく御寺ですねσ(^◇^;)
しっかし、このお寺、無茶苦茶行き難そうな場所にあるわいな……
こりゃ、十中八、九、車で行く事になりそう。
そこでだ、誰か一緒に行きたい物好き(?)がおられましたら付き合わない?!?!
……だから橿原まで、誰に来いって言うんだ(*_*(○=(・_・o)
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リンちゃんタイフ~ン!明け方の風雨は凄まじかったです。
更には家の中のウメナとシマコのケンカも煩かったです……朝の四時から起こさないでくれ(-"-)

仕事に行く頃には、風はまだ強かったのですが、雨は割合に弱くなっておりました。
でも午前中は、それなりに雨も風も強い状況で、警報も解除になっていなかったので、学校は軒並み休校になっておりました。
そして昼前には雨も上がって、時々日が差すくらいまで天気が回復しましたので、天気予報の言ったとおりですね。

帰って来たら、相変わらずタイフーン・シマコは絶好調でした(~_~;)
シマコに比べりゃ、リンちゃん、シータンのオイタなんてかわいいものですわ……
リンちゃん、マーフィー兄ちゃんと一緒台風18号の接近で、奈良県下は目下、警報出まくりです……
しかし、今はまだ雨も風も静かです。
何とかの前の静けさ?
別にそういう訳じゃなくって、まだ酷くなっていないという程度です。
ニュースの映像では、和歌山県の串本町の様子を流していましたが、暴風雨と大波です。
こちらには海はないので、間違っても波浪警報は出ませんが、こうも大雨が続くと、また吉野の方で崖崩れなどが起こりかねません。
そして中和は思いのほか、土地の低いところも多いので、水がつきやすいです。

ところで困った事に、ウメナさんがこの雨の中、また外に出かけてしまって帰って来ないんですわ……お陰で雨戸を完全に閉められやしない……(-"-)
まぁ、この辺で10年近くも暮らしている猫ですから、雨風をしのぐ所くらい、いくらでも知っているのでしょうけれどね、こっちはやはり心配なんですよね。

それを考えると、室内飼いの猫さんは良い子なのかも……?
この写真は、先日の寧估庵の美少女リンちゃんと、マーフィーです。
若い雄猫でもボス候補みたいな子は、結構、子猫の面倒を見るようです。
マーフィーも外に行くような子だったら、割合にその辺でケンカに明け暮れるボス猫になっていたのかも??
何をイメージできないかって、今回のキーパーソンの一人ですわ。
その人の名は……橘宿禰諸兄……だったりする(^_^;)

文殊菩薩を乗せている獅子に似ていると言ったのはうちのスメラミコトなんですが、これじゃなんの助けにもなりやしない(+_+)
阿部文殊院の文殊菩薩の獅子とか、結構面白い顔してますからねぇ。
以前、京都国立博物館の常設展に大きな獅子に乗った文殊菩薩がおられましたが、これはどちらの所蔵のものだったのでしょう……いずれにしても、京博自体が現在工事中ですから、確かめに行くのも無理ね。

いえ、獅子を無理して見に行く必要なんて微塵もないんですよ。
誰か具体的に、こういうイメージに近いという人物でも見つければ良いんですよね。
藤原仲麻呂がいつの間にか草刈正雄になっているとか、市原王がどういう訳か渡部篤朗になっていたみたいに……ちなみに後者は、また変化しているようですがσ(^◇^;)
で、誰が諸兄なのさ……大阪歴博の宮廷儀式の映像では白髪の御老人でしたが、どうも私のイメージとはかけ離れているような気も致します。
天平十五年にはちょうど六十歳のはず、昔々の還暦は現代人よりもずっと老けていたとは思いますがね。
今回書こうと考えている話の登場人物では、この御仁こそが取って置きの曲者でしょうか。
確かに周囲は曲者だらけなのですが……と申しますか、私の書く話の主要登場人物はどれもこれも、一癖二癖じゃすまないような人ばかりなのですが、その上前をはねるのがこの方でしょう(~_~;)
かつて私は、聖武天皇と光明子皇后は、天武天皇と持統天皇にも匹敵する最強の夫婦かもしれないと、何処かで与太を飛ばしておりましたが、今もってこの辺りの感想は変わっておりません。

天平十五年、紫香楽離宮にて『盧舎那仏造営の詔』を発した時の、太政官を構成する面々を見てみますと、

 知太政官事  鈴鹿王 (兼式部卿)
 左大臣     橘宿禰諸兄 
 中納言     藤原朝臣豊成 (兼中務卿、中衛大将)
           巨勢朝臣奈弖麻呂 (兼神祇伯、左大弁)
 参議       藤原朝臣仲麻呂 (兼民部卿)
           大伴宿禰牛養 (兼兵部卿)
           紀朝臣麻呂 

この中で一番厄介に思えるのは、まあ、左大臣でしょうかねぇ。
その左大臣と、表面上は協調しているのですから、ある意味怖いものなしなのかもしれません。

でも今回問題になって来るのは、ここに現れていない人たちとの関係です。
その一人が光明子皇后、そして氷高太上天皇(元正太上天皇)、阿部内親王(皇太子)、更に行基大僧正、そして何よりも今回の主役となる白壁王です。

首(おびと)天皇と白壁王の年齢差は八歳、血縁関係は父親(文武天皇)の従弟なので、そうそう近い訳でも遠い訳でもありません。
何せ他の浄御原(天武)天皇系の二世王らとも、同じ程度の血縁ですから……
しかしこの二人、良く考えてみると共通点がない訳でも有りません。
父親を幼少期に亡くしていて、母親の顔をほぼ知らない、当然ながら親代わりになってくれた人達がいたはずです。
こういう些細に思える辺りが、私の付け込むポイントですね(^_^;)

この御仁の即位後の行動を考えてみると、やはり母方というか皇后の身内は鬱陶しかったのでしょう。
そこで目を向けるのは、やはり父方の家系、しかし浄御原系は母方以上に鬱陶しいかも?
焦点を更に絞って、自らの祖父母や伯父伯母らの周辺に引っかかっていたのが、案外、生い立ちで共感できる白壁王のような、一見、毒にも薬にもなりそうにない人物だったのかもしれません。
いや、天邪鬼うめぞーのプランでは、もっと決定的な要因を用意しているのですがね(ーー゛)
とどのつまり、白壁王は若い天皇にとって、かなり目障りで気の置ける存在になりつつあったんです。

ここにしゃしゃり出てくるのが、多分、橘諸兄、そしてその異父妹とファミリーたちですねσ(^◇^;)
結局は切りたくても切れない、血縁関係はあっちもこっちも巻き込む訳ですわ。
考えようによっては、家に対する不満を常に抱いていたのは、諸兄も共通のような気がします。
だから後々、皇族から臣に下りて橘宿禰の名前を継いだのかもしれませんが。
逆にこの部分は、白壁王とは異なる部分なのかもしれません。

考えれば考えるほど、この三人って面倒な連中に思えてきましたわ。
でもやっはり、一番面倒なのは首天皇、その人なのね。
これに更に面倒な脇役が絡んで来るんだから……ダメだなぁ、全然整理がついてないわ(/_;)

俺は怒っているんだ?ちょいと目付きの悪いこの御猫様は、寧估庵のニューフェイスのシャロ爺(十四歳)です。
八月に行った時の写真なので、サマーカットされていて、雑種のように見えますが、ひょっとしたらペルシャ猫?
先日にはお目見えしなかったのですが、今頃はレオ爺共々、長毛に戻っている事と思われます。
この爺様、年甲斐もなく若い猫と取っ組み合いのケンカしてくれるんです。
思わず「血圧上がりまっせ、爺様」と引き離してしまいますわσ(^◇^;)

神楽殿の上の月昨日は昼間から京都に出かけておりましたので、夕方には奈良に帰って『采女祭』にでも久々に行こうかななどと考えておりました。
ところがバスで祇園に差し掛かった時、『八坂神社』の鳥居の前に『観月祭』と書いた看板を見てしまって、衝動的に下りてしまいましたわ(~_~;)

そもそも仲秋のこの夜、チョッとした名所では『観月会』くらい行っておられましょう、八坂さんに限る事無く。
そういう訳で暗くなるのを待っておりますと、十八時十五分から京都女子大学の管弦楽アンサンブルの演奏が始まりました。
ところが予定していた曲が短かったため、時間調整に同じプログラムを二度繰り返させられて、メンバーには気の毒だったのか、逆に嬉しかったのか……まぁ、せっかく練習したんだろうしなぁ、発表の機会は多いほうが良いのかね。
その後に神事が始まり、献詠歌、管弦・舞楽、筝曲、太鼓演奏と続くようなのですが、私は神事が終わったところで退散して参りました。

それにしても京都市内のバスというのは、すいている事の方が稀なのではないのかと思うほど、常にすし詰めで走っておりますねぇ……んな訳ない?市バス赤字なの??
祇園から京都駅行きのバスがちっとも来やしない……どうせ来ても乗車拒否されそうな人の群れなので、烏丸まで歩くかと四条通を西に向かいました。
祇園なんぞ歩くのって正月以来だなと、別に急ぐでもなしに観光客をしながら、途中の『目病み地蔵』だの祇園祭の『お旅所』などを覗きつつ行きました。
繁華街をふらつくのは元来嫌いじゃないせいか、久々に歩いた物珍しさも手伝ってか、割合に短い距離に感じましたわ(^^ゞ

大政奉還のお陰で、京都は江戸時代を残す町になったと言いますが、残された文化財の建物や庭のみではなく、四条辺りの繁華街にもその片鱗が各所に見えるのが面白いです。
江戸時代に詳しくなれば、私ももう少し京都という街に愛着を感じられるのかもしれませんね。

何やら知らねど、こちらのブログの調子がすごく悪いです。
何ヶ月かに一度はこういう事があるんですよね、画像も上がらないし、下手すりゃ、この記事も上がらずに消滅したりして……(~_~;)

ともあれ、この何日か恭仁京、紫香楽宮、難波宮に都があった頃の資料を漠然と眺めております。
こいつと平城還都後の人事なども眺めているのですが、どうも派閥の構成員がはっきり見えてこない……
単に集中力が足りないだけなのか、本当に分からないのか?
天皇や太上天皇、左大臣らの動きは史料にも見えるのですが、困った事に皇后や皇太子が殆ど現れないのも、この不明箇所の一端なんですよね。
少なくとも最初は、聖武天皇橘諸兄の足並みは揃っていたはず。
しかし途中から、むしろ元正太上天皇と諸兄が同じ方向に歩みだす?
この不調和に光明子皇后はどうやって介入して来るんだ?
この四人に味方している主な官僚は誰なんだ?
そもそも、阿部皇太子はどこにいるんだ?

この不調和な流に腰どころか首までドップリ使っている白壁王の立場はどうなの?
藤原氏はともかく、太政官以外の公家らの動きも良く分からない?
むしろチョロチョロど出てくるのは皇族官僚か?
しかし、この連中にも役割があるのかな、今回問題にしようとしている件に?

う~ん((+_+))、話が変に入り組んでいる分、どうも人の動きが掌握できていませんわ。
少し気を入れなおして取り組みなおしませんと……

レオ爺はチンチラペルシャ??日曜日、久々に『寧估庵』に行って来ました。
新しい猫さんは、一月前にもおりましたが、写真はほとんど撮っておりませなんだ(^^ゞ
そういう訳で、遅ればせながら今回、紹介させて頂きますm(__)m

この赤い長毛の立派な御猫様はレオさん、何と14歳の高齢男子のため、通称『レオ爺』と呼ばれております。
もう一匹、グレーの長毛様がおりますが、そちらも14歳の『シャロ爺』です。
先日はついぞ姿を現しませんでしたが、気が若いのか、若い猫と取っ組合いのケンカまでしてくれるそうです。

何が見えるの?二匹の爺様とは対照的に、美少女二匹も登場。
こちらのちょっとグレーっぽい縞々の子は『シーたん』と呼ばれておりました。
やっぱり長毛なので、血統書付きなのと思いきや、いずれの子も雑種なのだとか……
レオ爺、シャロ爺も鼻ペチャ顔のゴージャスな外見から、ペルシャ猫でしょうと思ったのですが、引き取ってきた御宅では血統書は見つからなかったのだそうで、限りなく純血種に近い雑種なのかもしれませんね(・・?

今日もおねむなの……もう一匹の
美少女『リンちゃん』は良く寝ていました(^_^;)
色の薄い三毛トラという感じの子です。
シーたんとは姉妹なのだそうですが、このこの方が一回りくらい体が大きいんです。
もしかしたら御父さんが違うのかな?
猫には一緒に生まれた兄弟でも、父親が違う場合も多々有るのだそうです。

どっちの子もうちのシマコよりチョッと小さいくらいなのですが、遥かに大人しい……(~_~;)
いやむしろ、どうしてうちのシマコはああも凶暴なんでしょう……蔵人の子猫時代に匹敵するかもσ(^◇^;)
何もなさそうな窪地?相変わらず下手くそなパノラマ写真を載せて、何を見つけてみようなどとほざいているのやら?
空の色が途中から変わっておりますが、この場所は大仏殿の西側から戒壇院の方向に下がって行く窪地です。
取り立てて何があるという訳でもなく、鹿が草を食んでいる光景に出くわすようなだだっ広い場所です。
私の記憶が正しければ、右手方向の斜面の辺りに盧舎那仏鋳造のための遺構があるはずです。
そういうあいまいな記憶で、何を探せというのやら……

先日に『紫香楽宮跡(甲賀寺跡)』に行きまして、あの丘の上に立っていて考えていた事の一つが、この鋳造遺構の事なんです。
この場所から見ると、金堂(大仏殿)の場所は山裾の小高くなり始める辺りに位置します。
鋳造の技術者たちは、この斜面を利用して鋳造炉を設けて銅を鋳溶かす事を考えたのでしょう。
紫香楽でも、同じプロジェクトチームがその作業に当たろうとしていたはず、やはり金堂を丘の上に持って来て、裾部に炉を設け、斜面に吹き付ける風を利用して鋳造を行う計画を立てていたかも知れません。

見落としそうな小さな社です。まぁ、私はこういう技術的な分野にはかなり暗いので、具体的にどういう条件の場所に炉を設ければ効率的に作業が行われたかが、とっさには分からない状況です。
ともあれ、このような未曾有の鋳造作業に携わったのが、半島出身の人々だそうです。

大仏鋳造の長官は国中連公麻呂という人で、この人の祖父は天智二年に百済より渡って来た国骨富、まさに白村江、周留城の敗戦の後に国を失って渡って来た人です。
公麻呂はこの功績により、他の造寺にも携わったばかりではなく、造東大寺司次官にまでなっていますので、技術屋としても実務屋としても有能な人だったのでしょう。

大仏殿の東側斜面の石段を登ったところに、このような赤い鳥居が見えます。
この小さな神社は『辛国神社』もしくは『天狗社』とも呼ばれるそうで、すぐ近くの売店の御主人に伺ったところ、大仏造営に関わった渡来系の技術者を祭った神社だとの事でした。
気をつけていないと通り越してしまいがちで、訪れる人もあまりいない様子ですが、少しばかり心引かれる場所である事は間違いありません。
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