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蘇我入鹿(そがのいるか)と素戔鳴尊(すさのをのみこと)を祭っている神社です。
こちらにも少々古い狛犬さんがいます。
見るからに砂岩製の80cm程度の、厳つい顔の子達です。
台座に見る生まれは
“安政五年戊午九月吉日”らしき文字が刻まれたとおりです。
安政五年は1858年、慶應義塾大学が創立し、安政の大獄が始まった年だそうで、正真正銘の幕末です。
何かのおまじない?
それとも境内に落ちていたのを面白がって誰かが乗せたのかな?
写真も撮って来たのですが、今回はまぁ、省略(^^ゞ
ところでこの子の前足の先に巻いてあるのは、別に包帯という訳ではなく、多分、子供が行方不明にならないようにというおまじないだと思います。
この辺の神社の狛犬さんには、時折見られます。
そして後姿は結構スタンダード、柏の葉っぱのような幅広のフサフサ尻尾の真ん中には、アンモナイトみたいな巻き毛もあります。
そういえば、吽さんの頭には角がありませんねぇ。
では次も、この近所の狛犬さんでも紹介致します。
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由緒略紀によりますと、三座の御祭神を祭っているそうで、推古天皇の元年に『園神』の大物主命を、養老元年に『韓神』の大己貴命と少彦名命を祭ったのだそうです。
う~ん、園神に韓神って何なんでしょう???
古くは『春日率川坂岡神社』、延喜式神名帳には『狭加岡神社』で載っているそうです。
この神社の境内には『林(りん)神社』が摂社として祭られていますが、こちらは饅頭の社だそうで、我が国で最初に饅頭を作った林浄因(りんじょういん)命を御祭神としています。
四月に饅頭祭りを行うのも有名です。
大きさは1メートル程度、キメの細かそうな和泉砂岩製です。
台座の銘に寄れば、『天保十五甲辰年 九月吉祥日』の制作ですが、奉納者の名前が分かりません。
石工らしい名前の掘り込みもあるのですが、風化が著しく、拓本でも取らないと読めそうにありません。
天保十五年は西暦にすると1844年、この辺では結構古い部類ですね。
『吽』には良く見ると小さな角があります。
ところで、お盆に入り、いずこも帰省ラッシュ?
私の休みは毎年恒例、カレンダー通りなので、15,16日の土日のみ。
15日はまたもや向日市でシンポジウムがあるので出かけまして、夕方には奈良に行って、高円山の大文字送り火と、東大寺大仏殿の万燈供養に行くつもりです。
余力があれば、春日大社の万燈篭にも……こっちは人が多すぎるよ(ーー゛)
16日は木津川市で馬場南遺跡の現地説明会だわね。
五山送り火?……余程に気が向いたら、吉田山で見たいわねσ(^◇^;)
暫くして台風情報でも見ようかとテレビをつけたら……震度6?静岡県で!?!?
さして間を置かずに姉から携帯にメールが来まして、家の方は大丈夫との事。
家への電話は午前中は通じず…・・・いえ、回線がパンクしているのではなく、留守電になってるんですわ。
午後に三度電話したら、午前中は定期健康診断に行っていた?????
ニュースの深刻さに比べると、やけに暢気な母のお言葉でした(~_~;)
縦揺れは全くなく、横揺れがずいぶん長く続いたそうで、数年前に奈良で震度4が起きた時みたいな感じでしょうか。
あの時も20秒くらいユ~ラユラと揺れてましたわ。
まるで高架の道路で渋滞にハマって、対向車線を大型のトレーラーでも通った時みたいな、気持ち悪い揺れですね。
久々に狛犬さんでも紹介致します。
これはおとといに行って来た、『崇道天皇社』の本殿前にいた子達です。
こちらの神社、鮮やかに赤い鳥居が正面に立ち、そのすぐ内側にかなり新しい花崗岩のペアがおりますが、今回は江戸時代生まれの子達です。
台座には奉納者や石工の名前は見当たらず、文久二年六月吉日と有りますので、西暦にすると1862年、『坂下門外の変』やら『生麦事件』の起きた年、つまり幕末です。
大きさは70センチ程度、きわめてオーソドックスなサイズでしょうか。
多分、和泉砂岩製だと思います。
特に子連れでも玉取りでもなく、とってもお行儀良く座っています。
創立は大同元(806)年、崇道天皇こと早良親王を御祭神として、平城天皇即位の年に、ここに鎮座したそうです。
御霊神社が複数の方々の御霊を祭るのに対し、こちらは親王一人に限って御祭りしているのが、やや珍しいような気も致します。
それにしても以前にもぼやきましたが、どうしてこの場所にこの御祭神の社があるのかが、未だに良く分かりません。
やはり皇族関係の社だけありまして、あちらこちらに菊花紋が散見されます。
そして本殿は見事な春日移し、重要文化財に指定されています。
ともあれ、あちらこちらの神社で写してきた狛犬さんの写真がかなりたまっているので、頃合を見てぼちぼちあげて行くつもりです。
浪花型の狛犬さんの足元に座っている、瓦陶製の物です。
この辺りには瓦屋さんが多いそうで、こちらの神社の氏子さんにも瓦屋さんがおられるのでしょうか。
それにしても体形は犬か猫みたいなのですが、顔つきは何処となく爬虫類的?
思わず「スメアゴルがいる……」
口は恐ろしく大きいし、鼻は胡坐をかいた人の鼻みたいだし、げじげじ眉だし……(ーー;)
こういうタイプって、殆ど見た事がありませんが、どこかに類例があるんでしょうかね?
ところで土曜日の『帯解黄金塚古墳』に関しての記述が一部間違っていたので、訂正致しましたm(__)m
既に三月、昨日は奈良市に行ったので、東大寺修二会の御松明の初日でしたので、夜までねばって見て参りました。
今年の童子衆は、チョッと元気が無いようで、松明の振る回し方がおとなしめでした(^^ゞ
それよりもお笑いだったのは、最後の二本……
9本目が階段を上がってくる火の影は見えたのですが、さて、いつまでたっても二月堂の正面に御松明が姿を現しません。
その間に8本目はさっさと御堂の陰に消え、最後の10本目が階段を上がって来ました。
「さっきのやつ、ちっとも出て来うへんなぁ」というような声が、あちらこちらで聞こえます。
「次のやつも来ないわ……」
「どうしたん、さっきの二本とも?」
このように周辺で囁いている内に、二月堂周辺の明かりが点きまして、
「本日の御松明は、全て終了いたしました。気をつけてお帰り下さい」というアナウンスが流れるじゃありませんか。
ここかしこで、乾いた笑いが起きました……(-_-;)
今までに何度も見に行っていますが、こういう展開は初めてです(~_~;)
さて、今晩は10本とも、ちゃんと上がったのでしょうか。
どうせ帯解(おびとけ)駅まで帰る途中ルートだし寄って行きますかと、地図を見ながら歩き始めたのですが、そこで分かったのは黄金塚古墳が東から西に延びる細長い丘陵上に乗っている事です。
まぁ、こいつは地図を見れば一目瞭然なんですけどね。
ところがボヤ~ッと歩いていたところ、見事に『シズカ塚古墳』を通り過ぎたようで(^^ゞ……『塔ノ宮廃寺』のある三叉路に来ておりました。
地図によりますと、そこには現在は神社があるようで、右手前方に見える社の森を目指して歩いて行きました。
本殿の御祭神は早良親王、誉田別尊、大鞆和気命、崇道天皇、應神天皇とありまして……早良親王と崇道天皇って同じだし、誉田別尊と應神天皇も同じですわねぇ(~_~;)
ところで大鞆和気命って誰でしたっけ(^_^;)
調べろって(ーー;)
上の写真では分かり難いかもしれませんが、御社には二つの扉が並んでいます。
これが二つの神社が合社された事を現しているのでしょうか。
それはさて置き、境内にいる狛犬さんですが、ここの子達もとてもお行儀の良いペアです。
大きさは70センチくらいでしょうか、大体、ゴールデンリトリバーくらいのサイズですね。
『吽』の台座に「明治三十九年」、『阿』の台座には「二月建之」と刻まれていましたが、もしかしたら五月かもしれないし六月にも見えまして、何やら良く分かりません(・.・;)
更には「石工 中屋昭三」らしき名前もありましたが、奉納者の名前は見当たりませんでした。
この子達は極めてスタンダードなタイプなのですが、その足元にはもう一対、奇妙な狛犬さんたちが座っていました。
こちらの紹介は次回という訳で、続く……σ(^◇^;)
追記:画像のない記事の一部は、セカンド頁の方にあげております。
気の向かれた方は御覧頂ければ幸いですm(__)m
鳥居に扁額がなくて、最初は何という神社なのか分からなかったのですが、本殿に『高市郡高取町大字森鎮座 素盞鳴命神社 宮司 武村孝茂』と書かれた木の札がかけられていました。
こちらにもこの画像のような狛犬さんがおります。
大きさは50センチくらいでしょうか、一番良く見られるサイズです。
昨年末に行った、高取町田井庄の八幡神社の子に良く似ているんですね。
もしかしたら同じ石工さんの作品なのかもしれませんが、こちらにも奉納者や石工の名前はありませんでした。
奉納されたのは多分、慶応二年八月なのだと思うのですが、チョッとはっきり読み取れませんでした。
八幡社の方が慶應三年とありましたから、こちらの方が少しだけ古いという訳ですね。
それにしても『阿』の笑い顔なんて、比べてみるとそっくりです(^^ゞ
銘によれば、奉納日は大正九年十月、奉納者は、軍人 今井萬蔵 矢野惣次郎 松石庄次郎とあります。
石工らしきの名前もあるのですが、横着して写真を撮って来たところ、ピンボケではっきりと読めません……◎里平吉らしいのですが、最初の文字がやはり分からない(^_^;)
かなり筋肉質の重量感あふれる、不敵な面構えの子たちですが、尻尾がすごいんです。
おまけに伸びた房が後ろ足の方にまで来ています。
よく見ますとタテガミは元より、足首などの毛も、巻いています。
こうも長毛でカールした毛では、毛玉もいっぱい出来そうですねぇ……って、猫じゃあるまいし、セルフグルーミングするのか??
昨日に引き続き『奈良豆比古神社』ですが、こちらには三対の狛犬がいます。
三つの社の前にもそれぞれいるようですので、それまで含めれば六対になるのでしょうけれど、取り敢えずは自由に観察できるところにある物という訳で。
この子犬のような狛犬は、並んだ三つの社の前に鎮座しています。
高さは40センチ程度しかないので、マメ柴犬くらいでしょうか。
境内におられた氏子の方らしき男性の言う事では、他の二対よりも古い物なのだそうですが、制作の日付は見当たりません。
他の物は昭和と明治の制作なので、これは江戸時代の作でしょうか。
しかし台座の横には「施主 辰巳屋嘉七」という名前が見えます。
こちらの宮司さんは辰巳さんといわれるらしいので、もしかしたら親戚筋の方かもしれません。
この子も巻き毛のあるフサフサ尻尾の浪花型という種類らしいです。
この境内には市尾宮塚古墳という六世紀中ごろの、石室が開口した古墳があるので、そちらに興味のある方は訪れているかもしれません。
近鉄吉野線の市尾駅からも近いので、割合に行きやすい場所です。
石製の扁額のある立派な鳥居や、登り階段の参道も雰囲気がある神社です。
狛犬の乗っている四角い台座には、「慶応三年 ◎當村 ◎◎藤右エ門」らしき銘が見えます。
苔むしていて、詳細が良く分かりません。
下の台座が痛んだか何かで、新しく奉納したのでしょう。
この子達の尻尾も、大きく開いた扇状ですが、いつものようにアンモナイト状の巻き毛はありませんでした。
下のほうの二重のV字型は、どうなってるんでしょう……よく見ると耳の後の毛も、どうなってるのかな?
子犬のようなプロポーションで、ちょっと可愛いです。
本当にこの辺の狛犬は、お洒落でお行儀の良い子達が多いようで、大抵がこのように大人しくお座りをしています。
奈良市陰陽町は、奈良町の『もちいどのアーケード』を抜けて更に南に行った辺りです。
“いんようちょう”と読むらしいのですが、昔々に陰陽師が住んでいたから、そのような町名がついたのだとか。
陰陽師と申しましても、公務員的な陰陽師ではなく、在野にいた“拝み屋”的な人達だと思います。
奈良町の成立が中世以降ですから。
ではこれより、ここにある『鎮宅霊符神社』のオモロイ狛犬を紹介いたしますm(__)mこういう顔をしています。
大きさは柴犬程度、以前見て記憶していたよりも少々小さかったです。
台座の銘を見ますと、前面には何やら三行程度にわたって彫ってあるのですが、真ん中の行の“近江”しか判別が出来ません。
奉納者の名前などだと思うのですが。
側面には“慶應三年”その次が干支だと思うのですが、またもや分からず、“四月吉日”となっています。
慶応三年は1867年、大政奉還の前年ですね。
この顔を見ていると、「え~じゃないか」というか「え~やんか」とでも言いたそうですわ(~_~;)
この顔つきも体つきも、今までここで上げましたスタンダードな幕末や明治の狛犬とは全然違いますが、こいつも強いて分類すれば『浪花型』になるのだそうです。
脚元にミニペットボトルを置いてみましたので、だいたいの大きさが分かるでしょうか。
それにしても、変な前脚の付き方ですねぇ……
ちなみに後姿はこんな感じです。
まるで先端に船形光背が立っているみたいですが、一応、扇状の巻き毛尻尾ですね。
こちらの神社ですが、入り口に鳥居がなくて、お寺かちょっと立派そうな家の門のようになっているので、つい通り過ぎそうになります。
おまけに細い路地を入って行くので、こんなオモロイ子がいる割には、訪れる人は稀です。
それでも知る人は知る、なかなか人気のある狛犬らしいです。
“いんようちょう”と読むらしいのですが、昔々に陰陽師が住んでいたから、そのような町名がついたのだとか。
陰陽師と申しましても、公務員的な陰陽師ではなく、在野にいた“拝み屋”的な人達だと思います。
奈良町の成立が中世以降ですから。
大きさは柴犬程度、以前見て記憶していたよりも少々小さかったです。
台座の銘を見ますと、前面には何やら三行程度にわたって彫ってあるのですが、真ん中の行の“近江”しか判別が出来ません。
奉納者の名前などだと思うのですが。
側面には“慶應三年”その次が干支だと思うのですが、またもや分からず、“四月吉日”となっています。
慶応三年は1867年、大政奉還の前年ですね。
この顔つきも体つきも、今までここで上げましたスタンダードな幕末や明治の狛犬とは全然違いますが、こいつも強いて分類すれば『浪花型』になるのだそうです。
脚元にミニペットボトルを置いてみましたので、だいたいの大きさが分かるでしょうか。
それにしても、変な前脚の付き方ですねぇ……
まるで先端に船形光背が立っているみたいですが、一応、扇状の巻き毛尻尾ですね。
こちらの神社ですが、入り口に鳥居がなくて、お寺かちょっと立派そうな家の門のようになっているので、つい通り過ぎそうになります。
おまけに細い路地を入って行くので、こんなオモロイ子がいる割には、訪れる人は稀です。
それでも知る人は知る、なかなか人気のある狛犬らしいです。